鹿児島市西千石町の「フレッセ厚生市場」にある靴修理・鞄修理・合鍵作製のお店です。
 

店 名   リペアショップ鹿児島店
住 所   鹿児島県鹿児島市西千石町13-11
電 話   099-223-1766 
店舗URL http://ebisusama2322.on.omisenomikata.jp/


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一匹オオカミ

テーマ:ブログ


リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪「一匹オオカミでした」です。




私は、長いこと、
「一匹オオカミ」でした。

組織が苦手でした。

組織のなかで、同じ行動を
もとめられることが苦手でした。


だから、かぎりなく、
自分勝手に行動してました♪

それが受け入れられないときは、
離脱していました。

(追ん出された、ともいう)(笑)


それでも、組織でなければ、
できないことがあります。

個人のちからを超えたパワーを、
組織はもっているからです。

それは、私が演劇にかかわって
きた結果、実感していることです。


だからこそ、考えました。

組織でありながら、できるだけ
個人が自由に動ける場をつくろうと。

組織のために個人があるのではなく、
個人のために組織があるような、

組織と個人が融合しあって、
成長していける場をつくりたいと。


それを、まずは、ワークショップや
講座のなかで、実現させてきました。

やりたいことをやる。
やりたくないことはやらない。

私が伝えることは、ひとつの提案
であり、選択するのは個人の自由。

これはいまも、鉄則です。


インターネットに参入してからも、
模索をつづけてきました。

直接的に会える講座ではなく、
インターネットは顔の見えない世界。

(最近は、変わってきましたが♪)


そのなかでも、誰もが自由に、
意見や思いを発露できる場。

信頼を構築しあいながら、
お互いにささえあい、成長できる場。


何度も、いろいろなグループを
つくってきました。

うまくいったケースもあるし、

不完全燃焼のまま、
終わったケースもあります。

すべてが試行錯誤でした。


今回立ち上げようとしている、

メルマガ6000号記念企画
チームも、そのひとつです。


今回の一番の特徴は、

「何をやるか」を、
参加者のみなさんが提案して、
ともにつくっていくこと。


もちろん、

新刊『こころの免疫力』(仮題)
など、私自身がやりたいことも、
いくつかあります。


それだけでなく、たとえば、

・こんな対談を聴きたい
・こんなワークをやりたい
・こんなコンテンツがほしい

そんな提案をしてもらって、
実現に向けて動いていく。

そんなプロセスを体験し、
また楽しみたいと思うのです。


というわけで、

「これこれを提供しますよ」と、
一方的にさしだすのではなく、

・あなたは何を知りたいですか?
・何を体験したいですか?

と問いかけて、それを一緒に
かたちにしていくプロセスこそが、

今回の一番のキモなのです。

だから、決まっていない部分が
多いのです。


9月中、準備チームをつくって、
そのプレ体験をしていただきました。

そのなかだけでも、もういくつもの
提案が生まれています。


6000号(連続発行)という、
ひとつの節目だからこそ、

せっかく登録・講読してくださって
いる読者のみなさんと、

何か、かたちになるものを
つくりたいと考えたのです。


もちろん、どの程度かかわるかも、
ご自身で決めていいのです。

あくまでも個人が主体のチーム。

何をやるかも、やらないかも、
自分で選べる、そんな場。

それが、今回提案した、
6000号記念企画チームなのです。


自分で決めて、自分で選び、
自分で行動する。

これが、自分をかがやかせる、
一番の方法だと私は思っています。

そして、それをチームでやるとき、

お互いがお互いをかがやかせあう、
仲間になれる。


「一匹オオカミ」だった私が、

「一匹オオカミ」のまま、
仲間とともに、組織をつくる。

長い長い時間をかけて、
私が模索しつつけてきた、

ひとつのかたちが、ここにあります。


そのプロセスを、一緒に歩む
仲間になっていただけたら、

とてもとてもうれしいです♪

憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢となれ

テーマ:ブログ


リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、齋藤孝氏の心に響く言葉より…「憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢となれ」です。




ニーチェの言葉に、「憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢となれ」というものがあります。

みなさん、この“飛んでる矢”をイメージしてみてください。

想像するとその姿は、どこか俊敏で、エネルギーに満ちているように思えませんか?


人間は、いくつになっても、このエネルギーに満ちた“飛んでいる矢”であることが大切なのです。

的に当たるか当たらないかは関係ないのです。

ここでは“結果”ではなく“プロセス”こそが大事だからです。

入社一年目などのフレッシュな時期こそ、人は“飛んでいる矢”であることが多いものです。

ところが、入社して年数が経ち、場数を経ていくと、次第に「若々しさ」を失っていく傾向にあります。


この場合の「若々しさ」は、見た目とは関係ありません。

重要なのは、「魂の若々しさ」であり、「エネルギーの若々しさ」です。


大人になると、どうしても“淀む”人が出てきます。

まとう空気が重く、その場にいるだけで、何となく周囲を不愉快にさせるようなタイプの人です。

そんな人にならないためにも、大人であればこそ、自ら“脱皮”していくスタンスを持つこと。

歳を重ねるほどに、古い殻を脱ぎ捨て、新しいことにチャレンジし続けること。

それこそが、現代における大人のたしなみといえるかもしれません。


どうかすると、若さ偏重に陥りやすい風潮のある世の中ですが、実は、経験がある人の方が魅力的であることを忘れないでいてください。

様々な経験を積みながらも謙虚さを失わず、常にフレッシュな心構えでいる…。

それこそが、私たちの目指すべき大人像ではないでしょうか?


エネルギーに満ちたフレッシュさは、自然と表情などにも表れるものです。

何歳であろうと、「今日は新しい日である」という感覚を忘れずに、明るさと爽やかさを持って、日々、目の前のことに臨む姿には美しさがあります。

「自分は今、飛んでいる矢であるか?」と自分に問いかけ、常に、エネルギーに溢れたチャレンジャーでいてほしいと思います。


『大人だからこそ忘れないでほしい45のこと』ワニブックス





忌野清志郎さんの「空がまた暗くなる」という歌がある。

『おとなだろ 勇気をだせよ
おとなだろ 知ってるはずさ
悲しいときも 涙なんか
誰にも見せられない

おとなだろ 勇気をだせよ
おとなだろ 笑っていても
暗く曇った この空を
かくすことなどできない

ああ 子供の頃のように
さあ 勇気を出すのさ
きっと 道に迷わずに
君の家にたどりつけるさ』


大人になると、少しずつ若々しさを失い、自分が「エネルギーに満ちた“飛んでいる矢」であることを忘れてしまう。

それは、勇気を失ったということでもある。


「金や財産、名誉や地位を失っても、ほんの一部を失ったにすぎない。

しかし、勇気を失ったらすべてを失う。

勇気は頭からは生まれない。

勇気を生むのはただ行動のみ。

行動が勇気を起爆させるのである」(行徳哲男)


情熱は、行動することによってしか生まれない。

勇気も同じで、ただ行動あるのみ。


いくつになっても…

憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢でありたい。


面白いとは何か?

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。





今回は、森博嗣氏の心に響く言葉より…「面白いとは何か?」です。


人間は、そもそも「新しい」ものが好きだ。

これは「好奇心」と呼ばれる性質でもある。

見たことがないものに近づき、手を出して、触りたくなる。


多くの動物にも、好奇心はあるにはあるが、人間ほどではない。

自然界の動物は、新しいものをむしろ避ける。

危険なものかもしれない、と判断するためだ。


好奇心旺盛なのは、子供や若者であるが、人間の場合は、かなり老年になっても、それを持っているようだ。

なかには、もう新しいものはいらない、今のままで良い、と頑なになる老人もいるようだが、いくつになっても、自分の好きな分野では、新しものに手を出したがる。

ただ、比較をすれば、そういった傾向は、やはり歳とともに衰えるように観察される。


「新しい」ものの「面白さ」に若者は敏感であり、年寄りは鈍感だといえるだろう。

この傾向からすれば、歳を取るほど、「面白い」ことは減っていく道理になる。

これはある意味しかたがない。

なにしろ、経験を重ねるほど、その人にとって「新しい」ものが減っていくことは必然であり不可避だからだ。

「それは、もう知っている」「試したことがある」という境地に達してしまう、ということだろう。


若者や子供は、新しいものに目を輝かせる。

「面白い」というよりも、「可能性」のようなものに惹(ひ)かれているのかもしれない。

つまり、「面白そうだ」という感覚である。

面白いかどうかは、試してみないとわからない。

だから「試してみたい」との欲求である。


子供が、何を見ても、「やらせて」とせがむのを、大人は知っている。

逆に、大人になるほど、手を出してみても、自分の得にならない、という悟りを開いてしまうのだろう。

子供は「無知」であるから、知らないことが周囲に沢山ある。

それらを知ることが、「面白い」のだ。

おそらく、知識を得ることで自身が有利になれるとの「予感」があるためだろう。


知らないよりも知ることは有利だ。

他者との競争にも勝てるし、自身の将来の可能性を広げるだろう。

つまり、好奇心とは自分が「成長」するイメージを伴うものである。

この自身の「成長」が「面白い」と感じられるのは、躰を鍛えたり、技を磨くための練習が「面白い」ことにもつながる。

いずれ得られる満足を予感させる「面白さ」といえるものだ。


「意外性」とは、その人が思い描いていない未来が訪れることだ。

これは、普通は「面白い」ことではない。

もし、ビスケットがもらえなかったら、犬はがっかりする。

いったい何が起こったのか、と途方に暮れる結果になるだろう。

人間の場合も、想定しない事態が発生することは、歓迎できない場合が多い。

特に、予期せぬトラブルなどは困る。

というよりも、想定外の悪い事態をトラブルと呼ぶのである。


ところが、その意外性が、「面白さ」になる。

ここは、さすがに犬ではなく人間だから、といえるかもしれない。

すなわち、「意外性」の「面白さ」を理解するには、或る程度の思考力や知性が要求される。


突拍子もないことが起こると、人はまずは驚く。

意外なことに対しては、びっくりするのが最初の反応だろう。

しかし、それが「面白さ」に変化する。

たとえば、ギャグの中には、この意外性がある。

変なことを言うな、という驚きがある。

もちろん、定番になって、来るぞ来るぞと期待したところへ出てくるギャグもあるが、慣れてしまうと、普通は笑えなくなるものだ。

これは、意外性がなくなるからにほかならない。


『面白いとは何か?面白く生きるには?』ワニブックス「PLUS」新書





「面白がる人には、どんどん面白いことが降ってくる」(小林正観)

小林正観さんは、宇宙の法則として、「投げかけたものが返ってくる(投げないものは返ってこない)」というものがあるという。

これはつまり、物理学でいう「作用」「反作用」と同じことで、言葉を換えて言うなら、「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」ということ。

そして、自分に返ってくるものについて「宇宙は倍返し」という方程式があるともいう。

投げかけたものがまだ返ってこない間に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を一切言わなければ、二倍のものが返ってくるという法則。


つまり、面白がる人には、どんどん面白いことが起こり。

逆に、つまらなそうな人には、ますますつまらないことが起こるということ。


二度とない人生、面白がって生きていきたい。










イキオイでやっちゃう

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪より「イキオイでやっちゃう」です。




何かに取り組むとき、私は、

「スモールステップ」を
大切にします。


一歩、一歩、たしかめながら
進むやりかたです。

一歩ごとに、少しずつ
自信をつけていくのです。


でも、ときには、

「否応なしにその場に入る」こと
が、功を奏することもあります。

昨日の、

「人生の楽しみ上手になる表現
 あそびの会」は、そんな会でした。


ペア講師の篠秀夫さんが、
詩を印刷してもってきました。

工藤直子さんの
「のはらうた」のなかの詩。


この詩集には、野原の仲間たちが、
それぞれの視点で思いを語る、

とてもすてきな詩が
たくさん載っています。


そのなかの一編を読みました。

最初は、普通に。次は感情を入れて。
最後はからだも動かして。


いきなりの展開に、
「えええ」となるひともいましたが、

何せ次々と順番がまわってくるので、
迷っているひまがありません。

もう、その場の思いつきで、
即興で表現してしまいます。


もしも、事前に
「やってみる?」と訊いたら、

「いや、ちょっと」というひとが、
何人もいたと思います。


なかには、ひとの表現を見て、
「自分にはできない」と思って、

しりごみてしまうひとも
いるかもしれません。


けれど、イキオイでまわして
しまうと、あっというまに、

全員が、「できちゃいます」。


そして、みんなの感想は、

「一人ひとりの表現がちがって、
 それがおもしろかった」

というものでした。


表現を楽しむのに、
評価は必要ないですからね。

多様性を体験するほうが、
ずっと楽しいのです。


そのあと、同じように、
いろいろな表現を遊びました。

みんな、いきなり、です。

いきなり、即興でお話をつくったり、
歌ったり、踊ったり…。


やっぱり、みんな、できちゃいます。

そして、一人ひとりのちがいが、
楽しいのです。


ポイントは、アタマで考えないこと。

(考え出すと、苦手とか得意とか、
 見栄えとかいろいろ迷います)

そして、終わってから評価をしない
こと。(とくに自分自身にたいして)


楽しかったら、それでいいのです。

楽しむ感覚が身についたら、日常
のなかでも、その感覚を使えます。

そしたら、人生そのものが
楽しくなっちゃいますからね♪


会の終わりは、新聞紙で衣装を
つくって、ファッションショー。

新聞紙とビニールテープ、
あとは、はさみとセロテープ。

それだけで、実にさまざまなキャ
ラクターが、そこに出現しました。


最後にみんなでやった、
ファッションショー。

動画に撮ってくれたひとがいました。

見てみたら、もう、みんな、
めちゃくちゃはじけてました。

幸せな笑顔に満ちていました。


一歩、一歩も大切だけど、

ときには、イキオイでやっちゃう。

そんな体験も、
大切にしてみませんか?

人生の幅が広がるかも、
しれません♪

寄り道のススメ

テーマ:ブログ


リペアショップ鹿児島店の坂元です。





今回は、元マイクロソフト社長、成毛眞氏の心に響く言葉より…「寄り道のススメ』です。


キャリアというと、こうなりたいという目標を設定し、それに向かって突き進むものだという誤解が世の中に蔓延(まんえん)している。

それは、子供の頃にその目標を設定できたごく限られた人の話である。

そうはない多くの大人にとって、キャリアとは歩んでから振り返り「ああ、こんな風だったのか」とその全体像が把握できるものである。


やってみたいことをその時の気の赴くままにやってみて、ある時は没頭し、かと思うとすぐに飽きて、また別のことをはじめ、時にはいくつものことを同時にやりながら、なんとなく自分の好きなもの、得意なものを集めていって、その集大成が自分である。

成長とはそれが目的ではなく、何かしらをした結果が、成長なのである。

なので、いい大人が、なりたい自分を先に決めてそれに向かってレールを敷くべく努力するとか、成長のために成長しようとするという自家撞着(どうちゃく)のような行いは、これこそが無駄である。

目的と手段をはき違えていて、こんな人生を送ってしまっては、死んでから後悔してもしきれないだろう。


やりたいことは何でもやってみればいいと言われても、何をやったらいいかわらない。

そもそも、自分は何が好きかわからないというならば、やりたくないことには徹底的に手を出さずにいると、そこで残るのが好きなもの、やってみたいものということになるので、それをやってみればいい。

やってみて違うなと思ったら、辞めればいい。

寄り道はそれくらいの軽さでやればいいのである。

難しく考える必要など一切ない。


軽く寄り道をする癖がつくと、歩んでいるど真ん中の本道も普段と違って見えてくる。

そこの歩き方も変わってくる。

そんなにしかめ面しなくても、肩に力を入れなくても、本道を踏み外さない限り、多少蛇行しようがスキップしような、誰にも迷惑をかけないものだし自分にも不利益がないと気が付くのだ。


こうなると、人生が楽しくなる。

もしもなんらかの理由で本道を行くのがつらくなる時期があったら、その時には寄り道し続ければいいということもわかってくる。

つまり、人生がラクにもなる。


遊び、という言葉がある。

ハンドルの遊びなどと使われて、つまりハンドルを切ってから車体が実際に動くまでのラグ、余裕を意味する。

これがないと、少しハンドルがふらついたら、車体もまたすぐにふらついてしまう。

そうした煩わしさを遠ざけるのが遊びだ。

そうした狙いがわからない人にとっては、遊びはただの無駄に見えるだろう。


寄り道も同じである。

どんなに言葉を尽くして説明しても、理解しない人は一生理解しない。

しかし、わかる人はその重要性をすぐに理解する。

これがなくては大変なことになると見抜く。

だから悪いことは言わない。

すぐに寄り道すべきだ。

さあ、2駅前で電車を降りよ。


『一流になりたければ2駅前で降りなさい』徳間書店





本書の中に、《明治維新が寄り道を悪者にした》という一文がある。

『明治の手前の江戸時代は、寄り道だらけの時代であった。

交通の便は今よりもずっと悪かったにもかかわらず、やれ伊勢参りだ、大山詣でだとあちこちに出かけ、近場でも隅田川の向こう側やこちら側、時にはそこに船を出して遊んでいた。

侍も町人も一日中仕事に没頭する、などということはなく、実にふらふらと暮らしていたのだ。

そういったゆるい日本列島にくそ真面目な空気を持ち込んだのは、明治維新の志士たちであろう。

あれは薩摩の伝統的な空気ではないか。

当時の薩摩には武士が偏在していたという。

鹿児島には特に多かったのだとか。

その真面目さがいつしか中央へと押し寄せて、それが近代国家日本の性格を作りあげた。

その国家がガラガラポンとなるのは第二次世界大戦だ。

そこから真っ先に立ち上がったのは、薩摩のそれとは少し異なる価値観の持ち主たちだった。

要するに、生きるためには何でもやったもの勝ちという人たちが、息を吹き返した。

これはある意味で明治維新と同じである。

終戦後、なぜ、日本経済はあれほど急速に復活し、以前よりも高い水準に達したかと言えば、それしかしてこなかったからだ。

社会の秩序や倫理より、とにかく経済。

この道のりのどこかで、「金だけじゃないよね」となっていれば、経済成長の勢いはゆるくなったとしても、ここまで極端なことにはならなかったのではないか。

リーマンショック後、やっぱり金だけじゃなかった、そう気付いた日本はどこへ向かったかというと、デフレである。

無理して金を稼いで高いものを買うよりも、安くて良いものに囲まれていればいいじゃないの幸せならばと、またしても極端に振れてしまったのである。』


日本の一時期の経済成長は、「武士的な真面目な努力」という価値観が役に立つ時代だった。

しかしながら、デジタルエコノミーの時代となった今、その価値観は通用しなくなってしまった。

創造性や、独自性、デザイン思考などが重要視され、その準備ができていなかった日本は、世界から置いていかれた。


だから今こそ、寄り道が必要なのだ

文化の花開いた江戸時代はエネルギーにあふれていた。

それは、一般の庶民でも楽しめる、「芝居」「相撲」「浮世絵」「小説(東海道中膝栗毛、南総里見八犬伝等)」「花見」「習い事や教室(踊り、三味線、生け花、茶道、義太夫、小唄、長唄、川柳、狂歌)」「おしゃれ(服装、小物)」「外食文化(屋台、茶屋)」等々。


寄り道メソッドを手に入れたい。
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