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誰の責任でもないことを自分の責任として生きる

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「誰の責任でもないことを自分の責任として生きる」です。

致知6月号より、たなか・みのる氏(タナカテック社長)の「誰の責任でもないことを自分の責任として生きる」です。

以下、たなか氏の取り組みとその心意気が書かれていますので、お読みください。





 私どもタナカテックは、京都で半世紀以上金属加工を営む、社員数三十名程度の小さな町工場です。

 加えて京都府から依頼を受け、かつて引きこもりを経験した青年たち五名を受け入れ、社会復帰のための就労支援を行っています。

彼らは週五日連続で出勤することは難しく、よくて三日程度。それでも一日八時間フルに働くことは困難です。
考えてみれば、無理のない話だと思います。二十代から十年以上も引きこもり、出てきた頃には四十才手歳手前というケースも珍しくありません。

引きこもりから抜け出し、次に考えることといえば当然社会復帰、つまり就職です。しかし、何年も空白の時を過ごしてきた彼らにとって、毎日八時半までに出社するとか、納期までにいくつもの仕事を片づけるというのは、相当高いハードルです。
そこで京都府は、彼らの社会への適応能力を高めるために「中間支援」を行っており、かねて引きこもりへのボランティア活動を行ってきた私どものもとへ依頼がきたのです。



私がこの世界へ関わるようになったきっかけは、長男でした。
彼が高校生の時、私の意向で京都から他県の全寮制の高校へ編入させたところ、心が疲れてしまったのでしょう、引きこもり状態になったことがありました。
京都に連れて帰ったところ、地元のボランティアの方々の協力もあって、すぐに立ち直って普通の生活を取り戻し、現在は結婚して二児の父親にもなっています。



しかし、彼が自立した後でも、私は他人事と割り切るこができず、引きこもりと関わり続けてきました。
小さな町工場に五人も引きこもり経験者を受け入れることは確かに大変です。

他の企業に要請すれば、多くの経営者は「中・小企業は毎日の活動に必死でそんな余裕はない」と言います。
もちろん、当社にだって余裕があるわけではありません。

しかし彼らに必要なのは、仕事内容を何回も粘り強く教えたり、休み時間には一緒にお茶を飲んだり、休んだ翌日には「大丈夫か? しんどくないか?」と声を掛けるなど、そういったきめ細やかなフォローです。
これは大企業では不可能だと思います。

彼らの人生を本気で考えたら、大変でも私たち中小企業が引き受けるべき課題だと思うのです。
また、これまでの自分の経験からも、一見マイナスにしか思えないことが逆にプラスだった、ということが少なくありません。


大学時代、私は父が創業したこの会社を継ぐ気はなく、先輩と一緒に機械製造の会社を起業したことがあります。
これが見事に失敗しました。

結果、すべての負債を私が背負うことになり、資金繰りに奔走。挙げ句、大学は留年する始末です。

最後は父が後始末をしてくれる形になりましたが、この時の塗炭(とたん)の苦しみが、いまとなっては人間として、また経営者として私を強くしてくれたと思っています。
順調にいくことが幸せなのではなく、順調にいかないことも受け入れることが幸せに繋がっていく。

私のこの信念の支えとなっているのが、人生の師である托鉢者の石川 洋(よう)先生とイエローハット創業者の鍵山 秀三郎先生の存在です。
お二人の教えがなければ、私も途中で挫折していたでしょう。

石川先生からは「えらい人間にならなくてもいい。社会のお役に立つ人間になるほうが大事だ」と繰り返し教えていただきました。


鍵山先生は上場企業を経営しながら「日本を美しくする会」をつくり、社会活動を続けてこられました。鍵山先生のご苦労を思えば、自分などは「苦労」とは呼べないと、いつもその存在に鼓舞されています。

 あれは何年前だったでしよう。経営不振を理由に社長だったご子息とともに先生がイエローハットを去られた翌日、京祁で清掃活動がありました。休まれたらいいものの、いままで見たこともないほど疲れた様子で活動に参加されている鍵山先生の姿がありました。

その翌日には先生の講演会があり、私は用事で欠席しましたが、出席した知人から当日の内容を教えてもらいました。先生ははっきりと聴衆に向かってこう言われたそうです。
 「私は経営者としては失格でした。しかし人間としての生き方は間違っていなかったと思っています」


 一人でも多くの若者の就労を支援したいと思う一方、関わりだしたら際限がないのが福祉の世界です。
経営者である自分は、一体どこまで関わっていくべきなのか迷うことがしばしばあります。
その時、いつも思い出すのは鍵山先生からいただいた言葉です。

 『誰の貢任でもない責任を、自分の責任として捉えていく。その考え方が大切です」

 目の前にゴミが落ちている。落としたのは自分ではない、次に通りかかる人が拾ってくれるかもしれない。
でも、それなら自分が拾おう。そんな思いで先生は清掃活動を行ってきたのでしょう。



 私もまた、目の前に、一人の将来に不安を抱える青年が現れたら自分が受け入れようと思います。
他の経営者が「そんなの効率が悪い、割に合わない」と敬遠しても請け負おう。

引きこもりという、日本社会の問題を自分の責任と思って僅かながらでも背貝うことが、やがて私の人生にも、この会社にも必ずプラスになることを信じて。
 (たなか・みのる=タナカテック社長)



熱と誠があれば何事も達成する その②

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、熱と誠があれば何事も達成する その②です。


柴三郎は、東大医学部在学中の二十五歳の時、弟妹に送った書簡で次のように述べている。

 「いやしくも男子と生まれたからには、普段から大いに愛国心を養い、わが日本帝国が世界万国と肩を並べ、秀でることはあっても決して遅れを取らない、不嗚独立(ふきどくりつ)の国にすることは、今に生きる男子としてお互いに志す所であり、一日も忘れてはならないことです。

 この大業を成さんとするなら、各人がそのための基礎を固めるべきであり、その基礎とは自分自身の勉強です。
どんなに志があっても学力がなければ他人はその人を信頼せず、他人の信が無い人が独りで国家の大益となる業を起こそうとしてもまず不可能です。天下のことは大勢の人々と共に成すのが最善です」と。



明治期、志ある若者たちが祖国に貢献することを夢見て懸命に努力し、日本の国は輝いていった。
柴三郎が荒木寅三郎を「熱と誠があれば何事でも達成する」と励ましたように、一つの明かりを灯そうとした人たちか集まり、日本全体を照らし、国か輝き日本か開花したのではないか。

いまこそ日本人は、柴三郎ら明治期の先人たちか灯した「一灯照隅」の生き方を見つめ直し、愛国心を養い、もう一度国を輝かす気概を持つことが必要ではないか」、そんな熱が伝わる柴三郎のエピソードです。


【一燈照隅 万燈照国】

 たとえ一人ひとりの掲げる燈火は
 小さく乏しくとも、
 その小さな明かりでせめて
 自分の足元から
 周りまで照らしていこう

 そういう努力を
 実際に積み重ねていくことで、
 それが周りにも及んでいく。

 そして同じ思いを抱く
 同志が増えてゆけば、
 一灯が万灯となり
 国をあまねく照らし
 日本も変わる

             安岡 正篤

熱と誠があれば何事でも達成する!その①

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「熱と誠かあれば何事でも達成する」その①です。

致知6月号より、日本の近代医療の礎を築き、世界の医学史にその名を残す細菌学者・北里 柴三郎のエピソードです。

1891年 (明治二十四)、べルリソ滞在中の北里 柴三郎を、一人の青年か訪れてきた。
ストラスプルグ大学留学中の医化学者で、後に京都帝国大学総長となる荒木寅三郎である。

当時三十八歳だった柴三郎は、こんな言葉で彼を勇気づけた。

「君、人に熱と誠かあれば何事でも達成するよ。
よく世の中が行き詰まったと言う人があるか、これは大いなる誤解である。
世の中は決して行き詰まるものではない。

もし行き詰まったものかあるならば、これは熱と誠かないからである。
つまり、行き詰まりは本人自身で、世の中は決して行き詰まるものではない。
熱と誠とをもって十分に学術を研究したまえ」と。


寅三郎はこの言葉を心に深くとどめ、一心に研究に打ち込んだ。
結果、恩師であるポッペザイレル教授の信用をますます得て、医科学者として大成したという。

当時の日本は開国から浅く、近代医学においては欧米諸国の後塵を拝していた。
そんな中、様々な障壁と闘いなかちも自ら道を切り抑いてきた柴三郎がその体験に基づき、伝えようとした一つの信念だったのだろうと曾孫の北里 英郎氏は語っています。

祖父・祖母(母方)との思いで

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回も引き続き”祖父母(母方)との思いで”です。

私の祖父は明治28年3月20日生まれ、祖母は明治26年11月25日生まれです。
父が長男で母が末っ子だったので、父方の祖父母とは一回り以上違います。

私が物心ついたとき、祖父は床に伏しており話をして記憶がありませんが、祖父は優しいまなざしで、幼稚園生だった私を見ていてくれた印象しか残っていません。

祖父宅は私の幼稚園の目の前で、私は幼稚園の帰り、必ず祖父宅に寄ってお菓子やジュースを食べてから帰っていた記憶はありますが、床に伏していた祖父と話した記憶がないので、祖母との思い出について綴ります。


祖母は、毎日我が家の仏壇の生花を替えるのが日課でした。

ある日の日曜日、私と弟が寝っころがってテレビを見ていると、仏壇の花を替えるために祖母が遠回りをして通っていくので、”なんでそんな遠回りをするの?こっちを通ればいいのに”というと、祖母は「男様の頭もとは通るべきじゃないから」と返事したのです。

子供心に”そんなものなのかな~”と思っていましたが、今に思うと……。

いまどきこんな女性は稀有なのではないでしょうか!?だから、私は女性が何気なく男を立ててくれる気遣い、敏感だし気になります。
明治生まれの女性は、皆こんな人達だったのかな~?と古きよき時代の風習に憧れています。


また、祖母は”車は怖い”と絶対に車に乗らない人でした。
家の建て替えで引っ越しした時、車は怖いとに乗らなかったので、リヤカーで運んだ思い出があります。
本当に、車が怖かったんだろうと思います。

でもそんな祖母が1度だけ車に乗ったことがあります。
次女が癌の末期で、最後という時に初めて車に乗ったと記憶してます。


最初に映画を見た日本人は、「映画のストリーを見るのではなく、外国の風景を見ていました」といいます。
今では、「車に乗るのが怖い」と思う感性の日本人は皆無だと思いますが、祖母は、そんな感性を持った最後の世代だったのかな?と思います。

いつも手ぬぐいをかぶって、仏壇の生花をかえに来てくれていた祖母のことをもっと知りたかったな~と思う今日この頃です。





「才能がない」と嘆くあなたへの特効薬

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「才能がない」と嘆くあなたへの特効薬です。

 ひすい こたろう氏の「明日が見えないときに キミに力をくれる言葉」が本日(10月17日)発売されました。
偉人たちが、どう不幸を乗り越えてきたか、 逆境を乗り越えてきたかを綴った1冊です。


カーネル・サンダースの他、伝説の経営者・出光佐三 マイケル・ジャクソン 長嶋茂雄 ヘレン・ケラー  チキンラーメン、カップヌードル開発者・安藤百福  伊勢神宮  冒険家・栗城史多等々を紹介しています。

その本の一部を著者が紹介していましたので、下記に掲載します。お勧めの1冊です。






カーネル・サンダース編です


「才能がない」と嘆くあなたへの特効薬
カーネル・サンダースの「チキンフィレサンド」



──────────────────────────────────

神経質な人って、どんな人かというと……、
細かいところによく気づく人です。


おっちょこちょいな人って、どういう人かというと……
愛嬌がある人です。


周りのことが見えずに空気が読めない人ってどういう人かというと……
夢中になれる人です。




それでは、問題です。
すぐカーッと頭にくる人は、どういう人でしょうか?



すぐカーッと頭にくる人といえば、この人です。

身長180cm。
雨の日も風の日も、ケンタッキーのお店の前に立つ男。



そう、矢沢永吉の次に白いスーツが似合う男。
あのカーネル・サンダースです。




カーネル・サンダース。
もの静かでダンディな癒し系のおじさま。
そんなイメージがあったかと思いますが、実はまるで違ったのです。



サンダースの自伝には、普通の本の中では使われない言葉が次々に出てきます。
「dadgumit」


これ、どんな意味だと思いますか?



「ほっときやがれ」です。



僕はこれまで3万ページ以上の文章を書いていますが、
「ほっときやがれ」って、これまで一度も使ったことがない言葉です(笑)

あとはどんな言葉が出てくるかというと、

「dggone」(くそくらえ!)

「hell」(けっ、馬鹿野郎!)


まだまだありますが、あとは想像にお任せします。

僕にはこれ以上は書けません(笑)


しかも、サンダースはその自伝の中で、
「5年前に下品な言葉を使わないと神に誓ったため、使える言葉が半分に減ったんじゃ。わかるじゃろ」
と書いているので、これらの言葉は、「下品ではない」という判断をくだしているわけです。


意外や、意外。
そして、この「わかるじゃろ?」もサンダースの口ぐせだったそうです。

カーネル・サンダースおじさまは、
上品なダンディではなく、下品で、ワイルドなオヤジだったわけです。


さて、そんなサンダースが、ケンタッキー・フライド・チキン(以下KFC)の仕事に
挑戦し始めたのは、何才だったと思いますか?


65歳のときなのです。

わかるじゃろ?(笑)



そのときの所持金は……何と、無一文です。



それでは一体、カーネル・サンダースは、どんな人生を歩んできたのか。
ここから、あなたをサンダースワールドへいましょう。


サンダースの人生の最大の危機は65歳のときに訪れました。
国道沿いにカフェレストランをやっていたサンダース。
しかし、お店の近くにできたハイウェイで車の流れが激減。
ついにはお店を手放すことになります。
「son of a bitch」(このクソ野郎!)
このとき、サンダースは、きっとこう言い放ったことでしょう。



サンダースは年金をもらえる年齢になっていましたが、年金は月わずか105ドルと知りとします。
お店をオークションにかけて7万5000ドルで落札されましたが、
借りたローンがまだあったのでそれをすべて支払うと無一文になりました。

さあ、どーするサンダース。
そこで思いついたのが、カフェレストランの人気メニュー、
フライドチキンのつくり方を他のレストランに売ることでした。

サンダースのつくるチキンは、
「やわらかくて、味がしみわたっていて、油っこくなくて、まるで口の中でとろけるようだ」
と評判だったからです。


ポンコツの中古のフォード社製の車に、圧力鍋とスパイスを積み込み、
アメリカ中を駆け回りました。お客さんが気に入ってくれたら、つくり方を伝授し、
秘伝のスパイスを提供するかわりに、フライドチキンが売れた分だけ
1ピースにつき数セントのロイヤリティをもらうという契約をわす。

サンダースは何と65歳からレストランを一軒一軒回り、チキンのレシピを売りに歩いたのです。



「素晴らしいチキンのレシピがあります。
これを使えばあなたのお店の売上げが伸びるはずです。

伸びた分の何パーセントかを私にください」

「わかったよ、じいちゃん。とっとと帰ってくれ」
断られたら次へ行く。

「お願いです」
「NO!」

「お願いです」
「NO!」

「お願いです」
「NO!」

「NO!」
「って、まだ何も言ってないじゃろうがっ!」(笑)

こんな飛び込み営業を65歳から始めたのです。
65才といえば、ANAの超お得な「シニア」が適用になる年齢です(関係ないですね、はい)


しかも飛び込んでも飛び込んでも「NO!」の嵐です。突然やって来た、
見知らぬ老人のレシピの売り込みに、耳を傾ける者など誰もいなかった。


『人生を変えた贈り物』(アンソニー・ロビンズ著)によると、サンダースの望みの返事がくるまで、
彼は1009軒ものお店に断られたそうです。

65歳から営業始めて
1009回断られてるんです!

「わしが放り出された数は全米1。わかるじゃろ?」とサンダース自身が自慢するくらい断られているのです(笑)



なけなしの年金でガソリンを買い、
出費を押さえるために、夜、寝るのはホテルではなく車の後部座席。
口にするのは見本でつくったフライドチキン。朝、目を覚ますと、見本用のチキンをかじり、また店を回る。

このときのことをサンダースは自伝でこう語っています。
「この時、私は『神よ。どうか私のフランチャイズのアイデアを成功へと導いてください。
そうしたら、あなたの取り分を渡します』と真剣に祈った」




では、ここで冒頭の問題に戻りましょう。
すぐカーッと頭にくる人は、どういう人でしょうか?


そうです。あふれんばかりの情熱をもっている人です!

サンダースは、カーッと頭にのぼるその「血」を、
この、おいしいチキンを広めたいという「情熱」に転換したのです。




結果、73才になる頃にはKFCのチェーン店の数は600店を超えアメリカ最大のフランチャイズレストランとなります。
現在は世界80カ国に広まり1万店舗以上に広がっています。


サンダースは晩年のインタビューでこう語っています。

「自分に特別な才能があったとは思えない」
確かにサンダースの人生を振り返ると、特別な才能があったようには思えません。

30才になっても天職が見い出せず、次のように職を転々としています。



・農場の手伝い
・サザン鉄道
・ノーフォークアンドウエスタン鉄道
・イリノイセントラル鉄道
・弁護士
・ペンシルバニア鉄道
・保険外交員
・フェリーボードの経営
・商工会議所の秘書
・ランプの製造販売
・ミシュランタイヤのセールスマン



ご覧いただいた通り、何の脈絡もない、サンダースの華麗なる転職歴!
のKFCへとつながりそうな仕事は何一つやっていません。


「自分に特別な才能があったとは思えない」


この言葉はサンダースの本音でしょう。
では、サンダース成功の要因は一体何だったのでしょう?
サンダース自身がこう言っています。
「成功できた最大の要因は一生懸命働いたことだ」




一生懸命やる。

そうなんです。これ以外に、人生に秘訣などないのです。
サンダースは、職は転々としたけれども、どの仕事でも一生懸命働いてきたのです。

そのきっかけは、サンダースが10歳のとき、農場のお手伝いをしたときです。
サンダースの仕事は農場主の家の近くの森の木を切ってにするというもの。
ところが、森にはサンダースの心をときめかせる鳥やリスがいっぱい。あっちにフラフラ、こっちにフラフラしてるうちに、
木を切るどころではなく農場主は激怒。サンダースはクビになってしまうのです。

「うちは貧しくて、父親の代わりになるのはお前しかいないのに、月2ドルの仕事も満足にできなくてどうするの!」と、
お母さんはサンダースを叱りました。

そもそもお母さんにラクをさせたくて、喜んでもらおうと働きに行ったのに、逆に、悲しませてしまった。
このとき、サンダースは小さな心で誓います。


「今度仕事を得たら、きっと最後までやり抜いてみせる」
そのチャンスは翌年にやってきました。家から11km離れた農場に住み込みで働くことになったのです。
朝4時に起きて馬のお世話。そして、牛小屋を掃除して、馬にエサをやる。夜10時には牛乳を集めてバケツを洗う。
長時間の重労働はきつかった。しかし、一生懸命働くと、そこには喜びがありました。
農場主も「お前は素晴らしい働き手だよ」と褒めてくれた。

「できることはすべてやる」。
サンダースは11歳にして生涯を貫く仕事をやっていたのです。

「ワシはただ二つのルールを守ってきただけなんじゃよ。
できることはすべてやれ。
やるなら最善を尽くせ。
これが何かを達成するための唯一の流儀じゃないかな」byカーネル・サンダース



「できることはすべてやる」
それは後に、ガソリンスタンドを経営した時にも貫かれました。
まだ一般的ではなかった窓ふきサービスを始め、タイヤの空気入れも無料でやる。
車の泥をハンドブラシで掃除し、朝は5時から営業を始め、タイヤのパンク修理もやる。
広告の看板をつくるときも、費用を安くするため、
ペンキ職人に文字の輪郭だけ描いてもらい、中はサンダース自身が塗りました。

できることはすべてやるってこういうことです。
さらにその上で、サンダースは「ほかに何かできることはありませんか?」とお客さんに聞いていたのです。


すると、「この近くにおいしい店はない?」とよく聞かれたので、近くのレストランを紹介していた。
ところが、「この街にはろくなレストランがない」とあとでグチを言われる始末……。
このときサンダースは、それなら自分で彼らにおいしいものを提供しようとひらめくのです。
ガソリンスタンドの4.5メートル四方の倉庫にイスを6脚置き、
「サンダース・カフェ」としてオープンします。サンダース、このとき40歳、人生初の飲食業スタートです。


もともと彼は、飲食をやるつもりはありませんでした。でも、ガソリンスタンドとして、
「できることはすべてやる」の精神から派生したカフェでした。これが運命の転機につながっていきます。
サンダースは料理が得意だったこともあり、このカフェが評判となり、このあと、あのKFCが生まれるのです。


しかし、そのカフェは、サンダースが50歳のときに、火事で全焼しすべてが灰になってしまいます。
サンダースは落胆のあまり、このときばかりはあきらめそうになった。
でも彼の料理の味を慕ってお店に通ってくれた人々のために頑張ろうと踏ん張り、
140席もの大きなレストランとして復活します。

しかし悲しいかな、今度は前述の通り、近くにできたハイウエイで車の流れが激減し、
お店を手放すこととなるのです。65歳でとうとう無一文、再びゼロに戻るのです。



2度までもすべてを失った。



でも、逆境について、サンダースはこう語っています。
「もし、ハイウェイができていなかったら、おそらく私はKFCを始めていなかっただろう」



そう。思いがけない逆境こそ、伝説の幕開けになるんです。


「私に『引退』という言葉はいらない。たとえどんな困難が待っていようとも、私はあきらめない。
今までがそうであったように、これからも何回でも立ち上がる。命ある限り私は働き続ける」
サンダースはそう自分自身に誓っています。



何度でも立ち上がると決めた。

命ある限り働き続けると決めた。

そんな男に不可能はない。

こうした不屈の精神が、伝説の1009軒もの営業につながっていくのです。



実は、KFCが、チェーン展開に成功した秘密は、「サンダース・カフェ」の火事にありました。
あの火事が、サンダースの名物料理、フライドチキンを進化させていたからです。
新しいレストランは140席と増席されることで、これまで30分かけてじっくりつくっていたフライドチキンの調理時間を
短縮する必要がありました。そんなときに、設備を販売している会社が営業に来たのです。そこで目にしたのが圧力鍋。

「これは使える!」
そう感じたサンダースは、この圧力鍋を使って、どこまで時間を短縮してつくれるか、
気が遠くなるほどの試行錯誤を繰り返しました。そして、30分かかっていたものを、おいしさそのままに、
見事に7分半に短縮できる調理のバランスを発見したのです。


味のとなるのは「イレブン・スパイス」
一説には7つの島から集められると噂される11種のハーブとスパイスで、チキンの風味を引き出します。
この「イレブン・スパイス」の調合方法は門外不出。
現在、ケンタッキー州ルイビルにあるKFC本部の金庫で厳重に管理されているそうです。



チキンのレシピの伝授は、初期の頃は3日間かけてすべてサンダース自身がレストランに出向き朝から深夜まで行いました。
3日で終わらなければ、たとえ次の予定があっても納得いくまで何日も延長しました。
また、チェーン店でも、「ひどい店を見つけた」と情報が入ると、サンダースは夜どおし車を走らせ、すぐに乗り込んで指導し、
場合によっては「くそくらえっ!」と契約を解消してきたそうです。
本当に「くそくらえっ!」と言ったかどうかは定かではありませんが(笑)


サンダースは、KFCという名で売られる以上、一番おいしい状態で提供されないことには我慢がならなかったのです。
衛生面にも厳しく、皿についたほんの少しの汚れも見逃さなかった。



カーネル・サンダース。
5歳でお父さんが他界し、その分、お母さんが缶詰工場で頑張って働いてくれた。


ひとりで3人の子どもを養うのは大変です。お母さんは数日工場で泊まり込みで働かなければいけないこともあったそうです。
そんなときは留守を守るサンダースが、幼い弟、妹のために、お母さんから料理を習ってつくってあげた。


サンダースが7才のある日、母の留守中に「お母さんの調理法を真似てパンを焼こう」と思い立ちます。
そして、初めて焼いたパンがうまく焼けたので、母に見せたくて、わざわざ工場まで持っていったそうです。
妹はまだ歩けないので、カーネルと弟が彼女を順番に背負いながらてくてくと歩いていった。
工場につきそのパンを見せると、お母さんは大喜びしてくれた。
母の同僚たちも、そのパンを「おいしい!」「おいしい!」と大絶賛。

サンダースをキスの嵐で祝福。小さなサンダースの身体全体に喜びが溢れたのでした。
このときの嬉しさを、サンダースは生涯語り続けたそうです。



「おいしいもので人を幸せにしたい」
これが、KFCの原点になっています。


KFC--。
それは、ハイウェイで車の流れが激減したからこそ生まれた。
それは、お店が火事になったからこそ生まれた。
それは、65歳のサンダースが、1009軒ものお店に断らても、あきらめなかったからこそ生まれた。




サンダースは教えてくれた。

幸運が伝説をつくるんじゃない。
才能が伝説をつくるんじゃない。
若さが伝説をつくるんじゃない。
情熱こそが伝説をつくるんだと。


叩き起こせばいい。
キミの中のその情熱を。

65歳から始めたサンダースにできて、キミにできない理由などない。



 情熱とは、なにもビックなことを成し遂げることではない。

情熱とは、いま、できる「小さなこと」を「すべてやる」ことです。

サンダースは、自分の顔を常々、マグカップみたいだと思っていました。
そこで、サンダースの顔からイラストを起こして、広告宣伝で使ってみようとひらめきます。

それがいま僕らにもなじみのあのカーネル・サンダース像です。
できることはすべてやるって、そこまでやるんです(笑)


情熱とは、前代未聞の自分に会いに行く、という決意です。
いまから会いに行こうよ。
見たこともない、可能性に溢れたキミに。
「くそくらえっ!」って、自分を鼓舞して。

人生はできる、できないじゃない。
それをやりたいのか、やりたくないのか、
やる価値があるのか、ないのか、
そこで決めればいい。
本当にそれをやる価値があるのなら、たとえキミが何歳だろうがGOだ!
それこそが本音で生きるということです。
そのとき、キミのハートに宿っているものが「情熱」です。
65歳からだって伝説は始まる。

「もう年だから」という言い訳は、138歳からでいい。




「わかるじゃろ?」byカーネル・サンダース


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