一沈一珠「いっちんいっしゅ」
テーマ:ブログ
2012/12/30 11:32
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、”一沈一珠「いっちんいっしゅ」”です。
この言葉は、青森在住の木村将人さんが大学生の頃に、アルバイト先で知り合った大学浪人中の相棒から聞いた話です。
木村さんは森信三先生のお弟子さんです。
木村さんは長い間、青森県各地で中学校の教師を務められた方で、随分前に出版した自著のタイトルが『一沈一珠』でした。

その本の中で、木村さんがこのようなことを書かれています。
木村さんが大学生の頃のことです。
数日間2人1組で肉体的に非常にきついアルバイトをしていた相棒と一緒に布団を並べて天井を見ながら、朝まで語り明かしたことがあるそうです。
大学浪人のその相棒は木村さんに、こんな話をしたといいます。
「自分は母一人子一人の身なのだが、きっと大学に入って母を安心させてやりたい。 そして卒業して仕事に就いて母を楽にさせてやりたい」 そして、こう続けたそうです。
「自分は小さい頃から、一沈一珠という言葉をいつも心の中でかみしめながら頑張ってきた。
あの海女が、いったん海に潜ったら、どんなに息が苦しくなっても、 一個の真珠貝を見つけ出すまでは決して浮上しない、というところからこの言葉はできたらしい。
自分はいままで何度もつらい思いをしてきたけれど、この言葉を思い出し生きてきた」と。

一夜一緒にアルバイトした相棒が漏らしたこの言葉を、木村さんはいまも忘れられないといいます。
これで、24年度の靴修理店 店長ブログは終わります。
皆さま、よいお年をお迎えください。
今回は、”一沈一珠「いっちんいっしゅ」”です。
この言葉は、青森在住の木村将人さんが大学生の頃に、アルバイト先で知り合った大学浪人中の相棒から聞いた話です。
木村さんは森信三先生のお弟子さんです。
木村さんは長い間、青森県各地で中学校の教師を務められた方で、随分前に出版した自著のタイトルが『一沈一珠』でした。

その本の中で、木村さんがこのようなことを書かれています。
木村さんが大学生の頃のことです。
数日間2人1組で肉体的に非常にきついアルバイトをしていた相棒と一緒に布団を並べて天井を見ながら、朝まで語り明かしたことがあるそうです。
大学浪人のその相棒は木村さんに、こんな話をしたといいます。
「自分は母一人子一人の身なのだが、きっと大学に入って母を安心させてやりたい。 そして卒業して仕事に就いて母を楽にさせてやりたい」 そして、こう続けたそうです。
「自分は小さい頃から、一沈一珠という言葉をいつも心の中でかみしめながら頑張ってきた。
あの海女が、いったん海に潜ったら、どんなに息が苦しくなっても、 一個の真珠貝を見つけ出すまでは決して浮上しない、というところからこの言葉はできたらしい。
自分はいままで何度もつらい思いをしてきたけれど、この言葉を思い出し生きてきた」と。

一夜一緒にアルバイトした相棒が漏らしたこの言葉を、木村さんはいまも忘れられないといいます。
これで、24年度の靴修理店 店長ブログは終わります。
皆さま、よいお年をお迎えください。
「和」で動く日本人 その②
テーマ:ブログ
2012/12/26 16:58
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「和」で動く日本人 その②です。
前回のブログ”「和」で動く日本人 その①”で日本人は古来より”和を以て貴しと為す”ことを最優先して暮らしてきた民族だと説明しました。
しかしながら、その”和を以て貴しと為す”が崩れる時代があります。
代表的なのが、戦国時代と明治維新~日露戦争、戦後の復興期の時代で、実力の時代です。
その間の江戸時代は典型的な”和を以て貴しと為す”の時代でした。
戦国時代は、一族の平和のために領主に戴いても、戴いた人がバカであれば、一族はみな滅びてしまいます。
こういう時代は、やはり和よりも能力があって、戦いに勝ってくれる人を殿様に担ぐようになります。
つまり、”和の時代”より”実力の時代”となります。

ところが、徳川家康が天下を取ると、再び」”和の原理”に立ち返ります。
実力で天下を取った家康であったが、彼が感じたのは ”実力の時代は人間を幸せにしない”ということだったのです。

そして、儒教を徳川幕府の中心的学問に据え”分を重んずる”ことを基本としました。
その「分」というものは何を基準にすればいいのか?そこで家康が着目したのが”生まれた順番”と”男女の区別”でした。
家督相続では、どんなに能力があっても自分より早く生まれた人の年は追い越せませんし、男女は絶対的な区別です。
将軍がこれをやるものだから、大名もその家臣、どこの家でも”なるほど長男”というものはそういうものなのか、と考えるわけでお家は安泰になります。
誰が考えても理不尽な長子相続が割合スムーズになり、長子相続以外のことをやろうとすると、ものすごいお家騒動が起こるようになります。
日本では古来から、”能力を表立てると治まりにくい国”であるという本質を家康は見抜き、太平の世の礎を築いたのだと思います。
しかしながら江戸の後期に、騎馬民族の伝統を受け継ぐ欧米が圧倒的な武力を背景に押し寄せて来て、明治維新となりました。つまり戦国時代以来の”実力の時代となりました。
この実力の時代は、維新~日露戦争まで続きましたが、日露戦争でロシアに勝ってしまうと当面の敵国はいなくなり、日本はまったくの安泰の国になってしまいました。

そうなると、本来ならば実力争いの本家本元であるべき陸軍・海軍の人事養成が、「和を以て貴しと為す」とするようになったのです。
つまり、能力よりも学校での成績が重要視されるようになったのです。
そして、そのままの体質で太平洋戦争に突き進んでいきました。
戦争という”実力の時代”であるべき時に、日本軍隊は戦う集団であるより、内部の和を保つ集団のままで、開戦したのでした。その結果は悲惨なものとなりました。
こうして日本は敗戦をむかえて、また実力の時代に戻りますが、世の中が落ち着くと実力より和を重んじるようになります。
その典型が公務員(官僚)です。
能力より和なのです。業績よりもヘマをやらないことのほうが重要となりました。
現在の日本は超少子高齢化社会を迎え、10年後20年後の展望が見えず景気は停滞し、人々のあいだには閉塞感が漂っています。
現在の日本は、元寇・明治維新・日露戦争・戦後復興期に匹敵するような国難に陥っているのではないかと思います。
戦後のGHQの行った政策や市場原理主義が日本及び日本人の国体を傷つけ、それにより取り返しのつかない状況になりつつあるというのが現状ではないでしょうか。
歴史の教訓として、「実力の時代に和を貴ぶ体制」は、必ず不幸な結果になります。現在は実力の時代なのです。それを和を重んじているようでは日本国はだめになってしまいます。
それが、現在の政治であり、国民の不満の根源ではないかと考えています。
今回は、「和」で動く日本人 その②です。
前回のブログ”「和」で動く日本人 その①”で日本人は古来より”和を以て貴しと為す”ことを最優先して暮らしてきた民族だと説明しました。
しかしながら、その”和を以て貴しと為す”が崩れる時代があります。
代表的なのが、戦国時代と明治維新~日露戦争、戦後の復興期の時代で、実力の時代です。
その間の江戸時代は典型的な”和を以て貴しと為す”の時代でした。
戦国時代は、一族の平和のために領主に戴いても、戴いた人がバカであれば、一族はみな滅びてしまいます。
こういう時代は、やはり和よりも能力があって、戦いに勝ってくれる人を殿様に担ぐようになります。
つまり、”和の時代”より”実力の時代”となります。

ところが、徳川家康が天下を取ると、再び」”和の原理”に立ち返ります。
実力で天下を取った家康であったが、彼が感じたのは ”実力の時代は人間を幸せにしない”ということだったのです。

そして、儒教を徳川幕府の中心的学問に据え”分を重んずる”ことを基本としました。
その「分」というものは何を基準にすればいいのか?そこで家康が着目したのが”生まれた順番”と”男女の区別”でした。
家督相続では、どんなに能力があっても自分より早く生まれた人の年は追い越せませんし、男女は絶対的な区別です。
将軍がこれをやるものだから、大名もその家臣、どこの家でも”なるほど長男”というものはそういうものなのか、と考えるわけでお家は安泰になります。
誰が考えても理不尽な長子相続が割合スムーズになり、長子相続以外のことをやろうとすると、ものすごいお家騒動が起こるようになります。
日本では古来から、”能力を表立てると治まりにくい国”であるという本質を家康は見抜き、太平の世の礎を築いたのだと思います。
しかしながら江戸の後期に、騎馬民族の伝統を受け継ぐ欧米が圧倒的な武力を背景に押し寄せて来て、明治維新となりました。つまり戦国時代以来の”実力の時代となりました。
この実力の時代は、維新~日露戦争まで続きましたが、日露戦争でロシアに勝ってしまうと当面の敵国はいなくなり、日本はまったくの安泰の国になってしまいました。

そうなると、本来ならば実力争いの本家本元であるべき陸軍・海軍の人事養成が、「和を以て貴しと為す」とするようになったのです。
つまり、能力よりも学校での成績が重要視されるようになったのです。
そして、そのままの体質で太平洋戦争に突き進んでいきました。
戦争という”実力の時代”であるべき時に、日本軍隊は戦う集団であるより、内部の和を保つ集団のままで、開戦したのでした。その結果は悲惨なものとなりました。
こうして日本は敗戦をむかえて、また実力の時代に戻りますが、世の中が落ち着くと実力より和を重んじるようになります。
その典型が公務員(官僚)です。
能力より和なのです。業績よりもヘマをやらないことのほうが重要となりました。
現在の日本は超少子高齢化社会を迎え、10年後20年後の展望が見えず景気は停滞し、人々のあいだには閉塞感が漂っています。
現在の日本は、元寇・明治維新・日露戦争・戦後復興期に匹敵するような国難に陥っているのではないかと思います。
戦後のGHQの行った政策や市場原理主義が日本及び日本人の国体を傷つけ、それにより取り返しのつかない状況になりつつあるというのが現状ではないでしょうか。
歴史の教訓として、「実力の時代に和を貴ぶ体制」は、必ず不幸な結果になります。現在は実力の時代なのです。それを和を重んじているようでは日本国はだめになってしまいます。
それが、現在の政治であり、国民の不満の根源ではないかと考えています。
「和」で動く日本人 その①
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2012/12/21 15:32
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「和」で動く日本人です。
日本人の和の精神をあぶりだす為に、騎馬民族と対比しながら話してみます。

日本は農耕民族です。
農耕民族の特徴は、なんといっても、土地に対する執着が強いことが挙げられます。
どこの国の人間も理解できないぐらい、土地というものに敏感で、隣家との境が1センチでも違えば争いになってしまいます。
これに反して、騎馬民族は土地などあまり気にしない。
隣との境などを気にしていたら自分の家畜は全滅してしまいます。
親類だろうが何だろうが、できるだけ離れて生活するように決められています。
近寄れば、お互いに滅びてしまうからなのです。
つまり、農耕民族はピッタと近寄って住み、騎馬民族はパラッと離れて住まなければならないのです。

騎馬民族の社会はものすごい実力主義で、
たとえばリーダーの判断が間違って、牧草のないところに連れて行けば家畜は全滅してしまい、家畜が死ねば人間も死んでしまいます。
ところが農耕民族の社会では、それほど実力のあるリーダーを必要としない。まとめ役がいればよいのです。
また、農耕民族は”住む”という事に関しては非常に不自由で、好き勝手なところに住むわけにはいきません。
そのため未来永劫、隣人は変わらないと考えなければなりませんでした。
そこから、近所の人に不義理なことをしてはいけないといった考え方がでてくるようになります。
「盗むな」 「殺すな」 「火を出すな」 「お上に訴えるな」というような原則です。

それに反して騎馬民族は、明日はまた別の人間と一緒になるかもしれないし、気にくわない奴とは離れればいいというように、人間関係が自由です。
このようにして見てみると日本人の特徴がわかってきます。
だから、そこに働く社会の原理は「正義」ではなく、一番重要なのは「人の和」なのです。
聖徳太子が ”和を以て貴しと為す” と言ったのは、正義よりも和が重要であることを知っていたからだと思います。

聖徳太子は、憲法17条の一条で「和を保つためにものごとは話し合いで決めなさい」と書き、最後の17条にも「重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに議論すべきである」と書いています。
そして、最後は「多くの人びととともに論じ是非を弁(わきま)えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである」と結んでいます。
「話し合いを重んじる」 「話し合いさえすれば、ものごとは全てうまくいく」 という考え方が日本人の共通原理となっていることを、初めて文面にしたのが憲法十七条なのではないでしょうか。
これこそが、現在までの日本人全体を支配している「和の精神 和の原理」ではないかと思います。
今回は、「和」で動く日本人です。
日本人の和の精神をあぶりだす為に、騎馬民族と対比しながら話してみます。

日本は農耕民族です。
農耕民族の特徴は、なんといっても、土地に対する執着が強いことが挙げられます。
どこの国の人間も理解できないぐらい、土地というものに敏感で、隣家との境が1センチでも違えば争いになってしまいます。
これに反して、騎馬民族は土地などあまり気にしない。
隣との境などを気にしていたら自分の家畜は全滅してしまいます。
親類だろうが何だろうが、できるだけ離れて生活するように決められています。
近寄れば、お互いに滅びてしまうからなのです。
つまり、農耕民族はピッタと近寄って住み、騎馬民族はパラッと離れて住まなければならないのです。

騎馬民族の社会はものすごい実力主義で、
たとえばリーダーの判断が間違って、牧草のないところに連れて行けば家畜は全滅してしまい、家畜が死ねば人間も死んでしまいます。
ところが農耕民族の社会では、それほど実力のあるリーダーを必要としない。まとめ役がいればよいのです。
また、農耕民族は”住む”という事に関しては非常に不自由で、好き勝手なところに住むわけにはいきません。
そのため未来永劫、隣人は変わらないと考えなければなりませんでした。
そこから、近所の人に不義理なことをしてはいけないといった考え方がでてくるようになります。
「盗むな」 「殺すな」 「火を出すな」 「お上に訴えるな」というような原則です。

それに反して騎馬民族は、明日はまた別の人間と一緒になるかもしれないし、気にくわない奴とは離れればいいというように、人間関係が自由です。
このようにして見てみると日本人の特徴がわかってきます。
だから、そこに働く社会の原理は「正義」ではなく、一番重要なのは「人の和」なのです。
聖徳太子が ”和を以て貴しと為す” と言ったのは、正義よりも和が重要であることを知っていたからだと思います。

聖徳太子は、憲法17条の一条で「和を保つためにものごとは話し合いで決めなさい」と書き、最後の17条にも「重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに議論すべきである」と書いています。
そして、最後は「多くの人びととともに論じ是非を弁(わきま)えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである」と結んでいます。
「話し合いを重んじる」 「話し合いさえすれば、ものごとは全てうまくいく」 という考え方が日本人の共通原理となっていることを、初めて文面にしたのが憲法十七条なのではないでしょうか。
これこそが、現在までの日本人全体を支配している「和の精神 和の原理」ではないかと思います。
風が吹けば桶屋が儲かる
テーマ:ブログ
2012/12/17 17:04
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「風が吹けば桶屋が儲かる」です。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がありますが、意味を辞書に聞くと、 「まるで無関係に見えるのに、因果関係がある」 ということです。

具体的には、
風が吹く→ 砂埃が目に入る→目を患って、盲目の人が増える→ 盲目の人は生計を立てるために三味線を弾く→
三味線を弾く人が増える→ 三味線に使用している皮(猫の皮)が大量に必要となる→ 猫が減る→ 天敵の猫が減
り、ネズミが増えて桶をかじり壊してしまう→ 桶屋が儲かる。という流れで桶屋が儲かる話です。
仮に、これらの一連の出来事(風が吹く→ 砂埃が目に入る→目を患って、盲目の人が増える→ 続く…)が2分の1の確率で、10回連続で起こったとしたら、桶屋が儲かる確率は、1024分の1程度となりますが、実際は1つ1つの出来事がもっと低い確率で、かつその連続なので、「限りなくゼロに近い確率」になるのではないかと思います。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という出来事に反論して、ちっと ”ぼやいて” みます。
まず、風が吹いて砂埃が目に入る~?
そんな事は自分の経験からも稀だし、危険だと思ったら目とか鼻をカードするから、まず砂埃が目に入ることはまずないんじゃない!

仮に砂埃が目に入ったとしても盲人になる~?
砂埃が目に入ったら水で目を洗えばだいたいOKだし、砂埃で盲人になったって聞いたことがないし、一般的にはありえないんじゃない!
盲人が生計を立てるために三味線を弾くこともあるだろうけど、その他の仕事も色々とあるんじゃないの?
そうしたら、三味線を弾く人がそんなに増えないから、猫は減らないんじゃない~?
三味線の需要が高まれば、猫の革以外にもいい素材が開発されるんじゃない?
ネズミが増え過ぎたら、ネズミを捕獲する装置が開発されるんじゃない?
だからネズミはそんなに増えないんじゃないの?
ネズミが桶ばかりかじるとは限らないんじゃない?
ネズミがかじれない丈夫な素材の桶ができるんじゃない?
等々ととりとめもなく、ぼやいてみました。

「風が吹けば桶屋が儲かる」という意味は、
私的には「限りなく奇跡に近い出来事の連続なので、一般的にはありえない事のたとえ」とか「確率の薄い事柄を並べた論理を進めていくので、信憑性に欠ける話もたとえ」という事になるのですが、皆さんはどう思いますか!
師走の忙しい時期に 「くだらない ぼやき」にお付き合い頂き、誠に有難うございました。
今回は、「風が吹けば桶屋が儲かる」です。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がありますが、意味を辞書に聞くと、 「まるで無関係に見えるのに、因果関係がある」 ということです。

具体的には、
風が吹く→ 砂埃が目に入る→目を患って、盲目の人が増える→ 盲目の人は生計を立てるために三味線を弾く→
三味線を弾く人が増える→ 三味線に使用している皮(猫の皮)が大量に必要となる→ 猫が減る→ 天敵の猫が減
り、ネズミが増えて桶をかじり壊してしまう→ 桶屋が儲かる。という流れで桶屋が儲かる話です。
仮に、これらの一連の出来事(風が吹く→ 砂埃が目に入る→目を患って、盲目の人が増える→ 続く…)が2分の1の確率で、10回連続で起こったとしたら、桶屋が儲かる確率は、1024分の1程度となりますが、実際は1つ1つの出来事がもっと低い確率で、かつその連続なので、「限りなくゼロに近い確率」になるのではないかと思います。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という出来事に反論して、ちっと ”ぼやいて” みます。
まず、風が吹いて砂埃が目に入る~?
そんな事は自分の経験からも稀だし、危険だと思ったら目とか鼻をカードするから、まず砂埃が目に入ることはまずないんじゃない!

仮に砂埃が目に入ったとしても盲人になる~?
砂埃が目に入ったら水で目を洗えばだいたいOKだし、砂埃で盲人になったって聞いたことがないし、一般的にはありえないんじゃない!
盲人が生計を立てるために三味線を弾くこともあるだろうけど、その他の仕事も色々とあるんじゃないの?
そうしたら、三味線を弾く人がそんなに増えないから、猫は減らないんじゃない~?
三味線の需要が高まれば、猫の革以外にもいい素材が開発されるんじゃない?
ネズミが増え過ぎたら、ネズミを捕獲する装置が開発されるんじゃない?
だからネズミはそんなに増えないんじゃないの?
ネズミが桶ばかりかじるとは限らないんじゃない?
ネズミがかじれない丈夫な素材の桶ができるんじゃない?
等々ととりとめもなく、ぼやいてみました。

「風が吹けば桶屋が儲かる」という意味は、
私的には「限りなく奇跡に近い出来事の連続なので、一般的にはありえない事のたとえ」とか「確率の薄い事柄を並べた論理を進めていくので、信憑性に欠ける話もたとえ」という事になるのですが、皆さんはどう思いますか!
師走の忙しい時期に 「くだらない ぼやき」にお付き合い頂き、誠に有難うございました。
和歌の前の平等!
テーマ:ブログ
2012/12/13 15:09
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、”和歌の前の平等”です。
古代においては、どの国も身分階層制度でした。
平等思想などは比較的新しい概念であり、身分による差別が平気で行われていました。
しかし、その“身分”を超越するものがあります。
それが「〇〇〇の下に平等」という考え方です。
キリスト教圏においては「万人は神の下に平等」ということになります。
古代ローマでは「法の下に平等」でした。
ローマ帝国は様々な異民族を内包していたので、公平の基準を「法」に置いたのです。
では、日本はどうだったか?
日本も古代においては明確な氏族制度を取っていました。その身分差を超越するものは何であったか?
それが ”和歌” だったのです。

万葉集の作者は、上は天皇から下は農民や兵士、遊女・乞食に至るまでが入っており、男女の差別もありません。
また、地域も東国、北陸、九州の各地方を含んでいて、文字通り国民的歌集です。
これこそが、信じがたい奇跡ではないでしょうか。
なぜなら、撰者は大伴家持など朝廷において重要な位置を占める貴族だったからです。
国家的事業として宮廷文化を誇るためならば、宮廷にかかわる高貴な人物の歌だけを集めればよいと考えるのが当然ではないでしょうか。
なにも庶民の歌などを選ぶ必要はないのです。

例えば、世界の歴史を振り返ると、国民すべてが国家的なことに参加できるというのは非常に近代的な概念です。
それが制度として現れたのは選挙権で、選挙に一般庶民が参加できるようになったのは最近のことで、女性が参加できるようになったのはさらに最近のことです。
しかしながら、日本においては千数百年前から、”和歌の下に万人平等”という思想があったのです。
日本には古くから言霊信仰があって、言葉には霊力があると信じられていました。
日本語というものに特別な尊敬心があり、それを上手く使える人は、人の心を動かすことができると考えられていました。
それゆえに、”和歌ができる人は天皇と同じ本(万葉集)に名前を入れる価値がある” という発想があったのではないかと思われます。
万葉集における「歌聖」として尊敬を受けている柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)にせよ、山部赤人(やまべのあ
かひと)にせよ、決して身分は高くありません。
特に柿本人麻呂は素性も知れぬ賎しい出身であると言われますが、しかし現代でも和歌の神様として崇拝されています。

このように、日本においては和歌の下に万民は平等であり、貴賎は問われなかったのです。
世界中の人々が、古代日本では ”和歌の前では平等だった”という思想があり、国家的事業の万葉集に上は天皇から下は農民や兵士、遊女・乞食に至るまでの和歌が入っており、男女の差別もなかったことを知ったら、びっくらこくのではないでしょうか。
こんな国は世界史の中でも、日本国しかないのではないでしょうか。
現在の歌謡曲にも5・7句で4拍子の構成のものが多いのは、日本人の体内に刻まれたリズムのせいかもしれないし、日本の歌謡にはしっくり合うから不思議なんですね!

また、以前紹介したデーターですが2007年4月、Technorati社が発表した「世界のブログで最も使われているのは日本語」という調査結果があります(http://bit.ly/96oxNY)。
世界中のブログを総計した結果、日本語サイトが37%を占め、英語36%を上回ったというものです。現在、ブログ検索エンジン「Technorati」が追跡しているブログの数は全世界で7000万。
そのうち日本語で投稿された記事数は全体の37%で英語圏を抜いてついに1位に。発表された内容を読んでみると、ブログ数ではなくて「記事の投稿数」らしいのです。
そこに現代版・万葉集といわれる ”2ちゃんねる” や ”ツィツター” を加えると世界中の人々がびっくらこくのではないかと思います。(笑い)
現代の若い世代がケータイで猛烈に情報を発信している状況がデータとして表れ、日本人がシャイでもコミュニケーション下手でもなく、世界のトップを行く「文化先進国社会」たることが示されたのではないでしょうか。
この結果は決して偶然ではないと私は思います。
日本において、和歌の下に万民は平等であり、貴賎は問われなかったという伝統に基づく結果ではないかと推測しています。
今回は、”和歌の前の平等”です。
古代においては、どの国も身分階層制度でした。
平等思想などは比較的新しい概念であり、身分による差別が平気で行われていました。
しかし、その“身分”を超越するものがあります。
それが「〇〇〇の下に平等」という考え方です。
キリスト教圏においては「万人は神の下に平等」ということになります。
古代ローマでは「法の下に平等」でした。
ローマ帝国は様々な異民族を内包していたので、公平の基準を「法」に置いたのです。
では、日本はどうだったか?
日本も古代においては明確な氏族制度を取っていました。その身分差を超越するものは何であったか?
それが ”和歌” だったのです。

万葉集の作者は、上は天皇から下は農民や兵士、遊女・乞食に至るまでが入っており、男女の差別もありません。
また、地域も東国、北陸、九州の各地方を含んでいて、文字通り国民的歌集です。
これこそが、信じがたい奇跡ではないでしょうか。
なぜなら、撰者は大伴家持など朝廷において重要な位置を占める貴族だったからです。
国家的事業として宮廷文化を誇るためならば、宮廷にかかわる高貴な人物の歌だけを集めればよいと考えるのが当然ではないでしょうか。
なにも庶民の歌などを選ぶ必要はないのです。

例えば、世界の歴史を振り返ると、国民すべてが国家的なことに参加できるというのは非常に近代的な概念です。
それが制度として現れたのは選挙権で、選挙に一般庶民が参加できるようになったのは最近のことで、女性が参加できるようになったのはさらに最近のことです。
しかしながら、日本においては千数百年前から、”和歌の下に万人平等”という思想があったのです。
日本には古くから言霊信仰があって、言葉には霊力があると信じられていました。
日本語というものに特別な尊敬心があり、それを上手く使える人は、人の心を動かすことができると考えられていました。
それゆえに、”和歌ができる人は天皇と同じ本(万葉集)に名前を入れる価値がある” という発想があったのではないかと思われます。
万葉集における「歌聖」として尊敬を受けている柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)にせよ、山部赤人(やまべのあ
かひと)にせよ、決して身分は高くありません。
特に柿本人麻呂は素性も知れぬ賎しい出身であると言われますが、しかし現代でも和歌の神様として崇拝されています。

このように、日本においては和歌の下に万民は平等であり、貴賎は問われなかったのです。
世界中の人々が、古代日本では ”和歌の前では平等だった”という思想があり、国家的事業の万葉集に上は天皇から下は農民や兵士、遊女・乞食に至るまでの和歌が入っており、男女の差別もなかったことを知ったら、びっくらこくのではないでしょうか。
こんな国は世界史の中でも、日本国しかないのではないでしょうか。
現在の歌謡曲にも5・7句で4拍子の構成のものが多いのは、日本人の体内に刻まれたリズムのせいかもしれないし、日本の歌謡にはしっくり合うから不思議なんですね!

また、以前紹介したデーターですが2007年4月、Technorati社が発表した「世界のブログで最も使われているのは日本語」という調査結果があります(http://bit.ly/96oxNY)。
世界中のブログを総計した結果、日本語サイトが37%を占め、英語36%を上回ったというものです。現在、ブログ検索エンジン「Technorati」が追跡しているブログの数は全世界で7000万。
そのうち日本語で投稿された記事数は全体の37%で英語圏を抜いてついに1位に。発表された内容を読んでみると、ブログ数ではなくて「記事の投稿数」らしいのです。
そこに現代版・万葉集といわれる ”2ちゃんねる” や ”ツィツター” を加えると世界中の人々がびっくらこくのではないかと思います。(笑い)
現代の若い世代がケータイで猛烈に情報を発信している状況がデータとして表れ、日本人がシャイでもコミュニケーション下手でもなく、世界のトップを行く「文化先進国社会」たることが示されたのではないでしょうか。
この結果は決して偶然ではないと私は思います。
日本において、和歌の下に万民は平等であり、貴賎は問われなかったという伝統に基づく結果ではないかと推測しています。