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人格を磨けば学力は伸びる

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、前回に続き国際派日本人養成講座・伊勢雅臣の、「人格を磨けば学力は伸びる ~ 江戸川学園の「人づくり」革命」です。

本日紹介する 茨城県取手市の江戸川学園取手中・高等学校、略称は「江戸取」には、生徒たちが仲間意識を持って、勉強に、スポーツに打ち込む「人づくり」がおこなわれています。
その「人づくり」がどのような理念のもと、どのようにして現場でおこなわれているのか具体的に紹介されていますので、参考にしていただければ幸いです。






■1.「東大、甲子園、花園(ラグビー)」を目指せ」■

 茨城県取手市の江戸川学園取手中・高等学校、略称は「江戸取」。開校は25年前の昭和53年で、一期生は公立高校には入れない生徒も多く、約80%が偏差値30台だった。リーゼントや長スカートの不良スタイルが目立ち、トイレからは煙草の吸い殻が出てくる。

 創設時からの校長・高橋鍵彌(けんや)氏は「東大、甲子園、花園(ラグビー)」を目指せ」と言い続けた。開校3年目に野球部は甲子園に出場。7期生から東大合格者が出始めた。23期生となると、東大18名を含め国公立178名、早稲田・慶応・上智・東京理科大に335名という堂々たる成績を納めた。スポーツでは野球部に続いて、空手部・漕艇部は全国大会優勝、陸上部・アメフト部は全国大会出場を果たした。まさに文武両道を地でいく実績をあげるようになった。

 こうした成果を生みだしているのが、高橋校長の「人格を磨けば、学力は伸びる」という教育方針である。


■2.勉強にも部活動にも高い集中力■

 その一例を紹介しよう。15期生のSさん。陸上部に所属し、中等部1年から高等部3年の秋まで、毎日、陸上部で走り続けた。入学当初の成績は平均より少し良い程度だったが、一年を終わる頃には男子生徒を退けて、学年トップに躍り出た。

 大学受験では超難関の東大理科三類(医学)を受けるかどうか、迷った。模擬試験の合格率は20%からせいぜい60%どまり。東大理三には江戸取ではまだ誰も合格していなかったので、本人は大学のランクを下げようか、と考えていた。

 高橋校長は、Sさんに「陸上部であれだけがんばれたのだから、自信をもって挑んだほうがいい」と励ました。Sさんは見事に東大理三に合格し、大学でも陸上部に所属。現在は総合病院で活躍しながら、名古屋女子国際マラソンなどにも出場している。高橋校長は言う。

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 運動部に限らず、文化部でも何でもいい。ピアノやバイオリンのような楽器でもいいのです。とにかく一つに一生懸命打ち込める生徒は、勉強にも高い集中力を発揮します。机に向かっている時間は同じでも、密度が濃いのです。

 教科の先生達は、Sさんはとにかく熱心に授業を聞いていたと言います。それは私の道徳の授業でも同様でした。[1,p180]
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■3.人間らしさの3つの要素■

 どうしたらSさんのような生徒を輩出できるのだろう。高橋校長はまず「人間らしくあるための3つの要素」を説く。

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 私は、人が人間らしくあるためには、知識、情操、意志の三つの要素が整うことが必要だと考えています。「情操」とは、思いやり、親切心、美しいものを観たり聴いたりしたときに素直に感動できる豊かな心です。「意志」は、困難に負けない我慢強さや根気強さ、とも言えるでしょう。

・・・人が人間らしくあるためには、まず確固たる意志の力(C)、そして豊かな情操(B)が必要です。このBとCの部分が人格をつくります。知識(A)は、このB・C部分に支えられて成り立つ。[1,p21]

 つまり、人が人間らしく生きるためにはまずB・C部分をしっかり磨くことが必要で、これができていればAの知識にも良い影響を与えます。B・Cさえがっちり磨いておけば、Aは生涯を通じていつでも向上させることができるのです。ゆえに、私は生徒たちの心の教育にこだわるのです。[1,p24]
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 生徒の知識のみを伸ばそうとする「詰め込み教育」、またそれの反動としての「ゆとり教育」は、ともに「知識」だけに注目して、「情操」や「意志」という部分には着目していなかった。この人間らしさの土台部分から鍛えていく、というのが、江戸取のユニークな点である。


■4.道徳の授業で受けた衝撃■

 それでは江戸取ではどのような方法で生徒の「情操」と「意志」を鍛えているのだろう。その一つの方法に、高橋校長自らが行う道徳の授業がある。

 毎週月曜日の2コマ目に中等部1年生全員を大ホールに集め、高橋校長が約35分間、講話を行う。生徒はノートにその講話内容を清書し、感想を1ページ書いて、3日以内に提出する。それを校長や担任が分担して読み、同じノートに1ページ分の返事を書いて、生徒に返却する。

 講話の内容を一言一句もらさずに清書するために、生徒たちはお互いの速記を見せ合ったり、分からなかった点を話し合う。この過程で、校長の講話を何度も咀嚼し、また互いに切磋琢磨し合う友だちづくりができる。一人の生徒はこんな感想を書き残した。

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 道徳の授業の中で、私が心に残ったというか、一番衝撃を受けたのは「自らを限る者」です。・・・

 たとえばテストのときです。テストの結果が悪かったりすると、勉強時間が少なかったにもかかわらず、「どうせ自分の実力はこのくらいなのだから」というように、簡単にあきらめてしまっていました。自分をそこで限ってしまっていたのです。・・・

 しかし、校長先生の道徳の授業を通して、このままではいけないということに気づきました。何もしないうちに、努力することを避けてしまうのは、自分への甘えであることを知りました。[1,p49]
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 自分の姿に気づいて衝撃を受ける「情操」から、もっと頑張ろうという「意志」が芽生える。こんな生徒が勉強に集中して、学力も伸びていくのは当然である。


■5.「夢を語る会」■

「校長先生と夢を語る会」という行事もある。中・高別にそれぞれ5~7百人の前で12、3人が自分の夢を語り、校長がアドバイスを行う。この会を年3,4回、開催している。たとえば、こんな夢を語った中二の女子生徒がいる。

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 私が獣医師になりたいと思った理由の一つに、重油にまみれたペンギンを救うために世界中から獣医師が集まっての救出劇を見て、とても心を打たれたことがあります。また、動物の絶滅も急速に進んでいます。・・・

 動物は私たちに力をくれます。たとえばペットを飼っている人は一緒に暮らしていると生活を一層楽しくしてくれたり、リラックスさせてくれるのです。介助犬、救助犬としても活躍してくれています。私たち人間に力を貸してくれます。そんな価値のある動物を自分の手で救える獣医という職業は本当に素晴らしいと思います。[1,p154]
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「夢」を聞いた同級生たちも、自分も負けじと自分なりの夢を持とうとするだろう。それぞれが自分の夢を持てば、その実現に向けて、勉強やスポーツに打ち込んでいく。

 高橋校長自身も生徒に夢を語る。10年後までに高さ110メートルの校舎を作り、最上階には卒業生たちが自由に使える「江戸取ファミリーフロアー」を設置する、という夢だ。校舎はすべて卒業生たちの寄付によって建てる。そのためにも社会で立派に活躍するたくさんの卒業生を送り続けなければならない。その100分の1の模型が学園の入り口に飾ってある。


■6.宿泊研修で生徒が変わる■

 宿泊研修も意志と情意の鍛錬に効果が大きい。夏休みなどに教室の一部に畳を敷き、20~30人の生徒が10泊11日もの共同生活をする。400人が一つの校内で生活をともにするので、食事、シャワー、洗濯など、規律を守り、協力しなければうまくいかない。生徒たちは「自分勝手なことをすると、他の人たちに迷惑がかかってしまう」と気づき、我慢すること、規律を守る事を学ぶ。

 集団生活の中で、勉強や運動に一生懸命になっている生徒が、グループ全体に大きな刺激を与える。たとえば男子生徒のT君は「陸上と東大受験と高校生活の3つのレースで勝つ」事を目標に、家でも毎朝ジョギングをしている。宿泊研修でも、朝4時半に一人でグランドに立った。ふと見ると、自分の教室に明かりがついていて、5人の仲間たちが勉強をしている。

 T君は大きな衝撃を受けて、翌日には4時に起きてジョギングを済ませ、4時半からは仲間と一緒に勉強するようにした。翌朝には勉強する仲間が10人に増えた。


■7.生徒同士の「ミラー現象」■

 進学校というと、「生徒同士が毎日競争を強いられる」「本当に仲の良い友だちはできない」という先入観を抱きやすいが、この点について高橋校長は言う。

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 生徒同士を競争させたところで、伸びる率はたかが知れています。人間性にも問題が出てくるでしょう。江戸取生は誰もが、「先輩の実績は後輩へのプレゼント」「後輩の実績は先輩のステイタス」「友達の実績は自分の実績」とのフレーズを抱いているのです。

 ゆえに、日常生活の仲で「君たちは仲間なのだ」ということを認識させたほうが、生徒は互いに良いプログラム同士が影響し合い、グングン伸びていくのです。・・・

 下手に大人が介入するよりも、生徒は生徒同士の力でいくらでも成長していけるものなのです。そこにはB(情操)、C(意志)部分で影響を与え合う現象が自然に生まれてきます。これを江戸取では「ミラー現象」と称しています。[1,p81]
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 道徳の授業での助け合いも「夢を語る会」も、この宿泊研修も、生徒間で情操と意志の「ミラー現象」を起こすための場づくりであると言えそうだ。


■8.「畏敬の念を抱かれる教師であれ」■

 生徒を変えるためには、先生も変わらなければならない。

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 教育とはそもそも人間と人間との対峙であって、教師が一方的に生徒に何かを強制するものではありません。「こうしましょう、ああしましょう」と生徒に言うのなら、「では、自分自身はどうなのか」と教師は自分を省みなければならない。[1,p91]
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 開校後、数年間は生徒の喫煙が問題になっていた。高橋校長は職員室に煙草の煙がたちこめているのを見て、「ああ、これではダメだな」と思った。まず職員室は一切禁煙にして、別の場所に喫煙室を作った。とりあえず生徒が職員室に入っても、煙草の煙は感じないようになった。5年経って今度は校内を一切禁煙にした。すると生徒たちの喫煙もどんどん減っていった。

 クラス担任の先生は、毎週70分のロングホームルームがある。この時間は質疑応答や生徒同士の議論に使ってはならず、先生は70分、話し続けなければならない。そのあとには、クラス全員の感想をじっくり読んで一人ひとりに感想を書く。

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 ですから、たしかに先生たちは大変でしょう。しかし、そもそも「心の教育」とは、人格を磨くことですから大変なことなのです。生半可な姿勢でできるものではありません。「心の教育」を行うためには、教師が全人格を全力でぶつけていくしかないのです。[1,p52]
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 こうして生徒から「畏敬の念を抱かれる教師であれ」と、高橋校長は説く。校長自身による道徳の授業は、成績もつかず、ノート提出も義務ではない。しかし道徳の授業には全生徒がキリッとした態度で臨んでいて、そんな生徒たちの姿に他の先生方も襟を正されるような思いがする、と言う。

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 畏敬の念を抱いている教師との対峙で、生徒たちはその空気から多くのものを吸収していきます。「ああしなさい」「こうしなさい」など、耳で聞くことはすぐに右から左へと流れてしまいますが、畏敬の念を抱く教師と対峙したときの一種異質な空気の中には、全身で吸収できる何かがあるのです。[1,p101]

 もしかすると、教師が何か一つ絶対に妥協できないものをもつこと、絶対に譲れない何かをもつこと、真剣に向き合える何かをもつこと、それも一つの畏れにつながるのではないか。全力で、全身で、自信をもって示せる何か、そういうものが生徒に伝わればいいのではないか、と。[1,p103]
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■9.「人づくり大国」の夢■

 本誌65号「閉ざされたクラスルーム」[a]では、生徒が授業中に廊下を自転車で走り回ったり、教室内でボール遊びしていながら、先生は「生徒に背を向け」黒板に字を書き続ける、という学級崩壊の惨状を紹介した[a]。「ゆとり教育」の行き着く果てがこういう「動物的」な状態であった。

 それに比べると、校長先生の講話を背筋を伸ばして聞いている江戸取生たちの姿は、まさに知情意の備わった「人間らしさ」を示している。

 学級崩壊、学力崩壊によって「動物的」にされた子供達は憲法に保証された基本的人権を奪われている。江戸取のように、生徒達が互いに切磋琢磨しつつ、生き生き伸び伸びと勉強やクラブ活動、学校行事に打ち込み、それを通じて知情意の備わった「人間らしさ」を伸ばしていく。そういう教育を提供することこそ、子供達の人権を大切にするということである。

 高橋校長は「子どもは親の子どもであると同時に社会の共有財産、国家的財産」であると言う。かつては「子は国の宝」とも言われた。宝物であるからこそ、親も教師も一心にダイヤの原石である子どもたちを磨き上げなければならない。それは宝物として磨かれる子どもを幸福にする道であるとともに、その宝物によって国民全体を幸せにする道でもある。

 こうした人格教育によって、他国からも尊敬される国際派日本人を輩出し、彼らによってさらに立派な国づくりが進められる。江戸時代にはそういう教育がある程度実現されていて、それが明治日本の世界史に残る発展をもたらしたという実績がすでにある[b]。

 21世紀において、わが国は再び「人づくり大国」になる。高橋校長とともにそんな「夢」を語りたくなった。
(文責:伊勢雅臣)

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学力・体力日本一 ~ 福井県の子育てに学ぶ

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「学力・体力日本一 ~ 福井県の子育てに学ぶ」です。


昨日、2013年度の全国学力テストの結果が発表されました。
都道府県別順位では、秋田県が小学校で6回連続、中学校で2回連続、全国1位となった。
福井県や石川県も、小中学校ともに2位、3位となっています。






全国2位、3位になった「福井県の子育ての方法」が、国際派日本人養成講座の伊勢雅臣のブログにそのヒントが書かれておりましたので、紹介します。

伊勢氏曰く、”自制心を身につけさせる家庭の躾が、学力・体力日本一の基盤”だそうですので、福井県の子育ての事例が参考になれば幸いです。

以下、その内容です。



■1.塾関係者に与えたショック

 平成19(2007)年に始まった「全国学力テスト」で、福井県と秋田県が3年も続けてトップクラスを維持した事に、大手進学塾の栄光ゼミナール広報室室長、横田保美(やすみ)さんは、こう驚きを語った。[1,p80]

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 ・・・一番ショックだったのは、福井県、秋田県が上位を占めたということです。東京では、小学生の5人に1人以上が受験をして中学校を選ぶ時代。塾に通うのは当たり前になっています。

だから、東京をはじめとする関東圏がトップクラスに入ると思っていた。それなのに、通塾率の低い福井と秋田が上位を独占。そういう意味では大きく期待を裏切られた結果でした。

 受験だとか知識を身につけさせる教育が先進的だと思っていたけれど、実は見落としていたことがいっぱいあったのでは・・・と思い知らされました。
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 塾に通う率の低い福井県と秋田県が学力トップでは、塾関係者は立場がない。塾で「見落としていたこと」とは、何なのだろう。


■2.福井県は宿題が日本一多い

 学力テストと同時に、生徒の学習状況や先生の指導に関してもアンケート調査が行われ、興味深い事実が判明した。宿題を出している率で見ると、福井県は小学校の国語、算数、中学校の国語、算数と、すべての科目で全国1位だった。西川福井県知事は、こう語っている。[1,p89]

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 福井は、言い過ぎかもしれないが宿題が日本一多い。先生が宿題を出し、家庭では親御さんがしっかりみている。地道な流れが根っこにある。
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 福井県では子供の勉強を塾に任せるのではなく、先生が宿題を出し、親がそれを子供にしっかりやらせている。

 小中学生だけでなく、大学進学状況でも福井県は全国のトップレベルにいる。高校卒業生の5人の1人が国公立大学に合格しており、さらに高校卒業者数に占める東大合格者の率では全国7位。関西圏のそれも大都市圏から離れた県としては、立派な成績だ。

 しかし、宿題だけで、ほんとうに全国トップレベルの学力を達成しているのだろうか?


■3.「部活して家に帰って、予習と宿題をするのが精いっぱい」

 その実態を、福井県立武生高校出身の東大生たちが、座談会でこう語り合っている。[1,p125]

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渡辺さん 大学に進学して驚いたんだけど、有名私立校出身の子とか予備校に通っていた東大生の話によると、合格するために毎日10時間くらい勉強していたんだって。自分はそんなに勉強時間は長くなかったなあって。

久野くん 1、2年の頃は、毎日2時間くらいじゃなかった? 3年の秋頃までは受験のための勉強はしていなかった気がする。

石原くん・・・基本的に、学校の予習と宿題以外はやったことがなかったな。塾にも通わなかったし、周りにも塾に行っている子は少なくて、成績が上位の子ほど行ってなかった気がする。
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 授業は生徒が予習している、という前提で進められるので、英語、古文、漢文は、語彙を調べて訳していかないと、授業について行けないそうだ。

 予習と宿題と、すなわち家庭での自己学習が中心で、それらを2時間ほどすることで、これらの生徒は東大に合格したという。塾で詰め込み教育をされるのとは、まったく違う。


■4.家事する母親の傍らで宿題

 福井県では、小学校、中学校の時から、宿題を重視している。小中学生の親144人に対するアンケート調査があるが、それによると、平日に宿題をする時間が30分以上という回答が、8割近くを占めている。

 興味深いのは、「宿題を習慣づけるために、心がけていることはありますか?」という設問に対して、多かった回答は:

- 宿題が終わるまで遊びに行かせない 27人
- 宿題が終わったかどうかチェックする 21人
- 目の届く範囲で宿題をさせる 19人

 と、子供にきちんと宿題をさせることに、親が積極的に関与している様子が窺われる。

 宿題をする場所についても、リビングルームが64%と、目の届く範囲で宿題をさせている家庭が多い。ただし、親がつきっきりで見ているというのではなく、そばで家事をしたりしながら、それとなく、様子を見守っているようだ。

 小学校の国語での宿題の定番は「音読」。国語の教科書を親の前で読み、声の大きさ、感情の込め方などを親が採点する。お母さんが、夕飯を作ったり、洗濯物をたたみながら、BGMがわりに子供の音読を聞く。

 お母さんが外で働いている場合は、福井県では3世代住居が珍しくないので、お祖母さんが代わりに聞いてくれるケースが多い。

 こうして小学生の頃から、学校が宿題を毎日出し、それを親が家できちんとさせる、という形で、自分で勉強する、という習慣をつけさせている。


■5.「やることをやってから遊ぶ」習慣づけ

 小学生に宿題をどう習慣づけるかに関して、お母さんたちの座談会では、次のような発言が出ている。

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水野さん 小さな頃から「やることをやってから遊ぶ」ということを習慣づけしてきました。「宿題をあとまわしにしたら自分が困るよ」と言って。だから帰宅したらすぐに宿題をして、それから着替えて遊びに行くというパターンになっている。

大久保さん うちも宿題をしてから遊ばせるようにしていますね。宿題は最低限のやるべきことなので。

・・・

山下さん うちの子は何度か宿題をさぼって、たまりにたまった分を終わらせるために、夜なかなか寝られないことがあった。それからは、「宿題ってあとまわしにすると眠くなっちゃうよね。だから絶対に先にするんだ」って言っている。失敗をしているから、自分でやるようになった。

そうすると友達も一緒に宿題をするようになって、うちに来る子はみんな宿題している。学習塾みたい。
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 遊びに行きたい欲求を自分で抑えて、まずは勉強に向かう。その過程で、自制心が養われていく。


■6.部活と勉強の両立

 こうした過程で、福井県の子供たちは時間をムダにせずに勉強をする習慣を身につけていく。前述の東大生たちは、4人とも受験期になっても部活を続けていた。毎日、7限授業が終わったあと、4時過ぎから、6時か7時まで部活をする。それから帰宅し、夕飯を食べ、休憩をとり、ようやく予習や宿題にかかる。

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紺谷さん 私も部活をやっていたし、通学に1時間かかったから、勉強時間は家が近い人よりも絶対少ないと自覚していた。だから、通学時の電車とか休み時間にも勉強をして、ロスをなくそうとしていたな。

・・・

渡辺さん 今、思ったんだけど、小学生のとき、クラスのほとんどがスポーツ少年団に参加していて、放課後は毎日のように練習に行っていたんだよね。

それでもみんな宿題はちゃんとやってきていて、小さな頃から運動をしながら、限られた時間の中で宿題をする習慣があったからこそ、部活と勉強を両立できる力が身についていたのかもしれない。[1,p141]
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 こうしてスポーツ少年団や部活をしながらも、予習や宿題をきちんとやっていることが、学力と体力の両面で日本一になった秘訣だろう。


■7.「なんで1日早くやらないんだろう」

 このように自制心をつけて東大に入学した学生から見ると、他の東大生の行き当たりばったりが目につく。[1,p139]

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紺谷さん そういえば、提出前になって課題を見せてほしいと言う子がいて驚いた。東大生にもこういう子はいるんだなあって。出された課題は、自分でやらないと意味がないのに。

渡辺さん 午後5時が締め切りのレポートなのに、お昼休みに「今からやらなくちゃ」って言っている子がいた。自分は、課題が出たら先にやってしまうから「明日はレポート提出だから徹夜だ」とか聞くと、なんで1日早くやらないんだろうって思ってしまう。先にやっておけば、生活のペースも崩れなくて楽なのにーって。
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 塾で詰め込み勉強をさせられ東大に入っても、自制心は身についていない。そういう生徒が、塾という外的制約がなくなった途端に、レポートを写したり、徹夜でやったりするようになるのだろう。これでは、大学の勉強も身につかないし、社会に出てからも、役立つ人間になるのは難しい。


■8.「稚心を去る」

 福井と言えば、幕末の志士・橋本左内の出身地である。福井藩主の松平春嶽(慶永)に側近として登用され、面会した西郷隆盛をして「一世の偉人なり」と言わしめた人物である。

 わずか26歳にして「安政の大獄」で刑死したが、15歳の時に記した『啓発録』は、自らの生き方の戒めを5箇条にまとめたものだ。その第一条が「稚心(ちしん)を去る」である。

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稚心とは、をさな(幼な)心と云ふ事にて、俗にいふわらびしき(子どもっぽい)ことなり
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 たとえば、勉強を放り出して遊びたがったり、むやみにお菓子を欲しがったり、母親に甘えたりすることである。レポートを出さなければならない、と分かっているのに、締め切り間際まで先送りし、挙げ句の果ては友人に写させてくれ、と頼むのも「稚心」である。

「遊びは宿題を終えてから」という習慣づけは、この「稚心を去る」に通じている。


■9.「士気」ある人を育てる

 左内は稚心の項を、こう締めくくっている。

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稚心を除かぬ時は、士気振はぬものにて、いつまでも腰抜士になり候ものにて候、故に余稚心を去るを以て士の道に入る始と存候なり

(稚心を除かない時は、士気が振はないので、いつまでも腰抜武士になってしまう。それゆえに私は「稚心を去る」をもって、武士の道に入る始めと考えている)
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「士気」とは、現代で言えば、世のため人のために尽くすひとかどの人物になろう、という志と言えよう。「稚心」を去って、はじめて「士気」が振ふ。自立した大人として、世のため人のためを志すことができる。

 前号では校門の一礼や清掃・給食前の正座・黙想は、自分を見つめる機会になるとして、1人の生徒の感想を紹介した。

__________
 校門の前に立って頭を下げると、今までやってきたことがまずかった、しっかりしなくてはいけない、と思う自分に気づきました。[1,p51]
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 一礼や正座黙想で自分の行動を見つめることで、自身の内に潜む「稚心」に気がつく。これらも「稚心を去る」ための手段だったのだ。

 こうして「稚心」を去った生徒が、毎日2時間も勉強すれば、「稚心」を持ったまま10時間も詰め込み勉強をさせられた生徒以上の学力を持てることを福井県の実績は示している。同時に部活を続けることで、日本一の体力も養っている。

 こうした教育を受けて、子供たちが士気を振るい、自分の人生を主体的に歩んでいけるようになれば、その幸福は計り知れない。

 同時に、こういう士気ある国民がどれだけいるかで、国家の栄枯盛衰も決まるだろう。
(文責:伊勢雅臣)

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「若者よ、君たちが生きる今日という日は

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
本日は、 「若者よ、君たちが生きる今日という日は死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」です。

『致知』2006年7月号 特集「人学ばざれば道を知らず」より、八杉康夫(戦艦大和語り部)さんが、戦争で”生き残ってしまったという罪悪感”から、”生き残った者の使命感”へと変わった生き方を語っています。

”私の一生は私だけの人生ではなく、生きたくても生きられなかった戦友たちの人生でもあるのです。うかうかと老年を過ごし、死んでいくわけにはいきません”と。



八杉康夫(戦艦大和語り部)



以下、致知メルマガより、その内容です。
                




大和の後部が白煙を上げているのが私にも分かりました。

なおも攻撃が続けられ、
魚雷が的中した時は震度5にも
感じられるほど激しく揺れました。

次第に船は傾いていきます。

砲術学校では、戦艦は15度傾いたら
限界と習ってきましたが、
25度、30度とどんどん傾いていきます。

それでも、戦闘中は命令がない限り
持ち場を離れることはできません。

その時「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。
軍には「逃げる」という言葉はありませんが、
これが事実上「逃げろ」という意味です。

すでに大和は50度ほど傾いていましたが、
この時初めて、
「大和は沈没するのか」と思いました。
それまでは本当に
「不沈戦艦」だと思っていたのです。





もう海に飛び込むしかない。
そう思った時、
衝撃的な光景を目の当たりにしました。

私が仕えていた少尉が
日本刀を抜いたかと思うと、
自分の腹を掻っ捌いたのです。

噴き出す鮮血を前に、
私は凍り付いてしまいました。

船はますます傾斜が
きつくなっていきました。
90度近く傾いた時、
私はようやく海へ飛び込みました。


***************************************

飛び込んだのも束の間、
沈む大和が生み出す
渦の中へ巻き込まれてしまいました。

その時、私の頭に過ったのは
海軍で教わった
「生きるための数々の方策」です。

海軍に入ってからというもの、
私たちが教わったのは、
ひたすら「生きる」ことでした。

海で溺れた時、
どうしても苦しかったら水を飲め。
漂流した時は体力を消耗してしまうから

泳いではならない……。

陸軍は違ったのかもしれませんが、海軍では

「お国のために死ね、
 天皇陛下のために死ね」などと
 言われたことは一度もありません。

ひたすら
「生きること、生き延びること」
を教わったのです。

だから、この時も海の渦に
巻き込まれた時の対処法を思い返し、実践しました。

しかし、どんどん巻き込まれ、
あまりの水圧と酸欠で
次第に意識が薄れていきます。

その時、ドーンという轟音とともに
オレンジ色の閃光が走りました。

戦艦大和が大爆破したのです。

そこで私の記憶はなくなりました。

***************************************

気づいたら私の体は
水面に浮き上がっていました。
幸運にも、爆発の衝撃で
水面に押し出されたようです。

しかし、一所懸命泳ぐものの、
次第に力尽きてきて、
重油まみれの海水を
飲み込んでしまいました。

「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
なんともいえない恥ずかしさが
込み上げてきました。

この期に及んで情けない、
誰にも聞かれてなければいいが……。

すると、すぐ後ろに
川崎勝己高射長がいらっしゃいました。
「軍人らしく黙って死ね」
と怒られるのではないか。

そう思って身構える私に、
彼は優しい声で
「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」
と言って、自分がつかまっていた丸太を押し出しました。

そして、なおもこう言ったのです。

「もう大丈夫だ。
  おまえは若いんだから、頑張って生きろ」

4時間に及ぶ地獄の漂流後、
駆逐艦が救助を始めると、
川崎高射長はそれに背を向けて、
大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。

高射長は大和を空から守る
最高責任者でした。

大和を守れなかったという思いから、
死を以て責任を取られたのでしょう。

高射長が私にくださったのは、
浮きの丸太ではなく、
彼の命そのものだったのです。

***************************************

昭和60年のことです。
いつもピアノの発表会などで
お会いしていた女性から
喫茶店に呼び出されました。

彼女は辺見さんが書かれた
『男たちの大和』を取り出し、こう言ったのです。



「八杉さん、実は川崎勝己は私の父です」


驚いたなんていうものじゃありません。

戦後、何とかして
お墓参りをしたいと思い、
厚生省など方々に問い合わせても
何の手がかりもなかったのに、
前から知っていたこの人が
高射長のお嬢さんだったなんて……。

念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
手を合わせることができましたが、

墓石には「享年31歳」とあり、驚きました。
もっとずっと年上の人だと思い込んでいたからです。

その時私は50歳を超えていましたが、
自分が31歳だった時を思い返すと
ただただ恥ずかしい思いがしました。

そして、不思議なことに、
それまでの晴天が急に曇天となったかと思うと、
突然の雷雨となり、
まるで「17歳のあの日」が
巡ってきたかのようでした。

天皇も国家も関係ない、

自分の愛する福山を、
そして日本を守ろうと
憧れの戦艦大和へ乗った感動。

不沈戦艦といわれた大和の沈没、
原爆投下によって被爆者になる、

そして、敗戦。

そのすべてが17歳の時に
一気に起こったのです。

人として生きたなら、
その証を残さなければなりません。
大きくなくてもいいのです。
小さくても、精一杯生きた証を残してほしい。

戦友たちは若くして戦艦大和と運命を
ともにしましたが、
いまなお未来へ生きる我々に大きな示唆を
与え続けています。

復員後、長く私の中に渦巻いていた
「生き残ってしまった」という罪悪感。
それはいま使命感へと変わりました。

私の一生は私だけの人生ではなく、
生きたくても生きられなかった
戦友たちの人生でもあるのです。
うかうかと老年を過ごし、
死んでいくわけにはいきません。

未来の日本を託す若者たちが歴史を学び、
真の日本人になってくれるよう
私は大和の真実を語り続け、
いつか再び戦友たちに会った時、
「俺も生かされた人生でこれだけ頑張った」
と胸を張りたいと思います。


親孝行を支援するサイト

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「親孝行を支援するサイト」です。

秋田谷 結香【あきたや ゆいか】さんは、看護師をするかたわら『親孝行』や『親子の絆』に対するサポートをするため、 親孝行のポータルサイト【親孝行.Style*】を立ち上げています。




親孝行.Style*は、『両親を喜ばせたい&感動させたい』など親孝行をしたいあなたのためのサイトです。
親孝行したいけれど、どうしたらいいか分からない。 何が喜ばれるか分からない。そういう方のためになるような内容ですので、参考にしてみて下さい。





以下、【親孝行.Style*】親孝行アイデア集の見出し一覧です。


◆1◆自分の誕生日は●●する日
◆2◆実家に帰ったら家を一回りする親孝行!
◆3◆楽しく出来る健康管理 親孝行!
◆4◆我が家の年間3大ニュースを家族で決める!
◆5◆孫の成長・我が子の頑張り親孝行!
◆6◆旅行を贈るときの5つのポイント
◆7◆旅行に行ったらできるサプライズ
◆8◆義父母への親孝行シリーズ①
◆9◆義父母への親孝行シリーズ②
◆10◆義父母への親孝行シリーズ③

◆11◆海外挙式の親孝行7つのポイント
◆12◆孫からの祖父母孝行の5つの方法
◆13◆最愛の人の最期を穏やかに看取る5つの方法
◆14◆ヘルス管理ノートを作ってみる
◆15◆両親が喜ぶメール・手紙術
◆16◆手作りプレゼントの3つの効果
◆17◆子供に言われて1番嬉しい言葉
◆18◆無理なく出来る親孝行貯金の方法
◆19◆料理が苦手でも!心のこもった手料理を作る方法
◆20◆離れていても親と時間の共有ができる4つの方法

◆21◆両親(義両親)が喜ぶ!サプライズプレゼント
◆22◆コカコーラでサプライズメッセージ
◆23◆読書が好きなご両親への親孝行
◆24◆雑誌定期購読の親孝行プレゼント
◆25◆プチプレゼントのすすめ
◆26◆秋の味覚親孝行
◆27◆実家で暮らす学生に出来る親孝行
◆28◆賀寿祝いの祖父母孝行!!
◆29◆離れている両親に聞いてみよう♪
◆30◆ひみつのカレンダーメッセージ!!

◆31◆自分の親と思って接してみる
◆32◆エンディングデザインのすすめ
◆33◆花嫁の手紙、辞めました!
◆34◆バージンロードを歩こう
◆35◆スピーチで悩む新郎さんへ
◆36◆ユニークな結婚式サプライズ
◆37◆両親が末席でも寂しくならない方法
◆38◆結婚式で聞く、名前由来親孝行
◆39◆結婚式当日の朝にしたい親孝行
◆40◆ハネムーン先から両親へ手紙を送ろう!


その他、コストのかからない親孝行  ・恥ずかしくても出来る親孝行 ・ 遠く離れていても出来る親孝行 ・ Wedding 親孝行 ・ 義父母への親孝行  ・天国への親孝行等あります。


終戦記念日に思う その④

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「終戦記念日に思う その④」です。

新編 「知覧特攻特別隊」より、”藤井一中尉の一家の話” と ”ある特攻隊が継母へ宛てた手紙” を紹介します。






少年飛行隊兵の教育を担当した熊谷陸軍飛行学校の教官、藤井一中尉の一家の話です。


戦局は厳しさを増し、まもなく「特攻作戦」が開始された。

当然のように藤井中尉の教え子が次々と特攻隊員として散華していきます。
ひとりの教官として誠実であればあるほど、教え子の散華は辛いものです。

責任感が強く、熱血漢だった藤井中尉は、自分が安全な内地で教官をしていることが堪えられない。

そういう自分が許せない。将来あるはずの純粋な教え子たちが、自分の教えを守って、つぎつぎと毎日、敵艦に突っ込んで行くのです。

将来あるはずの純粋な教え子たちが、自分の教えを守って、つぎつぎと毎日、敵艦に突っ込んで行くのです。

あいつも、あいつも、あいつも、あいつも・・・
俺はここで、いつまでもこんなことをしていていいのか。


「おまえたちだけを死なせはしない」と口ぐせのように言っていたという彼は幾度も特攻を志顧します。

ところが、藤井中尉はすでに30歳が近くなっていました。
そのうえ妻とふたりの子どもまでいたのです。そのような境遇の将校は特攻に採用しないというのが当時の原則でした。それをわかったうえでの志願だったのです。

藤井中尉の苫悩はとても大きかったのでしょう。

そんな夫の苫悩が妻に伝わらないはずはありません。


昭和19年12月15日朝、

晴れ着を着せた次女千恵子ちゃん(1歳)をおんぶし、長女一子ちゃん(3歳)の手と自分の手をひもで結んだ3人の痛ましい遺体が発見された。
その遺書には「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」という意味のことが書かれていた。

凍てつくような12月の荒川べり、変わり果てた愛する妻と子供たちの姿を見て、藤井中尉はその前にうずくまり、やさしく砂を払い、そして呻くように泣いていました。


今では考えられない行為かもしれませんが、そのような尽くし方もあったのです。
妻子のそのような死を見て、そのとき藤非中尉にどのような思いがあふれたのかわかりません。しかし、彼の特攻への竟志はさらに決定的なものになります。

藤井中尉はこの事件の直後、3度目の特攻志願を行った。
今度は自らの小指を切り、血書嘆願であった。今度ばかりは軍も諸般の事情から志願を受理しました。

藤井中尉は、第45振武隊に隊長として配属され、1945年5月27日に知覧飛行場に移動、翌28日に第9次航空総攻撃に加わり散華します。29歳でした。

藤井中尉の妻子入水をしっていた隊員たちの団結はとても強固なもので、その戦果もみごとなものでした。


【藤井一中尉が長女一子にしたためた手紙】

冷え十二月の風の吹き飛ぶ日
荒川の河原の露と消し命。母とともに殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、一足先に父に殉じた哀れにも悲しい、然も笑っている如く喜んで、母とともに消え去った命がいとほしい。

 父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。
 嫌がらずに今度は父の暖かい懐で、だっこしてねんねしようね。
 それまで泣かずに待っていてください。

 千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。

 ではしばらく左様なら。
 父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。

 では、
 一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待ってて頂戴。





最後に、特攻隊員の相花信夫氏の(18歳)の 母にあてた遺書を紹介いたします。



<母を慕いて>

母上、お元気ですか

永い間本当に有難うございました
我六歳のときより育てて下さりし母
継母とは言へ世の此の主の女にある如き、不祥事は一度たりてなく
慈しみ育ててくださりし母、有難い母、尊い母

俺は幸せだった 
遂に最後まで「お母さーん」と呼ばざりし俺 
幾度か思い切って呼ばんとしたが、なんと意志薄弱な俺だったろう
母上、お許し下さい さぞ淋しかったでしょう。

今こそ大声で呼ばせていただきます 
お母さん、お母さん、お母さん、と。




知覧特攻基地を飛び立って散華した勇士は439人でした。




彼らは最初、薩摩半島の最南端にそびえる開聞岳をめざして飛んでいきました。開聞岳は標高922メートルの別名「薩摩富士」とも呼ばれる美しい山です。
多くの隊員が、この本土最南端の美しい山に挙手の礼をとったと言います。

そこから敵艦ひしめく沖縄までは約650㎞、「隼人」では2時間、97戦闘機では約2時間半の飛行時間であったようです。



しかし、それはまさしく自らの死を見つめる2時間余りの飛行時間でもありました。そのとき、若者たちの胸にどのような思いが去来したのか、誰にもわかりません。

だだ、そのときも、いっしょに死のうと飛んでいる友軍機が互いに大きな勇気をあたえたのでした。




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