被災者を明るく変えた両陛下のお見舞い

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、国際派日本人養成講座より「被災者を明るく変えた両陛下のお見舞い」です。





下記のエピソードから、両陛下のお人柄や、先人が大切にしてきた陛下と我々との関係性が、ひいては天皇制がみえてくるのではないでしょうか。



「天皇制とは?天皇制と日本人」等々に興味にあるかたは、
当ブログの”天皇制を考えるその①~その⑤” (2012年8月24日~)を参照ください。







■1.「避難所がふわっとあたたかい空気に包まれたあの瞬間を一生忘れません」

 東日本大震災から48日目の平成23(2011)年4月27日、天皇皇后両陛下は宮城県の南三陸町と仙台市へのお見舞いをされた。

 これまで現地の救援活動に支障が出てはと、東京や埼玉県、千葉県、茨城県に避難した被災者のお見舞いに留めていた。この日、ようやく東北の地に入られたのだった。それも地元への負担をかけないよう自衛隊航空機で日帰り往復するという強行軍だった。

 南三陸町では町立歌津中学校に避難している被災者たちを、お見舞いされた。同中学校教諭・佐々木しげ美さんは、次のような感想をもらしている。


「生徒をお導きいただきありがとうございます」というお言葉に大変、勇気づけられた。天皇・皇后両陛下の優しいお心遣いを肌で感じました。避難所がふわっとあたたかい空気に包まれたあの瞬間を一生忘れません。


 ご案内した南三陸町の佐藤仁町長もこう語っている。


町民のみなさんの中には、家だけでなく家族を失った人も多く、外から見ただけでは計り知れないほど深く傷ついていた。そんな中での天皇皇后両陛下のご来訪は、どれだけ私たちの励みになったことが。

町民のみなさんがあんな笑顔を見せたのは震災後初めてでした。不思議なことに、両陛下と同じ場所にいるだけで、温かなオーラに包み込まれているような感覚があるのです。両陛下のご存在は、それだけで大きなものなのだと感じました。


 佐々木しげ美さんが「ふわっとあたたかい空気に包まれた」と言い、佐藤町長が「温かなオーラに包み込まれているような感覚」と呼ぶのは、何なのだろうか。


■2.「みなさん、自分の気持ちをきちんと受け止めていただいた」
 両陛下は南三陸町のあと、自衛隊ヘリで仙台市宮城体育館に移動された。そこで、お見舞いいただいた被災者は、次のような声を残している。


 皇后さまから、、、
「お子様の命を守られたんですね」と声をかけていただきました。

 私たち家族は、家も車もすべて流されました、、、
でも皇后様に言われたように家族の命はみな無事でした。
今をいきるだけです。
宮城県仙台市 松本まゆみさん(40歳)、末歩ちゃん(3歳)


 父は天皇皇后両陛下に亡き妻の写真を手に取って見て戴いてから、その写真を宝物のように大事にラップをかけて、毎日眺めております。本当にお忙しい中、お見舞いしていただき、うれしく思っております。父の代わりに代筆しました。
宮城県仙台市 赤間憲さん(70歳)、娘・利加


 お見舞いに付き添った仙台市・奥山恵美子市長は、こう語っている。


 被災した人々におことばをかけられる両陛下を間近にし、被災者がつらい現実を両陛下に訴える場面も見ましたが、両陛下は、そのお尋ねをしっかり受け止めながらも、決して気休めはおっしゃらない。

でも、必ずその方の心が落ち着くようなおことばをかけられる。一人ひとりは決して長い時間ではありませんが、みなさん、自分の気持ちをきちんと受け止めていただいたと思っているのが、その場にいてよくわかりました。これはもう、ご経験とお人柄による「人間力」の大きさと言えるでしょう。


■3.「亡くなったお子さんは、必ず御母様のことを見守ってくれています」

 震災から2ヶ月後の5月11日には福島県の福島市と相馬市をお見舞いされた。太平洋に面している相馬市は、死亡・行方不明459名、家を流された人約5千名という大きな被害を受けた。また福島第一原発から半径45キロ圏内にあり、「計画的避難地域」に指定されている南相馬市などから避難してきた住民もいた。

 相馬市立中村第二小学校の避難所で、小学6年生の長女と1年生の長男を津波でなくし、6歳の次男と避難所で暮らしていた32歳の女性が、前年に撮影した子ども3人の写真と、長女が生前に書いた書き初めを、天皇皇后両陛下にお見せした。

 皇后さまは沈痛の面持ちで女性の両手を包み込むように握られ、「おつらいとは思いますが、亡くなったお子さんは、必ず御母様のことを見守ってくれています」とお話しになった。

 そして、次男に向かい「お母さんをしっかり守っていってあげてくださいね」と声をかけられると、6歳の子は健気にも「わかりました。守ります」と答えた。

 その女性は「手を握りながら頑張ってくださいねと言われ、本当に励まされました。つらいことが多いですが、しっかりと生きていきます」と、かみしめるように語った。

「必ずその方の心が落ち着くようなおことばをかけられる」とは、こういうことだろう。


■4.「こうした地震が今もあるのですね。怖いでしょうね」

 この1週間前、5月6日には岩手県の釜石市から宮古市をお見舞いされている。

 釜石では、98名の被災者が避難生活を送る釜石中学校を訪問された。自衛隊のヘリで釜石市陸上競技場の臨時ヘリポートに着かれ、そこからマイクロバスで移動された。釜石市の野田武則市長は、道中の両陛下のご様子を次のように伝える。


 片道35分の道中、どんなにお願いしても、両陛下がお座りになることはありませんでした。沿道で出迎える人々にお手を振り続けるため、車中を右に左に移動されていたのです。

 被災地に到着されたその時から、ご自身の使命を果たそうとされるお姿に感動するとともに、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。


 避難所になっている釜石中学校の格技場に入られると、津波で一緒にいた家族を助けることができなかった、と話す女性に対し、両陛下は「おつらかったですね」と、その苦しみを分かち会われた。

 両陛下お見舞いの最中に震度3の地震が発生した。避難所内にガターンと大きな音が響き渡ったが、天皇陛下は揺れなど気になさらず、人々に励ましのことばをかけ続けられた。

 皇后さまの側にいた74歳の女性は揺れに驚き、とっさに皇后さまの手を握っていた。皇后さまは「大丈夫よ。落ち着いてください」といわたりのことばをかけられ、「こうした地震が今もあるのですね。怖いでしょうね」と手を添えて優しく握り返された。


■5.「生きていてくれてありがとう」

 両陛下は、再び、マイクロバスで臨時エアポートに戻られ、ヘリで宮古市の宮古市民総合体育館に向かわれた。そこでは総勢116名の被災者が避難生活を送っていた。お見舞いを受けた被災者たちは、寄せ書きに次のような感想を記している。


 宮古にいらして下さり、ありがとうございました。
「生きていてくれてありがとう」のお言葉をいただき、孫達とともに大事に、一歩一歩進んで行きたいと強く思いました。
野崎礼子、典子、麟、玄弥


 温かい言葉をかけて頂きました。本当に嬉しかったです。頑張れます。ありがとうございました。
伊藤力男、文子


 あの日の一瞬の出来事は、一生忘れることはないです。私の顔を見て、声をかけてくれて微笑んで下さいました。美智子様から笑顔とパワーをもらいました。

 これからの人生努力してがんばって生きていきたいと思います。お会い出来た事に感謝します。
中播由紀子


■6.「お見舞いを受けてから、人々の気持ちは前向きになっています」

 山本市長は、この時のお見舞いの様子を次のように語っている。


 事実、天皇皇后両陛下のお見舞いを受けてから、人々の気持ちは前向きになっています。ご来訪いただいたあの日、人々の表情は、本当に違っていました。おそらく両陛下のなかに日本人の心を見たのだと思います。

だから自然に涙が出たり、笑顔になったり、ほっとした顔をして、「本当によく来て下さいました」「勇気と希望が湧いてきます」「ありがとうございました」と口々にいう市民と接して、つくづく天皇皇后両陛下が果たされている役割というのは大きいと感じ、感謝に堪えません。


「日本人の心」とは、人を思いやる、素直な明るい、前向きの心持ちではないか。両陛下の被災者を思いやられるお気持ちに触れ、素直な明るい、前向きの「日本人の心」を取り戻したのだろう。

 ここで語られた「前向きの気持ち」「笑顔とパワー」「勇気と希望」は、冒頭の、両陛下のお見舞いで「ふわっとあたたかい空気に包まれた」「温かなオーラに包み込まれているような」という感想に通じている。


■7.「ともにいて、慰めるということがどれほど大切なことか」

 被災者たちの心が、なぜこれほどに明るく変わるのか、仙台市の奥山市長の次の言葉が参考になる。


・・・大きな余震も頻繁に起きていましたから、市民の不安は大きかったと思います。

 そんな折りでの天皇皇后両陛下の行幸啓は、市民にとってはとてもうれしく、ありがたいものでした。避難所で、被災した方が今のつらい現実を両陛下に訴えるのですが、その度に被災者の痛みをしっかり受け止められ、深い慈愛でお答えになるのです。

今回の震災のような災害は、とても理不尽なものです。その理不尽なことが国民に起こった時に、ともにいて、慰めるということがどれほど大切なことかを深く思っていらっしゃるからこそ、一つひとつのおことばが国民に届くのだと思います。

両陛下のご来訪によって、私自身も「市民のために頑張らなくては」と心を新たにすることができました。


 1億2千万人もいる日本で、自分たちだけが家を壊され、家族を失う。それは「理不尽」そのものである。その「自分たちだけへの理不尽」に、孤立の中で立ち向かえる強い人はほとんどいない。

 そういう時に、「ともにいて、慰める」人がそばにいる、ということが、どれほど大切なことか、と奥山市長は説く。国民を代表する両陛下が駆けつけてくれて、自分たちのそばにともにいて、自分たちの気持ちを聞いてくれる。自分たちが頑張って立ち直れば喜んでくれる。

「自分たちは孤立しているのではない。両陛下とその背後に全国民が自分たちを気遣い、慰めようとしてくれている」と気づいたことで、避難所が「ふわっあたたかい空気に包まれ」、被災者たちが「前向きの気持ち」「笑顔とパワー」「勇気と希望」を取り戻したのである。


■8.「天皇皇后両陛下のもとの日本国民でよかった」

 茨城県北茨木市は、両陛下が4月22日にお見舞いされた場所である。皇居から車で約3時間もかけて移動された。同市の小林由美子さん(63歳)は、両陛下のお見舞いを受けて、次のように語っている。


 この度の東日本大地震が発生し、大事に至らずとも被災者になりました。被災者となり心の不安をかかえている時、天皇皇后両陛下のお見舞いの場に出逢えて、その姿、ねぎらいのお言葉に感動し、自然と涙があふれでました。

おごることのないお姿、心底からのやさしさがにじみでて、ふれあいの心情、日本国民を心配してのお気持ちが伝わってきました。私たち国民の幸せと平和を願っている天皇皇后両陛下のもとの日本国民でよかったと思いました。


 両陛下はひたすらに国民の幸せと平和を願われている。それは親が無私の心で子供の幸せを願う「肉親の情」そのものである。その「肉親の情」を身に受けているのが、「天皇皇后両陛下のもとの日本国民」の幸せである。

 明日、天皇陛下は80歳の傘寿(さんじゅ)をお迎えになる。我々も「肉親の情」を持って、子供が親の長寿と健康を喜ぶように、お祝いしようではないか。それは日本という「我が家」の慶び事である。

(文責:伊勢雅臣)

イチロー選手の「球界の天才はいかにして活力を生み出しているか」

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、イチロー選手の「球界の天才はいかにして活力を生み出しているか」です。





山本益博(料理評論家)の『一流たちの金言』より、
イチロー選手が野球に対して準備に準備を重ね、備えを怠らない人だ。なぜ準備をするのかということについて、 彼は昔 「言い訳を最小限にするためだ」と言っていたエピソードを交え、イチロー選手の野球に取り組む姿勢について紹介してます。

以下、その内容です。

         




私も年に一度はシアトル・マリナーズの
ホームグラウンドへ足を運んでいるが、
基本的に野球観戦ではなく、
イチローを見に行っているのである。


その際、一塁側の観客席からはベンチでの
イチローの様子が窺えないため、
相手方の3塁側に座ることもある。


そこから双眼鏡でマリナーズベンチを覗いてみると、
味方の攻撃中にもかかわらず、
なぜかイチローはほとんどベンチにいないのである。


テレビで観戦していても、誰かがホームランを打って
チームメートがハイタッチしている輪の中で
イチローを探しても、まずいない。


もちろん打順が回ってくる時はスタンバイしているが、
おそらくそれ以外はロッカールームで次の守備に備えて
ストレッチをしているのだろう。


とにかく彼は準備に準備を重ね、備えを怠らない人だ。
なぜ準備をするのかということについて、
彼は昔


「言い訳を最小限にするためだ」


言っていた。


例えば前の晩にグローブの手入れを忘れたとする。
翌日の試合でたまたまミスをすれば、
「昨日グローブの手入れを忘れたから」
と道具のせいにしたり、言い訳したくなるものだが、
彼はそれを許さない。

そこまで徹底して準備をするイチローは当然
「ミス」がほとんどないのだが、
2004年の7月17日のクリーブランド・インディアンズ戦で
貴重な(?)凡ミスをしたのである!

ライトヘの凡飛球をグローブに当てながらも
落球してしまったのだ。


この日のインタビューで、彼は


「ルーティンのフライボールを落とすということは、
野球を始めて以来、一度もなかったと思います。
 野球の基本を見直す機会にしたいと思います」


と答えている。


これほどの選手が「基本を見直す」と言う自体がすごいが、
さらにすごいのは、その「見直し」が行われたであろう。

翌日の18日から打ちに打ちまくり、
8月17日までの28試合で
132打数67安打の記録を残したのである。


イチローはヒットで出塁し、
ホームインしてベンチに戻ってくると、
すぐにバットケースから自分のバットを取り出し、
いまのヒットはバットのどこに当たったのかを見ている。


職人は毎日同じ仕事をしていても、
日々の仕事の見直しや点検を決して怠らないものだが、
ことバッティングに関して、ほぼ毎打席、
見直し・再点検を行っているイチローには恐れ入る。


イチロー選手の名言集 その②

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「イチロー選手の名言集 その②」です。








「やってみて「ダメだ」と
わかったことと

はじめから「ダメだ」と
いわれたことは、ちがいます。」


「手抜きをして存在できるものが、
成立することがおかしい。」


「ここまで来て思うのは、
まず手の届く目標を立て、
ひとつひとつクリアしていけば、

最初は手が届かない
と思っていた目標にも

やがて手が届くようになる
ということですね。」


「バットの木は、
自然が何十年も掛けて育てています。

僕のバットは、
この自然の木から手作りで作られています。
グローブも手作りの製品です。

一度バットを投げた時、
非常に嫌な気持ちになりました。

自然を大切にし、
作ってくれた人の気持ちを考えて、
僕はバットを投げることも、
地面に叩きつけることもしません。

プロとして道具を大事に扱うのは
当然のことです。」


「人に勝つという価値観では
野球をやっていない。」


「今自分にできること。
頑張ればできそうなこと。

そういうことを積み重ねていかないと、
遠くの目標は近づいてこない。」


「他人の記録を塗り替えるのは、
7割・8割の力でも可能ですが、

自分の記録を塗り替えるには、
10割以上の力が必要です。」


「”楽しんでやれ”とよく言われますが、
僕には、その意味がわかりません。」


「夢や目標を達成するには、
1つしか方法がない。
小さなことを積み重ねること。」


「自分のできることを
とことんやってきた
という意識があるかないか。

それを実践してきた自分がいること、
継続できたこと、
そこに誇りを持つべき。」


「自分が全く予想しない球が来たときに、
どう対応するか。
それが大事です。

試合では打ちたい球は来ない。
好きな球を待っていたのでは、
終わってしまいます。」


「練習で100%自分を作らないと、
打席に立つことは出来ません。

自分の形を見付けておかないと、
どん底まで突き落とされます。」


「自分の限界を見てから、
バットを置きたい。」


「僕は僕の能力を知っていますから、
いくらでも先はあるんですよ。

人の数字を目標にしているときというのは、
自分の限界より遙か手前を
目指している可能性がありますけど、

自分の数字を目指すというのは、
常に限界への挑戦ですから。」


「なにかを長期間、成し遂げるためには、
考えや行動を一貫させる必要がある。」


「決して、人が求める理想を求めません。
人が笑ってほしいときに、笑いません。
自分が笑いたいから、笑います。」


「特別なことをするためには、
普段の自分でいられることが大事です。」


「キライなことを
やれと言われてやれる能力は、
後でかならず生きてきます。」 


「グラウンドの上では、
自分の築きあげてきた技術に対する自信、
今までやってきたことに対する自信、

「やりたい」と思う強い気持ちが、
支えになります。」


「チームに乗せてもらうことはありますが、
そういうときは少ないのです。

チームの流れとは別のところで、
自分をコントロールしてきたつもりです。」


「チームの調子が悪くても、
自分が崩れることはありません。」


「ハイレベルのスピードでプレイするために、
ぼくは絶えず体と心の準備はしています。

自分にとっていちばん大切なことは、
試合前に完璧な準備をすることです。」


「パワーは要らないと思います。
それより大事なのは、
自分の「形」を持っているかどうかです。」


「プレッシャーに潰れるようだったら、
その選手はそこまで。」


「なりふりかまわないで、
自分の行きたい道を進むこと。」

イチロー選手の名言集

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「イチロー選手の名言集」です。





イチロー選手ならではの名言集を集めてみました。
野球に取り組む真摯な姿勢が滲み出てくるような言葉です。





『小さいことを積み重ねるのが、
 とんでもないところへ行く
 ただひとつの道だと思っています』

『今自分にできること。
 頑張ればできそうなこと。
 そういうことを積み重ねていかないと、
 遠くの大きな目標は近づいてこない』

『少しずつ前に進んでいるという感覚は、
 人間としてすごく大事』

『ぼくが数字で満足することはあり得ません。
 なぜなら、数字が内容を反映しているとは限らないからです。
 目標を設定してそこに到達すれば、
 そこで満足してしまって先へ進む努力をしなくなるでしょう。
 毎打席何かしら学ぶべきこと、
 改良すべきことがあります。
 満足は求めることの中にあるんです』

『僕はいつも一生懸命プレーしていますが、
 今日はよい結果が出なかった。
 でも、だからといって後悔もしていないし、
 恥ずかしいとも思っていません。
 なぜなら、できる限りの努力をしたからです』

『他人の記録を塗り替えるのは
 7割、8割の力でも可能だが、
 自分の記録を塗り替えるには
 10以上の力が必要だ』

『自分のできることを
 とことんやってきたという意識があるかないか。
 それを実践してきた自分がいること、継続できたこと、
 そこに誇りを持つべきだ』

『自分で無意識にやっていることを、
 もっと意識をしなければならない』

『世の中の常識を少しでも変えるっていうことは、
 人間としての生き甲斐でもありますから』

『ぼくは一試合一試合振り返っています。
 纏めてふり返ることはしません。』

『やれることはすべてやったし、
 手を抜いたことはありません。
 常にやれることをやろうとした自分がいたこと、
 それに対して、
 準備した自分がいたことを誇りに思っています。』

『自分が全く予想しない球が来たときに、どう対応するか。
 それが大事です。
 試合では打ちたい球は来ない。
 好きな球を待っていたのでは終わってしまいます。』

『苦しいシーズンで、
 経験しなかったことをくぐり抜けると、
 もっと野球を好きになります。
 野球の魅力ってのは終わりがありません。』

『最初は真似みたいなところから始まりますよね。
 いろんな人のフォームを真似たりして。
 何となく今の自分がいるという感じはありますよね。』

『練習で100%自分を作らないと、打席に立つことは出来ません。
 自分の形を見付けておかないと、どん底まで突き落とされます。』

『今自分がやっていることが好きであるかどうか・・・』

『僕は決して「打率4割」とは言わないんです。
 6割の失敗は許してやるわ、と。
 いつもそう言っているんです。』

『進化する時ってカタチはあんまり変らない。
 見えないところが変っている』

『妥協は沢山してきた。
 自分に負けたこともいっぱいあります。
 ただ、野球に関してはそれがない』

『苦悩というものは前進したいって思いがあって
 それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。
 だから苦悩とは飛躍なんです。』

『2000本目を打った瞬間には感動しましたけど、
 その時考えたのは、次の打席が大事だということ。
 2001本目を打つことができたので、
 2002本目を打つことが次の目標になります。』

『結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
 決してあきらめない姿勢が、
 何かを生み出すきっかけをつくる。』

『成績は出ているから今の自分でいいんだ、
 という評価を自分でしてしまっていたら、
 今の自分はない』

『第三者の評価を意識した生き方はしたくない。
 自分が納得した生き方をしたい』

「欽ちゃんの快和術」 最後

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「欽ちゃんの快和術」最後です。



萩欽一氏の著書、「誰とでも心が通じ合う日本語のしゃべり方 快和術」から ”初めて出会った、大人のカッコいい言葉”編です。





 高校生のときは、新聞配達のほかにも、いろんなアルバイトをやった。

西銀座のデパートで、窓と床とお便所をキレイにして、1日340円。封筒のあて名書きをやって、1日240円。さびついた鉄板を磨く仕事か一番高くて、1日400円。


賄い(メシ)を目当てに、飲食店の出前のバイトもやった。
  ある日、自転車に乗って出前をして、店に戻る途中、新宿の交差点で信号待ちをしてたらさ、「おまえ、何しやがんだ!」って、おじさんが顔を真っ赤にして、ボクに近づいてきたんだよ。

 「何って、なんですか?」
 「何じゃねえだろ!」
 「えっ、なんなんですか?」
 「なんなんですかじゃねえだろ。ココを見てみろ!」

  おじさんの車に横線が入ってたの。ピッカピカの新車に長いひっかき傷が1本。
 ポク、知らないうちに、自転車の荷台に載ってるアルミ箱の角かなんかで、ひっかっちゃったみたいで……。

 「おまえが働いてる店はどこだ。店の名前を言え!」


「言わないよ、ボク」
「言わないじゃないだろ、言えよ!」
「言わないよ、ボク」
「言えよ、言えって。すぐに店に連絡しろ」

 店、店の名前って言うから、ボクは言ったんだ。

「おじさん、ボクはアルバイトなの。1日230円。店のオヤジさん、いい人だから、ボクのかわりに払ってくれると思うけど、小さな店だし、そんな大金を払ったら、大変なことになっちゃうよ。オカミさん、泣いちゃうよ。だから、店の名前は言えないよ」

 「おまえのウチは?」
 「ウチにお金がないからアルバイトをしてるの。おじさん、むちゃなこと言わないでよ。ウチの親から取ろうとしてるでしょ。親が困らないようにボクがアルバイトしてるのに」


インチキはダメだ、絶対に逃げないぞ、とボクは思った。

「おじさん、ボクをおじさんの会社まで追れていって、その分だけ、働かせるのが一番いい方法だと思うんだよ。どれだけでも働くからさ。おじさんの車のあとを自転車で追っかけてついて行くからさ」って。

 そしたらさ、おじさんが急に、「キミの言ってることか正しいな。ボクの言ってることは間違ってた」って。
 「オレもキミみたいにアルバイトをして、頑張った頃があって、今、車を買えるようになったんだ。そのことを思い出した。学校を卒業したら、オレの会社においで。ごめんな……」

 おじさん、涙をためて、「さよならにって、名刺を1枚残して、帰ったの。
 ボク、おじさんの背中を見ながら、泣いたよ。ボロボロ泣いたよ。


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鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

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