鹿児島市西千石町の「フレッセ厚生市場」にある靴修理・鞄修理・合鍵作製のお店です。
 

店 名   リペアショップ鹿児島店
住 所   鹿児島県鹿児島市西千石町13-11
電 話   099-223-1766 
店舗URL http://ebisusama2322.on.omisenomikata.jp/


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IT革命の本質とは

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、夏野剛氏の心に響く言葉より‥‥「IT革命の本質とは」です。


日本の長所でもあり短所でもありますが、従来の社会に存在しなかったものが登場すると、まずネガティブに反応します。

そして過去のルールに照らし合わせて、どこに該当するかを探して規制しようとします。

そもそも、法律や社会制度は、その時点で存在しない要素を想定せずにつくられているものですが、現在の秩序を守るために、半ば強引に該当項目を見付けようとするのです。


これに対して英米法では、新しいものが出てきても、法律で禁止されていなければ問題ないと考えます。

ですから、新しい技術やサービスが生まれると、「とりあえずやっちゃえ」と社会に送り出す人が現れる。

それが社会に浸透し、どこかで混乱が起きて初めて、法律が制定されたり、社会制度が変更されたりします。


日本とアメリカ、どちらの考え方が良いか悪いかに関しては各議論がありますが、少なくともテクノロジー進化やその活用という点に関しては各議論がありますが、少なくともテクノロジーの進化やその活用という点に関して言えば、英米法的な考え方のほうがはるかにスムーズに進みます。

日本人も、個人としては「便利なものは使っちゃえばいいじゃん」と簡単に受け入れますし、新しいものを使いこなすことも得意です。

学校でLINEが禁止されていても、プライベートな世界ではどんどん広がっていくというようなことはよくあるのではないでしょうか。


問題は、新しいものを拒絶する日本的なマインドセットが、国の法律のレベルから行政指導、そして会社の経営、ビジネスのアプローチにまで浸み込んでしまっているということです。

このままでは、いつまで経っても、私たちがIT革命の恩恵を受け、再び成長していくことはできない。

まずはこの認識からスタートしなければいけません。


では、私たちが取り入れるべきIT革命の本質とは何なのか。


まず1つ目が「効率革命」です。

従来現実社会で行われていたことが、ネットを介することによって劇的に効率化されました。

例えば、「アマゾン」を始めとするECサイトの登場です。

これにより、書店での購入が一般的であった書籍は、ネット上で簡単に買うことができるようになりました。

食料品、衣料品、家具、電化製品など生活に必要なものがすべて揃い、インターネット環境がさえあれば、いつでもどこでも買い物ができる。

証券会社も同じで、今では個人取引の99%がネット上でトレードされています。

わざわざ証券会社の窓口まで出掛けたり、電話をしたりする必要はなくなりました。

あとは、社内組織の電子化により、効率化され、組織もフラット化されていきます。


2つ目の革命は「検索革命」です。

私たちは、何か知りたいことがあれば、パソコンやスマートフォンで世界中の情報を簡単に検索できます。

あらゆる情報が瞬時に、しかもその多くは無料で入手できます。

この検索革命は、“専門家”の定義を変えました。

20世紀まで、専門家とは、どの組織に属し、どのような業務に従事しているかによって決まっていました。

組織の中でなければ、その分野の情報を得ることはできなかったからです。

しかし現代では、自宅で検索するだけで、どの分野の専門家にもなれるようになりました。

自動車産業で働く人より車に詳しいアマチュアや、JR職員より電車に詳しい鉄道オタクはたくさんいます。

彼らがそこから新たなビジネスを起こし、本当のプロとして活躍することも珍しくない世の中になりました。

しかし、この検索革命の重大さを、多くの経営者が認識していません。

何か購入するものがあれば、わざわざ業者を集めて相見積もりを取るよりも、「楽天市場」で価格を調べたほうがよほど効率的です。

ところが「勤務中にショッピングサイトを開いてはいけない」などと言われてしまう。

挙句のはてに、アクセス制限のフィルタリングや、USBの持ち込み禁止など、無意味な社内ルールを設けている企業が少なくありません。


3つ目は「ソーシャル革命」です。

SNSの浸透などにより、個人の情報発信力は飛躍的に向上しました。

誰もが自分の考えや発見を世界中に発信できるようになった。

検索革命によって情報収集能力が高まった個人が、さらに情報をシェアするためのツールとしてSNSを使うことで、相乗的に触れられる情報の量が増え、お互いに意見交換や議論ができるようになったわけです。

そうして、いわゆる「アルファブロガー」に代表されるように、一般の人の中にも大きな発言力を持つ存在が現れるようになりました。

企業の競争力は、何によってもたらされるか。

仕事をしていると、「ここはこういう風に直したほうがいいな」といった発見や、小さなアイデアといった、個々の社員の“気付き”がたくさん生まれます。

それを共有して横軸にしていくことが、その企業の競争力です。

トヨタに代表される“カイゼン活動”はまさにそうです。

作業効率の向上や安全性の確保などに関して、経営陣から指示されるのではなく、現場の作業者が中心となって知恵を出し合い、ボトムアップで問題解決を図っていく。

これを全社的に共有し、品質向上や効率化を進めていくスピードによって、日本の製造業は一気に競争力を得たわけです。

ここで重要なのは、その気付きが個人によってもたらされたということです。

個人の気付きが共有され、蓄積されることで企業の競争力は高まっていきます。

個人と組織の関係性が、常に競争力の源なのです。


『自分イノベーション』SOGO HOREI





一昔前まで、中国の情報インフラの低さに、誰もが到底これは先進諸国には追い付かないだろうと思われていた。

しかし、現在は「飛び級的進化」と言われ一躍時代の寵児に躍り出た。


「イノベーションの普及が飛び級型で進むのが中国市場だ。

電話は固定を飛ばして携帯があっという間に広がった。

利用者の大半がスマホを使い、通話はアプリ経由がほとんど。

映画やドラマなど映像コンテンツの視聴はビデオテープやDVDの時代を経ず、ネット配信に進んだ。

飛び級型の革新には利点がある。

既存のインフラや既得権益者ら守旧勢力の妨害が起きにくいのだ」日経新聞(2017.10.16)


中国では、市場の屋台でもスマホで決済ができる。

日本がまごまごしている間に、あっという間にキャッシュレス化が進んでしまった。

それが、さらに進み、個人の信用(格付け)もスマホ決済が普及したおかげでできるそうだ。

その結果、自分の信用のスコアを上げるため、「品行方正な人」が増えてきたという。

中国人に今まで一番か欠けていたのが「信用」、と言われていたのが、このスマホ革命によって変わるかもしれない。


日本は、まさに旧勢力(既存の利益を守る集団)が多く、あらゆる業界がガラパゴス化する危険性がある。

飛び級ができないのだ。


「IT革命の本質」は個々の力を生かすこと。

一人ひとりが自分の力を発揮し、この大変革の時代を乗り切りたい。

あなたのいのちの想い

テーマ:ブログ

リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪より
「あなたのいのちの想い」です。




こころのしくみの第7原則。

いま・ここ・じぶん


生きているのは、いましかありません。

生きているのは、ここしかありません。

生きているのは、この、じぶんです。

私たちは、いま・ここ・じぶん、
しか生きられないし、

言い換えれば、
そのために生まれてきたのです。


どんなにブレても、
どんなに揺れても、
どんなに迷っても、

そこにもどってくれば、いいのです。

そこがすべてなのですから。


こころのしくみのお話を、
してきましたが、

では、こころは、
どこにあるのでしょう?

脳のなかにあるのでしょうか?

心理学の世界でも、最終的な
こたえは出ていないようですが、

たとえ脳のなかにあるのだとしても、
脳だけでは、ひとは存在できません。


私は、こころは、脳もふくむ、
からだそのものにあると想っています。

もっといえば、
このいのちの存在そのものに。

それが、
「いま・ここ・じぶん」なのです。


過去や未来にふりまわされるのは、
脳であって、からだは、いつでも、
「いま」にあります。

ひとの環境をうらやむのも、
脳ですが、

からだは、いつでも、
「ここ」にあります。

そして、「じぶん」は、
自分以外には存在しません。


なのに、なぜ、脳は、
そのことを忘れるのでしょうか?

忘れるどころか、
否定さえしてしまうのは、なぜ?

それは、すべて
脳のかんちがいなのですが、

最近の私は、そのかんちがいさえも、
こころのしくみのひとつではないかと、
考えるようになりました。


なぜ、かんちがいをして、苦しむのか。

「気づく」ためです。

「気づいて」、本来の場所にもどる
体験をするためです。

「いま・ここ・じぶん」という、
いのちのありかに。


もともと、宇宙に偏在する
エネルギーだった私たち。

それが、「ひと」という存在に
かたちを変えて、

「いま・ここ・じぶん」を
生きているのです。

それを行動であらわすのが、
「からだ」であり、

それを感じるのが、「こころ」です。


私たちは、「こころ」を、
さまざまなかたちで、使ってきました。

ときに、苦しみのために、
ときに、かなしみのために、
ときに、怒りのために、

あるいは、愛のために…。


すべてが、必要な体験でした。

体験こそが、私たちの生きる意味です。


その体験を経て、いま、
こころは、あなたに問いかけます。

あなたは、どう生きたいの?

あなたは、どうありたいの?


いま・ここ・じぶんに立ちもどって、
どうぞ、聴いてください。

あなたのいのちの想いを…。

トントンという音

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、医師、鎌田實氏の心に響く言葉より…「トントンという音」です。


生きるって大変なこと。

これまで、たくさんの生と死に関わって生きてきました。

73歳のおじいちゃんの話をしましょう。


徐々に痩せてきました。

背中が張ると言って、外来にやってきました。

血液の検査や超音波検査、CTの検査をしました。

後腹膜に腫瘍が見つかりました。

すい臓がん。

リンパ腺にも転移がありました。


ご本人と優しい奥さんと、何度も治療法について話し合いをしました。

東京の息子さんも話し合いに参加しました。

おじいちゃん自身は、

「もういいな。手術はしたくない。抗がん剤が少しでも期待できるなら、苦しくない範囲で1回試してもいい」

これがおじいちゃんの自己決定でした。

自分の行く道を自分で決めたのです。

奥さんも息子さんも賛成しました。

僕自身がこの人の立場だったら、僕もこの選択をしたかなと思いながら、

「全力で支えさせていただきます」

と何度もの話し合いをまとめました。


ご本人の希望で緩和ケア病棟に入院しました。

「やるだけのことはやった。もういいな。とにかく苦しいのは嫌だな」

緩和ケアが始まりました。

痛みが取れると、彼は再びニコニコし始めました。

それでもご飯は食べられません。

「匂いを嗅いだだけで食べられなくなる」


「でもね先生、もう1回ご飯が食べたいな」

横についている奥さんが黙ってうなずきました。

「先生、1回外出させてください。気分を変えてあげたい」

根拠はないけどいいことだと思いました。

賛成、賛成と背中を押しました。

おじいちゃんもニコッと笑顔を見せました。


翌日、息子さんは東京の会社を休み、飛んできてくれました。

お昼から半日、家に帰りました。

夕方7時頃、おじいちゃんが病室に戻ってきました。

病室へ伺うと、おじいちゃんはニコニコしていました。


「先生、トントンがよかった」

「トントンって何ですか?」

「家に戻って、いつも自分が座るところに座って、夕陽が落ちるのを見ていました。

先生、夕陽がきれいでね。

目を奪われていたんです。

この庭も見納めかなと思っていました。

その時です。

お勝手からトントンという音が聞こえだしたんです。

女房のまな板の音です。

こんな音、何十年も聞き続けていたはずなのに、一度も意識したことがありませんでした。

女房もきっと意識していないんです」


奥さんが言葉を受け取った。

「何も意識していません。でも、この人が家に帰ってきてくれて、私はうれしくて、無意識の中で心が躍っていたんです」

おじいちゃんが続けた。

「まな板のトントンという音を聞きながら、生きてきてよかったと思ったんです。

シューッとご飯ができあがる音も聞こえてきました。

匂いも伝わってきたんです。

食べ物が運ばれてきても、その匂いだけで吐き気が出てたべたくなかったのに、音も匂いも心地がいいのです。

先生、食べれたよ。

お茶碗に3分の1ぐらいだけど、うまかった。

もう思い残すことはありません」


奥さんと息子さんが下を向いて泣き出しました。

このおじいちゃんは間違いなく生きている。

死は近づいているかもしれない。

けど、そんなことはどうでもいいんだ。

いま生きているという実感が大事。


『1%の力』河出書房新社




富山県の砺波市という町に、ガンで亡くなった井村和清さんという方がいた。

彼は医師だった。

右膝に巣くった悪性腫瘍の転移を防ぐため、右脚を切断したが、その甲斐もなく、腫瘍は両肺に転移してしまった。

そして、昭和54年1月に亡くなったが、その時の遺書がある。


「ただ、ようやくパパと言えるようになった娘と、 まだお腹にいるふたり目の子供のことを思うとき、 胸が砕けそうになります。

這ってでももう一度と思うのです。 しかし、これは私の力では、どうすることもできない。

肺への転移を知った時に覚悟はしていたものの、 私の背中は一瞬凍りました。

その転移巣はひとつやふたつではないのです。

レントゲン室を出るとき、私は決心していました。

歩けるところまで歩こう。

その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、 私は不思議な光景を見ていました。

世の中がとても明るいのです。

スーパーへ来る買い物客が輝いてみえる。

走りまわる子供たちが輝いてみえる。

犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が輝いてみえるのです。

アパートへ戻ってみた妻もまた、手をあわせたいほど尊くみえました」『いま、感性は力』(致知出版社)より


人は、死を意識し、覚悟を決めた時、世の中が輝いて見えるという。

いいも悪いも、全ての存在を肯定し、認めるからだ。

そして、いままで何でもなかった当たり前だったことが、この上なく愛(いと)おしく、幸せに感じる。


二度とない人生、この一瞬一瞬を大切に大切に生きてゆきたい。

運にめぐまれている人

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、小林正観さんの心に響く言葉より…「運にめぐまれている人」です。



私たちは、一人ひとりを本当に大切にしているか、ということを常に考える必要があります。

例えば、手紙をくれた人に返事を書こうと思いながら、つい書きそびれて月日が経ってしまい、いつの間にか忘れてしまうことは少なくありません。

同じように宅配便で何かを贈ってもらったとき、すぐに礼状を出せばいいものを、「そのうちに」と思っていると、先方から電話があり「着きましたか」と聞かれることになります。

贈ってくれた人は、何も礼状が欲しいわけではなく、届いたかどうか、確認したいだけです。

ですから、「届きました。ありがとう」という礼状を出す(あるいは電話をする)ことが、その人を大切にすることになるのですが、私たちは、ついついなおざりにしているような気がします。


一人ひとりを本当に大切にしているかどうかで、実はその人の「運命」が決まってきます。

「運命」というものは「人が運んでくるもの」です。

運んできてくださった人に「感謝」し、「手を合わせる」、ということを続けていると、その人の人生は、「嬉しさ」や「楽しさ」、「喜び」に満ちたものになっていきます。


極端に言うと、「運命」には「運がいい」とか「運が悪い」ということはありません。

「運が悪い人」というのは、目の前の「運」(人)を見過ごしている(大切に思っていない)ということにほかなりません。

一人ひとりを大切にしている人は、必ず良い「運命」を手に入れます。

「運」は「人によって運ばれてくるもの」なのですから。


「運にめぐまれている人」というのは、別に次から次へと「幸運がやってくる人」という人ではありません。

一人ひとりを大切にしている人なのです。

人との「出会い」や「つき合い」を大切にしていくかどうかで、自分の将来が決まっていく、ということに気がつかなければいけません。


一人ひとりを大切にしない人に「幸運」はありません。

つまり、良いものが運ばれてくることはないのです。

逆に、一人ひとりを大切にしている人(社会的な地位や身分というものには関係なく、人間一人ひとりを本当に大切にしている人)は、「幸運」を手に入れます。

それは、金銭的経済的にプラスになるということではなく、目に見えない「運の良さ」というのもです。


「今まで自分は、運が悪かった」「ついてなかった」と嘆く人は、もしかしたら、一人ひとりを大切にしてこなかったのではないでしょうか。

もう一度、自分の日常生活を見直してみましょう。


報酬や仕事というものに関わっていなくても、自分と縁のある人、出会う人というのが必ずいるはずです。

その一人ひとりを、できるだけ大切にしていくことです。

そうすれば、今までにない「幸運」な日々が展開していきます。


『神さまに好かれる話』三笠書房





坂村真民さんに「二度とない人生だから」という詩があるが、その中にこんな一節がある。

「 二度とない人生だから

一ぺんでも多く便りをしよう

返事は必ず書くことにしよう」


また、茶道に「一期一会(いちごいちえ)」という言葉がある。

一生にもう二度と会う機会はないのだ、と言う気持ちで、その場その場の出会いを大切にする、ということ。


運とは人のことだ。

それは、目の前に現われた人をどれだけ大事にするかということ。

相手の、地位が高いとか、肩書があるとかは関係なく、そのご縁に深く感謝し、手を合わせる。


運にめぐまれている人は…

一人ひとりを大切にし、感謝多き人。



負けるな、嘘をつくな、弱い者をいじめるな

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、西郷隆文氏の心に響く言葉より…「負けるな、嘘をつくな、弱い者をいじめるな」です。



薩摩は昔から「武の国」として知られながらも、他国のように深い堀や高い石垣、堅牢(けんろう)な城に頼らず、城はあっても、あえて城楼も天守閣もつくりませんでした。

これはもちろん、城の背後を城山という天然の要害が護(まも)っていたこともありますが、人間こそが不落の城であり、人間こそが堅固な石垣であり、人間こそが長大な堀である、という独特の人材登用と育成を大切にする慣わしが、あったからでした。

薩摩の郷中(ごじゅう)制度は、薩摩の歴史とともに受け継がれ、やがてそれが正式な「郷中教育」として完成したのが、江戸時代中期と言われています。


郷とは、方限(ほうぎり)、町内と呼ばれる行政の最小単位で、郷中は郷の仲間を意味します。

武家の青少年による自治組織で、武家の男子が6歳になると郷に入ります。

6歳から10歳ほどを小稚児(こちご)、11歳から15歳ほどを長稚児(おせちご)と言い、そして14、15歳で元服して二才(にせ)となり、25歳くらいまで郷中で学びます。


郷中ではニ才が長稚児を、長稚児が小稚児を指導し、それぞれのリーダーとして、ニ才頭(かしら)と稚児頭が選ばれ、二才頭は郷中の責任を負います。

そして、二才頭自身も、それぞれの郷の二才頭同士で学び、分かち合い、どうしても解決しないことがあれば、25才くらいを超え長老(おせんし)と呼ばれる大先輩のところに行き、教えを請いました。

これこそが郷中教育の特徴で、教師なき教育制度と呼ばれるゆえんです。


郷中教育において最も大切とされる、人として守るべき3つの教えがあります。

「負けるな」 人に負けないというよりも、どんな困難に遭っても決して自分に負けてあきらめないこと。

「嘘をつくな」 過ちを犯したときには決して言い訳せず、素直に非を受け入れること。

「弱い者をいじめるな」 弱い者いじめが最も卑劣で、器の小さい人間のすることだから、慎むこと。


こうした郷中教育の教えには、いつの時代にも通用する普遍の真理が含まれているように思えてなりません。

さて、郷中でも教えを誰よりもかたく守り、年長者を敬い、後輩をかわいがり、文武を鍛えた西郷さん。

やがて実力と人望を備えた若者として成長し、下級武士の子ながら、下加治町の郷中に「西郷あり」と藩内に知られるところとなっていきました。


西郷さんは、ニ才頭として後輩たちを指導していくのですが、大山巌や東郷平八郎らはみな、西郷さんからかわいがられた後輩たちでした。

下加治町の郷中の子供たちが、他の郷中に比べて立派であるとされ、彼らが模範とするリーダーの西郷さんの評判が高まっていったそうです。


また、西郷さんは16歳のとき、その才能を評価され、「郡方書役助(こうりかたかきやくたすく)」として藩に出仕しました。

これもまた、郷中教育で日々才能を磨いた努力の成果でしたが、このことは、あとに続く後輩にとっても大いに励みになったに違いありません。


『西郷隆盛 十の「訓え」』三笠書房



■「嘘をつくな」

ITやAIが進むと、ますます、「嘘や秘密が露見する」時代となる。

昨今の大手企業の一連の不祥事がこれを物語っている。

誰かがちょっとつぶやいただけで、それが拡散する時代だからだ。

だからこそ、現代は誠実さが求められる。

誠実な人は、「嘘をつかない」「公平無私である」「真面目である」等々の資質がある。


■「弱い者をいじめるな」

また、学校や社会においても「いじめ」の問題があるが、「動物は弱肉強食なのだから、弱い者はいじめられたり、切り捨てられても当然」という意見があり、唖然とした。

「弱い者をいじめるな」とは、卑怯なことを憎む心だ。

武士道においては、卑怯なこと、不正なことをもっとも憎む。

これは、勇気と対になる考えで、勇気がなければ実行できない。

自分だけが安全な高みにいて、弱き者、小さき者を見下したり、いじめたりする態度は人として最低の卑劣な行為だ。

こんなことは、自分がいじめられる立場になってみればすぐにわかることだ。

これは、「惻隠(そくいん)の情」でもある。

小さき者や弱き者を「あわれむ・不憫(ふびん)に思う」、「思いやる」気持ちのことだ。


■「負けるな」

「負けるな」に必要なのは、勇気だ。

真の勇気がなければ、己の弱さに勝てない。

不正に対して憤(いきどお)ることも同じ。


現代において、もっとも必要な訓え…

負けるな、嘘をつくな、弱い者をいじめるなの実践をしたい。






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