鹿児島市西千石町の「フレッセ厚生市場」にある靴修理・鞄修理・合鍵作製のお店です。
 

店 名   リペアショップ鹿児島店
住 所   鹿児島県鹿児島市西千石町13-11
電 話   099-223-1766 
店舗URL http://ebisusama2322.on.omisenomikata.jp/


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仕返しをしないこと

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、斎藤一人さんの心に響く言葉より…「仕返しをしないこと」です。


私たちはさまざまな出来事を通して学びを得ます。

その中でもっとも大きいのは“お金”と“人間関係”からの学びです。

人間関係とは、親子や夫婦、会社の上司や部下、同僚とさまざまですが、さらに言えば「自分自身との関係」も含みます。


神は“自己犠牲”を嫌います。

「私はいいから、あなたが幸せになって」じゃなくて、まずは自分が幸せになって、その幸せをできる範囲で周りに配っていけばいいんだよね。

それが神の望みでもあるの。


それと、「自分さえ良ければ」というのも自分を大切にしていないことだよね。

人によっては「自分さえ良ければ、他人に迷惑をかけても関係ない」と思うかもしれないけれど、他人に迷惑をかければ必ずその報いは自分が受けます。

だから結局、それも自分を大切にしていないのと同じことなんです。


また、相手に悪口を言われたり、イヤなことをされたりしたら、その人に「仕返しをしよう」としますが、これもいけません。

誰かがあなたの悪口を言ったら、その報いを受けるのはその言った人なんです。

“報い”とはいいことをすればいいことで報われて、悪いことをすれば悪いことで報われることを言います。

「復讐するのは神の仕事」といって、その報いは神様がちゃんとやってくれることだから、あなたが勝手にその人に報いを与えちゃダメなの。

だいたい、人の悪口って言ったほうが負けだからね。

言い続けている人は大負けなの。

それをあなたまでその人につられて相手の悪口を言ったら、自分の運勢まで悪くなっちゃうんだよ。


だから、私たちができることっていうのはね、「相手を黙らせる」ことではありません。

「相手が悪口を言っても、自分は言わないようにする」ことがほんとうの真理なんだよね。


私たち人間は完璧じゃないから間違えることだってあります。

そこで成長できる人が、「間違ったときに謝れる人」なんだよ。

「謝るとかっこ悪い」と思うかもしれないけれど、謝らない人、または謝れない人のほうが、よっぽどかっこ悪いよね。


謝れない人って我が強いんです。

我が強いっていうことは、それだけ魂に汚れがついてるってことなの。

それで私たちはみんな、その汚れを落とすために生まれてきているからね。


『お金の真理』サンマーク出版




「復讐するのは神の仕事」というのは、聖書の中の言葉で、「復讐は私の仕事、私が報復する、と主は言われた」からきている。

そして、人間による「目には目を、歯には歯を」という報復を戒めている。

報復は報復の連鎖が続く。

いつまでたっても終わりのない無限ループに陥ってしまう。


他人の悪口を言ったら、その報いは言った人が受ける。

同様に、お金の悪口を言ったら、その報いは自分が受ける。

お金持ちの人をうらやんだり、思わぬお金が入った人の悪口を言うようなことだ。


どんなひどい仕打ちを受けても…

仕返しをしようとしてはいけない。


最短距離で真の幸福に辿りつく方法

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、羽賀 ヒカル氏の「最短距離で真の幸福に辿りつく方法」です。



私は、毎月、何百名もの方と
日本各地の神社に団体参拝をしていますが


そこでは、
みなさん例外なく神秘的な体験をされます。

もちろんその中には、
神様を信じていなかった人もいます。

それにも関わらず、
「たった一度の参拝で、人生観が変わった」
というお声は枚挙にいとまがありません。



うつ状態から脱却して、
社会復帰するどころかエリアマネージャーに昇格した人。

再発した乳ガンで死を覚悟していたのに、
わずか1週間で腫瘍が消えた人。

参拝した次の日に、
ずっと夢見ていた仕事の依頼があった人。

崖っぷちの経営難から、
奇跡的なV字回復を果たした人。

心から信頼できる、
理想の男性に出会い結婚した人。

失業し途方に暮れていたところから
生きがいを見つけた人。

家族バラバラで会話もなかったのに、
2週間後、温かい家庭をとりもどした人。


“本当の”神社参拝をすると、
このような奇跡があたり前のように起こります。




ただし、観光気分の参拝では、
神様に動いていただくことはできません。

奇跡が起こるのは、
「神社のおごそかな雰囲気が好きだから」とか、
「自然のパワーをいただくために」とか、
「癒やされたいから」といった物見遊山の気持ちではなく、
本気で神様に会いにいった場合に限ります。



神様との交流は、
神社に行くと決めて、
そこに意識を向けた瞬間から、
すでに始まっています。

ですから、
神社参拝している時だけお祈りしても、
ふだんの心の在り方が、エゴでいっぱいで、
祈りからかけ離れていたら、
本当の神様には、お会いすることができません。



当たり前の日常の中で、
神様に願いを発し、祈り、語りかけ、
変わりゆく日々の中で、その時々の神様のお心を察してこそ、

「あぁ……、ほんとうに守られているんだ」

「導いてくださり、ありがとうございます」

と、まるで神様がそばにいるかのように、
その存在を肌で感じられるものです。




**********************
最短距離で
真の幸福に辿りつく方法
**********************

余談になりますが、

私は代々続く医者の家系に生まれ、
とても裕福な環境で育ちました。

しかし、
お金や地位、名誉があるだけでは幸せにはなれない
ということを子供ながらに感じていたのです。



周りの大人と同じ道は歩みたくないと思いながらも、
結局、自分が何をしたいのか、
将来どうなりたいのか、
幸せがどこにあるのかわからなかったのです。


そんな私に、
人生の転機は突然訪れました。


ある日、勉強をしない私を見かねた母が、
近所に新しくできた大学受験塾への入塾をすすめてきたのす。

面倒くさいなぁ…と思いながら
手渡されてチラシを見たとき、
端に書かれていた塾長のプロフィールが目に飛び込んできました。

“来るだけで頭が良くなり、
運も良くなる塾を目指す。趣味は神社巡り”


…どうして塾で運が良くなるんだろう?

興味が湧いてきて、
居ても立ってもいられなくなり、
すぐに入塾説明をうけに行きました。


塾に到着してドアを開けると、
そこには、「学習塾」のイメージとは、
まるで違う空間が広がっていました。

玄関はピカピカ。
アロマのいい香りが漂い、
綺麗な花のオブジェが出迎えてくれました。

靴を脱いで上がると、
ピアノのメロディがどこからともなく
聞こえてきます。

驚きのあまり棒立ちになっていると、
後ろから、

「こんにちは」という
とてもあたたかく涼やかな声に包まれました。

こうして出迎えてくれたのが、
後に私の師となる、塾長・北極老人でした。

案内されたリビングには、
木目の美しい八角形のテーブルがあり、
その後ろには、左右対称に「月」と「太陽」の写真が飾られていました。

まるで異世界に迷い込んだような清々しさ。
神秘的でそれでいてどこか懐かしい…。

塾に来る前はすごく緊張していたはずなのに、
いつになく深い息をしている自分がそこにいました。


そんな私の様子を見て、
北極老人は優しくおっしゃいました。

「どうやら、
この場所の秘密に興味があるようだね」

その言葉を聞いて目を輝かせた私に、
北極老人はこう続けました。


「日本各地には、
 幾万の寺社仏閣があるだろう。

 それらの聖域は、
 風水的な結界で邪気邪霊から守られている。

 ここは、その古代の技術を応用して、
 神社のような空間を再現する仕掛けを施してある。

 だから自然とカラダが緩んで呼吸が深くなる。
 すると、ただその場にいるだけで、
 理想の人生に近付くようになっているんだよ」

と。

そして
本当の幸せが何かわからないと嘆く私に
こう教えてくださいました。

「自力には限界がある。

 手っ取り早く、幸せになりたいのなら、
 まず幸せの感覚を高めるべきだ。
 遠回りをやめて、先に幸せの感覚をうつせば、
 最短距離で真の幸福にたどり着く。

 もし身近に、お手本になるような、
 憧れの人物がいるなら、その感覚をうつせばいい。

 けれど、
 日本人にはさらなる究極に行き着く方法が、
 誰にでも用意されている。

 それが、神社参拝だ。
 神社参拝とは、神様と信頼関係を結び、
 神様の感覚をインストールする儀式ともいえる。

 感覚が高まると、願望も進化する。

 子どものころ、ノドから手が出るほど欲しかったオモチャが、
 大人になったら、なんの興味もなくなるのと同じで
 低いときに願っていたことが、高くなると、ちっぽけに思えるようになる。

 人がなかなか幸せになれないのは、
 人間的で、世俗的な低い感覚のまま、
 今、目の前にある願望だけを叶えようとするからだ。


 その願望は、御魂が欲する真の願いではなく、
 かりそめの願望だから、たとえ叶ったとしても、
 手に入るのは一時的な幸せにすぎない。

 手に入れてから、
 やっぱりこれも違う、あれも違う……と、
 また次を探すことになる。

 かりそめの願望を叶えるために、
 時間も、お金も、運も、ムダ遣いしてちゃ、
 真の幸福を見つけられないまま、
 あっという間に人生が終わってしまう。

 自分が、なにを望み、
 なんのために生まれてきたのか。
 それを知る最短ルートが、
 神様の感覚をインストールすること。

 神様と感覚が近づくほど、
 神様はあなたの応援をしてくれるようになる。

 すると、有形無形のあらゆる幸福が、
 向こうから舞い込んでくるようになる。

 あとは、ただ感覚に従っているだけで、
 誠によき人生を全(まっと)うすることができるのだ」



最後の北極老人の言葉は、
なんども読み返しておいてください。


たった一度の参拝で、
あなたの人生は変わります。
幸せへの入口は、いつも目の前にあるのです。


明日は、メール講座最終回です。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

羽賀ヒカル

、「共存」の可能性

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。




かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪より、「共存」の可能性をです


「人生は、想いこみとかんちがいと
 妄想と錯覚でできている」

このことばを、
頭のかたすみに置いておくと、

ことなる意見が出てきたときに、
自動反応しないですむようになります。


「かくあるべし」という
固定観念にかたまっていると、

自分とちがう意見にたいして、
ついつい、
自動反応してしまいがちです。


まあ、たいていは、かっとなって、
ことばが過ぎてしまったり、

かたまって、頭から全面拒否に
入ってしまったり。

気質や性格により、
反応はさまざまですが、

いずれにしても、対話の糸口は
見えにくくなりますね。


ところが、大前提として、

「すべては想いこみかかんちがい!」
「でなければ、妄想か錯覚!」

というアタマでいれば、

自動反応の前に、
ワンクッションを置けるわけです。


ちなみに、どちらかが
想いこみをしているのではなく、

双方、想いこみをしているのです。

想いこみと想いこみが衝突するか、
すれちがっているだけなのです。


衝突すれば、痛いだけです。

痛いのが好きな、どMのひとは、
それでもかまわないですが、

相手も、どMでないと、
やっぱり痛い話になっちゃいます。


すれちがっているのなら、

どこがどうすれちがっているのか、
きちんとすりあわせて、

お互いにどうしたいのかを伝え、
折りあえるところは折り合い、

折りあえないところは、どう対応
するかを決めればいいのです。


もちろん、これには、いくぶん、
理想論もふくまれています。

実際には、そうすんなりとは
いかないことも多いでしょう。


でもね。

ここからは、おとぎ話です。

地球上で、唯一、
未来を想像する前頭葉を発達させた
生物である、人類は、

それによって、
何を託されたのでしょう。


同じ類だけで生存するのではなく、
ことなる類を排除するのでもなく、

相手の想いを汲み取り、
自分の想いも大切にしながら、

共存の道をさぐっていける。

そんな「可能性」では
なかったでしょうか?


いまは、まだ道なかばで、

そうはなっていない現実も、
否応なしに目の当たりにするけれど、

なぜ、人類は前頭葉を発達させ、

さまざまな意思を伝えうる、
複雑な言語をもち、

共同体をいとなむのか。


この宇宙の創造主がいるとすれば、
宇宙の進化のプロセスとして、

その「共存」の可能性を、
人類に託したのではないかと。

その壮大な実験をためしている
のが、私たちなのではないかと。


えーと。

最後は、話がちとぶっ飛びましたが、

そのくらいのスケールで考えれば、

自分の尊厳も、相手の尊厳も、
ともに尊重しながら、

この、想いこみの世界で、
共存していけるかもしれません。


坂元さんが幸せでありますように。

幸せな想いこみとかんちがいと
妄想と錯覚を楽しめますように

どんな人の人生も、ハッピーエンドに向かっている

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、羽賀 ヒカル氏の「どんな人の人生も、ハッピーエンドに向かっている 」です。


各神社に祀られている神様には、
その神様ごとに神話があるという話をしました。

神話の代表的なものと言えば、
「古事記」です。

多くの方々は、
古事記を「こじき」と読みますが、
元々は「ふることのふみ」と読んでいました。

この古事記の中では、
いろいろな神様の物語が描かれています。

よくお読みいただくとわかるのですが、
荒唐無稽な話だったり、抽象的な話だったり。

「えっ!?どうしてこんな展開になっちゃったんだろう?」
って思わされるお話ばかりです。

言い方は悪いのですが、
物語としては中途半端で、尻切れ状態。
しかも、まったくハッピーエンドではありません。

今日は、
「なぜ神話は中途半端で尻切れなのか?」
という話をしていきます。



**********************

神話が中途半端で尻切れなのは、
”あなた”が続きを演じるためです。

もちろん、古事記は読むものです。
しかし、より真実に基づいて申しますと、

それを読んだ後に、
あなたがその続きを演じるものなのです。

神社にお参りすれば、
あなたの中に神話がインストールされます。

そうすることによって、
神話を自分が引き継いで続きを演じられるのです。

神話は学ぶものではなくて、生きるものなのです。

自分の人生でそれを実現していくものです。

古事記は「ふることのふみ」ですが、
あなたの神話、
つまり「今事記(いまことのふみ)」を
みなさん一人一人が演じて
オリジナルの神話を紡いでいくのです。

それこそが、人類の無意識の願いです。


人を感動させるような優れた物語には、
必ず共通する構造があるのですが、
それらは神話に基づいて作られているのです。

美しい物語を生きたいという衝動が、
だれの意識の奥にも眠っています。

だからあなたが
神話の続きを美しく生きようとするとき、
無意識が味方になってくれるのです。




私は日々、
さまざまな方の相談にのらせていただいていますが、

何かに悩み苦しんでいる方は、
”自分の人生の物語”が見えていないのです。


”自分の人生の物語”が見えている方は、
物事にとらわれず、人に接してもあたたかく、

何かあってもぐずぐずせず、
なにもないときはイライラせず、
良いときは淡々とあっさりとし、
悪いときは落ち着いていて動じません。


”自分の人生の物語”が見えていない方は、
ただひたすら苦しみ続けるか、
「どうして、自分はこんな目に合わなきゃいけないんだ」と、
ヤケになってしまいます。


幸せになる、幸せに生きるというのは、
自分の人生の物語を生きるということです。



すべての物語は、
ハッピーエンドに向かっています。

それを実現するために、
困難や試練を経験するのです。

イヤなこと、苦しいこと、煩わしいこと、
理不尽なことなどがいろいろあって、
ハッピーエンドに向かっています。


ときには、
嫌な人に会ったり、約束を守れなかったり。
裏切られたり、泣くようなことがあったり。
病気にかかったり。

それでも、
いろんなことを乗り越えて成長していって
ハッピーエンドに向かうようになっています。



あなたの人生もそうです。

「あいつの顔なんて見たくもない!」

って人がいるかもしれませんが、

それもみなさんの物語のなかでは、
重要な登場人物です。
映画のキャストの一人です。

神様が、わざわざキャスティングをしてくれて、
しかもその方々は、友情出演で、タダで出てくれているのです。

あなたが主役の映画にも出演し、
あなたの人生のストーリーに不可欠な
役割を演じてくれているのです。

その方のおかげで、
何か大切なことに気づかされるかもしれません。

その方がきっかけで、
思いがけないラッキーな出来事が起きるかもしれません。


ただひたすら「嫌だな……」と思って、
「だって、あいつのせいで……」みたいな言い訳ばかりしていたら、
人生は変わりません。


人生は物語なのだということを見据えながら、
その方と同じ時間を過ごす意味を考えてみるのです。

「あの人を通じて、神様は私に何を教えようとしているのだろうか?」とか、

「ここで、どういうふうにストーリー展開していったら面白いかな?」とか、

「さっさと、この会社をやめろってことなのか?」とか(笑)。



迷ったら、神様が自分の目の前にいらっしゃると思って、
朝な夕な、話しかけてみてください。


人生は、いろいろな出来事が起こりますが、
なに一つとしてムダな出来事はありません。

誰一人として、あなたが出会う方に、偶然はないのです。
ぜんぶ、あなたの人生を通じてオリジナルの物語(神話)を
つむいでいくために必要な流れなのです。





神社参拝は、
あなたの魂のなかに眠る神話を目覚めさせる儀式です。

その神社の御祭神にまつわる神話を
意識して参拝するだけでも、

今までの参拝とは、
明かな違いを感じていただけると信じています。



それでは、ありがとうございました。


羽賀ヒカル

無意識の取り扱い方

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
  

今回は、人生を変えるために最も必要な
「無意識の取り扱い方」についてお伝えします。



顕在意識、潜在意識を味方にすれば、
頭の回転、情報処理スピード、諸々の能力、
メンタルの強さ、記憶力を伸ばすことができます。

要するに、自分自身の潜在能力を
最大限に発揮できるようになるということです。


しかし、人の意識には、
さらにディープな領域があります。


それが、「無意識」です。


潜在意識は「自分」の意識のウラ(裏側)
とつながっていますが、

無意識は「みんな」の意識のウラ(裏側)とつながっています。


「みんな」とは、
他人、チーム、組織、地域、国、世の中、
世界、人類のことです。

無意識のパワーは
私利私欲のためには使えません。

ちなみに、この無意識は、
お爺ちゃんお婆ちゃんの、
そのまた両親の、そのまた両親の…、
ご先祖さまともつながっています。

もっと言えば、自分の前世や、
人類全体の記憶(アカシックレコード)
ともつながっています。


例えば、
家系全体に持っている考え方や癖。

商売人の家系の息子は、
特に何も教わってないのに商売が得意になったり、
学者の家系の子どもが、自然に勉強ができたり。

無意識のうちに、先祖代々、
受け継がれている得意分野や感覚があります。


無意識は、最もディープな領域にある意識です。

だから、どれだけ顕在意識、潜在意識を
変えようとしても、無意識が変わらなければ、
人生(運命)は変わりません。

だからこそ、
すべての意識の中で一番重要なのですが、
無意識の変え方について書いている本は、
ほとんど存在しません。



**********************
無意識を変える神社参拝
**********************

前回、
人が「変わろう!」と思っても
なかなか変われないのは、
オモテの顕在意識と、それをウラで支える
潜在意識が原因だという話をしました。

さらに言えば、
顕在意識、潜在意識が変わらないのは、
無意識が変わらないからです。

人生は失敗も、成功も、幸福も、不幸も、
自分で選んだものではなく、

自分の潜在意識や無意識の影響を受けて、
決定されているということです。

だから、人生を変えたかったら、
一番奥にある「無意識」から変えるのが
一番早くて確実。



では、
どうすれば無意識を変えることができるのか?



その方法が「神社参拝」なのです。


昔から日本人は、

・人生を少しでも良くしたい
・もっと良い世の中にしていきたい
・大切な人にもっと幸せになってほしい

と思ったときに神社参拝をしてきました。


私たちは、普段は無意識を見ることも、
その香りを嗅ぐことも、その声を聞くことも、
その感触を肌で感じることもできません。

しかし、間接的にならそれは可能です。


なぜなら、

顕在意識と無意識との“通い路”になるのが
神社だからです。


神社に限らず、風光明媚な山や海。湖や川。
世界各地にある聖地やパワースポットと呼ばれている場所には、
この無意識につながる通い路が存在します。

美しい自然の景色がある場所に行くと、
嬉しくなったり、感動したり、
感激したり、清々しい気持ちになったりしますよね。

心の底から「あぁ、気持ちが良いなぁ…」と思ったことが
誰でも一度はあると思います。




そういうとき人は頭で物を考えていないので、
軽いトランス状態(変性意識状態)になりやすく、
無意識の世界とつながりやすくなっています。

シャーマン、霊能者、審神者(さにわ)と
呼ばれていた人々は、
その無意識につながる通い路を見つけるのが
天から与えられた仕事でした。

そこにお社をお祀りすることによって、
そのルートを明確にしていったのです。


だから、昔から人は「人生を変えたい」と思った時には、
知らずしらずのうちに、教会や、寺院や、神社にお参りしたり、
自然の景色が清らかで美しい場所に足が向くのです。




では、実際に、神社に参拝して、
どのように運命が変わるのか。

日本各地には、さまざまな神社があり、

それぞれの神社で、お祀りされている
神様の名前が違います。

伊勢神宮はアマテラスオオミカミ。
出雲大社はオオクニヌシノミコト。
箱根神社はニニギノミコトです。


それぞれの神様には、
それぞれの神話があります。

実は、神社に参拝すると、無意識のうちに、
その神話を、自分の顕在意識、潜在意識、
無意識の中にインストールすることができるのです。

そうすると、
「うそぉ、こんな展開なっちゃった!?」
「えっ、本当に、私でいいんですか!?」

みたいな良い出来事が起きやすくなります。



というと、

「そんなこと言ったって、
みんなお正月に初詣で神社に行きますよね?
出雲大社も伊勢神宮も、年間何万人も参拝してますよね?
開運していく人もいるし、そうでない人もいる。
神社参拝をしただけで人生が変わるなら、
日本人全員がもうとっくに幸せな人生を歩んでいるはずです」と。




はっきり言います。



そんなこと言ってるから、変わらないんですよ。



神社参拝をしても何も変わらない方は、
往々にして、

「でも、変わらない人の方が多いよね」とか、
「でもさ、神様なんていないでしょ?」とか、
「でも、神話なんて俺には関係ないしさ…」

といった具合に、

「言われたから来たけどさ…」みたいな態度だったりします。


だから、変わらないのです。


「絶対に、自分の人生を変える!」
「もう、言い訳しないで目の前のことから逃げたりしない!」

と決心して、
今まで逃げ続けてきたことを、

ちょっとやってみようと一歩踏み出すから、
無意識の世界から応援されて、人生が変わって行くのです。

神社の神様は、今まで現実から逃げ続けてきた人が、
今度こそ人生を変えるために、
わざわざチャンスを作ってくれるのです。



必ず、作ってくれます。



人によっては、人生が変わらざるを得ないような
状況に追い込まれる方もおられます。

ただし、
人生が変わらざるを得ないような状況に
なったり、良いご縁ができたり、
新しい仕事にめぐまれたり、
素晴らしいメンターに出会ったり、
チャンスに恵まれても、
それをモノにできるかどうか。

それは最終的には、ご本人次第です。



次回は、神社参拝をすることによって
無意識にインストールされる神話のお話をしたいと思います。



それでは本日も
お読みいただきありがとうございました。



羽賀ヒカル
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