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宗教と道徳 その②

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、”宗教と道徳 その②”です。

前回のブログで宗教と道徳を純文学と大衆文学に例えて書きましたが、理解不足だったので、その②を追加しました。


ひろ ちさや氏の「禅入門」からの話です。

ある大正生まれの少女が、明治生まれの父と列車に乗った時(大阪~東京)のエピソードです。

行きの列車の車内は三等車で、車内はゴミだらけだったので、彼女は鼻をかんで座席の下にポンと捨てました。その時は、お父さんはなにも言わなかったそうです。
帰りの列車は一等車で、まわりに一つもゴミが落ちていなかったので、彼女は鼻をかんでそのゴミを捨てづにポケットに入れました。

すると、それを見ていた父が彼女を叱りました。
「おまえは、まわりがゴミだらけだとゴミを平気で棄て、まわりが綺麗だとすてられない。そんな主体性のない子供なのか」と。

お父さんは、娘に道徳を教えようとしたわけではありません。
”道徳”であれば、彼女がゴミを捨てた時に怒ったはずです。そうでなくて、彼女が周囲に動かされている。そういうだらしない人間であることに怒ったのです。

”これが宗教と道徳との違いなんだ” と父は教えてくれたのではないかと思ったといいます。


ひろ氏曰く、

つまり、宗教(仏教:禅)が何を教えているかといえば、 ”こだわるな” なんです。
わたしたちは、ゴミを汚いとこだわっています。その汚いと思う、おまえの心がが汚いぞ!と禅は教えています。

つまり、ものをきれい・汚いに分けて考えていると、人間までもきれい・汚いと差別して見るようになります。
みんな仏様の子であり、仏の子にきれいも汚いもないことを忘れてしまいます。
それが一番恐いことなんだと!

だから、禅は「差別するな!」 「きれい・汚いにこだわるな!」 「ゴミを気にするな!」と教えているのです。
道徳のように、「ゴミを棄てるな・ゴミを拾いましよう」という言葉は一切出てきません。
汚いそのままでいいんです!と。

また、ひろ氏は、仏教(禅)の基本原理を要約すると、下記のようになると言っています。

1、莫妄想(まくもうぞう)  …… 余計なことを考えるな!
2、一得一失         …… なんだっていい!
3、自灯明(じとうみょう)  …… 他人のことはほっとけ!
4、放下著(ほうげじゃく)  …… 常識を捨てろ!
5、竿頭進歩(かんとうしんぽ)… がんばるな!     


私もそうなんですが、今まで教えられた道徳(儒教)=世間の物差しで考えると、なかなか上記エピソードは理解できないと思います。(私もいまいちピーンときてません)
仏教(禅)は、道徳や世間の物差しでなく、仏様の物差しで見ていくしかないようです。

再度、宗教と道徳に挑みましたが、やっぱり表現するのは難しいですね!




宗教と道徳 その①

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、”宗教と道徳 その①”です。


宗教と道徳の性格の相違について、柴山 全慶老師(しばやま ぜんけい)が”純文学と大衆文学”になぞられて説明されていたので、ご紹介致します。






老師曰く、

「宗教と道徳とはもちろん相反するものではないが、全く相同じくするものでもない。

道徳は、大衆文学に似る。
善人がはじめの間は悪人に苦しめられるが、最後は善人が悪人に勝って、めだたしめでたしで幕を閉じる。
(私は、日本人の大好きなドラマ、「水戸黄門」や「遠山の金さん」をイメージしました)

道徳は、善をすすめ悪を懲らしめる勧善懲悪的な性格を持つ。


宗教は、それに引きかえて純文学である。
善悪は二の次で、まず人間性そのものを描写する。
人間の持つ弱点や醜悪な面を容赦なく摘出するから、道徳家は眉をひそめるが別に道徳を否定するわけではない。
道徳を批評するのが純文学で、勧善懲悪と相いれない点もあるのは止むおえない。」と語っておられます。


道徳は、その時代の人間の生活様式に随順します。
封建主義の時代には封建的道徳が、民主主義の時代には民主主義的な道徳が幅を利かしましす。
そういう意味では道徳は功利的で、その価値観は時代とともに異ってまいります。

私たちは、変化し続ける現象の根底に「変化しない永遠の真理なり存在」を求めずにはおれません。
それが何であるのかを学ぶのが宗教で、”永遠を学ぶ”ことが宗教の目的の1つだと思います。

永遠のいのちをふまえて、はじめて短い人生の意義が噛みしめられるようになります。

つまり、”死を身近なものと感じて、生を意識するようになるのではないのではないだろうか?” と思いましたが、”宗教と道徳”について書いていて、テーマがデカすぎて上手く表現できません。

柴山 全慶老師の ”宗教と道徳とは反しないが同じものでない”とのお言葉なんですが、「いまいちピーンときていない」というのが正直な感想です。

この”宗教と道徳”の関係性については、避けて通れない問題なので、もう少し理解できればと思っています。










外国人から見た日本人! その②

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、外国人から見た日本人 その②です。





前回のブログで、
多くの欧米人が観察していて、ほぼ共通していることは ”人々は貧しい。しかし幸せそうだ” 
欧米では一般的に裕福とは幸福を意味し、貧しいとは惨めな生活や道徳的堕落などの絶望的な境遇を意味していた。
しかしながら、この国ではまったくそうでないことに驚愕したのだった。

恐らく歴史上日本以外の世界のどこにも存在しなかった ”貧しいながら、平等で幸せで美しい国”、それが我が国だったのです。


以上のような内容で述べましたが、
では ”なぜ外国人にそのように見えたのか?” 藤原 正彦氏の著書を参考にして纏めてみました。



戦後、日本人は公への献身は軍国主義につながる危険な思想として、自らに言い聞かせ個人主義 自由 平等ばかりをもてはやしました。

そうして、人と人が情ではなく論理(契約)で結ばれた社会へと変化して、競争と評価の時代となりました。

その結果、会社では能力主義という名のもとで全員がライバルとなり、成果が上がらなければリストラという名の大なたで解雇されるようになっていきました。
つまり、弱者切り捨てで、弱い者いじめを恥としてきた”武士道精神”が完全に忘れられてしまったのです。

そのような社会の中で、家やコミニティーとの絆を失った人々は寄る辺のない浮草のようになってしまいました。


困った時には、「家族(親・兄弟・親戚)」 「共同体(ご近所)」 「仲間」が、”助けの手をさしのべる”という、かつてはどこにでもあった日本人の美風を我々は失いつつあるのです。

実はこの絆こそが ”貧しいけれど幸せそう” と日本に訪れた外国人が一様に驚いた正体ではないかと私は思うのです。

日本人にとって、金とか地位とか名声より 「家族(親・兄弟・親戚)」や「共同体(ご近隣)」や「仲間」などとの”つながり”こそが精神の安定をもたらすのもであり、幸福の源だったのではないかと思うからです。

彼らは貧しかったが、互いに気遣ったり助け合いながら、また夜這いをしたりエロ話をしたり、歌をうたったりして楽しく陽気に力強く生きていたのです。
私たちの祖先は、貧困や厳しい労働などに負けるようなやわな民族ではなかったのです。


現代風に分かり易くイメージすると、NHK朝ドラの「梅ちゃん先生」のイメージではないかな?と勝手に考えています。
梅子がピンチになったら、「家族が心配し、近所の連中がおせっかいをやき、仲間がそっと手をさしのべる」、このようなストリーに皆が共感するのは、日本人のDNAが生き続けている証拠ではないかと思います。





現在、家やコミニティーとの絆を失った人々が、不況の中でネットカフェ難民やホームレスとなったり、精神の不安定に追い込まれ自殺に走ったり、「誰でもいいから人を殺したかった」などという犯罪にはしった報道等を聞くと気の毒でなりません。

最新のアンケートでも、「ここ1年の間に自殺を考えたことがあるか」の質問に、なんと”日本人の20人に1人の方が考えたことがある”と回答したそうです。
「少子化問題」や「いじめ問題」にしても、根っこはここにあるような気がしてなりません。

”人々は貧しいかもしれないが、しかし幸せそうだ”と言わしめた我が国。
恐らく歴史上、世界のどこにも存在しなかった ”貧しいながら、平等で幸せで美しい国”だったはずの日本国が、なぜこんな不幸な国になってしまったのか!残念でなりません。

明治以降の日本の近代化、特に戦後の経済優先の社会体制は、”この国の絆を少しづつ削り取る作業”だったのではなかったのではないかと疑いをもたざるおえません。


私は日本人として生きていくのに、「家族(親・兄弟・親戚)」 「共同体(ご近所)」 「仲間」などとの「つながり」 が生きていくうえで ”一番大切になしなければならない宝物” ではないかと思いましたが、皆さんはどう思われますか?











外国人から見た日本人! その①

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、”外国人から見た日本人”です。

以前のブログで”日本人の気風・気概”について書きましたが、
今回は、日本を訪れた”外国人から見た日本人について”書かれた、渡辺 京二 著 「逝(ゆ)きし世の面影」の外国人が書いた手紙・手記・発言等から抜粋してご紹介します。



1、1549年、キリスト教布教のために日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが本国に送った手紙から




「この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は異教徒の中では見つけられていない。
彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がない。
驚くほど名誉心が強い人々で、他の何よりも名誉心を重んじる。
大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も貧しいことを不名誉とは思わない……」




2、イ1878年来日したギリス人女性旅行家で紀行作家のイザベラバードが、東北や北海道を旅行してこう書いた。






「ヨーロッパの国の多くや、所によってはわが国でも、
女性が外国の衣装で一人旅すれば現実の危険はないとしても、無礼や侮辱にあったり、お金をぼられたりするものだが、私は一度たりとも無礼な目に遭わなかったし、法外な料金をふっかけられたことがない」




3、1856年、通商条約を結ぶために来日したハリス提督は、その日記にこう記している。




「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。
これが人民の本当の幸福の姿というものだろう。
私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、この人々の普遍的な幸福を増進する所以(ゆえん)であるかどうか、疑わしくなる。
私は質素と正直の黄金時代を、いづれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。
生命と財産の安全、全般の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」




4、明治6年に来日し、そのまま38年間の日本に暮らし屈指の日本研究者となったイギリス人バジル・チェンバレンはこう記してます。




「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である。金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。……ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透している」





5、1921年~27年にフランス駐日大使を務めたポール・クローデルが、第二次世界大戦で日本の敗色が色濃くなった1943年、パリで言った。




「日本は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」




6、イギリスの詩人エドウィン・アーノルドは明治22年に来日し、ある講演で日本についてこう語りました。



「日本には、礼節によって生活を楽しいものにするという、普遍的な社会契約が存在する」

「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。……その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のように優しい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲であるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」


外国の人たちの証言から、
私たちの祖先は「勤勉」「正直」「親切」「謙虚」「素直」「感謝」といった徳目を規範に暮らしてきた民族だったことがわかります。
とりわけ、”名誉”については命よりも大切にしてきた民族です。

また、多くの欧米人が観察していて、ほぼ共通していることは ”人々は貧しい。しかし幸せそうだ” ということです。
当時の欧米では一般的に裕福とは幸福を意味し、貧しいとは惨めな生活や道徳的堕落などの絶望的な境遇を意味していました。
しかしながら、この国ではまったくそうでないことに驚愕したのでした。

恐らく歴史上日本以外の世界のどこにも存在しなかった ”貧しいながら、平等で幸せで美しい国”、それが我が国だったのです。


渡辺 京二 著 「逝(ゆ)きし世の面影」を読んで頂ければ、私が書いた外国人の視点からみた日本人像がはっきり分ると思います。
私も読んでる最中ですが、なかなかの名著ですよ!






最後に、
私は自分の事を日本人と思っていますが、先人が私を見たときに ”坂元は自分の事を日本人と思っているけれど、どうも我々とは何かが違うようだ” と言われそうで、”怖い”と真剣に思っているのは私だけでしょうか。

日本及び日本人の歴史を学んでいくと、”日本人が日本人でなくなったこと”で諸問題がおきているような気がしてなりません。

日本人が日本人でなくなったことが、”日本がかかえる諸問題の本質”ではないかと考えています。

















悪魔の兵器、地雷と戦う!

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、”悪魔の兵器、地雷と戦う”です。


カンボジアには約600万個の地雷が埋設されているといわれています。
地雷・不発弾を撤去するため、カンボジア政府機関やNGOの地雷撤去団体が活動しており、ディマイナーと呼ばれる地雷撤去員たちは40度を越す熱帯の過酷な環境下でまさに命がけの作業を続けています。




しかし、一瞬でも気を抜くと命を失う危険があり、さらにほとんどが手作業で慎重に行われるため、毎年撤去できる地雷の数は4万個〜5万個ほど。
撤去資金が不足しているため撤去隊員の数も不足しており、いまのペースだとカンボジア国内の地雷・不発弾すべてを撤去するには100年以上かかるといわれています。


その地雷撤去・根絶に立ちあがったのが、カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)代表の大谷 賢二氏です。

大谷氏曰は、初めてカンボジアを訪れた時、町でも村でもそこら中に地雷で手足を失った人がいるのを見て愕然としました。
強い憤りと悲しみを覚えて、なんとか現地の人の力になりたいと考え、地雷撤去や被害者救済活動に取り組むようになりました。








大谷氏曰く、なぜ地雷が悪魔の兵器なのかの理由の1つが”残存性”です。
一度埋められた地雷は、誰かが踏んで爆発するか、あるいは撤去しない限り半永久的に作動するのです。
地雷は敵方の経済活動を破壊するという目的をもつため、農作物がたくさん採れる田畑や水汲場、木の実や木材をとる山林や人の集まる広場などに多く埋められ、人を苦境に追い込んでいます。


悪魔の兵器と言われる2つ目の理由は、”無差別性”です。
地雷はいったん埋めてしまうと、どこに埋まっているか分からなくなるので、兵士と民間人、大人と子供の区別なく、踏んだ人の足元で爆発するのをずっと待ちつづけるのです。
これらの非人道的特性を思えば、まさしくそう呼ぶにふさわしい兵器です。


悪魔の兵器と言われる3つ目の理由は、”残虐性”です。
対人地雷は、殺すことよりも怪我をさせることを目的に開発された兵器です。
その理由は被害に遭ったとき、周りの目撃者に精神的打撃と恐怖心を起こさせるため、そして同時に救護するために負傷兵を後方に運ぶのに多くの兵力がさかれ、その後の治療やリハビリに多大の費用を要し、敵の経済的負担を負わせるためです。
地雷の被害に遭った者は文字通り、ボロキレのように手足をずたずたに引き裂かれ、吹き飛ばされ、飛び散った破片で傷つけられ、生き残ることができるのは二人に一人と言われます。
生き延びた被害者は、手足の切断、失明などの重度の障害が残ります。恐ろしく残酷な兵器なのです。



このような悪魔の兵器”地雷”の撤去・根絶のために、カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)代表の大谷 賢二氏を通じて色々な支援方法がありますので、ご紹介します。

有志の方は、ご協力をお願いします。





1、募金をする

あなたのポケットにある100円玉1枚で1平方メートルの地雷原をクリーンにすることができます。
また、6,000円~20,000円で被害に苦しんでいる子どもたちに義足を提供することができます。

月々一口500円からの口座自動引き落としによる支援です。(※ご希望の金額を指定頂けます)
月々1口500円×1年で、約60平方メートルの地雷原をクリーンにすることができます



2、活動を広める

<CMCグッズの購入>
カンボジアのポストカードやステッカー、CMCの出版物などを販売しています。
これらの収益は、国内での地雷問題普及活動や現地カンボジアでの地雷撤去、被害者救済のために活用させて頂きます。
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<講演の依頼>
地雷問題の緊急性を広く伝えるため、小学校から大学、各団体からの授業や講演依頼を受け付けています。
カンボジアの厳しい現状は、日本の子どもたちに大きなショックを与え、国際理解への第一歩となります。
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<リンクを貼る>
カンボジアの現状をより多くの方に知って頂くことが、地雷被害に苦しむ方々の支援に繋がります。
CMCの活動をホームページやブログで取り上げて頂ける方は、下記バナーをご自由にお使い下さい。



3、募金箱の設置

<CMC募金箱>
CMCの活動を支える募金箱を設置して頂ける場所を募集しています。寄せられた資金は地雷の現実を知らせる広報活動やカンボジア現地での被害者救済に使われます。100円玉1枚で1平方メートルの地雷原(地雷が埋まっている場所)をきれいにできます。
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<書き損じハガキ回収箱>
書き損じなどで使用できなくなったハガキを回収する箱を設置して頂ける場所を募集しています。集まった書き損じハガキは、女性ディマイナー(撤去隊員)への支援金となります。



4、ボランティアに参加

<イベント企画・運営>
カンボジア地雷問題啓発のため、国際協力イベントやフリーマーケットに出店し、写真や模型展示、カンボジア民芸品などの販売を行って頂きます。
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<事務作業>
「女性ディマイナー(撤去隊員)支援のための書き損じハガキ回収プログラム」などで集まったハガキやテレホンカード、切手などの仕分け作業を手伝って頂きます。
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<動画編集>
CMCの活動を知らせるための動画映像を編集し、ユーチューブや福岡天神の大型ビジョンなどで放映します。







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鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

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