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「欽ちゃんの快和術」 その⑤

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「欽ちゃんの快和術」 その④です。






萩本欽一氏の著書、「誰とでも心が通じ合う日本語のしゃべり方 快和術」から、”気持ちのいい言葉には、話す順序がある”です。






欽ちゃんが有名になればなるほど、「弟子にしてください」って来るヤツが増えたんだけど、ボクの前に来て「弟子にしてください」って、いきなり言ったヤツは全員、断った。

 弟子になりたくて来たんだから「弟子にしてください」と言って何が悪いって、思うかもしれないけど、弟子になりたい、っていうのは、自分の事情でしょ。

自分の事情が先に来るヤツっていうのは、がっついてるのよ。
がっついてるヤツはイヤだもん。弟子にも作家にもしたくない。がっついてるうえに、能書きをたれるヤツはもっとイヤ。

「ボクはお笑いをやって、世の中の人を幸せにしたいんです」 こういうの、最悪だね。能書きなんて、全部、ウソだもん。

弟子になりたいと思って来るならさ、まずは、「欽ちやん、ボクずっと好きだったんです」「うわあ、ホンモノだあ、ボク、欽ちやんと会えてうれしいです」 とかさ。

自分のことより相手のことを先に言うヤッなら、気持ちがいいから、「家に上がって話そうか」 ってことになる。

「山形から来た山本です」
「ずいぶん遠いところから来たんだな。で、何?」
「いや、出がけに母ちゃんに話したら、そんなもん無理だ、断られるぞ、って言われたんですけども……」

「何を母ちゃんに話したんだ?」
 「弟子にしてください」

「母ちゃんの弟子になるのか?」「あっ、いえ、欽ちゃんの」って、こういう感じじゃないとさ。

「弟子にして下さい」を言うまでの、フリがないとさ。フリが無くて、いきなりだと、すごくがっついている感じがする。

「弟子にして下さい、弟子にして下さい」って土下座されてもさ、ただ一方的なだけじゃない。
僕の気持ちも少しは考えてくれよ~と思っちゃう。

自分の事情よりも先に相手に対する気持ちが言葉に出て、その言葉が、フリになってる会話って気持ちいい。













「欽ちゃんの快和術」 その④

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「欽ちゃんの快和術」 その④です。


萩本欽一氏の著書、「誰とでも心が通じ合う日本語のしゃべり方 快和術」から、”平行線の話はスッパリとやめる”編です。

平行線の話にだらだら時間をかけるなんてもったいないし気持ちがよくないから、いい結末を迎えられそうなほかの話に時問をかけたほういいという欽ちゃんの考え方です。








以下、その内容です。


ボク、今までに家を何度か引っ越してるんだけど、引っ越しをする理由はいつも決まってるの。
 近所の人に「うるさい」って言われたら、すぐに引っ・越すの。すぐに引っ越せるように、家は建て売り。代沢、白金・五反田……、どの家も「うるさい」って言われたから、次の家に引っ越したのよ。

 そうそう、ボクが代沢(世川谷区)に最初の家を持ったのは、昭和44年4月1日。
25坪の建て売りで、1350万円。コント55号を結成して3年後のことで、ボクが28歳ときだった。「10年後にはでっかい家に住む」っていう目標を一応、達成。2階の8畳問で大の字になって、「ヤッター」 なんて、叫んじやった。
 でね、引っ越しの話。


 ボクの家って、テレビ局の人が遅い時問になっても出入りするから、静かではないの。だからといって、どんちゃん騒ぎをするわけじゃないから、うるさい、とは思わない人がほとんどではあったの。

 代沢の家の向かいには、お年寄りのご夫婦か住んでたんだけど、 「ウチは年寄りふたりですから、欽ちゃんのところで騒いでくれると、私たち、安心してグッスリ眠れるんですよ。

欽ちゃんは、防犯にいいになんて、笑顔で言ってくれて。ボクの家が、たまたま静かだったりすると、
 こ昨夜は静かだったから、安心して眠れませんでした」
 なんて。隣の家の奥さんも、 「ウチのダンナは出張か多いから、ひとりになることか多くて。欽ちゃんちから、人の声か聞こえてくると、ホッとします」って。

 でも、裏の家の人に、「うるさい」って、言われたから、引っ越すことにしたの。


裏の家に「うるさくして、ご迷惑をおかけしちゃってにって謝りに行ったらここっちが寝ようとする時間になると、うるさくなるから……」って言われて。
 そう言われたら、そのとおりだもん。こっちの事情を細かく話したところで「でも、やっぱり、うるさいんだよ」ってことにしかならないでしょ。 平行線。

 同じ話が延々と続くだけ。

ボクはいつも気待ちのいい会話で結末を迎えたいと思っているから、だから逆に、どうやってもいい結末を迎えられそうにもないときは、早めに話をやめちゃうの。



いい結末を迎えられそうなほかの話に時問をかけたほうが、いいじゃない。平行線に時間をかけるなんて、もったいないよ。
  だからボクは、いいオチがつきそうにもない話題や家はすぐに変えちゃう。



「おもいがけない愛」との出会い

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、ひすい こたろう氏の名言セラピー- meigen loveから「おもいがけない愛」との出会いです。


ひすい氏は、東京45年ぶりの大雪のお蔭で ”おもいがけない愛”と出会いました。



新潟から飛行機が飛んでると調べてくれた名も知らぬあの男性。

子供たちが飛行機が飛ぶように祈ってくれたあの表情。

雪道のなかで、カーチェイスを繰り広げてくれたとおちゃん

時間のないなか、おにぎりを一生懸命にぎってくれたかあちゃん

参加者さん全員にお酒をごちそうしてくれた俊彦社長。

すべてを乗り越えてくれたスタッフのじゅんじゅん、秀さん、るみさん、そしてカナミン。

僕にサプライズをしようと寝ずに待っていてくれた参加者さんのみんな。

おまけに、ハラハラ、ドキドキの演出を加速してくれた東横インと東急イン(笑)

そして2度までも飛べないなか、なおあきらめずに3度目で飛んでくれたAIR DO119便。




45年ぶりとなる大雪のおかげで、こんなにもたくさんの愛と出会えたのです。

──────────────────────────────────


以下、その内容です。


2014年2月8日


東京都心では積雪が27センチに達し、
1969年以来の45年ぶりとなった。


その大雪の日。
よりによって、僕は北へ、
北海道へ向かうことになっていた。


アイヌの人たちの聖地
然別湖の湖畔のホテルで、

「Theひすいこたろうワークショップ」なる合宿がある日だった。



会場となる然別湖のホテルには、九谷焼の有名な陶芸家の作品が飾られているのだが、

その作家さんは、

然別湖のことを宇宙の中心と称して、
ここを軸にして宇宙が動いてるようだ、というような意味を記している。


この地こそ、宇宙の中心なのではないかと感じさせるほどの聖地なのだ。


然別湖は、標高800mと北海道で一番高いところに位置する自然湖で
2万年以上昔に周囲の山々が噴火した際に川がせき止められてできたものと考えられている

まさに、アイヌの人たちのサンクチュアリだ。




今回のワークショプを主催してくれたカナミンは

「ひすいさんを然別湖に連れてくるのが私の使命」

この地を尋ねた時に、そう感じたのだそうだ。


そして、準備を重ね

2014年2月8日然別湖ワークショップ当日。



天気は……



快晴



北海道は快晴だったのだ。












2月8日当日
僕は
羽田空港から北海道へ飛行機で行く予定になっていた。


しかし、東京は雪でJALは欠航……

この段階では、まだ45年ぶりとなる大雪になるとは思いもしていなかった。



主催のカナミンに慌てて連絡を入れた。


「どうしましょう? JALは雪で欠航になっちゃってます……」


「え!!!!!!!!!!」


驚くのもムリはない。
北海道は快晴なのだ。



「ひとまず帯広に向かう飛行機は他にないですか?」と僕。


「えっと、AIR DOが飛びます」


JALは第一ターミナルだが、
AIR DOは第二ターミナルになる。

僕は電話を切り、スーツケースをひきずりながら第二ターミナルへ走った。

走ること10分。


おおお!
AIR DOはまだ欠航になっていない!!!

12時20分と17時の2便が帯広へ飛ぶ。
12時20分の飛行機は満員だったが、17時はまだ空席がある。

僕は17時発のチケットをひとまず押さえて、
12時20分の飛行機にはキャンセル待ちを入れた。


キャンセル待ち10番目。


10人キャンセルが出たら、
ワークショップは15時半からなので
なんとか間に合う。



キャンセルが10人でたら乗れる。


どうか、僕を帯広へ連れてってください。




しかし、僕の思いとうらはらに雪は勢いを増していった。



キャンセルが出るのを待たずに、
12時20分発が欠航になったのだ。



この段階で、時間通りワークショップを行うのが不可能になった。



まずい……

集まってくれてるみんなごめん!!!!


正直いうと、ここで僕は乗れると思っていた。

土壇場での運を僕はもっている。
というか運しかもっていないような男だったから
漠然と、ここで乗れると思っていた。


しかし、飛行機は飛ばずに欠航になった。



困ったときは、「おもしろくなってきた」って言おうと
名言セラピーに書いてあるので、

このとき、主催のカナミンはちゃんと言ってくれた。


「おもしろくなってきましたね」と。


カナミンは参加者全員にひとまず僕が来れるかどうかわからなくなった旨を
伝えてくれた。


不測の事態、一番大変なのは主催のカナミンだ。




さて、ひすいこたろう、僕はどうする?




まず、決めた。







どうなろうが行く!








どんなに遅れようが、
1分しかワークショップができなくとも然別湖に行く!


行き方は天に任せるが、
とにかくオレは行くぞと

天を見上げ宇宙に宣言した。



しかし、飛行機は飛ばない。
さて、どう行くか?


僕はAIR DOのカウンターに並びながら
主催のカナミンに電話しながら
行ける可能性を一緒にさぐった。


17時発の飛行機を待つか?
でも待っても飛べない可能性が高い。


ならば陸路で行くか。
しかし、陸路で北海道へ向かうルートを調べたら、
到着するのが、最短で翌朝の9時となる……。


すると、カナミンが思いついた。


「仙台空港からなら飛んでるかも!」


「じゃあ大至急チケットとっておいて。いまからダッシュで東京駅へ向かうよ。仙台へ行く」


「ひすいさん、待ってください。いま、調べてみます……あ!!!!!仙台も欠航です!」



僕はAIR DOのカウンターに並びながら
この電話のやりとりをしていたのだが、
列に並んでいた30代くらいの男性が
僕の会話を聴いていたらしい。


彼からこう声をかけられた。


「どうしても今日中に帯広に行きたいんですか?」


「あ、はい。どうしても今日中に行きたいんです」


「あなたが電話してる間に調べてみたんですが、新潟はまだ飛んでます」


「まじですか!? わざわざ調べてくれてたんですか?」


「僕は帯広生まれなので、役に立ててよかったです。帯広、ぜひ行ってください」


「帯広に向かいます。助かりました!!!!ありがとうございます!!!!」



僕は彼と握手を交わし、列を離れ、今度は東京駅、新幹線へ向かう。
スーツケースをひきずりながらも空港から駅へ走った。



走りながら、カナミンに再び電話を入れて、新潟発の飛行機のチケットの手配を頼んだ。


16時15分発「札幌行き」のチケットがとれた。


ナイス、カナミン!


札幌から、然別湖までは車で約3時間かかるが、仕方ない。
北海道に行ってしまえば、なんとかなる。


僕は東京駅で新幹線に飛び乗り、今度は新潟の両親に電話をした。



新潟駅から新潟空港まで車で30分かかる。
駅をおりたところで両親に待っていてもらい
空港まで車で送ってもらう作戦だ。



「あ、かあちゃん?
 オレ。オレ」


まるで、オレ、オレ詐欺だ。



 「実は、今日、北海道に行かなきゃいけないんだけど、
 羽田空港は飛行機が欠航になっちゃって、いま新潟に向かっているんだ。
 新潟駅まで車で向かえにきてもらいたいんだけど
 とおちゃんに頼んでもらえる?
 あと、朝からご飯食べてないので、
 おにぎりを作ってきてもらっていい?」





上越新幹線は雪になれている。
これくらいの雪では遅れはしない。
このままいけば、15時15分には新潟につく。
飛行機が飛ぶまでは1時間余裕があるから大丈夫だ。



僕はほっとひといきついたと同時に、
新幹線のなかで
気を失うように眠りに落ちた。




…………アナウンスの声で目を覚めた。


そのアナウンスは告げていた。


「まもなく終点、新潟です。遅れましてたいへん申し訳ございませんでした」


なに!!!!!!

新幹線が遅れてただと?

確かに15分弱遅れていた。

でもまだ45分ある。

空港までは車で30分。

15分余裕がある!

僕は新幹線を降りて、
再び走り、

待ち合わせ場所である

新潟駅万代口のホテル東急インの駐車場前へ走った。


とおちゃんの車は


どこだ?
どこだ?
どこだ?
どこだ?


しかし、待ち合わせ場所にとおちゃんの車はない。


とおちゃんの携帯に電話して確認すると、

駐車場で手をふって待っているとのこと。


しかし、手をふっている人などどこにも見当たらない。



「とおちゃん、どこにいんの?」


「東横インの前でいま手をふってるぞ」

「え!? 東横イン?」

「東急インじゃなかったの?」

「東横インだよ」


東急インと東横イン
なんて紛らわしい名前をつけてくれるんだ!!!!!!
しかも同じ万代口にあるなんて、シャレにならんぜよ




これで10分ロスした。
この10分は痛い。


飛行機は16時15分発。
16時までにチエックインしなければいけない。


残り35分を切っていた。


もう、5分しか余裕がない。


これはまずいぞ。


雪のなか、スーツケースを持ち上げて、東横インまで全力で走り、
肩でぜーぜー息をしながら、ようやく見つけたとおちゃんの車に飛び乗った。





「とおちゃん、頼む!空港まで!」



しかし、新潟も雪の勢いが強まってきており、
道路が渋滞になっていた。

まったくスピードが出せない。


もう、僕が焦っても、しょうがない。





僕は時計を見るのをやめた。


天よ、すべてを天に任せる。




そのときに、かみさんから、メールが届いた。
羽田で飛行機が飛ばずに新潟に向かうむねをメールしてあったので
その返信が届いたのだ。


メールには子供たちの写真が添付されていた。



両手を合わせて、飛行機が飛ぶように祈ってくれている写真だった。


息子の祈りの表情があまりに真剣で感動した。
娘は娘で面白い顔で祈ってくれていて
それがおかしくてなごんだ。


とおちゃんの隣に座っている、かあちゃんにその写真を見せると娘のおもしろい顔に爆笑。


すると、とおちゃんが「うるさい!!!!」と切れた。


とおちゃんはいま、1分でも速く空港に僕を届けようと真剣勝負で運転してるのだった。

すまん、すまん。


雪のなかの、ひすいファザーのカーチェイスだ。
とおちゃんの愛を感じた。

車中のなかで食べた、かあちゃんのおにぎりにも愛を感じた。



かあちゃんは、
こんな状況でも僕が、かあちゃんにおにぎりを頼んだことがうれしかったのだそうだ。


ちなみに新幹線の中から
新潟駅に車で待っておいてほしいむねを電話したときに

かあちゃんは、僕のために、かぼちゃの煮込みを始めて
とおちゃんに叱られたそうだ。

「今からかぼちゃを煮込んでたら空港に間に合わない!」と。


確かに

「かあちゃんが、かぼちゃを煮込んでたら、飛行機にのれませんでした」
じゃしゃれにならん。

でも、かあちゃんとは
子供のためなら
どんなときでも、手のこんだものを作ってあげたいと思うものなんだな。



ついたときがついたときだ。
僕はもう時計を見ていない。



ようやく空港が見えてきた。


入口に車をつけると、僕はドアを飛び出して、カウンターに走った。


チエックインは16時まで。


しかし、時刻は16時5分を過ぎていた……


間に合わなかったか……。
しかし、なんとかギリギリチエックイン。


ふ~~~~~~~~~~

間に合った~~~~~~。





しかし、まだまだ天は僕を北海道へは行かせなかった。







新潟も雪の勢いが加速していたのだ。

これでは飛べない。

出発がおくれるむねアナウンスが入った。


そして、待つこと1時間半。

ようやく機内に案内されて、シートベルトをつけた。

もうここまでくれば大丈夫だ。



朝早かったこともありほとんど寝ていなかったから
僕は安心して、再び気を失うように眠りにおちた……


どれくらい寝たのか、定かではないのだが、ふと目覚めて窓をみると、

地上だった。


え? もう北海道ついたの?

ん?
違う。
どうしたんだ?


飛行機は飛び立っていなかったのだ。

アナウンスが入った。


「ただいま雪がはげしくなっており、これから除雪に入ります。
 皆様、申し訳ございませんが、一度機内から降りて下さい。
 なお、何時に飛び立てるかはまだ未定です」



なんだと!?

機内に乗ったにもかかわらず、飛べないなんて!!!!



待合室に戻され、そこでまた1時間半くらい待っただろうか。
再び機内に入るようにアナウンスが入った。


今度こそ行ってくれ。


機内に入り、シートベルトをつけた。

今度こそ大丈夫であろう……



しかし、また飛行機は飛ばなかったのだ。


管制塔からいまは飛び立てないと判断がくだされ再び機内から出された。


札幌空港で待っていてくれた
カナミンとドライバーひでさんは
ここでガックリ肩を落としたようだ。


2度まで機内に通されて、それでも飛ばなければ、もう、ムリであろうと。





「ひすいさんを然別湖に連れてこなければいけない」
そうカナミンが直感して企画してくれたワークショップだが、

どうしても、どうしても、どうしても、

僕は然別湖へむかえないのだ。



坂本龍馬の因縁をひきづっているのかと思った。


いま、僕は龍馬の本を書いているのだが、
北海道は龍馬が行きたくても
どうしても行けなかった因縁の地なのだ。


龍馬はその生涯で2度、
北海道を目指したが、たどりつけずに
最後に暗殺されて
その夢を断たれている。


龍馬は手紙のなかでこう書いている。


「蝦夷地(北海道)に新しい国家を開こうとするのは、私の一生の祈願です。
一人でもやり遂げたいと思っております」

「私の一生の祈願」
「一人でもやり遂げたい」

龍馬はそこまで願ったが叶わなかったのだ。


北海道を開拓し、志士たちを移住させ
北海道に新しい未来を築こうというのが龍馬の夢だった。

妻のおりょうさんにも北海道で暮らす夢を語り
おりょうさんもそのつもりで北海道の言葉を学んでいた。

そして、幕府からその資金を引き出すことにまで成功していたのに
その夢が叶う前に暗殺されたのだ。


その因縁を今回ひきづているのか
2度までも飛行機がとばず
機内に入ってからも
2度までも降ろされた。


ちなみに龍馬は暗殺されたので、3回目のチャンスはなかった……。


そんなことを思っていると、
大阪から新潟空港へ来る飛行機が雪で降りられないというアナウンスが入った。


降りれないんだから、もう、飛べないんじゃないか、そう思った。
実際、他の飛行機もゾクゾク欠航になっていく。


天気とは
天の気もち。

天は僕の北海道行きを拒み続けた。



しかし、僕はこういう気持ちだった。

天よ、
あなたがどんなに僕をこばんでも、
僕を待ってくれている人がいる限り
どんなに遅れても
僕は行くよ。


しばらくすると、もう一度機内に入るようにアナウンスが入る。


今度こそ飛べるのか。
飛べないのか。
3度目の正直だ。


3度目のシートベルトをつけた。





あとは待つだけだ。






祈るような
それでいて
どうなろうがその結果を受け入れるような心境になっていた。




おれがいまできることは
もう、待つだけだ。



「では出発します」



そうアナウンスが入った。

思わずガッツポーズがでた。

待ってたぜ、その言葉!!!!!!!


3度目にして、その飛行機は飛び立ってくれた。




あれだけまわりが欠航になるなか、

AIR DO 119便
よくぞ飛んでくれた。








初日、僕が然別湖・湖畔の宿に僕が到着したのは23時半だった。
なんとかその日のうちにつけたのだ。



皆が今日1日ずっと待ってくれていたセミナー会場の扉をあけた。

扉が開いたその一瞬、呼吸が止まった。



みなが僕の『Hug Friends』のクマと犬にちなんだ
クマと犬の手作りのお面をかぶって
僕を驚かせようと待ってくれていたのだ。


みなが僕を拍手で向かえてくれた。


こんなにも遅れてきた僕を
ビックリさせようと
夜中に寝ずに待っていてくれたのだ。


涙がでそうになった。

いや。少しでた。


でも僕は息子に似て、さいわいなことに
目がほそいので、
涙に気づかれることはなかった。




こうして1泊2日の
ひすいこたろうワークショップは

初日、真夜中0時からスタートしたのであった。



「田原俊彦さんと同じ名前です。としちゃんと呼んで下さい」
と自己紹介してくれた
俊彦社長はこう言ってくれた。


「ワークショップに参加したのは、ただひすいさんにお礼をいいたかったからなんです。
だから、ワークショップ自体がなくても、今日はお礼を伝えられればそれでいいと思ってました。
 『あした死ぬかもよ』を読んで、助けられました」


スタッフの方から聞いたのだけど
俊彦社長は、僕が到着する前に、
然別湖の氷でできたおうち(コタン)のバーで、
http://www.nature-center.jp/kotan/page-kotanareainfo.htm
参加者みなにお酒をおごってくれていたそうだ。



お礼をいいたいのはこっちのほうです。



講師の僕よりも
参加者のみんなの方が愛に溢れている。


僕が教えられるようなことはなにもない。


そんな人たちに支えてもらってる。
なんてありがたいんだ。




アイヌの聖地、然別湖でのワークショップ


ぼくのなかでも忘れられない2日間になりました。


翌日も延長してワークショップをやったから、
結局、予定した以上のことができてひとまずほっとした。

遅れたおわびにひとりひとり全員に名前セラピーもした。




参加者さんから
「ひすいこたろうワークショップ、500%満足です」とのお声もいただいた。


やりきったあとは
心は雪のようにまっしろで
とても静かだった。



然別湖で僕がいただいたものは、
まだ言語化できていない。


でも何か大きなものをこの日、みんなで授かった。
その感覚がしっかりある。




この日、僕は1日中ハラハラしてたけど、
でも、最後は笑顔で帰れるって、
確信だけはあったんです。







どんなに遅れてもあきらめずに行くって決めたら
最後は笑顔になるって確信をもてたんだ。






新潟から飛行機が飛んでると調べてくれた名も知らぬあの男性。

子供たちが飛行機が飛ぶように祈ってくれたあの表情。

雪道のなかで、カーチェイスを繰り広げてくれたとおちゃん

時間のないなか、おにぎりを一生懸命にぎってくれたかあちゃん

参加者さん全員にお酒をごちそうしてくれた俊彦社長。

すべてを乗り越えてくれたスタッフのじゅんじゅん、秀さん、るみさん、そしてカナミン。

僕にサプライズをしようと寝ずに待っていてくれた参加者さんのみんな。

おまけに、ハラハラ、ドキドキの演出を加速してくれた東横インと東急イン(笑)

そして2度までも飛べないなか、


なおあきらめずに3度目で飛んでくれたAIR DO119便。




45年ぶりとなる大雪のおかげで

僕はこんなにもたくさんの愛と出会えた。







思い通りにいかないとき、人は
思いがけない愛と出会うんだ。








ひすいこたろうでした(^^♪
hisuikotaro@hotmail.co.jp
 ▲▲▲アリガ島▲▲▲


「欽ちゃんの快和術」 その③

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「欽ちゃんの快和術」 その③です。

萩欽一氏の著書、「誰とでも心が通じ合う日本語のしゃべり方 快和術」から ”正論をかわいげのある言葉にするコツ”編です。

ちょっとした言葉の工夫で、その場の空気を和やかに変えてくれます。







以下、その内容です。


言葉のパンチを出す入って、どこの会社にもいる。そういう人は、すぐに上司や同僚とケンカになって、職場の空気を悪くするし、自分の立場も悪くする。
 会社の中では「正論」が、危険なパンチになることがよくあるよね。

これは言い方がただしくないってこと。
言っていることが正しくても、言い方が正しくなければ、その日本語は正しくないし、相手を気持ち悪くさせる。

「どうして、すぐにA社に連絡をしなかったんですか?それは、A社が処理すべき問題であって、ウチがやるべきことではないでしょう。莫大な時問と経費のムダですよ」 なんて、まくしたてる。

 自分が言っていることに間違いはないと確信してるから、自信満々にまくしたてる。
こんなことがわからないなんて、どうかしてるんじゃないですか?と。言わんばかりに正論をぶっける。

 言われてるほうとしては、こいつの言ってることは正論ではあるんだけど……、という気持ちすらフッ飛んで、ひたすらどこまでも気分が悪くなる。

こいつは人の気持ちのわからないヤツだ、人間として最低だ、というような気分を高める。

 そうならないためには、どうすればいいのか。


 正論を言うときには、その頭やおしりに、かわいげのある言葉を足せばいいの。
 たとえば「ボクみたいな、いつもヘマばっかりやってる人問が言うのもなんなんですけど……」のような言葉を頭にくっつけてみる。


感情が高ぶって、つい、頭に言葉を足すのを忘れたときでも、おしりのところに「……なーんて、みなさんが先刻ご承知のことをエラそうに言っている自分が、恥ずかしくなってきました」のような言葉を足せば正論の破壊力が、ずいぶん緩和さ
れる。


 頭とおしりと両方に、かわいげのある旨葉を足せば、もっともっと緩和される。
 自分なりにかわいげのある言葉を、いくつか用意して持っておくと、自分も相手も会話で気持ち悪くなることがめっきり減るから、すごくいい。
 
言葉のパンチが、パンチじゃなくて、相手のほおをなでてるくらいの、ソフトな言葉に変わるからね。



ソチ五輪 絶対におまえは世界一になれる

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、『致知』2005年8月号 特集「彊めて息まず」より、葛西紀明(ソチ五輪日本選手団主将)の母からの手紙「絶対におまえは世界一になれる」です。

葛西選手は、いまでも大事な大会の前にはこの手紙を読み返しているそうです。


以下その内容です。
お読みください。



明日2月7日に
開幕するソチ五輪。


今回、日本選手団の主将を務めるのは
スキージャンプの葛西紀明氏です。


葛西氏は、先日オーストリアで行われた
ノルディックスキーのワールドカップで優勝し、
ワールドカップ史上最年長優勝記録を
塗り替えました。


その驚異的な強さは
どこから来るのか――。


自分を支えてくれる人たちの
存在が大きかったですね。


実は、94年のリレハンメル五輪の前年に、
妹が再生不良性貧血という重病に
かかりましてね。


辛い治療を何度も受けたり
ドナー探しで大変だったんです。


妹のためにもぜひ金を取りたい
と思っていたんですが
銀に終わってしまった。


でも、妹は病気をおして
千歳空港まで迎えに来てくれましてね。


誰にも触らせずにおいたメダルを、
1番に触らせてあげたんです。
元気になってくれ、という気持ちを
込めましてね。


――喜ばれたでしょうね。


「ありがとう。次は金だよ」って
逆に励まされました。


病気の妹に比べれば、
自分は何も辛いことはない。


そんな妹を支えに、98年の長野五輪へ
向けて気持ちを奮い立たせました。


ところが94年の11月、
ある大会で転倒して鎖骨を折り、
しばらく跳べない状態が続いたんです。


翌年の5月頃、
ようやく完治して、
私はブランクを埋めるために
それまで以上に猛練習に励みました。


通常なら300本跳べば十分といわれる夏に、
900本跳んで再起を賭けたんです。


――通常の3倍の猛練習を。


しかし、それが逆に災いして、
その冬のシーズンで今度は
着地の時に足を骨折して
しまったんです。


普通に着地したんですが、
その途端にコリッと。


練習のし過ぎで、腰や股関節に
負担をかけ過ぎたのが原因でした。


それから1年半くらい
記録と遠ざかっていたんですが、
そんな折に実家が放火に遭いましてね。


母が全身火傷で病院に
担ぎ込まれたのです。


――ああ、お母様が全身火傷に……。


なんとか一命は取り留めたんですが、
火傷は全身の70%にも及んでいて、
炎の熱で肺も気管も焼けていました。


何度も皮膚移植を繰り返したんですが、
結局97年の5月に亡くなりました。

後から入院中に母の書いた
日記が出てきましてね。


それを開くといまでも
ポロポロと涙が出てくるんです。


ああ、辛かったんだろうなあって…。


貧乏と闘いながら
必死で働いて僕たちを育て、
ジャンプまでやらせてくれた母には、
いくら感謝をしてもし足りません。


金メダルを取って家を建ててあげる
約束を果たせなかったのが、
本当に残念で……。


入院中の母は、もう手も握れないくらい
ひどい状態でした。


痛みは絶えず襲ってくるし、
死の恐怖と必死に闘っていた。


そんな中で、不調な僕を気に掛けて、
励ましの手紙を送ってくれたんです。


――そこに書かれていたことは。


「いまこの時を頑張れ。
 絶対におまえは世界一になれる。
 お前がどん底から這い上がってくるのを
 楽しみに待っているよ。」と。


いまでも大事な大会の前には
この手紙を読み返します。


見るたびにものすごく
大きな力をもらえるんです。


 ソチ五輪 頑張れ!!葛西選手  頑張れ!!日本、期待しましょう。




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靴修理店 店長ブログ!

鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

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