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カミサマに振り向いてもらうための神社参拝の作法

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、ひすいこたろう氏の名言セラピーから、「カミサマに振り向いてもらうための神社参拝の作法」です。


初詣に行く前に、下記作法を読んでから参拝ください。

今年も「靴修理店 店長ブログ」お読みいただき有難うございました。
では皆様、良いお年をお迎えください。






以下、その内容です。



では、初詣研究家ひすいこたろうによる、
カミサマに振り向いてもらう初詣の作法をお伝えしましょう。



まず、初詣をするのに1月1日に行くという方は、
もう、その時点でスリーアウトチェンジです。



初詣とは、12月31日から始まるものだからです。

これは初詣業界のなかでは常識中の常識。


「今年1年。大変お世話になりました。ありがとうございました」

そう、1年の感謝を述べにいくことがまず先です。
人間界だってそうですよね。

お礼もいわずに、お願いばかりしに来る人の願いを叶えてあげようなんて人はなかなかいません。

ちなみに、初詣一筋20年、
初詣界のマイケルジャクソンひすいこたろうは、12月31日、カミサマにこうお参りします。



「好きです♪」




そうです。第一声は愛の告白です(笑)


そしてこう続けます。
「おかげさまで、この1年、めちゃめちゃ楽しかったです。あ~楽しかった。
ありがとうございました! カミサマ大好きです」


僕の友人の高島亮さんが、伊勢神宮の広報の方にインタビューをしたときに
「カミサマって、どんな人が好きなんですか?」って聞いてみたそうです。

伊勢神宮の方はこう答えられたそう。
「カミサマは楽しい人が大好きです」
だから、「楽しかった」って言葉が特にうれしいと思うのです。



●初詣検定ポイントその1
12月31日のお礼参りから、初詣は始まっている。



では1日あけて、1月1日。

みなさんは初詣でどんな願いをするのでしょうか?

「今年こそは彼女ができますように」
「今年こそは飛躍の年になりますように」とか祈るのでしょうか。

いずれもアウトです。

これも人間界で考えればすぐにわかります。
例えば、作家さんのサインの列に読者さんが並んだとしましょう。
「僕、彼女がほしいんです」といきなり言われても、
「ところで、あんた、誰?」って話です。
まずは名乗りましょう。


●初詣検定ポイントその2
まずはどこから来た、誰なのか名乗りましょう。
参拝も挨拶からです。




あと、お賽銭も入れますよね。
ここでも、人間界で考えると、お賽銭問題が浮き彫りになります。


例えば、こんな友達がいたらどうでしょう?
「頼む。なんとかしてほしい。今年こそは彼女がほしいんだ」

そう言っていきなりお金を握らされたら……。
願いごとをお金で買収。しかも、握らされたお金が、100円なんです……。

100円入れて恋人ほしいって、カミサマをガチャポン扱いしているようなものです。


●初詣検定ポイントその3
本来、お賽銭は神様にではない。
「神主さん、神社を守ってくれてありがとう」、その気持ちがお賽銭です。



ではいよいよ、具体的にどう祈るのか。これも人間界に置き換えればわかります。

例えば、あなたの会社に飛び込み営業マンがきたとします。

「お願いです。一生のお願いです。これも買って下さい。あれも買って下さい」という
営業マンがきたら、どうでしょう? そんな営業マンがきたら、あなたはこういうはずです。


「けっこうです」


しかもその営業マンは、いきなりお金を握らせてくるわけですから、100円を(笑)。

一方、こういう営業マンがきたらどうでしょうか?


「素晴らしい。ここはステキな会社ですね。こんなにきれいにしておくのも維持費がかかるでしょう。
少ないですけど、100円を寄付させていただきます。受け取ってください。
申し遅れました。わたしは、○○から来た、○○と申します。
なにか、困ってることはないでしょうか? わたしはあなたのために働きたいんです。何でも言って下さい。どうかよろしくお願い致します」


こんなふうに言ったら、奥からでてきますよ。
その会社の社長が。
「キミ、みどころあるね。ちょっと奥で話を聞こうか」って(笑)


ちなみに日本一の資産家、竹田和平さんは神棚でこう祈るそうです。
「みんなが喜ぶこと、わしはやってみせます!」

人気絵本作家の、のぶみさんはこう祈るそうです。
「カミサマのお手伝いができますように。
日本がちょっとでも良くなるようにがんばりますから」


芸人の萩本欽一さんも、
「私の幸せよりも、東日本大震災の被災者の人たちに幸せをあげてくださいね」と
祈ってる人がいたら、神様はハッとしてその人を見るでしょうねと言っています。


カミサマは、みんなのために生きようと名乗りを上げる人こそ、
待っているのではないでしょうか。
だってカミサマは形がないんです。足がないんです。
だから行動できないんです。


行動できるのは人間だけの特権です。

カミサマの願いを「行動」というかたちで託されたのが、人間なのではないでしょうか。



神社の参道は、真ん中はカミサマが通る場所なので、はじを歩くのが一般的なしきたりです。
でも、僕の知り合いは、いつも参道どまんなかを歩くんです。その人はこう言ってました。


「ひすいは神社にお願いに行くんだろ? じゃあ端を歩いた方がいいよ。
 でも、オレは真ん中を歩く。
 オレはカミサマにお願いに行くわけじゃない。
 逆にオレはカミサマの願いを聞きに行くんだ。
 友としてね。だから対等だから真ん中を歩く」



神社参拝、カミサマを人間に置き換えたら、不自然なことが山盛りなのに、なぜそれに気づかないかというと、自分の都合でしか見てないからです。

相手の立場で見れば、違う世界が見えてきます。


初詣に限らず、人間関係全般で何か行き詰まったら、
このことを思い出してみてくださいね。



●人間関係が行き詰まったときの、ものの見方
相手の立場から世界を見てみる。




ひすいこたろうでした(^^♪
hisuikotaro@hotmail.co.jp
 ▲▲▲アリガ島▲▲▲

森信三 『修身教授録』

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
致知出版社の「人間力メルマガ」より、森信三氏の『修身教授録』の紹介です。







 国民教育の師父と呼ばれた森信三師が、 戦前の大阪天王寺師範(現・大阪教育大学)で教師を志す若者に対して行った修身科の講義をまとめたものが、本書『修身教授録』です。

『修身教授録』は刊行以来、多くの方々から座右の書として愛され続けてきました。

講義で話された内容に加え、授業を行う際の 森信三師の様子まで詳細に記されているため、まるで同じ教室で講義を受けているかのように臨場感をもって読み進めることができます。

人生を真剣に模索しようとする若者一人ひとりに 向けられた言葉で溢れた本書を、この機会にぜひお読みください。



私も読んですばらしい本と思ったので3冊買って、自分用・長男・次男に渡しました。
長男は森信三氏の凛とした姿勢に感動して、「座右の書」とすると言ってくらいですので、大人も含め高校生以上の男子にお勧めの一冊です。

以下、『修身教授録』の内容の一部と目次です。
参考にして下さい。


     *      *      *


 人を教える道は、一転して、自ら学ぶ果てしのない一道となる。

        *       *

 情熱というものは、まず物に感じるという形をとって現れるもののようです。
 したがって感激とか感動とかいうものは、
 その人の魂が死んでいない何よりの証拠です。
 ですからわれわれ人間は、感激や感動のできる間は、
 まだその人は進歩する可能性を持っていると言ってもよいでしょう。

        *       *

 真の誠とは、その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、
 しかも常にその足らざることを嘆くものでなくてはならぬ。

        *       *

 わが身に振りかかってくる一切の出来事は、
 自分にとって絶対必然であると共に、また実に絶対最善である。

        *       *

 力というものは、一たんその気になり、
 決心と覚悟さえ立ったら、後からあとからと無限に湧いてくるものです。
 それはちょうど、井戸に水の湧くようなもので、
 もう汲み出してしまったと思っても、
 いつの間にやら溜っているようなものです。

        *       *

 読書はわれわれ人間にとっては心の養分ですから、
 一日読書を廃したら、それだけ真の自己は
 へたばるものと思わねばなりません。

        *       *

 人間の言葉が真に力を持つのは、
 必ずしもその言葉自身が立派だからというのではなくて、
 その言葉を支えている背後の生活によるものであります。


     *      *      *


 


 【目次】

 《第1部――修身教授録<1> 》

 人間と生まれて
 生をこの国土にうけて
 生を教育に求めて
 教育者の道
 一道をひらく者
 上位者に対する心得
 目下の人に対する心得
 国民教育の眼目、他

 《第2部――修身教授録<2>》

 人生二度なし
 一つの目標
 大志を抱け
 人生の深さ
 忍耐
 下坐行
 平常心是道
 真面目
 一日の意味、他
 (全79講)

剣道の本質 その③

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、剣道の本質 その③です。

井上義彦氏と森沢明夫氏の共著「にっぽん人の心を磨く本」に、「剣道の本質」について書かれてありましたので、紹介します。

以下、その書かれた内容です。



森沢   「強さと」は、何なのでしょうか?



井上 強さにもいろいろあります。喧嘩か強い。力か強い。気か強い。あるいは強情だとか、運か強いなんていうものもあります。

 剣道の修練によって求める強さとは「正しい心か常にブレない」ことです。
いかなる状況にあっても揺らかない、いわゆる不動心です。そして、そういう心を自分のモノにすると、実際の勝負でもとても強くなれます。

 不動心を得ることは簡単ではありません。

肉体的な条件で負けないこと、好き嫌いの心に負けないこと。正しいことを求め、いつもそれを中心に据えるなどして、修練を積まなければなりません。

そして、そのためには、いろいろな人と稽古をすることが必要なのです。



私はいま国内最高位の八段ですけれど、小学生の初心者を相手にするときでも「こいつは弱いから」という気特ちは微塵もありません。

そういう心をもった時点ですで、正しい心が揺らいでしまっているんですね。

 人間の命は、老いぼれた命よりも小学生の溌剰とした命の方かどれだけ可能性かあるか、ということに気づいて、「小学生から何かを学ばせてもらう」という心でもって、相手をしなくてはいけないのです。

そういう心で対時しますから、小学生にたいしても本気で心を込めて礼をします。

 おもしろいものでね、構えを見れば一目でその人の心の状態がわかるものなんですよ。

相手を「どうせ小学生だ」とバカにしている人は、構えが凛としていないのです。

しかも全身から発するオーラがまったくありません。もっとおもしろいのは、そうやってバカにするような人間を相手にすると、小学生の方までいい加減な稽古をしはじめるのです。   
              ・。
 つまり、相手ぱ自分の鏡なんですね。人生でもそうでしょう。周囲の人たちは、自分の在り方を映しだす鏡であるはずです。

その証拠に、私が小学生を相手にすると、向うの礼の仕方から変わってきます。
きちんと心を込めて礼をして、そして真剣に構えてくれます。

 ですから、どんな相于であろうと、気合いを入れて、ピタリと完璧に構えて稽古なり試合なりをすることが大事なのです。そして、相于に対して人間の「真」を向けられる人聞であること。これが強さの重要なポイントです。

人間性か高く、オーラがふつふつと湧き出る。仏さんでいうところの光背ですね。これを出せる人が、強い人だと思います。

 しかし、このオーラも、感じとってくれる人と感じにくい人がいます。
感じる人は、相当に修練のできた人です。

とはいえ、感じにくい人を相手にしても、しっかりと「真」を感じさせ、オーラを伝えることができるように自分を高めていかなければなりません。

それこそが、強さを求めるための道なのですから。


                                                                    以上




剣道の本質 その②

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「剣道の本質 その②」です。

井上義彦氏と森沢明夫氏の共著「にっぽん人の心を磨く本」に、「剣道の本質」について書かれてありましたので、紹介します。

以下、その書かれた内容です。



前回の続きで、勝者が「懺悔」するのは分かりました。では、敗者はどうするのでしょうか?



一本とられた敗者は、真剣で切られたわけですから、本来ならば「死」です。

しかし、現代剣道では竹刀を使うので、現実には生きていますよね。
ですから、一本取られた方も「残心」ができるんです・

どういうことかというと、「なぜ戦いに破れたのか」を考えて、自己の欠点を省みることかできるということです。

 勝者は、斬ってしまったことを反省する。
 敗者は、破れた自分の未熟さを反省する。
 勝っても、負けても、懺悔。残心。
 両者ともに、一歩前進できる。

 これが現在の剣道のもっとも優れた点であるといっていいでしょう。
真剣を使った勝負よりも、さらに素晴らしい勝負の在り方ですよね。まさにお互い、切磋琢磨です。


 剣道のおもしろいところは、まずは相手と「争う」ところからスタートするというところなんですよ。相手と真剣に争って、その結果、互いに成長しあい、認め合う。

自分が相手を認めれば、相手も認めてくれるという「理解」を味わえる。そうすると、両者の間に「平和」かおとずれるのです。
「争い」から「平和」へ。その過程を味わうものか剣道です。


 しかし、最近の剣避は「スポーツ剣道」と武道の心から離れつつあるのが現状です。
スポーツなので「勝ちさえすればいい」という思想で取り組んでしまいがちなのです。これでは本来の剣道が持っている素晴らしい思想がないがしろにされてしまいます。

 やはり剣道というものは、竹刀で叩き合うスポーツとしての心構えではなくて、真剣で斬り合うつもりでやるべぎですね。


 いまから2500年も昔の人である孔子が、こんなことを言っていますよ。
鳥が将に死なんとするや其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや其の言うや善し」と

 鳥がいままさに死にゆくときの鳴き声は、非常に哀しげである。しかし、人がまさに死にゆくときに発する言葉は、生まれたときの善の心に返って非常に善いものとなる。そういう意味ですね。

人というのは、死を感じることで、よりいっそう生の素晴らしさを感じられるものなのです。
 
ですから戦いにおいて生死をわけるような経験をしたものは、生の素晴らしさを知り、生まれたときのままの善い心を持つことができるのです。

剣道は、いつも生死をかけた戦いと「懺悔」の繰り返しですから、そういう意味からしても心が磨かれて人として善い状態になれるのです。

                                                                 以上

剣道の本質 その①

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「剣道の本質 その①」です。


井上義彦氏と森沢明夫氏の共著「にっぽん人の心を磨く本」に、「剣道の本質」について書かれてありましたので、紹介します。

以下、その内容です。




剣道の構えの基本は攻撃と防御を兼ね備えた中断の構え、いわゆる「正眼の構え」となります。

正しい眼の構え、です。

そして、それが徐々に変化して、上段であったり下段であったりと変化していきますが、いずれにせよ、それらの構えから技を繰り出して、相手を斬り殺します。

 斬ったら、剣土はすぐに「正眼の構え」に戻さなくてはいけません。

そのときの「正眼」とは何かというと、読んで字のごとく「正しい眼」です。
そして「眼は心の窓」ともいうように、「正眼」とは「正しい心の構え方」でもあるのです。


 ここで、勝者は油断なく構えて「慨悔」します。
これが「残心」です。

つまり己の命を守り、正しいことを実現するための一刀ではあったけれど、これより他に方法はなかったのだろうか……という懺悔です。

 剣道ではね、素晴らしい攻撃をして相手に有効な打撃を与えたとしても、「残心」が見られなかった場合、その攻撃は有効とはみなさないというルールかあるんです。

これはスポーツにはないルールですよね。

武道ならではの精神が反映されたものだといえるでしょう。

 一本をとったあとでも、絶対にガッツポーズをしてはいけません。
竹力というのは、真剣の代わり。

つまり剣道は擬似的ではありますが、本気の斬り合いなのです。

勝者はひとりの人間を斬り殺したことになるわけですから、そこにはおのずと「懺悔」が必要になるのです。
人を殺して喜んでいては、それは獣以下ですよね。


 人間は自分の命を守るために、白分に襲いかかる敵を殺します。

日常的にも他の生物を食べて(殺して)生きています。

つまり他を殺すという罪を犯さなくては生きられない罪深き者、それが人間ですから、その罪に対する懺悔がなくてぱならないのです。

殺すか殺されるかーそういう精神で競い合う競技は、色々探してみても世界で唯一剣道だけなんです。

だからこそ、そこには常に「懺悔」があり、結果、人間性の向上にいちばんよいとされているのでしょう。


                                                                以上
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