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仏になろう! その②

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、”仏になろう! その②” 如来の見分け方です。

前回のブログで、大乗仏教では4種類の仏さま(如来・菩薩・明王・天部)がおられると話いたしましたが、
今回はその各如来(にょらい)さまの見分け方や各如来さまのイメージを代表的な仏像や絵画を掲載してみました。

如来は、形を見ればわかるようになります。

一般的に、天然パーマで、装飾品を一切つける必要が無く、悟りをひらいた人間は裸のままでよろしいというのが如来さまですが、大日如来だけは、王様の冠をかぶり、天衣(てんね)を着てたり、装飾品をまとっています。


大日如来だけが、釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来と違んですね。



釈迦如来 釈迦如来(しゃかにょらい)


如来さまの元は、「お釈迦さま」。お釈迦さまの能力は人間の苦しみを救うことです。

掌(てのひら)を外にして右手をあげ、左手も掌を外にして前にしています。


これは、与願施無畏(よがんせむい)という印で、右手は「おまえは苦しんでいるけれども、大丈夫だ」と、よしよしとなだめる形の施無畏印、おそれのない状態を与える印です。

左手は、あなたにこれをさしあげましょうと、ものを与える形での与願印です。
このような手の形をしている仏さまがあったら「お釈迦さまの仏像」と思ってください。





薬師如来    薬師如来(やくしにょらい)


衆生の病気を治し、安楽を与える仏とされます。


このため仏像もしばしば掌に薬壺(くすりつぼ)を載せているのは「薬師如来」です。
薬壺が無い場合もありますが、載っている場合が多いです。

この仏は菩薩であったころ、十二の大願を立てたとされ、その七番目の願いに「病のものも私の名前を聞けば患いが除かれる」とあって、これが薬師信仰の根拠とされています。





阿弥陀如来       阿弥陀如来   (あみだにょらい)

死の苦しみを救うのが 「阿弥陀(あみだ)さま」。人間が死んでから往く極楽浄土の仏さまです。

阿弥陀如来は両手の親指と人差し指でそれぞれ丸をつくっています。
これには三種類あって、
この丸をつくった両指を前で組み合わせたものを定印(じょういん)と言い、阿弥陀さまが瞑想している姿をしめしています。そして両手を上にあげる形は阿弥陀さまが説法している姿をしめします。
右手をあげて、左手を下げた姿は来迎(らいごう)印といって、阿弥陀さまが往生する人間を極楽浄土にいまお迎えに来た姿をしめします。





大日如来        大日如来    (だいにちにょらい)

密教の崇拝する、宇宙の中心にいらっしゃるのが「大日(だいにち)さま」です。

左手の人差し指あげて、それを右手でつつむ忍術使いのような印をしています。これを智拳印(ちけんいん)といい、智の力をあらわす形で、金剛界(こんごうかい)の大日如来の印です。
胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来の印は右手の指と左手の指を丸く組み合わせる印です。


今度、お寺に行く機会がございましたら、この方法で如来さまを見てみてください。









仏になろう!

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、”仏になろう!”です。


梅原 猛氏の著書 「梅原 猛の授業 仏になろうよ」 によると仏教の究極は、生きたまま仏になることです。
でも、仏になるといっても、いろいろな仏様があります。大乗仏教では、四種類の仏さま「如来・菩薩・明王・天部」がおられますので、まとめてみました。

1、如来(にょらい)さま
如来さまは、すっかり悟りを開いた本当の仏様です。

如来さまの元は、「お釈迦さま」。お釈迦さまの能力は人間の苦しみを救うことです。

病気の苦しみを治すのが 「薬師(やくし)さま」。両手を組んで、よく掌に薬壺をのせているのが薬師如来さまです。

死の苦しみを救うのが 「阿弥陀(あみだ)さま」。人間が死んでから往く極楽浄土の仏さまです。

密教の崇拝する、宇宙の中心にいらっしゃる 「大日(だいにち)さま」


1、菩薩(ぼさつ)さま
菩薩さまとは、今から仏になろうとする、仏になろうとしている人間です。これから悟りをひらく、いわば候補者です。

菩薩の代表が「観音さま」です。

観音さまは、本当は如来になれるんです。なれるけど、ならないのは、如来さまになって向こうへいってしまったら、民衆を救えないから、民衆と同じ現世にいて、民衆と同じ格好をしているんです。

観音さまは大乗仏教が生み出した仏です。大乗仏教は、すべての人を救おうとする菩薩の仏教で、大乗仏教のエースが「観音さま」なんです。

観音さまはと並んで崇拝されている菩薩が「地蔵さま」です。お坊さんの格好をしていて、地獄に落ちた人間を救います。特に子供を地獄で救ってくれますので、日本では観音さまと並んで崇拝されている菩薩さまです。

菩薩さまは、観音さま・地蔵さまの他に、勢至(せいし)さま・文殊(もんじゅ)さま・普賢(ふげん)さまとかがいらっしゃいます。



1、明王(みょうおう)さま
明王さまは、その多くは憤怒(ふんぬ)の相をして如来さまや菩薩さまを守っています。

明王の代表が不動(ふどう)明王さまです。

不動明王は、悪を退治します。悪を退治するというのは外の悪ばかりではなくて、自分の中の煩悩も退治する怒りの仏さまです。

日本では圧倒的に不動明王さまの信仰が盛んですが、他に大威徳(だいいとく)明王さま・軍茶利(ぐんだり)明王さまなどがいらっしゃいますが、如来さまや菩薩さまを守る仏さまなので、たいへん怖い顔をしています。



1、天部(てんぶ)さま
天部さまは、明王さまと同じように仏に仕えるけれども、四方を守る神とか、福をもたらす神があって、仏教を荘厳にします。

天部さまには、四方を守る四天王がおります。

多門天(たもんてん)さま・持国天(じこくてん)さま・広目天(こうもくてん)さま、増長天(ぞうちょうてん)さまです。それに帝釈天(たいしゃくてん)さまとか梵天(ぼんてん)さまとか、バラモン教で高く崇拝されている神が仏教にはってきたものがあります。
その他、弁天(べんてん)さま・大黒(だいこく)さまとかの福の神も天部に属します。

最後に、天台の教義のなかには十界冴互具(じっかいごぐ)という思想があり、

世界は 如来 : 菩薩 : 縁覚(えんかく) : 声聞(しょうもん) : 天上(てんじょう) : 人間(にんげん) : 阿修羅(あしゅら) : 畜生(ちくしょう) : 餓鬼(がき) : 地獄(じごく) の十の世界からなりたっているそうです。


因みにキリスト教では、キリストが神の子だから、

決してキリストになろうとはいいません。せいぜい、キリスト教を信じ、キリストに学ぼうというのがせいいっぱいのところです。

 

仏教では、「仏になる」と言いますし、神道では神々と人間はあまり区別されていません。

儒教では、孔子や孟子は聖人で、孔子や孟子になることが理想とされています。


私は、仏教を勉強したことがなかったので、如来さまや菩薩さまや観音さまの違いが分かりませんでした。
今回、頭の中で整理できましたのでスッキリしたような気分です。


最後に、誰の心の中に「菩薩さま」はいらっしゃると思います。
女の人は、自分の子供に接する時は、慈悲の仏「菩薩さま」のようです。
(しかし、旦那さんに接するとき、時には夜叉になったりもしますが!)


そして、仏になることを目指すすべての人を菩薩ということを学びました。

皆さん!仏さまを目指せば、あなたも必然的に菩薩ということになります。
そうしたら、仏になるスタートラインに立ったことになり、いつかは仏になれるかも?しれません。


私は、仏になれないとは思いますが、最低限そのスタートラインにだけは立ちたいと思っています。

世のためにならないことはいっさいやらん!

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、ひすいこたろう氏の名言セラピーから 本田宗一郎の「世のためにならないことはいっさいやらん!」です。

 本田氏は、生前 「世のためにならないことはいっさいやらん!」という言葉をモットーにしてたそうです。 そして、やることは「感謝」。

以下、そんな本田氏の心温まるエピソードです。

 

 

世界のHONDAを生み出した、ミスターHONDA、

 本田宗一郎が亡くなったとき、ホンダは社葬をしなかったそうです。

 

というのは、これが本田さんの遺言だったから。
 「自動車会社の自分が葬式を出して、大渋滞を起こしちゃ申し訳ない」

 


というのは、これが本田宗一郎さんのモットーだったから。

 

 「俺は世のためにならないことはいっさいやらん」


また、生前、宗一郎さんは、こんなことを言っていたそう。

 「素晴らしい人生を送ることができたのも、お客様、お取引先のみなさん、社会のみなさん、
  そして従業員のみなさんのおかげである。
  俺が死んだら、世界中の新聞に
 『ありがとうございました』
  という感謝の気持ちを掲載してほしい」

 


 死んでも世のためにならないことはいっさいやらん。

そして、やることは……感謝。

 


 社長を辞めた後、宗一郎さんは、ホンダの事業所700ヶ所すべてをまわって、
すべての従業員一人一人と握手して、
 「ありがとう、ありがとう、いつもありがとう!」と伝えたそうです。
 何年もかかったけど全部回った。
 田舎の販売店をまわった時には、整備士が、喜んで走ってきたそうです。
で、握手をしてもらおうと思って
自分の手を差し出した瞬間に、
パッと自分の手を引っ込めた。
 仕事中だから、手が油まみれだったことに気づいたのです。
 「今、手を洗ってきます!」

すると、「その油まみれの手がいいんだ!」
と、宗一郎は、その整備士を引き止めて、両手で握手したそうです。

 宗一郎さんは、嬉しそうに手をながめて、
 手の油のにおいをかいでいたそう。

 

 

 「俺は世のためにならないことはいっさいやらん」

 

 

 愛で生きる!
そう覚悟を決めた男。


すごい、かっこいいな。

 

 

 


ひすいこたろうでした(^^♪

天皇の民  

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、「天皇の民」です。

 ねずさんの「昔も今もすごいぞ日本人!」を読んで、ぶったまげました。
日本史最大の転換点が7世紀にあって、
その時代に確立した「天皇による認証制度(天皇が神の位置におわす)」と「われわれ国民が天皇の民(公民)」となったおかげで、その時代から日本人は天皇(天皇制)に、守られてきたんだと改めて分かり、目から鱗でした。
これまで何回も天皇制について書いてきましたが、天皇制の本質はここにあるのだな~と言うのがわかりました。

 

 

 

日本の歴史のターニングポイントというのは、大きく2つあります。
それが7世紀と19世紀です。

と、いきなりお堅い書き出しになりましたが、たいへんおもしろいお話なので、しばしお付き合いを。
実は、これがいまの政情を考える上でも大きな意味を持つからです。

 

7世紀に何があったかというと、支那という外圧によって、国内が統一され、大化の改新が行われて日本が天皇のもとに統一されたという出来事です。


19世紀に何があったかというと、欧米列強という外圧があって、日本が再び天皇のもとに統一されたという出来事です。

 

そして19世紀に行われた明治維新にはじまる日本の統一は、実は7世紀の大和朝廷の仕組みを、形を変えて日本の体制に復元した、というものです。


ということは、日本という国の原点は、ある意味、7世紀にあるといえるかもしれません。

そこで7世紀に行われたこと、つまり、天皇のもとに日本が統一されたというできごとが、どういうことを意味するかというと、これが実はすごいことだったのです。

 

何がすごかったかというと、

天皇を政治的権力者ではなく、政治的権力者(いまで言ったら内閣総理大臣以下の閣僚、少し前なら武家政治の中心者である将軍など)に、その権力への認証を与える「権威」としたということです。

 

たとえば、支那の皇帝というのは、権力者であり、人民に対する絶対の支配者です。


そしてその支配者としての権力は、天の神から与えられます。天の神が、「おまえはもう統治者として不適格だ」とお怒りになると、そこで革命が起こって、別な家系にその権力者を移します。これが易姓革命です。

こうした統治形態は、支那に限らず、世界中で行われていたことです。

たとえばフランスのルイ王朝など、まさに絶対王政といわれる統治形態、これなども、ルイ家の政治権力は、神によって認証され権威付けられるという形をとっています。

似たようなことは、いまでも行われていて、

たとえば米国大統領も、もちろん民意によって選挙で選ばれますが、その選ばれた「人」が、大統領という「権力者」になる前には、神による「認証」が行われます。


「認証」があって、はじめて統治者として認められる。

 

ところが日本における天皇の存在は、7世紀においても、19世紀においても、またそれ以外のどの時代においても、天皇が権力者であった時代はありません。

天皇は、政治を行う者に「認証」を与える「権威」としての存在です。

つまり、日本では、大陸や西欧でいう「神」の位置に、天皇がおわす、という形をとり、その形が完全にわが国に定着したのが、7世紀であった、ということです。

 

ではなぜ天皇が、諸外国でいう天の神の位置におわすかというと、その原点が神話にあります。

アマテラスオオミカミからの血の血脈が皇統です。


つまり神の血をひく直系の子孫が天皇であるわけです。
そして血統をもつ天皇が、神のもとに政務を司る者に権威を授ける。

 

そういう仕組みが7世紀に完全にわが国に定着したわけです。

 

そして、ここから大事なポイントなのですが、

このときに、実はもうひとつ、ものすごく大きな出来事、しかもそれは世界にも類例のない、ものすごいことがわが国で起こっています。

それが何かというと、一般の民衆が「公民」とされたことです
みなさんは「公地公民制」という言葉を聞いた頃があろうかと思います。そこで使われてる「公民」です。

その「公民」とは何かというと、実は、天皇の民ということです。

そして将軍とか、大政大臣とか、関白とか、内閣総理大臣とか、様々な権力者の形はありましたが、

それら施政者としての権力者は、その「天皇の民」を預かる立場となった、ということです。

つまり、日本における統治者、つまり、大名や将軍や関白や、身近なところでは、部長さんや課長さんや社長さんにいたるまで、

人の上に立つ者は、絶対的権力者や支配者ではなく、「天皇の民」すなわち「公民」のたちの生活を守るために、「公民」たちを預かっている立場、と規定されたわけです。

そして預かっている政治権力者も、同じ「天皇の民」つまり、「公民のひとり」だと規定されたのです。

そしてこれこそが、わが国の精神文化の源流となっています。

つまり、一寸の虫にも五分の魂という気概が、一般庶民の精神の根底に常に存在し続けているということです。

 

大陸や西欧では、そうはいきません。

君主はまさに絶対権力者であって、言うことを聞かないものに対しては、まさに生殺与奪の権力を持っています。
王が命令して、言うことを聞かなければ、一族郎党皆殺しなんてことも、普通に行われるわけです。

最近でも「王様ゲーム」なんてのがあるのだそうです。
ジャンケンで王様になった人は、それ以外の人に対して、なんでも好きな命令ができる。命令された側は、絶対にそれを聞かなくちゃ行けない。
 

けれど、ゲームであっても、日本人なら「そんなのヤダヨ」と平気で断ったりしてしまう。というか何か違和感がある。

日本においては、支配者は、絶対君主と異なり、公民を預かる人です。自分もみなと同じ公民のひとりです。
ですから、みんなの意見を聞いて、みんなの意思をとりまとめて、みんなの協力を得てことを前に進めようとする。

主君が「俺はエラいんだ」などと思い込んで、横暴な働きをすれば、家臣たちが集まって相談し、「主君押込め」といって、主君そのものを廃絶してしまう。

江戸時代の伊達騒動や、上杉鷹山の押し込めなどが有名です。

なぜそんなことが起こるかといえば、主君は、絶対権力者ではなく、常に公民を預かる立場の人だからです。

日本で、「えらい人」というのは、絶対的権力者を意味しません。

「えらい人」は「偉い」のではなく、「エライ人」つまり、みんなのために汗をかく、しんどい責任を与えられた人という意味を持ちます。

 

これを大陸的「偉い人」と混同すると、日本の歴史は見えて来ない。
日本は、あくまで庶民が全部天皇の民であって、施政者から商店主にいたるまで、その天皇の民を責任をもって預かっている者だからです。

 

このことは、いいかえると、

日本はすでに7世紀の昔に究極の民主主義を実現していた、ということです。
人が人を支配するのではなく、みんなのために働くことが施政者の役割、と規定され、それが日本人の精神として定着しているからです。

 

こんな制度を築き上げた民族は、7世紀という時代を考えれば、世界中どこを探してもありません。

 

このことは、ある意味、人類史の奇跡といえるかもしれない。

 

すごいでしょ! ねずさんの見識。ぶったまげました!

だから我々日本人は幸せに暮らせてきたんですね。納得しました。

 

 

二種類の「強い」子

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、二種類の「強い」子です。


小林正観氏の著書 「笑顔で光って 輝いて」の二種類の「強い」子から、前回の塾の先生の応用編です。

子育ての参考にしては如何でしょうか。










以下、著書の内容です。


 いま説明をした塾の話は、家庭の中でも応用ができます。親が子どもに対して、このように言ってあげたらどうでしょうか。


 世の中は、思い通りになることばかりではない。たくさんの挫折がある。思い通りにならないことがたくさんある。そういうときでもめげずに、地道に、落ち着いて、いちいち落ち込まないで、「そういうこともあるよね」と言いながら笑顔で生きていく。


 そういう生き方を教え込むのも、親が子どもに対して教えてあげる、ひとつの教育論かもしれません。


私たちは、目標を持ち努力してがんばって、それも人の五倍・十倍・二十倍・三十倍・四十倍・五十倍もがんばって努力をして、成し遂げることがいいことなんだ、そういうふうにしなければバカだ、クズだ、というように教え込まれてきました。


 強い決意で自分の目的や達成目標をクリアする、という子どもも確かに「強い子」と言えるのかもしれません。

 しかし、同じ「強い」子でも、もうひとつ、別の形での「強い」子というのが存在します。

それは、どんな挫析や困舞にもめげずに、気力、生命力、やる気を失わず、ニコニコと、淡々と、そういうこともあるよねと受け止め、受け入れながら生きていける子のこと。

 「強い」子というのは、「目標を持ち、その目標をクリアすること」「それを必ずクリアすること」「努力してがんばって思い通りにすること」、そういう子どもを「強い」子というように、私たちは思い込まされてきました。
 

そういう子どもは確かに「強い」子であるのです。しかし、もう一種類「強い」子が存在します



 それは、どんなに自分の思い通りにならなくても、挫折、困難、失敗があづても、それに対して、めげずに、落ち込まずに、淡々と柔らかな笑顔で生きていける子。

 そういう子どもを育てるというのも、「強い」子を育てるということになるのではないでしょうか。

 親として、「必ずがんばって、自分の思い通りにしなさい」というふうに子どもを育てることもできますが、もう一つの方法として「世の中は思い通りにならないことがたくさんある。そういうものにいちいち挫折を感じ、やる気を失って、落ち込んで、人生をはかなく辛い、困難だと捉える人生観を持つのはやめなさい。
 


 世の中は思い通りにならないことの遵続で、そういうものを笑顔で乗り越えながら生きていくのが生きるということなんだ」と教え込むのも、実は、とても大事なことのような気がします。

 

 

 

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