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幸せと不幸について その③

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リペアーショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、小林正観氏の著書「100%幸せな1%の人々」から、”幸せと不幸について その③” です。

 

般若心経の中に「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉があります。

 「色」とは、形あるもの、目に見えるもの、手につかめるもの、というような意昧です。

もともとは人間の肉体のことをいいましたが、のちには色情、色欲というような意昧にとらえられるようになりました。

狭い意昧では、肉体という意味でしたが、のちに、形あるもの、目に見えるもの、手につかめるもの、そういう物体」を意味するようになりました。

 「色即是空」の意昧は、「形あるもの、目に見えるものは必ず滅するものである、命あるものは必ずなくなるものである、常なるものはない」というのが従来の考え方でした。

「むなしいものである、実体のないものであると思いなさい」というのが、「空」の解釈だったのです。


 しかし私は、お釈迦様はもう少し違うことを言いたかったのではないかと思っています。

違う意味というのは「空」というのは、無色透明で中立(ニューートラル)である、
という意昧ではないかということです。

「色」とは、評価・論評を加えた現象のことを言うのではないか。そして「空」とは、評価・諭評を加えない現象を言うのではないだろうか、思うようになりました。


たとえば、重い・軽い・大きい・小さい・高い・小さい・暑い・寒いなどは、
評価・評論を加えた現象であり、

反対に重さが10Kgであるとか、高さが1mであるというのが評価・評論を加えていない状態、すなわち「空」なのではにでしょうか。

もともと現象として存在するすべてのこと、それがすべて色がついておらず、
何も意味を持たずそこに存在している、という意味で「空」だったのではないかと思うのです。

中立でニュートラルであること、透明であること、色がついていないこと、それが「空」のほんとうのいみではなかったでしょいうか。



コップに水が半分あるとします。「半分しかない」と思えば、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句の対象になります。不愉快で不機嫌な現象になります。


逆に、「半分も残っている」と思えば、嬉しく・楽しく・幸せ(う・た・し)な現象になります。
喜びの対象になるのです。同じ現象を見ても、とり方によってまったく異なります。

200ccのコップに100ccの水が入っているということが、とりもなおさず「空」であり、それを「半分しかない」と思うことも「半分もある」と思うことも、「色」だというふうにお釈迦様は唱えていたように思うのです。

 「ああ、あの人は不幸に遭った」とか「悲しい出来事に遭っているんです」とか、
私たちは普通に口にしていますが、実はそれを口にした時点で、すでに評価・論評を加えているということにほかなりません。

「現象は常にニュートラルである」「色がついていないんだ」ということを考えたとき、これはお釈迦様がメッセージとして私たちに伝えていたように思います。

 私たちの日常生活というのは、実はとらえ方の違いによって成り立っているのではないでしょうか。

私たちの目の前にある悲しみ、つらさ、苦悩、煩悩というのは、すべてもともとは「空」なのだよ、ということを言っていたような気がします。

 「不幸も悲劇も存在しない。そう思う心があるだけ」という意味で、世の中はすべて「空」。

同様に「幸福」という現象も存在しない。

それを「幸福」と思うか「不幸」と思うかは、すべて私の心しだいなのです。

幸せと不幸について その②

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リペアーショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、小林正観氏の著書「100%幸せな1%の人々」から ”幸せと不幸について その②” です。




 「幸せと不幸」について、もうひとつ思い至ることがあります。

 それは、「辛せと不幸は『たまご構造』。それも、ゆでたまごではなく、生たまごだ」というものです。

 たとえば、「おいしい」という概念の前段階として、必ず「空腹だ」という概念が存在します。

「空腹」という現象が存在しなければ、「おいしい」という現象が存在しない。

同様に、「のどが遡いた」という現象がなければ、「のどの渇きが潤せた。嬉しい」という現象が存在しません。


 さらに考えるに、「空腹であればあるほど」おいしさは増加する。
逆に、空腹が小さいものであれば、おいしさも小さい。あきらかにその量は連動しています。

 「おいしい」という「幸せ」を味わうためには、どうやら「空腹だ」という「不幸」を味わわねばならない、というのが宇宙構造のようです。

 では、「空腹」という現象と「おいしい」という現象は、

個々に独立しているわけではないのではないか、と思うようになりました。

「空腹」と「おいしい」は「1十 1=2」というかたちで存在しているのではなく、「半分と半分、1/2+1/2=1」として存在しているように思えます。

「空腹」と「おいしい」は足してーつになるのであって、独立した現象ではない。

「空腹」と「おいしい」はワンセットであり、「空腹」は「おいしい」という「幸せ」の前半部分の現象だ、とも考えられるのです。



 同じように、四季(春夏秋冬)を考えてみましょう。

 夏、これ以上暑くなったら生きていけないと思うほど気温が上がります。
その後に来る秋は、本当に風が涼しく、心地よく感じられます。
夏が暑ければ暑いほど、秋の爽やかさが「幸せ」です。

 冬、これ以上寒くなったら生きていけないと思うほど、気温が下がります。

北風がヒューヒュー吹き、寒さに震えます。その後に来る春のほのかな暖かさは、本当に楽しく、嬉しいものです。

 夏暑ければ暑いほど、秋の涼しさが「幸せ」になる。
 冬寒ければ寒いほど、春の暖かさが「幸せ」になる。

 夏と秋がワンセット、冬と春がワンセットになっている。

 宇宙は、幸せと不幸の構造が、実はこういうものなのだよ、と、人類の前にずっと、 四季というかたちで提示し続けてきたのかもしれません。



 一般的な「不幸」が「幸せ」の前半分である、という構造は、実によく「たまご」の構造に似ています
(鶏卵を想像してもらうとわかりやすいと思います)。


 「辛せ」を味わうためには(おいしさを昧わうためには)、
「不幸」と一般的に思われること(おいしさに対する「空腹が通り過ぎたところにしか「おいしさ」が存在しません。

空腹=たまごの白身、おいしさ=たまごの黄身です。

 「空腹」(=白身)の中に、「おいしさ」(=黄身)が抱かれている。

   しかし、この「たまご構造」は「生たまご」でなければなりません。

生たまごは、割って器に入れ、シャカシャカとかきまぜてしまうと、
境界線がなくなり、みごとに溶け合ってしまいます。

1度かきまぜたら、それを白身と黄身に分けることはできません。

なぜなら、白身も黄身も、本質は同じだからです。

幸せと不幸について その①

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リペアーショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、小林正観氏の「著書100%幸せな1%の人々」より、”幸せと不幸について その①” です。






すべての人が指をさして「これが幸せだ」と言えるものが、この世にはあるでしょうか。

たとえば、Aさんが「幸せだ」と言っても、他の人は「幸せではない」と言うかもしれません。

すべての人が絶対的な価値を持って「幸せだ」と思えるものは、地球上には存在しない。
これが唯物論者の私の結論です。

 たとえば、仲開たちと一緒に食事をしたり何かを見たり聞いたりしたときに、
そこで「幸せ」を感じるというのは、その人にそう感じる「心」があるからでしょう。

「幸せ」は感じた人にのみ、そこに存在する。感じた人にのみ「幸せ」が生まれる、という構造になっています。

 同様に、「不幸」というものも、現象も、この世には存在しません。


 どんなにお金持ちで恵まれた環境にいる人でも、本人が「不幸だ」と思えば、
それは「不幸な」ことになります。

逆にお金がなくても、状況や環境が他の人から見てひどいものであっても、本人が「幸せ」を感じていれば、それが「幸せ」になります。

 「幸」も「不幸」も存在しない。

それは他人が決めることでも外的なもので決まるのでもなく、その人自身の「心」が決めているのです。



 悲しみや苦しみは、実は現象のとらえ方によって、「幸せ」になってしまうこともある。
そういう場合は、「悲しい」「苦しい」と言っていた現象が、幻になってしまう。
  「悲しく」「苦しい」現象が消えてしまうのです。


  「幸せ」を感じようと思えば、100や200の幸せが身のまわりにあることに気がつきます。

1時間に1個の幸せを感じようと思えばヽ1日24個の幸せを感じることができますし、i分間に1個なら、1日に1440個の幸せを味わうことができるのです。

 それどころか、目が見える。耳が聞こえる。呼吸ができるこ言葉が発せられる。
手でものを持つことができる。自分の足で歩ける。携帯で会話ができる。

家族がいると、いろいろなものに幸せを感じようと思えば、1秒に数十個の幸せを感じることさえできるでしょう。


妻がいる幸せ。独身でいる幸せ。子どもがいてくれる幸せ。

子どもがいなければ、夫婦で24時間笑顔を交換できる幸せ。無人島にいたって、白由な1人幕らしができる幸せを感じてもいいのです。

毎秒毎秒毎秒毎秒ヽ「私」が幸せだと思うすべてのことが、「私」にとっての幸せになります。


 幸せは、その人にのみ帰属するものでありヽ幸せが見つからないと言つている人は、幸せを感じる心を動かしていないだけかもしれません。

 目の前の現象について私が何も感じなかったら、ただ通り過ぎるだけの現象にすぎない。

 ところが、「私」がその現象を幸せだと思ったら、その瞬開に幸せなことになり、一方でその現象について不幸だと思ったらヽ思った瞬間に不幸なことになるわけです。

 事実や現象はひとつ。ただ、それを受けとめる側の「心」がその現象の価値を決めている。

 「とらえ方」の違いで、目の前の現象は「幸」にも「不幸」にもなる、ということのようです。




中山恭子参議院議員の次世代の党・質問

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

ブログ「ねずさんのひとりごと」より、”中山恭子参議院議員の次世代の党・質問”です。

2月5日付けの当ブログ「キルギス邦人拉致事件はいかに解決されたのか!」で紹介した中山恭子参議院議員の質問と安倍総理の答弁が下記に書かれていますので、拝読下してみて下さい。

これぞ国会答弁! 議論の場にふさわしい質問と真摯な答弁です。

 

 

少し前のことになりますが、去る2月18日の参議院本会議で、中山恭子議員が質問に立ちました。
メディアの報道を見ると、まるで国会が政治とカネに関連した野党と政府のなじり合いばかりが行われているかのように見えますが、このように、地に足をしっかりと付けた討議が現実に行われていることは、まったく報道されません。

この中山恭子先生の質問について、元衆議院議員の中山成彬先生がご自身のブログで公開をされましたので、今日はその記事のご紹介をし、そののちに所感を申し上げたいと思います。

==========
中山なりあきオフィシャルブログ
20150218代表質問
2015年2月27日 (金)
http://nakayamanariaki.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/20150218-925a.html

2月18日参議院本会議で、次世代の党を代表して、中山恭子議員が質問に立ちましたので、ご参考までにアップさせていただきます。


○中山恭子君次世代の党、中山恭子でございます。
安倍総理に対し、会派を代表して、施政方針演説に関し、質問いたします。

まず、平和の維持について伺います。

今般のISによる残虐な殺人行為には強い憤りと悲しみを感じています。改めて、犠牲者の皆様に心から哀悼の意をささげます。
今回、安倍内閣が自ら被害者の救出に当たったことは、画期的なことであると敬意を表します。
人質救出がいかに困難なものであるか、一九九九年に中央アジアで日本人鉱山技師の救出に携わった者として十分理解しています。

この拉致事件も、イスラム原理主義者たちが中央アジアのフェルガナ地方にイスラム国の建設を目指して活動していたさなかに起きた事件でした。
四人の被害者が無事解放された後、ウズベキスタンの関係者を通してアフガニスタンのタリバンに日本をテロの対象とするのかと問いただしましたら、自分たちは日本が米国によって原爆を落とされた国であることは知っている、しかし、日本は欧米諸国の一員であり、攻撃の対象となるとの返答がありました。

私は、政治家の最も重要な役割は平和を維持することであると考えています。今、国際社会は激動の中にあります。国際テロの組織の動きは一か国にとどまる問題ではなく、国際社会全体に広がる問題であり、一丸となって対抗しなければ防げません。

総理は、日本が国際社会の一員としての役割を果たしつつ、平和を維持していくことについてどのようにお考えか、御所見を伺います。


次に、北朝鮮による拉致問題について伺います。

今回の人質救出の動きを見ながら、私は北朝鮮によって拉致された被害者に思いをはせました。
北朝鮮に監禁されている被害者の多くは、両手両足を縛られ、猿ぐつわをはまされ、船底に押し込まれて連れ去られた日本の人々です。
北朝鮮工作員が日本国内に侵入することを防げず、拉致されたことが分かっていながら放置してしまった案件であり、現に今も続いている非道なテロであります。

今回の総理の施政方針演説を伺い、私は危惧の念を抱きました。
総理は、昨年、所信表明演説で、全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国に向けて全力を尽くしてまいりますと述べられました。
しかし、今年の施政方針演説では、拉致問題について、北朝鮮は、迅速な調査を行い、一刻も早く全ての結果を正直に通報すべきでありますと述べられ、被害者の救出や帰国については一言も触れておりません。

この違いは何を意味しているのでしょうか。
総理は、被害者の救出に向けての熱意を失われたのでしょうか。
又は、新たな情報に基づく判断なのでしょうか。総理、その真意をお聞かせください。


憲法改正について伺います。

自民党は、結党時から現行憲法の自主的改正をうたっていますが、最近は環境権や緊急事態条項など受け入れやすいものから改正するとしています。
自民党の改正草案QアンドAにありますように、現行憲法は主権が制限された中で制定された憲法であり、前文を始め、独立国として欠落している項目など、重要な改正が必要であることを考えれば、その整合性を確保するためにも一括改正することが望ましいと考えますが、いかがでしょうか。
総理の御見解を伺います。


教育の再生について伺います。

教育の大切さは言をまちません。
ゆとり教育が見直され、教育改革が着実に進められていることを高く評価します。

しかし、占領政策から派生した自虐教育が七十年もの長きにわたっていまだに続いており、ゆがんだ教育がゆがんだ国家観を形作っています。
第一次安倍内閣で改正された教育基本法では、国を愛する心という表現が使えず、国を愛する態度を養うとなっています。
愛国心という言葉を使うことがはばかられるような国であってはなりません。

総理の言われる、日本を取り戻すために、家族、ふるさとを大切にし、生まれた国に誇りを持ち、豊かな心を育む教育を行うことが大切であると考えます。
そして、それが他の国の人々、文化を尊重することにつながります。
教育の再生、教育基本法の再改正が必要であると考えますが、総理の御見解をお聞かせください。


外交の在り方について伺います。

日本の外交は、これまで、経済支援に頼り、上辺の友好関係を重視する余り、日本をおとしめている慰安婦問題や南京事件などについて、日本の名誉を守るための毅然とした対応をしてきませんでした。
史実に基づき真実の姿をしっかりと主張し、正しい理解を得ることによってのみ真の友好関係を築けると考えますが、総理の御見解を伺います。


公共事業について伺います。

公共事業は、政府が責任を持って実施しなければならない、まさに国の仕事です。
公共インフラは、人々が快適に生活するための基礎であり、生産に不可欠な要素であります。
昨年十月に発表されたIMFの世界経済見通しでは、これまで公共事業は無駄であるとしていた考え方を変更し、インフラの必要性がある国では今がインフラ推進の好機である、また、公共投資は生産の要であり、借入資金による公共インフラ投資は正しく行われるならば元が取れるだろうと指摘しています。

今の日本の状況を見れば、老朽化した橋、トンネル、上下水道など、社会インフラの再建や防災インフラの強化は喫緊の課題です。
震災に強い共同溝の敷設、景観を損なうことなく津波を防ぐ町づくりを、例えば二百兆円規模の基金をつくり、全国規模、長期計画の下で推進する必要があると考えますが、総理の御見解を伺います。


文化による国際貢献について伺います。

長い歴史の中で育まれた日本の文化は、相手のことを思いやり、美しいものを尊ぶ奥行きの深い文化です。
二十世紀は西洋文明が支配した世紀と言われますが、二十一世紀はそれぞれの国や地域の文化の大切さが認められ、文化の交流が深まる世紀になると考えています。

日本は、国際文化交流の拠点として非常に適した国であります。
日本各地で、あらゆる国々、多くの民族が集まる国際的な文化交流の祭典を開催し、その後百年継続することを目指すなら、日本は世界から、文化の国、世界の文化交流が行われる国として親しまれ、国際社会に大いに貢献することができると考えます。

世界の文化が輝き、あふれ、交流する場、そんな日本をつくっていこうではありませんか。
若者たちも高齢者も生き生きと動き出すでしょう。地方創生にもつながります。

この構想について総理の御見解をお伺いし、私の質問を終わります。
==========

ここまでの中山恭子先生の質問で、議場からは割れんばかりの拍手が起きています。
そしてこの後に、安部総理が登壇しました。

==========
内閣総理大臣(安倍晋三君)中山恭子議員にお答えをいたします。

国際テロ組織への対処についてお尋ねがありました。

国際社会は一致団結してISILやアルカイダ等の国際テロ組織と闘う決意を鮮明にしており、国連安保理はこれらの国際テロ組織を非難し、資金の提供、武器の供与、戦闘員の移動、身の代金の支払等を禁じる決議を累次にわたって採択してきています。

我が国としても、これら国際テロ対策関連の安保理決議を厳格に履行するとともに、食糧、医療などの人道支援を拡充し、テロと闘う国際社会と一丸となって世界の平和に積極的に貢献するよう全力で取り組んでまいります。
拉致問題についてお尋ねがありました。

拉致問題は安倍内閣の最重要課題であり、私の被害者の救出に向けた熱意は、昨年の施政方針演説のときといささかも変わっておりません。
昨年との違いは、北朝鮮が国防委員会から特別の権限を付与された特別調査委員会を立ち上げ調査を開始したことであり、その観点から、今年の施政方針演説では、拉致問題について、北朝鮮は、迅速な調査を行い、一刻も早く全ての結果を正直に通報すべきでありますと述べたところであります。

いずれにせよ、御家族が自らの手で被害者を抱き締める日が訪れるまで私の使命は終わりません。
全ての拉致被害者の救出に向けて、対話と圧力、行動対行動の原則を貫き、全力を尽くしてまいります。


憲法改正の方法についてお尋ねがありました。

憲法改正の原案は、国会法において、内容において関連する事項ごとに区分して個別に発議する旨定められております。
これは、個別の事項ごとに民意を正確に反映させるという要請と相互に矛盾のない憲法体系を構築するという要請とを調和させる趣旨であると承知しています。

憲法の改正については、一つ一つが大変重い課題であり、時間が掛かろうとも丁寧に一つ一つ審議をしていくことが重要と考えます。
実際にどの条項から、またどのように改正していくかについては、国民的な議論の深まりや憲法審査会における検討を踏まえ判断されるべきものと考えます。


愛国心と教育基本法の再改正についてのお尋ねがありました。

第一次安倍内閣で改正した教育基本法では、教育の目標として、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する態度を養うことを規定するとともに、学校教育法や学習指導要領を改め、基本法の理念に沿った教育内容の充実を図ったところです。

子供たちが国に誇りを持ち、郷土を大切にできるようにするためには、教育基本法を再び改正するのではなく、現在の基本法の理念に沿って教育を充実していくことが重要と考えます。
今後、道徳教育の抜本的な改善、充実を進めるなど、教育再生に全力で取り組んでまいります。


日本の名誉を守るための毅然とした対応についてお尋ねがありました。

我が国としては、客観的な事実に基づく正しい歴史認識が形成され、日本の取組に対して国際社会から正当な評価を受けることを強く求めていきます。
国際社会の正しい理解を得るべく、これまで以上に戦略的かつ効果的な発信を強化してまいります。


共同溝等についてお尋ねがありました。

インフラの整備に当たっては、従来より、社会資本の老朽化対策や防災・減災対策などに重点化して行ってきているところです。
特に、御指摘の共同溝については、防災の観点からも、また町づくりの観点からも重要な施設と認識しております。
今後も、国民の生活を守るため、真に必要な社会インフラの整備を着実に進めてまいります。
国際文化交流についてお尋ねがありました。

二十一世紀は、それぞれの国や地域の文化が大切にされ、相互尊重の精神の下、文化の交流が深まる世紀になってほしいと期待しています。
その中で、日本が国際文化交流の拠点となり、世界の文化が輝きあふれ交流する場を提供できるなら、こんなにすばらしいことはありません。
そうなれば、御指摘のとおり、若者たちも高齢者も生き生きと動き出し、地方創生にもつながると考えます。
是非、この場におられる議員の皆様と力を合わせ、このような日本をつくっていきたいと思います。
===========

この安部総理の答弁にも、議場からは盛大な拍手が起こりました。
まじめに、ちゃんと政治課題を解決していこうとする議員はいるのです。
そしてそれをしっかりと受け止め、実行しようとする総理を、いま私たちはいただいています。

それは、拍手は、出席していた与野党の議員席からの、自然な行動として出たものでした。
しかし、実はこれは不可思議なことなのです。
どういうことかというと、中山恭子先生は、次世代の党です。
次世代の党は、野党です。
野党の議員の質問に、与党が拍手をする。
総理の答弁に、野党席から拍手が起きる。

政治を、いたずらに「対立と闘争」にあると思い込んでいる人たちには、これは奇異で危険なことに思えるかもしれません。
けれど、本当に国民が望んでいるのは、政党の対立や、愚にもつかない「議論のためにする議論、議論の名に値しない、絶対に結論を認めない、ただ揶揄し批判し攻撃し怒ってみせるだけの不毛な討論」などでは決してありません。

国民が望んでいるのは、与野党が一致協力し、ときに激しく違憲が対立することがあったとしても、最期には一丸となって、国が、みんながよくなるように政治の意思決定がされること。
それ以外には、政治に国民が望むものなど何もないのです。

私たち大人には、現状を打破し、未来を切り拓く責任があります。
そして国政の場で、その重責を担っているのが政治家であり閣僚であり、官僚です。
あいつがバカ、あいつが許せない。
そういう対立や闘争の世界に入ってしまうこと、それ自体が、私はよくないことだと思います。

十七条憲法には、「詔(みことのり)を受けては必ず慎(つつ)しめ」とあります。
一日もはやく、日本が日本らしい日本になること。
それが私たちの望みです。

ただ対立のための国会なら、そんな国会など要らないのです。

歴史戦争に負けてはならない!

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、致知三月号・渡部昇一氏の連載 歴史の教訓より 「歴史戦争に負けてはならない!」 です。

私は常日頃から、

なぜ?日本政府は日本の歴史認識を捻じ曲げてプロパガンダしている中国・韓国に抗議しないのだろうと解せない気持ちでいました。

今回、渡部昇一氏の連載 歴史の教訓 「歴史戦争に負けてはならない!」 を読んで日本政府が歴史戦争に消極的な理由が分かりました。 

 

日本政府が自国の歴史観をはっきり打ち出さないのは、中国や韓国に気兼ねして外交関係をスムーズに保っておきたいためだけではありません。

 日本の言い分を強く押し通して機嫌を損ねたくない国が他にもあります。日本は侵略国ということにしておかなくては困る国かあるのです。他ならぬアメリカです。

アメリカの小学校では、第二次世界大戦のことを

「空襲により民間人を無差別に殺したのも、広島・長崎に原爆を落としたのも、日本は侵略国家だったのでアメリカは世界正義のために立ち上がって、中国や韓国の善良な民を救ったのだ」と教えています。

 アメリカへの歴史観「第二次世界大戦は正義の戦争だった」という認識が、中国・韓国と利害が一致するのです。

 

以下、渡部昇一氏の連載 歴史の教訓から抜粋して掲載しています。

 


 日本と中国が歴史戦争をすれば、理論武装かできた日本が勝利することは明らかです。

だか、民間と違って政府はどうもへっびり腰なのです。

 民間が目覚ましい研究の成果を上げた時も、歴代の政府はこれを無視するほうに動いてきました。 

  『朝日新聞』の虚報問題後、村山談話、河野談話の見直しへの機運が一気に高まったにもかかわらず、なお談話を踏襲しょうという消極的な姿勢はその典型です。


 日本政府が自国の歴史観をはっきり打ち出さないのは、中国や韓国に気兼ねして外交関係をスムーズに保っておきたいためだけではありません。

 日本の言い分を強く押し通して機嫌を損ねたくない国が他にもあります。日本は侵略国ということにしておかなくては困る国かあるのです。他ならぬアメリカです。


アメリカ国民にとってはいまなお「第二次世界大戦は正義の戦争だった」という認識が根強いことに日本人は無知であってはいけません。


その大本にあるの一神教に基づく神と悪魔との対立の構図です。一方は侵略を繰り返す悪魔の国、一方は神を味方に付ける正義の国。

日本の都市部や軍事工場を空襲で次々に焼き払い、広島と長埼に原爆を投下して罪なき多くの日本人を虐殺したのも、そういう聖戦思想かベースとしてあったために他なりません。


 彼らの「正義の戦争」という認識はいまなお極めて強固です。そして、彼らはそれを否定するような情報は大東亜戦争後、できるだけ排除しようとしてきました。

だか、二、三年前からようやくその流れは変わりつつあるようです。


それはアメリカの歴史家・ジョージ・ナッシュ氏か著した『FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)』という本の出版に象微されます。


 ナッシュ氏はその中で、様々な証拠をもとにある注日すべき事実を明らかにしています。

アメリカの第三十一代大統領ハーバート・フーバーか第三十二代大統領のフラソクリソ・ルーズペルトを「狂気の男」と批判していたという事実です。

 同書によると、大東亜戦争前、ルーズベルトは対独戦を画策していました。

戦争に参入するには口実か必要です。そこで考えたのがドィツの同盟国である日本を巻き込むことでした。石油資源をストップして経済封鎖に追い込み、アメリカを先制攻撃する時期をじっと待ったのです。

真珠湾奇襲攻撃の情報を事前に掴んでおきなから、あえてそのままにしたのもそのためだというのです。
 フランクリン・ルーズペルトは今日に至るまでアメリカ人にとっては正義の象微です。

だが、その正体は戦争好きの、文字どおり「狂気の男」でした。今回の証拠となった文書はフーバーの遺族によりて長い間、秘匿されていました。

それか公になったことで正義の仮面を被ったルーズペルトの虚像が音を立てて崩れ落ちた、というわけです。

  
 アメリカのいまのこの流れは日本にとって絶奸のチャソスです。


日本の研究者か明らかにした歴史の真実をいまこそアメリカ人に知らしめなくてはいけません。

これらの文献を政府の手によって英訳し、アメリカで発行できればベストですか、それか無埋なら英訳に長けた出版社を支援してでも必ずやり遂げるべきです。

 


 さらにもう一つ、アメリカの中枢部に知らしめるべき重要な証拠かあります。

これは私かしつこいほど繰り返し述べてきたことですか、東京裁判で日本を裁いたマッカーサーが、朝鮮戦争時にアメリカ上院軍事外交合同委員会で行た証言がまさにそれです。


 They feared that if those
 supplies were . cut off。 there
 would be 10 to 12 mnlion people
 unoccupied jn Japan. Their
 purpose。 therefore。 1n going to
 war was largely dictated by
 securlty.

 「もし、これらの原料の供給か断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者か発生するであろことを彼ら〈日木人〉は恐れていました。

 彼らが戦争に飛び込んでいった目的は、大部分か自衛に迫られてのものだった」


東京裁判で日本を侵略国として裁いた張本人が、東京裁判そのものと朝鮮戦争を体験することで大東亜戦争は日本か自衛のためにやったものだとようやく気づいたのです。

それはA級戦犯として絞首刑に処せられた東條英機か裁判で証言した内容と同じであることにも注目しなくてはいけません。


  これは日本が侵略国でない何よりの証左です。

 

この証言を突きつけれぼ、アメリカには一言も反論の余地はないはずです。

たとえ時間はかかぅたとしても、こうした正しい歴史観をアメリカに浸透させ、侵略国という汚名を払拭していく努力を怠ってはいけないのです。

このことは日本にとってまさに焦眉の急と言うべき問題です。

 

 

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