鹿児島市西千石町の「フレッセ厚生市場」にある靴修理・鞄修理・合鍵作製のお店です。
 

店 名   リペアショップ鹿児島店
住 所   鹿児島県鹿児島市西千石町13-11
電 話   099-223-1766 
店舗URL http://locoplace.jp/t000061839


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「日本人へ伝えたいこと」

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、元台湾総統、李登輝氏の心に響く言葉より…「日本人へ伝えたいこと」です。





台湾人は「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉を好んで用いる。

これは日本統治時代に台湾人が日本人から学んだ、勇気、誠実、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、清潔といった諸々の美点を指す言葉である。

日本人がこの「日本精神」を失わない限り、日本は世界のリーダーとして発展していくことが可能だと私は信じている。


日本は敗戦の結果、何よりも経済発展を最優先せざるを得なかったが、敗戦による苦難を耐え忍びながらも、日本の伝統や文化を失わなかった。

日本国内では、「いまの日本の若者はダメだ」という声も聞かれるが、私は決してそうは思わない。

日本人には戦前と同様の美徳がまだまだ残っている。


確かに表面的には緩んだ部分もあるだろう。

けれどもそれは、かつてあった社会的な束縛から解放されただけで、ほとんどの日本人はいまも社会規範を遵守(じゅんしゅ)し、モラルに従がって行動している。

日本人の智慧やモラル、そして技術など、これほど素晴らしい国はない。

台湾も、その他の国々も、もっと日本を見習うべきと思っている。


さらに私が感じるのは、日本人の国家や社会に対する態度が少しずつ変わってきたことだ。

一時期は「自分さえよければいい、国なんか必要ない」という考え方に傾くのではないかという懸念もあったが、最近はそれが大きく変わり始めたことを感じる。

かつての素晴らしい精神は失われていなかったし、それが改めて高く評価されつつあるのではないだろうか。


ただ、いまの日本の若い人たちが可哀想なのは、「昔の日本は悪いことをした。アジアを侵略した悪い国だった」と一方的な教育を受けていることである。

日本は世界各国から批判されてしかるべきだと思い込み、自信を失っているが、そんなバカなことはない。

昔は昔、いまはいま。

どちらも大切である。


昔がなければ現在もない。

そういうところから教育を始めていかなければならない。

日本を批判しているのは中国と韓国だけで、それもまったく身勝手な、自分たちの都合によるものである。


いま、日本人は一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。

そのために日本人はもっと自信を持ち、かつての武士道という不文律を築き上げてきた民族の血を引いていることを誇るべきである。

そうして日本人としてのアイデンティティをしっかり持つことで、初めて日本は国際社会における役割を担うことができると思う。


『熱誠憂国』毎日新聞出版




「歴史の叙述が始まった遠い昔から、歴史観は例外なく自国中心であった。

ヘロドトス以来、司馬遷以来、各地を遍歴したりするものの、いざ記述に際しては、特に国際環境の抽出では、自国中心の歴史観に固執している。

それ以外は展望する方法は他になかった。

今もない。

自国中心の歴史観を捨てて、それで立派な歴史を書いた人が、一人でもいたら挙げてみよ。

歴史観の問題は言い掛かりである」


谷沢永一氏の言葉だ。


中国人が書けば中国中心の歴史になり、アメリカ人が書けばアメリカ中心の歴史になるに決まっている。

それが世界の常識だという。


日本人は、戦後の長い間、自虐史観に苦しめられてきた。

李登輝元総統の言うように、我々は戦後の自虐的価値観から解放が必須だ。


今こそ、日本精神を思い起こしたい。

古代日本人の夢の叶え方

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、ひすいこたろう氏の名言セラピーより、
古代日本人の夢の叶え方 「予祝(よしゅく)のススメ」です。






「実践!世界一ふざけた夢の叶え方」 その中から一話ご紹介します。


タイトルは
古代日本人の夢の引き寄せ法
「予祝(よしゅく)のススメ」

なぜ日本人はお花見をするのか?


僕はこのことを、ある神社の神官の方に教わったのですが、
実は、お花見こそ、古代日本人が実践していた、
夢(願い)を叶えるための引き寄せの法則だったというのです。

古代日本人の一番の願いは、稲がたわわに実り、お米がしっかりとれることです。
その願いの実現を引き寄せるためにやっていたのが、お花見だというのです。


どういうことか?



春に満開に咲く桜を、秋のお米の実りに見立てて、
仲間とワイワイお酒を飲みながら先に喜び、
お祝いすることで願いを引き寄せる。これを「予祝(よしゅく)」というのだそうで、
ちゃんと辞書にも載っています。


古代日本人がやっていた、夢の引き寄せの法則、
それが「お花見」だったのです。


祝福を予め予定するのです。
先に喜び、先に祝うことで、その現実を引き寄せるというのが
日本人がやっていた夢の叶え方なんだそうです。




お酒を飲みながら、お米がたわわに実ることを想像し、
仲間とワイワイ先に喜んでしまう「前祝い」。
それが夢の引き寄せであり、お花見の由来だったのです。


まさに、僕らがセカフザ(世界一ふざけた夢の叶え方)の定例会でやっていたことそのものです!



先に祝福してしまう、するとその夢は現実化しやすいのです。



この予祝の効果はひすい、菅野一勢、ぼーず、
僕らも怖いほど体感しました。


「予祝」は、偉人たちも当たり前のように使っています。
たとえば、長嶋茂雄。


1959年、天皇・皇后両陛下を迎えて行われた天覧試合。
読売ジャイアンツVS阪神タイガース。9回裏で4対4の同点。
両陛下が警備の都合、野球観戦できる時間は21時15分までだったため、
延長戦に入った場合は両陛下は途中退席になるという状況でした。


9回裏、この大事な場面に先頭バッターとして回ってきたのが長嶋茂雄です。
天皇陛下が退席されるタイムリミットまであと3分という21時12分。
なんと、ここで、長嶋はサヨナラホームランをかっ飛ばしたのです。
プロ野球が国民的スポーツになった瞬間でした。


実は天覧試合前、長嶋はスランプのドン底にいました。
だからこそ、本能的に「予祝」をやってのぞんでいたのです。


長嶋さんは、最寄りの駅でありったけのスポーツ新聞を買ってきて
自分で見出しを書き込んでいったのです。


用意した赤、青、黄色、緑のマジックで、新聞一紙ごとに
「長嶋サヨナラ本塁打」
「天覧試合でサヨナラ打」
などと大きく書き込んでいったのです。

「長嶋の一発に尽きる。さすがにゴールデンルーキー。歴史に残る一発だ」

そんなふうに監督談話まで勝手にマジックで書き上げ、
先に喜び、祝杯をあげていたのです(笑)。





その予祝は、すべて現実となりました。




ソフトバンクの孫正義さんも、プロジェクトを立ち上げる際は、先に部屋のなかで
ガッツポーズをして、そのプロジェクトが成功したときのことをイメージし、
先に喜んじゃうそうです。
まさに前祝い、予祝です。


 発明王エジソンも、発明する前に、「それをすでに発明しました」
と発表することがよくありました。
もう先に記者発表して、できたことをお祝いしちゃうのです(笑)。


この「予祝」で倒産寸前の居酒屋を救った友人たちもいます。

当時、彼らは20代なかばで、居酒屋のオーナーに雇われて働いていました。
ある日、オーナーから呼び出され、
「ずっと赤字だから店をたたむことにした」と告げられてしまいます。

しかし彼らは、このお店が大好きだったのです。
でも、立地が悪くて、お客さんがなかなか入らない。
そこで、当時のスタッフ5人で温泉に出かけ、
その旅館で、こんな「遊び」を始めたのです。

「僕らの居酒屋はいま倒産寸前だけど、そこから一発逆転、大人気の居酒屋になって、
本も出版されて、1000名の前で講演しているという設定で講演しよう。
まずは、この旅館の部屋が、1000名のお客さんのいる大ホールだと想像して、なんで成功したのか講演してみよう」


そしてこの講演会にテレビ局の取材も来ているという設定で、
ホームカメラを回してインタビューし合ったのです。
「なんで倒産寸前のお店が大人気の居酒屋に復活できたんですか?」
現実は、倒産寸前なのに、そんなふうに聞いていくのです。

そして、聞かれたら、即座に答えなければいけないというのがルール。
この質問に、1人のスタッフがこう答えました。


「『俺たちみんな家族だろ!』のひと言にみんなのハートに火が点いたんです。
それで、いままでお店に来て名刺交換してくださったお客様に、手紙を書いたんです。
いかに僕たちがこのお店を大好きかって気持ちとお感謝の気持ちを」


彼らは倒産寸前の状況で、史上最高の未来を想像し、
それをすでに実現したという設定で演技して喜び合ったのです。
彼らは「予祝」という概念を知っていたわけではないんですが、
先に、前祝いをしたのです。


この日、浮かんだアイデアはノートにメモしておいて、お店に戻ってからすべて実行に移しました。
すると、なんと1ヵ月で1年分の利益が上がったのだそう。


そしてほんとうに超人気の居酒屋になり、1000人のホールで話すことになり、
『20代の働く君に贈る大切なこと』(松本望太郎著、学習研究社)という本のなかでも取り上げられ、
テレビ局まで取材に来たのです。

前祝いしたことが、全部、怖いくらいそのとおりに実現したのです。

これが「予祝」の威力です。


このことで、彼らも前祝いの効果を実感し、
お客様と「前祝い飲み会」、「前祝い乾杯」が広がったのだそうです。
お客様の夢が叶ったことにして、前祝い乾杯をするのです。

それで、本当に夢を叶えられたお客様もたくさいるそうです。
例えば、客室乗務員になりたくて、でも10年間トライし続けていてもなかなか夢が叶わない女性がいました。
そこで試験前に前祝いプレートをつくって先にお祝いしてあげたのだそう。
すると、その年、見事に試験に合格し客室乗務員になれたそうです。

彼らの居酒屋の名前は、「魚串炙縁」。
東京の池袋から、細い路地を15分ほど行く、
とてもわかりにくい立地ながら、現在、大繁盛で週に7回も通う熱烈なお客さんもいるほどです。

立地と売上は関係ないことがわかり、いまはさらにわかりにくい場所に2店舗目をオープンしました(笑)。
そちらのお店の名前は『さーどぷれいす 和ビストロ ほたる』です。

あなたも、仲間や会社で、ぜひ予祝ゲームをやってみてくださいね。


セカフザ定例会で、4人で、それぞれの夢がすべて叶った前提で話し合うのも楽しいです。
予祝ゲーム、たとえば、作家になりたい人にはこんなふうに振ってあげます。


「おおお。作家になりたい夢が叶ったそうじゃん。おめでとう!
で、どうしてデビューできたの? 本のタイトルは?」
聞かれたら、即座にでっちあげで答えるのが予祝のルールです(笑)。
とっさのひらめきに、思いがけないヒントがあったりするからです。


作家になりたいなら先に友達を呼んで出版記念パーテイをやるのもいいし、
ドンドン「予祝」(前祝い)をやっちゃってくださいね。



夢が叶うコツは面白がることです。


夢って「深刻さ」を嫌うんです。
深刻になってると夢は自分から離れていくんです。


「夢なんか叶わなくても、この仲間と過ごす時間が楽しいよね」
とワイワイ楽しみ、おもしろがっていると、
夢は子犬のようにあなたについてくるんです。


セカフザは夢が叶わなくたって、楽しいもん。
そういう状況になると、奇跡は向こうからやってくるんです。



というわけで、
最新刊
「実践!世界一ふざけた夢の叶え方」(通称セカフザ)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4894517310/nicecopy-22
よろしくお願いします。


セカフザをリアルで実践したい方には、
こちら、ひすい塾がオススメ(2017年1月よりスタート)
https://www.facebook.com/events/192227397850807/

ひすい塾は、
6ヶ月かけて、ひすい式・ものの見方をマスターしていただきます。
そして、僕らが夢を叶えてきたセカフザスタイルをチームで実践していきます。
6ヶ月間応援しあう関係の中から
自分の闇と和解し、本音とつながり
自分らしさを活かせる状態を目指します。

わずか数分のこと

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★今日のフォーカスチェンジ♪★

わずか数分のこと


しばらく前の
できごとです。

知人からメールがあり、

以前、仕事の関係で
私が送ったメールが、
見つからないので、

再送してくださいとの
内容でした。

1通ではなく、数通。
しかも期限つきです。


たしかに、内容的には
送ってあげたほうが
いいものなのですが、

実は、こちらも仕事が
相当たてこんでいて、

読んだ瞬間、
「なんですとぉ~」と
叫んでしまいそうに
なりました。

要は、いらっとした
わけですね。(笑)

いらっとする気持ちに
フォーカスしたわけです。


ひとは、フォーカスを
すると、それが
強く意識されます。

(見つめたものが拡大す
 る、ということです)

はい。その瞬間、
不快マックスに
なりました。(爆)

以前の私なら、
そのマックスのまま、
つっけんどんな返事を
していたでしょう。


ところが、ふっと、
フォーカスが
変わりました。

もし、自分に
よゆうがあったら、
同じ反応をしたろうか?

いいえ、
メールはある程度、
整理できているので、

検索をすれば
すぐに見つかります。

たぶん、10分もあれば
完了でしょう。

10分の手間を惜しむ
ことで、人間関係を悪く
させる(かもしれない)
なんて、もったいない。

そう思ったら、
気持ちが静まりました。


そして、
気がついたんです。

いらいらの本当の理由は、
ちょうどやっていた作業
が、うまく運んでいなか
ったからなのです。

やってもやっても
エラーが出て、
かな~り、ごきげん
ななめだったのですね。

なーんだ。
相手のモンダイではなく、
自分のモンダイだったのか!

フォーカスが
また変わりました。


もしも、いま、私が
ごきげんだったら、
こんな反応には
ならないよね?

そしたら、いま、
一番すべきことは何?

そうか、私が、私の
ごきげんをとって
あげればいいんだ♪


ということで、
深呼吸して、自分の
感情のケアをしました。

まわり道と七転八倒、
七転び八起きの人生の
おかげで、

感情のケアは、相当
上手になりました♪

(それだけたくさん、
 練習をしたという
 ことです)(笑)


私は、自分の怒りを
しっかり味わいました。

味わい尽くすと、
怒りは、静かに
消えていきました。

(感情は無視したりおさ
 えたりすると増幅し、

 味わってあげると
 自然に消滅します)

気持ちはすっかり回復し、

私は、その知人に、
「OK」の
返事を出しました。


この一連のできごとは、
時間にすれば、わずか
数分のことでした。

でも、数分のあいだにも、
フォーカスは、どんどん
変わっていきます。

そのフォーカスに気づく
ことができれば、

自分で調整していくこと
ができるのです♪


もっとも、その調整を
可能にするためには、

いくつかの
ステップがありますが、

長くなりますので、
またいつか♪

(ご希望があれば、
 書きますよ~♪)

今日も、フォーカスを
自由に活用して、
どうぞ快適な一日を!

日本の対外戦争は専守防衛の戦いだった!

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、国際派日本人養成講座より、大陸型の侵略戦争、日本型の自衛戦争 ~ 田中英道『日本の戦争 何が真実なのか』を読む!

 古代からの近現代までの日本の対外戦争は専守防衛の戦いだった!です。


■1.欧米、シナとは異なる日本人の戦争観

 12月8日、真珠湾の日がまたやってくる。「侵略国家・日本」の行った奇襲攻撃として、日本が汚名を着せられた日である。しかし、アメリカも含め多くの歴史家によって、ソ連のスパイに操られたルーズベルト政権が日本を追いつめ、最初の一発を撃たせた、という史実が機密文書の公開も伴って広がりつつあるのは、弊誌でも紹介してきた。[a,b]

 大東亜戦争に限らず、そもそも古代から近現代までの日本人の行ってきた対外戦争は専守防衛であり、欧米やシナのように相手を殲滅して土地を奪う事を目的とした侵略戦争とは根本的に違う、という事を、史実を通じて論証した書籍が登場した。東北大学名誉教授・田中英道氏の『日本の戦争 何が真実か』[1]である。

 1冊の本で、神話時代から近現代までの日本史上の対外戦争を論じた、まさに博覧強記の田中氏ならではの著作だが、本稿ではそのごくさわりを紹介して、読者の参考に供したい。


■2.大陸型の侵略戦争

 侵略戦争と防衛戦争の違いを明らかにする上で、まずは西洋史での戦争を見ておこう。その一例として興味深いのは、旧約聖書に描かれたユダヤ神話で、イスラエルの民が国家を形成する過程で、近隣の他民族と戦った戦争である。

__________
 彼らが最初に攻撃したのは先住民が立てこもるエリコという大きな都市国家だった。ヨシュアの指揮のもと、イスラエルの民は隊列を作って連日エリコの周囲をぐるぐると回り、七日目に鬨(とき)の声をあげてエリコの城壁に迫り、それを破壊した。城内に乱入したイスラエルの民は住民を一人残らず殺害し、エリコを焼き払って破壊し尽くした。

 この殺戮や破壊には神に対して捧げ物をするという意味があった。アウシュビッツでドイツのナチスがユダヤ人を殺害したことをホロコーストというが、まさにこのホロコーストを地でいったわけである。[1, p24]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こういう類いの侵略戦争は西洋やシナの歴史では日常茶飯事だった。だからこそ、西洋やシナの都市が城壁で覆われていたのである。この本では、さらに次のような例が挙げられている。

・十字軍 1096年から1272年まで約200年間、キリスト教徒によるイスラム教徒からエルサレムを奪還しようとする戦いで、死者は300万人に上ったとされる。十字軍は手始めとして、遠征途中でラインラントやマインツでのユダヤ人共同体を壊滅させていった。

・英仏戦争 フランス王の跡継ぎ問題が発端となって1337年から1453年まで100年以上も続いた戦争で、350万人の死者がでたとされている。

 この本では取り上げられていないが、シナの歴史も同様だ。しかも残虐な侵略戦争が現代でも続いているのが特徴である。

・チベット侵攻 シナ共産党軍は第二次大戦後、日本の6.5倍の広さを持つチベットに侵攻し、600万人のチベット人のうち、120万人の生命を奪い、さらに産児制限や中絶・不妊手術の強制を行った。そして750万人ものシナ人が移住した結果、チベット人はその故郷の地でも少数民族になってしまった。[c,d]


■3.「三韓征伐」は先制的自衛

 次に日本の対外戦争史を辿って、日本人の戦争観を探ってみよう。古事記、日本書紀によれば、最初の対外戦争は、4世紀後半とみられる神功皇后の「三韓征伐」である。同時期に高句麗の好太王碑にも倭と戦った事が記されており、またシナの史書にも記載があることから、ある程度の史実を反映していると考えられる。

 好太王碑の記述では、最初に神功皇后が攻めた新羅は戦わずして朝貢を誓い、高句麗も百済も朝貢を約束したという。朝貢を約束するという事は、形の上で臣従さえすれば、土地を奪われ、住民は殲滅されるという心配はないという事である。

 当時、半島南部には日本人が多く住んでおり、任那日本府という出先機関まで存在した。新羅、高句麗、百済、そして日本領と錯綜・拮抗したこの地域が、敵対する一国に統一されてしまうと、半島に住む日本人の生命財産が危険に晒され、半島南部の日本の権益を失うだけでなく、日本列島そのものにも危機が及ぶ。[e]

 こうした事態を先手で防ごうとすることは、今日に言う「先制的自衛」であった。


■4.白村江の戦い

 続く対外戦争は、西暦663年の白村江の戦いである。これは唐の侵攻に敗れた百済の遺臣たちが友好国であった日本に助けを求めたものだった。同盟国・百済を助けようとする集団的安全保障であるとともに、やはり、半島全域が敵対勢力に抑えられたら、日本の防衛そのものが危うくなる、という先制的自衛であった。

 日本は2万7千人の軍勢を送ったが、百済側の内紛もあって、唐・新羅連合軍に敗れた。戦後、唐と新羅の襲来を恐れた日本は、九州に防人(さきもり)を置き、水城(みずき)を築いて、国をあげて防衛につとめた。この防衛努力自体が、半島への派兵は先制的自衛が目的だった事を示している。[f]

 朝鮮半島が大陸国家に支配されたら、日本の安全がいかに危殆に瀕するかが、史実として示されたのは元寇だった。

 モンゴル軍は朝鮮半島を蹂躙したが、その際に捕らえられた朝鮮人は男女二十万余、殺された者は数知れず、と言われている。そのモンゴル軍が高麗兵を引き連れて、わが国を襲った。「対馬・壱岐の女子供が手に穴をあけられて船べりに吊された」と語り伝えられた。

 その危機を救ったのが、祖国防衛に命を懸けた鎌倉武士たちであった。彼らがモンゴル軍を水際で食い止めている間に、「神風」が吹き、モンゴル軍のほとんどの軍船が沈んだのである。[g]


■5.スペインのメキシコ、フィリピン侵略

 次の対外戦争である秀吉の朝鮮出兵についてはどうか。秀吉の出兵については、当時のスペインの世界侵略という背景を考えなければならない。1494年に、スペインとポルトガルはヨーロッパ以外の世界を両国で二分割するトルデシリャス条約を、ローマ教皇の承認のもとで取り決めた。

 この条約に基づいて、1521年、スペインはメキシコのアステカ帝国を滅ぼして、新スペイン副王領を設置した。スペイン人たちが虐殺と略奪の限りを尽くした様子は次のように記録されている。

__________
 40年前にキリスト教徒たちの暴虐的で極悪無残な所行のために、男女、子ども合わせて一千二百万人以上の人が残虐にも殺されたのは全く確かなことである。それどころか私は千五百万人以上のインディオが犠牲になったと言っても真実間違いではないと思う。(『インディアスの破壊についての簡潔な報告』)[1, p90]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 先に挙げた十字軍や百年戦争と並べてみれば、これも西洋史の中では特に異常な事件ではない。

 メキシコから太平洋を渡ったスペイン人は1571年までにはフィリピン諸島の大部分を征服した。フィリピンという国名自体が、スペイン皇太子のフェリペから来ている。おそらくメキシコと同様の「キリスト教徒たちの暴虐的で極悪無残な所行」が行われたと見られているが、記録は残されていない。


■6.秀吉の「先制的自衛」

 スペインの次の狙いは中国や日本である事を、信長や秀吉は見抜いていた。「スペインは、まず多数の宣教師を送りキリシタンを増やす。そしてキリシタンに改宗した者と力を合わせて諸国の君主を倒してきた」という証言を秀吉はスペイン人から得ている。

 実際に有馬晴信、大友宗麟、大村純忠ら九州のキリシタン大名は、フランシスコ・カブラルという宣教師に「領民をキリスト教に改宗させ、神社・仏閣を全て破壊し教会を建設せよ」と命ぜられた。

 大村純忠はそれに従って、神社仏閣のみならず祖先の墓まで破壊することを命じたため、一部の家臣が反発して、反乱を起こした。さらにイエズス会に長崎を丸ごと寄付しようとまでした。こうした事件に激怒した秀吉は、1587年にバテレン追放令を出したのである。

 ひとたび、その侵略意思を見抜かれては、日本はもはやスペインが征服できる国ではなかった。なにしろ、1543年に種子島に辿り着いたポルトガル人から鉄砲の仕組みを教わると、わずか30年後の長篠の戦いでは、織田信長が3千丁もの鉄砲隊を繰り出していたのだ。この12年後にフランスのアンリ4世の軍隊が持っていたのは、25名の鉄砲隊と300名のピストル隊だけだった。

 スペインは、日本よりはるかに豊かで人口も多いシナを征服しようと方針転換を図った。もし、それが成功して、スペインの軍艦をシナの経済力で大量生産されたら、日本にとって、元寇をはるかに上回る脅威となる。

 そうなる前にシナをおさえてしまおう、というのが、秀吉の考えだったようだ。そのために「明に行く道を貸すように」と朝鮮に要求したが、朝鮮側も抵抗したので、戦いになった。「朝鮮征伐」とは明に行くための手段であって、目的ではなかった。

 秀吉の戦略は無謀だったかも知れない。しかし、その意図は東アジア全体が「キリスト教徒たちの暴虐的で極悪無残な所行」に踏みにじられることを防ごうとするとする所にあったとすれば、それも先制的自衛であったと言える。[h,i,j]


■7.日清・日露戦争と日韓合邦

 秀吉のキリシタン禁制を受け継いだ徳川幕府は260余年の間、西洋諸国から日本を護ることができた。しかし、幕末に日本にやってきたイギリス、フランス、アメリカ、ロシアなど新手の勢力は、スペイン、ポルトガルをはるかに上回る近代的軍事技術を備えていた。

 これら西洋諸国はアフリカ、インド、東南アジアを侵略して植民地とし、今や最後に残った東アジアに襲いかかろうとしていた。1840年にイギリスが清国を打ち破ったアヘン戦争は、その警鐘となった。

 西洋諸国の侵略をいかに防ぐか、これが幕末日本の最大の課題だった。日本の選んだ戦略は「開国攘夷」、すなわち開国して西洋の技術を取り入れて富国強兵を進め、それによって侵略勢力を撃退して独立を護る、という路線だった。

 しかし、ここでも朝鮮とシナが足を引っ張る。朝鮮内部では日本に倣って近代化を進めようとする金玉均ら独立党と、中華思想に凝り固まった清国に仕えようとする事大党が対立し、ここから日清戦争に発展した。

 勝利した日本は下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせた。したがって、日清戦争も朝鮮の独立安定を図って、日本を防衛しようという先制的自衛の戦争であった。

 だが、その後はロシアが満洲に侵出し、朝鮮に手を伸ばそうとしてきた。朝鮮半島がロシアの手に落ちては、日本の安全が再び脅かされる。こうして日露戦争が起こった。これも朝鮮半島を大陸国家に支配させないための先制的自衛戦争であった。

 朝鮮半島の帰趨をめぐって、二度も日本は近隣大国との戦争を戦わねばならなかった。朝鮮を独立させたものの、常に強きに従おうとする事大主義では、いつまた足を掬(すく)われるか分からない。朝鮮の100万の民衆からも政治の安定化と近代化を進めるために日韓合邦の要望が出された。こうして朝鮮半島は日本の統治を受けた。[k]

 日本の統治下で、朝鮮半島での米の生産量は2倍、人口は2.5倍と高度成長を遂げた。経済だけでなく、5千校以上もの小学校が作られ、子供たちもハングルを学べるようになった[m]。西洋諸国の侵略により植民地となったアジア、アフリカ諸国とは全く違う、安定と繁栄の道を朝鮮は辿ったのである。


■8.八紘一宇の理想を護るための自衛戦争

 その後、ロシアが革命を経てソ連として再び強大化し、世界共産化を狙って東アジアに触手を伸ばしてきた。シナ大陸では清朝が倒れた後、国民党、共産党、軍閥が割拠する内乱状態にあった。

 ここで日露戦争後にロシアから獲得した租借地を護っていた関東軍が動いて満州国を成立させた。満洲はもともと満洲族の地であり、そこに満洲王朝であった清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を立てて、皇帝とした。そこで日本人、韓国人、満州人、モンゴル人、シナ人の五族が協和する「王道楽土」を作ろうとしたのである。

 これにより、満洲は大陸で唯一安定した地域となり、日本の資本投下により、鉄道、道路、港湾、ダムなどのインフラ整備が急速に進んだ。その安定と繁栄に憧れて、毎年100万人以上ものシナ人が戦乱を逃れて流入した[m]。そして満洲を護る日本軍は、ソ連南下を防ぐ防壁となったのである。

 朝鮮や満洲、そして台湾も、ヨーロッパ諸国がアフリカ、インド、東南アジアを、そしてシナがチベットを侵略し、搾取した植民地支配とは全く異なる日本型の統治により安定化し、異なる民族が力を合わせて繁栄したのである。

 そこに働いていたのは、八紘一宇、すなわち天の下(八紘)に住むすべての人が、一つ屋根(一宇)に住む家族のように仲良く暮らそうという理想であり、また日本の行った対外戦争は、その理想を侵略勢力から護るための自衛戦争なのであった。
(文責:伊勢雅臣)

結婚は、何のために存在するのか

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、小林正観さんの心に響く言葉より…結婚は、何のために存在するのか !です。



どうやら、人間の愛情というのは、結婚してから「3年」でなくなるらしい。

結婚して20年、30年続いている夫婦がいますが、この人たちがどうして長く続いているのかというと、結婚してから3年の間に、「愛情以外の別の概念」をつくり上げることができたからです。


愛情を永遠のものだと勘違いして、その愛情だけに寄りかかっていると、結婚生活は破綻をきたすらしい。

「いつまでもこの人を愛し続けよう」と思っても、「いつまでもこの人から愛され続けるだろう」と信じていても、生物学的に見ると、愛情は、「結婚後、3年で終わってしまう」ようです。


結婚すると、普通は「ゴールイン」といわれますが、じつは結婚した瞬間から、「3年間の執行猶予(しっこうゆうよ)」がはじまります。

この執行猶予中に、「愛情以上の価値観=尊敬」をつくり上げることが「結婚生活」のようです。

では、どうすれば相手を尊敬できるようになるのでしょうか。

それは「常に相手のよい面を見つけること」です。


目の前の夫、目の前の妻を、自分の思い通りにつくり変えようとするのではなくて、「相手はこういう個性があって、自分とは違うものを持っているんだ」と、丸ごと全部受け入れる(感謝する)。

そして、相手のすばらしいところ、社会のよいところ、宇宙の楽しさを、自分の中で見出す訓練ができるようになると、あれこれと批判、論評をしなくなり、お互いを認め合うことができるようになります。


同じ言葉を他人から言われたときは、怒らないで踏み止まることができるのに、同じ言葉を妻(夫)から言われると、すぐに腹を立てる夫(妻)がいます。

外では踏み止まれるのに、家では踏み止まれない(正確に言うと「踏み止まらない」)のは、「幼児性」があるからです。


結婚は、何のために存在するのか。

じつは「幼児性を克服するため」に存在しているようです。

家庭というものは、自分の思いを通す場所でも、甘える場所でも、ストレスを発散させる場所でもありません。


家庭は「幼児性を削って大人になる作業をする場所」として存在しているらしいのです。

結婚をして、わがままが言える相手ができた状態になったとき、いかに踏み止まって相手を受け入れるか。

それを問われているのが「結婚の本質」のようです。


『ありがとうの奇跡』ダイヤモンド社






美輪明宏氏の素敵な言葉がある。


「いつまでも子供でいたい…

無邪気な男は楽しくて魅力的。

でもいずれ困る時がくる。

腹をくくってきっぱりと、自分の幼児性を捨てなければいけない時が来る」


幼児性が強い人は…

自分本位で、人を平気で傷つけたりする人。

言葉尻をとらえて、延々と相手を責め続けたりする人。

誰かが後始末して(片づけて)くれるだろうと、平気で汚したまま行ってしまう人。

感情のままに怒鳴り散らしたりする人。

いつも上から目線の人。

いばっている人。


「家庭とは、幼児性を削って大人になる作業をする場所」

これは、家庭だけでなく、学校、職場等、すべての人間関係でいえること。

幼児性を捨て、成熟した大人になりたい。



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