鹿児島市西千石町の「フレッセ厚生市場」にある靴修理・鞄修理・合鍵作製のお店です。
 

店 名   リペアショップ鹿児島店
住 所   鹿児島県鹿児島市西千石町13-11
電 話   099-223-1766 
店舗URL http://ebisusama2322.on.omisenomikata.jp/


1  |  2  |  3  |  4  |  5    次>    最後>>

ケチな人は運を落とす

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島の坂元です。




今回は、野村克也氏の心に響く言葉より…「ケチな人は運を落とす」です。



人柄がいいというのは、得難いことだ。

私は人柄を褒められたことはほとんどないし、自分でも人柄がいいとは思っていないが、人柄がいい人を見ると、応援したくなる。

人柄がいい選手は、野球の実力はともかく、みんなをいい気持ちにさせてくれる。

それがチームの雰囲気をよくする潤滑油になることもある。

チームの雰囲気がいいというのは、試合の流れをよくする働きがある。

それが勝利に結びつくこともあるのだ。


人柄がいい監督というのも、チームにいい作用を及ぼすことがある。

早い話が、監督の人柄のおかげでチームが勝つことがある。

「この監督を勝たせてあげたい」

選手たちに自然にそう思わせる監督の人柄が、チーム力となって優勝するということがある。

さほど指導力があるようにも見えないし、卓越した野球理論や戦術を備えているというわけでもない。

ただいつも穏やかな顔でベンチに立っている。

たったそれだけなのに、その人の存在感が選手に大きな力を与えているのだ。


そして、その反対にケチな人というのは、人望がなくなる。

プロ野球の世界は、高い給料を得ている人が多いところだというのに、昔もいまも、意外なほどケチな人が多い。

私の現役時代にもそういう同僚がいたし、各球団にもケチで有名な人たちがいた。

みんな立派な成績をあげて地位も名誉も金もあるはずなのに、なぜかケチなのだ。


たとえば、私の南海時代の先輩の中にも「ミスターケチ」とでも呼ぶべき人がいた。

名前も実績もある選手なのに、絶対に他人にものをあげたり、ごちそうしたりしない。

反面、人からものをもらったり、ごちそうしてもらったりすることは大好きだった。


その後も、他球団の選手を見て、「あんなにいい選手なのにチームで人望がないのはなぜだろう」と思っていたら、やはりケチな人だというのを知って、貧乏な家に生まれ育った私でさえ「ケチはよくない」と肝に銘じた。

プロ野球選手は、遠征先などで、みんなで連れ立って焼き肉を食べに行ったり、さまざまな料理屋さんに出かけたりすることが多い。

体が資本の職業だから、みんなよく食べる。

そういうときは、高給取りの先輩たちが若い選手たちを連れていく場合が多いが、たいてい先輩たちが何人か持ち回りで自腹を切るものだ。

「でも、あの人が払っているのは一度も見たことがないんですよ。他の先輩が払ってくれることはあっても、あの人が払ったことはありません」

後輩たちは、そういうところをよく見ているものだ。

「きょうは俺が払うから」とだれが言うのかちゃんと見ている。


「あの人はケチだ」

そういうことがわかると、その人の人望はなくなっていく。

選手のときはそれでも押し通せたかもしれないが、そんな人がチームの生え抜きで監督やコーチになったら、だれがついていこうとするだろう。

いつもいつも気前よく大盤振る舞いをする必要はないが、みんなで楽しく飲み食いしょうというときには、たまには財布の紐を開くこともまた上に立つ者の気づかい気配りなのである。


せっかくそこまでがんばって選手として成功し、せっかく監督にまでなったのに、ケチが災いして人望が薄れるなんてもったいない。

ケチのおかげで損をするなんて、目的と手段がまちがっているとしか思えない。

ケチのおかげで、せっかくのチャンスを棒に振っているようなものだ。

ケチとは、一時は得をしたような気になるかもしれないが、結局は自らのチャンスや運を手放すことになりかねないのである。


『運 「ツキ」と「流れ」を呼び込む技術』竹書房





ケチとは、何もお金ばかりのことではない。

何かの情報を知っている人が、異常にもったいぶってなかなかそれを教えないようなことがある。

もちろん会社の機密事項などは教えなくて当たり前だが、そうではなくて自分で得た情報や、ちょっとしたノウハウやコツなどだ。


貴重な情報やノウハウなどを気前よく人に教えていたら、もったいないし、損してしまう、と出し惜しみする。

しかし、多くはその程度の情報など、とっくに誰かが発表していて、たいしたことがないものであること多い。

自分だけがスゴイ情報だ、と思っているだけ。


本当は、情報などは出せば出すほど、他の人から別の新しいものが入ってくる。

なぜなら、何かの施しを得た時に、それにお返しをしなければいけないという、返報性の原理が働くからだ。

これはお金も同じ。

いつか必ず、お金でなくとも、別の何かで返してくれたり、応援者になってくれたりする。


ちょっとしたことを出し惜しみする人はケチくさい。

「ケチな人は運を落とす」

気前のいい人は人望が集まり、運がどんどんよくなる。



淡々と、紆余曲折

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、かめおかゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪「淡々と、紆余曲折」です。


淡々と、つづけていることは
ありますか?

朝の散歩とか、ラジオ体操とか。

ひとによっては、瞑想とか写経とか♪


「淡々と」ということばは、

ひとによって、受け止めかたが
ちがうと想うのですが、

私は好きです。


人生を生きるうえでは、
いろいろなことがあります。

苦しかったり、つらかったり、
くやしかったり、せつなかったり。

そのたびに、感情はみだれ、

自分を否定したり、誰かを責めたり
することもあるでしょう。


私自身、そうでした。

というか、ひと一倍、感情の起伏を
味わってきたと想います。


そんなアップダウンな人生を送って
きて、いま、想うことがあります。

ああ、そんなアップダウンもまた、

過ぎてしまえば、超えることの
できた流れのなかにあるのだなあと。

ひとは、何があっても、
そうやって生きていくのだなあと。


そう想ったら、過去の、
苦しかったことも、つらかったことも、

その他もろもろの体験や感情も、

すべては、「生きる」ということの
なかに集約されるのだと気づきました。


神さまは、そのひとが超えられる
だけの苦しみしかもたらさない、

ということばがありますが、


それは言い換えれば、

ひとは、超えられるもの
(自分の認識でとらえられるもの)
しか把握できないので、

ことさらに心配したり、
怖れたりする必要はなく、

ただ、きたものを
そのまま受け止めればいい。

ということなのかもしれません。

(伝わってます?)


その意味で、ひとは、
淡々と生きていいのです。

淡々と生きる、ということは、
感情をなくすということではなく、

感情は感情のままに受け止め、
体験は、体験として体験し、

それらすべてを、引き受けて
生きていくということなのです。


そして、それぞれの人生は、
そのひとにしか背負えないのだから、

否定したり忌避したりするのではなく、

「ああ、このようなものなのだな」

と、ただ、受け止めればいいのだと。

それをひとことで言うと、
「淡々と」ということばになるのだと。


今日のメッセージは、ここまでです。

坂元さんの人生を、
どうぞ、淡々と生きてください。

何があっても、坂元さんの人生には、

超えられることしか
やってきませんから。

言い換えれば、何があっても、
坂元さんは超えて生きていけますから。


私もまた、生きていきます。

これまでどおり、淡々と、
紆余曲折、試行錯誤しながらね♪

自分に仕掛け習慣化する

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、佐々木典士氏の心に響く言葉より…「自分に仕掛け習慣化する」です。



スポーツで成果を出そうと思ったら、何より高いレベルのチームに所属することが重要だ。

競泳の選手を6年間にわたり、練習に同行しインタビューしたダニエル・チャンブリンスという社会学者がいる。

彼は、偉大な競泳選手になるには、偉大なチームに入るしかないと主張する。

「周りの誰もが4時起きして練習に行くような環境にいたら、自分だって自然とそうなる。それが当たり前になるんです。習慣になるんですよ」と言っている。

レベルの高いチームに所属すると、その集団と足並みを揃えようとし、切磋琢磨し合うようになる。


これは一般の人も同じで自分のレベルに応じたチームを見つければいい。

皇居ランをするなら、一緒に走る相手を見つけると続けやすくなる。


実際のコミュニティだけでなく、SNSのコミュニティも有効だ。

ぼくは初めてフルマラソンに参加しようとした時、参加表明をツイッターでつぶやいた。

かなり意識的にそうした。

フォロワーは当時5000人ほどだったろうか。

マラソンの結果もまたツイッターで報告するつもりだった。


那覇で行われた初参加のマラソンは高温で、半数しか完走できないという苛酷な大会だった。

両足のふくらはぎがつり、足はむくんで靴のなかでパンパンだ。

しかし「ここでリタイアすれば5000人の人間に、情けない人間と思われるぞ」という思いが完走の達成にも役立ったように思う。

誰にも言わずにこっそり参加していれば、途中でリタイアしていたかもしれない。


部屋を片づけてモノを減らす時に使えるのは「未来日記」。

SNSで「これを手放しました」と手放す前に書いてしまう。

そうするとSNSと現実を矛盾させる気持ち悪さが罰則になって実行しやすい。


武井壮さんは忙しい芸能生活の中で、毎日1時間のトレーニングと、1時間自分が知らないことを調べることを習慣にしているそうだ。

なぜそれができるかといえば「自分のためじゃないから」「フォロワー(現在は130万)をがっかりさせたくない」という意識があるから。

そして何も武井さんのようにフォロワーが多くなければいけないというわけではない。


人は数十人の小さな群れや村をコミュニティの単位としてきたのだし、相手は1人でも効果的だ。

最近は「ペア読書」という仕組みを使っている人もいる。

30分など時間を決めておいて2人で同じ本を読む。

そしてその内容について議論する。


同じ人でも、自分の行いが誰かに見られているかどうか、その行いの結果が誰かに伝わるかどうかで恐ろしく振る舞いが変わる。

■誰かに見られていると思うと姿勢を正したり、マナーに気をつける

■カフェや図書館などまわりに人がいたほうが仕事がはかどり、家だとダラダラする

■匿名だと悪口を言いやすくなる

■密室的な車の中だと気が荒くなったり、大声で歌える


人の目を気にしてしまう。

コミュニティ内での評判が気になるということは、ともかく人間の本能に近いものだ。

それに翻弄されてしまうのは苦しいものだが、それを意識的に取り込んで使うと、絶大な力を発揮する。


『ぼくたちは習慣でできている。』WANI BOOKS





人は誰かが見ていると頑張れる、という法則がある。

高校野球など、スタンドで応援してくれる応援団やチアリーダーやブラスバンドなどの人たちがいるから頑張れる。

観客が誰もいなかったら力も半減してしまう。


これは、スポーツだけの話ではなく、仕事でも勉強でも同じだ。

工場などで、見学コースを設けているところは、誰かに見られているということで、モチベーションも上がり、立ち居振る舞いもしっかりとしてくるという。


現代では、それがSNSによってかなり簡単に設定できる。

自分を駆り立て、自分に仕掛けることができるということ。

つまり、習慣化できる。


ダイエットも、片付けも、運動も、勉強や読書も、仕事の効率化も、習慣化しなければならないテーマはいくつもある。

自分に仕掛け、よき習慣を身につけたい。



イライラさせる人はいない

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、小林正観さんの心に響く言葉より…「イライラさせる人はいない」です。


ストレスで毎日イライラするという人がいます。

電車の中でも「押した」「押された」ということで朝からけんかをする人たちもいます。

私もよく「ストレスを減らしたい」という質問を受けます。

そういうときは、次のような話をします。


今、私の横をある人が通り過ぎて行くとします。

この人が通り過ぎて行くときに何か私に言ったとします。

そのとき私がこの人の言ったことに何も感じなかったら、この人は単に通り過ぎるだけの人です。


さらに次の人が来て、この人が私に何か言ったとします。

そのとき私がイライラしたとすると、私がイライラした瞬間に、私をイライラさせる人が地球上に生まれたのです。

「ちょっと待ってください、それではイライラさせる人というのはいないのですか。自分が勝手にイライラしたからイライラさせる人が生まれるのですか?」

…答えはそのとおりです。


自分がイライラしなければ、自分をイライラさせる人はどこにもいない。

これが宇宙の原理です。


さらにもう1回説明します。

目の前にすごく嫌な人が(嫌な人というのは本当はいないのですが)来たと私が思ったとする。

私が嫌な人と思った瞬間に、この人は嫌な人になります。

私が嫌な人だと思わなかったら、この人は何も関係ない人として通り過ぎて行きます。


ある人が私の目の前を通り過ぎて行くときに、面白い人と私が思ったとする。

私が面白い人と思わなかったら、この人は私にとって関係のない人で、単に通り過ぎるだけの人です。


「それではイライラさせる人も、嫌な人も、面白い人も、結局、宇宙には存在しないのですか。全部自分が決めた瞬間に生まれたのですか?」

…まったくそのとおりです。全部自分が産み落としているのです。


出来事についても同じです。

ある現象が私の前を通り過ぎて行くとき、私が何の感情も抱かなかったらこれは単に通り過ぎるだけのことです。

ある現象が私の目の前に来たとき、この現象が私にとって不幸だと思ったとします。

私が不幸だと思った瞬間にこの現象は不幸になりました。


私が不幸だと思わなかったら、これは何の関係もなくただ通り過ぎるだけのことです。

次に来たときに、このことについて私が幸せだと思ったとする。

思った瞬間にこれは幸せなこととなったのです。

そして私が思わなかったら、これは単に通り過ぎるだけの関係ない現実です。


「正観さん、では幸せも不幸も全然宇宙にはないのですか。自分が勝手に決めるのですか」

…その通りです。


通り過ぎる現象は自分に関係がないと思ったら関係がなく、それを心地いい、幸せだと思ったら幸せなことになります。

しかし、それを不幸だ、不幸せだ、つらい、悲しい、悲劇だと思ったら、この人がそう決めた途端に悲劇になるのです。

ですから自分が思わなかったら、自分の前に幸福な現象も不幸な現象も実は存在しません。

あまりにも簡単すぎて、みなさんがっかりしていませんか?


『みんなが味方になるすごい秘密』KADOKAWA 





自分の意に沿わないできごとには、それが飲食店であろうが、コンビニであろうが、怒鳴りつけたり大声で文句を言ったりする人はいる。

反対に、すこしぐらいのミスや間違いは何の問題にもせず、「ありがとう」と、ニコニコと明るく機嫌よく帰って行く人もいる。

同じできごとでも、ある人は「自分をイライラさせた」と思い、別の人はそれが「何にも気にならない」。


転んで骨折しても、この程度ですんでよかった「ありがたい」と思う人もいれば、なんてツイてないんだ「不幸」だと思う人もいる。

事実は一つだが、とらえ方は人によって180度違う。


嫌なことが気にならない人は、満ち足りて余裕があって、機嫌のいいポジティブな人。

そして、他人は他人、と思っている。

嫌なことにすぐに反応したりイライラする人は、日頃、人から認められていなくて、いつもいっぱいいっぱいで、すぐに不機嫌になったり、ネガティブな考え方をする人。

だから、他人やまわりのことが気になって仕方がない。


「イライラさせる人はいない」

どんなことにも、誰に対しても、イライラしない方法を身につけたい。




才能よりも運が大事

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、野呂エイシロウ氏の心に響く言葉より…「才能よりも運が大事」です。


「成功をもたらすものは、才能よりも運である」

成功している人たちは、このことを熟知しています。

たとえば「経営の神様」といわれた松下幸之助さんは、「成功するかどうかは90%が運」と言い切り、社員を採用する際の面接で「運がいいかどうか」を聞くエピソードはあまりにも有名です。

またビームス社長の設楽洋さんも、やはり面接で「運がいいかどうか」を聞くそうです。

その理由として「運のいい人はプラス思考だから」「会社にその運を分けてほしいから」と述べています。


さらに、成功と運のかかわりの深さを裏付ける興味深い関係について、イタリアのカターニア大学の研究結果によって明らかにされました。

研究によると、最も富を獲得したのは最も運がよいとされた人たちであり、特に最富裕層は才能面ではトップからかけ離れた存在だったそうです。


僕自身の話をしましょう。

僕は大学に入るまでは本当に運が悪かった。

というか、運が悪いということであらゆることを片付けてきました。

でも、大学生のとき、小学館の雑誌『DIME』に出会い、その中に「学生起業家募集」的な広告を発見。

当時の僕は三流大学の学生でしたが、恥を忍んで応募してみました。

すると、どうでしょう。なんと運よく学生起業家のメンバーに選ばれたのです!


その後も運よく雑誌の編集とライターの仕事につき、運よく『天才・たけしの元気が出るテレビ!』で放送作家デビューし、そして書籍を次々と出し、運よく戦略的PRコンサルタントとして世の中を面白くすることが少なからずできています。

そう、僕は運の塊です。

今では、運が見えるようになってきました。

「この仕事は運が助けてくれる」「この店は運がいいかも」などと見きわめられるようにもなりました。


運は、落ちているお金みたいなもの。

拾うか拾わないかであって、みんな拾っていないだけなのです。


「私、運が悪いんです」と言う人は、いろんなことが見えていません。

星占いや血液占い、「長男だから」「次女だから」「自殺率が高い県の生まれだから」「男運が悪いのは〇〇座だから」…いろんなことを言う人がいます。

でも、これは「自分の人生ダメなんだ」と決めつけて何もしない言い訳です。


成功は才能にはほとんど関係ないということは、多くの人にとって福音だと思います。

才能や運動神経は生まれたときにある程度決まりますが、運は自分次第でいくらでも変えていけるからです。


『成功を決めるのは才能よりも運』大和書房



自己肯定感の低い人は、自分のことを「運が悪い」と思いやすい。

「何をやってもうまくいかない」とか、「自分はダメな人間だ」とか、「どうせ無理だからとチャレンジしない」とか、自分に自信がない人。

おもくるしくて、暗くて、不機嫌で、不安そうだから、人がまわりに集まらない。


反対に、根拠のない自信のある人は、「なぜか最後はうまくいっちゃう」とか「うまくいくような気がする」と、軽くて明るくて機嫌がいい。

未来や希望や笑顔があるから周りに人が集まる。

だから、運もどんどんよくなる。


運の悪い人は、いまある幸せに気づかない。

だから、大切なご縁や運を逃してしまう。


どんなに才能があるサッカー選手であっても、監督に好かれなければピッチに立つことはできない。

それが、運の悪い人。


どんなときも、運を引き寄せる人でありたい。
1  |  2  |  3  |  4  |  5    次>    最後>>

記事テーマ一覧

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2018/12      >>
25 26 27 28 29 30 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 1 2 3 4 5

ブログランキング

フリースペース

ブログバナー

プロフィール

招き猫

靴修理店 店長ブログ!

鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

ホームページ

このブログの読者

読者になる
読者数:0人

お気に入りブログ

最近のトラックバック

参加コミュニティ一覧