ソーシャル・ベンチャーは日本の伝統

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、国際派日本人養成講座 より、 「事業を通じて社会を変えるソーシャル・ベンチャーは日本の伝統」です。


■1.「俺たちがやらなくちゃ、ほかに誰かいるのかい?」

 駒崎弘樹青年は、高校在学中に一年間アメリカに留学した

。留学先は太平洋海岸北辺にあるワシントン州の空港から車で数時間もかかる人口5千人ほどの小さな村だった。日本人は一人もいない。

 ホストファミリーの白人家庭はキリスト教の中でも最も戒律の厳しいモルモン教徒で、酒、たばこはおろか、コーヒー、紅茶も飲まず、テレビもなかった。

 それだけに人は温かい。

ホストファミリーの息子デイビッドは、自分の家の玄関から道路までの5メートルほどの歩道をショベルで雪かきする。自分の家の分を終わると、2軒隣の家の通路を同じように雪かきし始めた。

 雪かきに疲れて、雪の上に座り込んでいた駒崎青年が

「おいデイビッド、何しているんだよ。そこは俺たちの家じゃないだろう?」と聞くと、「このムーアさんは一人暮らしのお婆ちゃんで、足が悪いから雪かきができないんだ。俺たちがやらなくちゃ、ほかに誰かいるのかい?」と、さも当たり前のように答えた。

 自分とたいして年も変わらない同年世代のやつが、当然のように地域に貢献している! 駒崎青年は軽い羨望と嫉妬を覚えた。

 日本の同級生たちは「いい大学に入って、いい会社に勤める。そのためにはどの予備校がいいか」などという話ばかりしていた。そうして有名大学に行ったやつらが地下鉄でサリンを撒いて罪もない人々を襲っていた。

 そんな日本から逃れたいという気持ちでアメリカまで留学してきたのだが、駒崎青年はこの村で、自分は日本のために何ができるのか、などと考え出した。


■2.「日本社会の役に立ちたい」

 日本に戻り、ある大学に進学した駒崎青年は、情報技術(IT)に強い学生たちが始めたベンチャー企業に誘われ、経営学を専攻していることから、社長に就任した。

この頃は、多くのITベンチャーが株式公開して、創業者の青年社長が数十億円の資産を得て、芸能人やモデルと華やかな交流をしたりして、マスコミに取り上げられていた。

 そうした同年代の成功者たちを見ながら、駒崎青年は「自分はどうしていきたいのだろう」と考えた。

六本木ヒルズの高級マンショに住みたいわけでもないし、高級外車にも興味がなかった。彼らと話すと、「これからは中国だ」とか「携帯だ」とか言うが、それにも違和感があった。


 お金のなるところに羽虫のようにブンブン群がるのは、ビジネスだから、ある意味では当然だ。

しかし、ビジネスというのは本来、手段であるはずだ。目的は、誰かが満足したり、足りないところが埋まったり、困っていることが解消されたり、そういったことではないのだろうか。


 こう考え出すと、自分のやっている事業の意味が、よく分からなくなってしまった。それまで一日15時間働いても平気だったのに、急に疲れを感じだした。

「これではいけない。自分のなかできちんと整理しなければ」と思い、休みを数日とり、山奥の温泉に逃げ込んだ。

そこで、じっくりとノートにあれこれ書きながら、考え始めた。思い出したのが、アメリカ留学時代だった。「日本社会の役に立ちたい」とノートに書いた。


■3.、「事業によって社会問題を解決する」

 しかし、社会の役に立つには、どうしたら良いのか。

高級官僚や、政治家を思い浮かべても、新聞を騒がせていた汚職事件がすぐ浮かんできて「違うな」と思った。

それなら社会事業のボランティアか。ボランティアでは、どうやって食べていくのか。

 パソコンに向かって、「社会」「問題」「職業」などという検索語を入れてネットで調べてみると、アメリカのある「NPO」(Not-for-Profit Organization、非営利団体)のサイトに行き着いた。

 NPOという言葉は聞いたことがあった。阪神大震災で自治体の機能がマヒした時に、民間有志が物資提供や炊き出しを行い、その後、そうした活動を行うためのNPO法人という組織が日本でも爆発的に増加した。

 しかし、アメリカのNPOのウェブサイトは、駒崎青年たちのITベンチャーよりも格好良かった。

NPOと言ったら、素人が汚い格好をして汗をかきながら、無料奉仕で頑張る、というイメージだった。

しかし、そのサイトを見ると、CEO(最高経営責任者)やマーケティング・ダイレクター(営業担当役員)がいる。

 アメリカのNPOも昔はボランティア団体が大部分だったが、政府の補助金が絞られるようになると、「事業によって社会問題を解決する」方向へとシフトしていった。こういう形をソーシャルベンチャー(社会問題解決型ベンチャー企業)と呼ぶようになった。

 駒崎青年は、このソーシャル・ベンチャーこそ、2年間、学生ITベンチャーをやってきた自分にできる「日本社会に役立つ」方法ではないか、と思った。


■4.「病児保育」問題

「日本社会の役に立つ」とは言っても、それではどういう問題に取り組むのか。そこで思い起こしたのが、駒崎青年が母親から聞いた話だった。

 母親は下町でベビーシッターをしていたが、ある女性客から「今日で最後にしてください」と言われた。

事情を聞くと、先月、子供が熱を出した。保育園では37度5分以上の熱のある子は預かってくれない。しかたなく1週間ほど会社を休んだら、会社が激怒して、解雇された、という。

 いろいろ調べていくと、「子供が病気になると保育園で預かってくれずに、母親が会社を休むしかない」という実態は、病児保育問題と言って、実は多くの働く母親が悩まされていることが分かった。

 たとえば「仕事と育児の両立で最も悩むことは?」というアンケート調査では「子どもの病気で遅刻や欠勤をすることがあり、周囲に迷惑をかけてしまう」との回答がトップの72%だった。

 また全国に保育園は約2万9千もあるが、そのうち病気の子どもを収容できる施設は約500カ所、2%にもならない。


■5.全国の9割の病児保育施設が赤字

 なぜ、病児保育をする保育園がこんなに少ないのか。駒崎青年は小児科の病院で、病児保育も行っている施設に聞きに行った。病児保育事業は赤字で、小児科の黒字でなんとか穴埋めをしていた。

 病児保育の収入の多くは自治体からの補助金であり、利用者からいただく料金は、1日10時間以上預かって、2千円にしかならない、という事が分かった。

東京でベビーシッターを頼むと、1時間2千円ほどにもなるのに、これでは安すぎる。

 なぜこんなに安い価格にしているのか、と聞くと、補助金を貰っている区から「その値段でやれ」と言われている、という。補助金を貰うために、安い価格設定にして、それで補助金でも埋められないほどの赤字になっている。

 この悪循環で、全国の9割の病児保育施設が赤字になっているという。

これでは病児保育をする施設が増えるわけがない。事業として成り立つ病児保育のあり方を駒崎青年は探った。


■6.こどもレスキュー隊

 ここから、駒崎青年の七転び八起きの奮闘が始まるのだが、その詳細は[1]に譲る。たどり着いた形だけ紹介すると、施設の費用を抑えるために、自分の家で病気の子どもを預かってくれるおばちゃんたちを「こどもレスキュー隊員」として集めることにした。

「隊員」の第一号には母親を拝み倒してなって貰い、さらにビラ貼りや新聞チラシで、なんとか10人ほどに集まって貰った。

 そして、病児の手当のために、近所の小児科に頼んで、レスキュー隊員が電話で相談に乗って貰ったり、緊急の場合は子どもを連れて行く事とした。さらにレスキュー隊員たちには、病児の扱いについて研修を受けてもらった。

 問題は料金だった。

子どもが熱を出すのは冬が多いが、預かった時間分だけの料金請求では、冬だけピーク需要が来て、他の季節はあまり収入がない、ということになってしまう。

そのために一工夫して、保険のような掛け捨ての月会費制にした。こうすれば、レスキュー隊員の収入も安定する。

 会社名はいろいろ考えた末、「フローレンス」とした。近代看護教育の母と呼ばれるナイチンゲールのファースト・ネームである。

 このような準備を整え、平成17(2005)年4月に事業を始めることとして、ホームページを作り、説明会を開いた。

 

契約世帯数は数ヶ月で40世帯弱に達し、そこで能力一杯になってしまうので、受付をストップした。その後も利用希望者は増え続け、250世帯も順番待ちする事態となった。


■7「私は、感動しているんです」.

 サービス開始から数ヶ月経った頃、ある利用者から電話があった。

従来は子どもがよく熱を出して、そのたびに休んでいたので、パートのまま、重要な仕事を任せて貰えなかった。

それがフローレンスに子どもを預かって貰うようになってから、ほとんど休まなくて済むようになったので、パートから正社員になれた、という。

駒崎青年は受話器を置いたとき、ぽろぽろ涙が出ていることに気づいた。

 また、別の利用者は入会金1万円なのに、10万円振り込んできた。間違えたのだろうと思って、電話すると「それは寄付です。私は、感動しているんです」と言う。こう説明してくれた。


 私は以前、大きな病院に勤める医師でした。長く働いていました。

でも、子どもができたときに「いつやめるの?」と言われたんです。

医療界は、本当に遅れていて。いまでも、医師免許があるのに医者をしていない母親ドクターはたくさんいます。医師不足が叫ばれているにもかかわらず、です。

医師の母親にとって、病児保育はライフラインです。

手術をしなければならない日に子どもが熱を出したら、一巻の終わりです。休もうにも休めませんし。それがつづいたら、やはり医師をやめるしかありません。

そうしたなかで、リスクの大きい病児保育の事業を立ち上げられたフローレンスさんに、寄付をしたいと思ったのです。もらってください。


 病児保育事業はマスコミの注目を浴びて、新聞やテレビでも報道され、見学に訪れる人も多くなった。

その中で厚生労働省の女性官僚が3人の部下を連れてやってきた。

いろいろ説明を受けて帰って行ったが、その後、音信なし。2ヶ月ほどして、日経新聞に厚労省がフローレンスの真似をして、病児保育施設を助成するという記事が出ていた。

「こちらに一言くらいあっても良さそうなものだ」と駒崎青年は激怒したが、介護業界の先輩から「国にパクられて一人前。利益のためでなく、社会問題の解決のためにやっているのだから、いくらでもパクらせてあげればいいじゃないの」とたしなめられた。

 その後、厚労省から委託を受けて、病児保育を始めようとした多くの団体が「ノウハウが分からず、厚労省も教えてくれないので困っている」と見学、相談に来るようになった。

そこでフローレンスは経済産業省のバックアップを得て、全国の事業者をサポートする仕組み作りに乗り出した。

 こうして病児保育という問題を解決する事業が全国に広がっていった。


■8.ソーシャル・ベンチャーはわが国の伝統

 病児保育については「病気の時くらい母親が子どもの面倒をみるべきだ」という根強い批判がある。

もっともな意見だが、そのためには、職場の方で、働く母親が子どもを看病する時くらい、仕事を休める仕組みを持たなければならない。

駒崎青年はそのために企業に対してコンサルティングを行う取り組みを始めた。

 伝統的な日本社会では、農家でも商家でも母親が働いており、子育てはお祖母さんや近所のおばさんたちがサポートをしてきた。病児保育もまたその伝統に連なるものとも考えられる。

 また近所の子育て経験あるおばさんたちが、若い女性をサポートしたり、子育ての相談に乗ることで、育児のレベルアップも図れるし、近所の共同体の強化にもつながる。

 駒崎青年は有名になるに従って、政治的発言もするようになり、その中には弊誌として賛同できないものもある。ただ「日本の社会の役に立つ」事を志して、社会問題を事業を通じて解決するというアプローチには共感する。

 日本最初の株式会社の一つとも言われる坂本龍馬の亀山社中は、海洋立国と海軍力の強化を目指したもので、ソーシャルベンチャーの元祖とも言えるだろう[a]。

 また企業5百、公共・社会事業6百の設立に貢献して日本型資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一も、金儲けではなく、日本の各産業分野の近代化を志していたので、ソーシャル・ベンチャーの巨人である。[b]。

 煎じ詰めれば、わが国の先人たちは深く国を思い、国家公共のための手段として企業を興した。

こう考えると、社会問題の解決のために事業を興すことは、わが国の伝統そのものであり、何ら新しいことではない。それが新しく見えるのは、それだけ現代日本人の国を思う気持ちが薄れてしまった、ということであろう。

 先人の伝統を受け継いで、国家社会の問題を解決すべくいろいろな分野で起業に取り組む青年たちが数多く現れることを期待したい。

(文責:伊勢雅臣)

 「ちょっとだけ桜を見てこようか」

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突然の事故で、22歳の時に
体の自由を失った大石邦子さん。


 煩悶と苦悩を乗り越え、右手一本で紡ぎ出されるエッセイは
読者に大きな勇気と感動を与えています。


 絶望のどん底にあった大石さんは
 いかにしてその苦難を乗り越えていったのでしょうか。
 「この人生を生きる上で大切な心得」とは――。


┌───────今日の注目の人─────────┐


    「ちょっとだけ桜を見てこようか」


     大石邦子(エッセイスト)


      ※『致知』2015年5月号
       特集「人生心得帖」より


└───────────────────────┘

 ※対談のお相手は、大石作品の愛読者で、
  文筆家として活躍する石川真理子さんです。


 石川 先生が事故に遭われたのは
   勤務先に向かわれるバスの中とのことでしたね。


 大石 はい。昭和39年、もうすぐ
   東京オリンピックの開会を控えた9月17日でした。


 当時私は出光興産の会津事務所に勤めていました。


その日も7時20分の満員バスに飛び込んで、
 運転席を取り囲むパイプに掴まり立ちをしていたんです。


しかし、横からオート三輪車が飛び出してきて、
バスが急ブレーキをかけた瞬間、
 私はみぞおちをパイプに打ちつけて、
そこに乗客が将棋倒しで倒れてきたんです。


その重みを一身に受けて、
 「ああ」と声を上げたところまでしか覚えていません。


 目が覚めた時、そこは病室でした。
そして部屋が燃えるように赤かったんです。
たぶん夕日が差し込んでいたからだと思います。


そこからの日々です。
 回復の兆しの見えない日々を過ごしながら、
いつしか死を願うようになって、
 自殺未遂をしたこともありました。


 石川 ご著書にありましたね……。


 大石 痛みでなかなか眠れないので、
    睡眠薬の量を増やしてもらうようお願いして、
    それを溜めておいて一気に飲んだのです。


だけど、死ねませんでした。
 母はショックで心筋梗塞を起こし、
 父は私の頬っぺたをピタピタ叩きながら言いました。


 「死んだほうが楽かもしれない。
  でも、生きなきゃダメなんだ。
  お父ちゃんのためにも、お母ちゃんのためにも
 生きなきゃダメなんだ、分かるか」


って、涙をこぼしました。


 私はそれまで、命なんていうことを
突き詰めて考えたことはなかったんです。
 命は自分のものだと思っていました。


しかし、愛情で繋がっている命は一つの体のようなもので、
 私が苦しい時、母も苦しいんだなって。
 父もきょうだいもお友達も同じで、
 私が死ぬっていうことは、最悪の苦しみを与えることになる。


 自分のものだからどうしても構わない
 というものじゃなかったんだと感じました。


ただ、本当に生きるに生きられない、死ぬに死ねない、
という思いは残りましたね。


 石川 死ぬに死なれない……それはものすごい絶望ですね。


 大石 はい。絶望の中の絶望でした。


 自暴自棄にも陥り、病室で2度目の春を迎えたある日、
 自分の心が抑えられなくなったのです。


 昔はお城から病院までずーっと桜並木が続いていて、
 夜には雪洞が灯って、夜桜見物の人たちが賑やかに行き交うわけです。


その賑わっている世界と、
 私のいる世界には越えられない淵があるんですね。


その頃、母もがんで入退院を繰り返していましたから、
     私の付き添いのために妹が大学をやめることになりました。


みんな私のために不幸になる。
 私なんか生きていても世の中の何の役にも立たない。


そう考えるとカーッと頭にきて、
とにかく手当たり次第に物を投げつけて、
 真夜中大暴れをしたんです。


その物音は病棟中に響いたと思います。
 看護師さんが飛び込んできました。


 私は彼女にも物をぶつけたんです。
 同い年の看護師さんでしたが、
 何も言わないで私をじっと見ている。


いよいよ疲れ果て、声も涙も出なくなった時、
 彼女は私の頭を抱き寄せて、涙を拭いて、こう言ったんです。


 「ちょっとだけ桜を見てこようか」


そう言うと、自分のカーディガンを私に着せて、
タオルケットで私を背負うと、真夜中の階段を下りていってくれたのです。


 彼女の背中の温もりを感じながら、本当に後悔しました。
こんなことをしても何にもならないのだと。
 人を困らせるだけで、何の前進もないのだと。


そして、この人は生涯治ることのない障害を負った人間の、
やりきれなさ、虚しさを分かってくれているのだと感じました・・・

「生きるということは一度しかない。リハーサルなんかありはしない。たった一度だけである」

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、致知より 「生きるということは一度しかない。 リハーサルなんかありはしない。 たった一度だけである」です。

1人の若者が生きることの大事さを教えてくれた生の記録であります。




奥さんと2人のお子さんに捧げた
命の絶唱――。


人間の感性を目覚めさせる能力開発訓練を手掛け、
プロテニスプレーヤーの松岡修造さんや
大戸屋HD会長の三森久実さんら、
これまでに1万8千人もの各界のリーダーを導いてきた
行徳哲男氏が語ります。


┌───────今日の注目の人─────────┐



  「生きるということは一度しかない。
   リハーサルなんかありはしない。
   たった一度だけである」


   行徳哲男(日本BE研究所所長)


   ※『致知』1986年7月号
    特集「なぜ燃え続けるのか」より



└───────────────────────┘


人の出会いも一期一会であり、今を完全に燃焼し尽くした時、
人間には希望や夢や野望やロマンが生まれてくるのである。


私にこんなすさまじい教えを
教えてくれた1人の若者がいた。


今から7年前の1月21日、
富山県の砺波(となみ)という町で、
ガンで亡くなった井村和清さんである。


彼は医師であったが、
右膝に巣くった悪性腫瘍の転移を防ぐため、右脚を切断した。
しかし、その甲斐もなく、腫瘍は両肺に転移していた。


そして昭和54年1月、亡くなったのである。
享年31歳であった。


彼は医師であったから、自分の病状をよく知っていた。
だから彼には明日はなかった。


その彼が遺書を残している。
その遺書は『ありがとう、みなさん』と題されている。


彼は2人の子供に
「心の優しい、思いやりのある子に育ってほしい」と書き、


「私は今、熱がある。咳きこんで苦しい。
 私はあと、いくらもお前たちのそばにいてあげることができない。
 だから、お前たちが倒れても手を貸してあげることができない。

 お前たちは倒れても倒れても自分の力で立ち上がるんだ。
 お前たちがいつまでも、いつまでも、幸せでありますように。

 雪の降る夜に父より」


そしてまた彼は、こんな遺書も残していた。


「ようやくパパと言えるように
 なった娘と、まだお腹にいる
 ふたりめの子供のことを思うとき、
 胸が砕けそうになります。

 這ってでももう1度と思うのです。
 しかし、これは私の力では、
 どうすることもできない。

 肺への転移を知った時に覚悟はしていたものの、
 私の背中は一瞬凍りました。

 その転移巣はひとつやふたつではないのです。
 レントゲン室を出るとき、私は決心していました。

 歩けるところまで歩いていこう。

 その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、
 私は不思議な光景を見ていました。

 世の中がとても明るいのです。
 スーパーへ来る買い物客が輝いてみえる。
 走りまわる子供たちが輝いてみえる。
 犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が輝いてみえるのです。

 アパートへ戻ってみた妻もまた、
 手をあわせたいほど尊くみえました」


「郷里へ戻ると父が毎朝、近くの神社へ私のために
 参拝してくれていることを知りました。

 友人のひとりは、山深い所にある泉の水を汲み、
 長い道程を担いできてくれました。

『これは霊泉の水で、どんな病気にでも効くと言われている。
 俺はおまえに何もしてやれなくて悲しいので、
 おまえは笑うかもしれないが、これを担いできた』

 彼はそう言って、1斗(18リットル)以上もありそうな
 量の水を置いてゆきました。

 また私が咳きこみ、苦しそうにしていると、
 何も分からぬ娘までが、私の背中をさすりに来てくれるのです。

 みんなが私の荷物を担ぎあげてくれている。
 ありがたいことだと感謝せずにはいられません。

 皆さん、どうもありがとう。

 這ってでももう1度戻って、
 残してきた仕事をしたいと願う気持ちは強いのですが、
 咳きこむたびに咽喉をふるわせて出てくる血液を見ていますと、
 もはやこれまでか、との心境にもなります。
 どうも、ありがとう。」


日一日と悪化する病気に、もう猶予はできない。
ここまでくれば、いつ机に向かうことができなくなるかもしれない。


とにかく『あとがき』を書くことにした。


「頼みがあります。
 もし私が死にましたら、残るふたりの子供たちを、
 どうかよろしくお願い致します。

 私が自分の命の限界を知ったとき、
 私にはまだ飛鳥ひとりしか子供はありませんでした。

 そのとき、私はなんとしても、もうひとり子供が
 欲しいと思ったのです。

 それは希望というよりは、
 むしろ祈りのようなものでした。

 祈りは通じ、ふたりめの子供が
 妻の胎内に宿ったのです。

 妻はこれはあなたの執念の子ね、と言って笑いましたが、
 私はどうしても、妻と飛鳥を、母ひとり子ひとりに
 したくなかったのです。

 3人が力を合わせれば、たとえ私がいなくても、
 生きぬいてゆける。

 妻がもし艱難に出逢うことがあっても、
 子供たちふたりが心を合わせれば、
 細い体の妻をきっと助けてくれる。
 そう信じています」


そして、彼の死後、
「誰よりも悲しむであろう父母を慰めてやって下さい」と頼み、


「ありがとう、みなさん。
 世の中で死ぬまえにこれだけ言いたいことを言い、
 それを聞いてもらえる人は滅多にいません。

 その点、私は幸せです。
 ありがとう、みなさん。

 人の心はいいものですね。
 思いやりと思いやり。
 それらが重なりあう波間に、
 私は幸福に漂い、眠りにつこうとしています。

 幸せです。

 ありがとう、みなさん、

 ほんとうに、ありがとう」


1人の若者が生きることの大事さを
教えてくれた生の記録である。


彼は最後の最後まで、
人間万歳を歌いあげたのである。


最後の最後まで「ありがとう」をいい続けたのである。


生きるということは1度しかない。
リハーサルなんかありはしない。
たった1度だけである。


どうか、この「生きる」ことを大事に大事に
生き抜いていただきたい。

習近平が「反日戦略」を方向転換してきたワケ”

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

国際派日本人養成講座 より、北野幸伯さんの ”まるで孔明の罠。習近平が「反日戦略」を方向転換してきたワケ” です。                                                


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 (伊勢雅臣)5月6日発信の特別号外「安倍総理の米議会演説は、成功か?失敗か?」で、北野幸伯さんのメルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」から、安倍首相の米議会演説に関する素晴らしい論考をご紹介しました。


 その結果として、今度は中国の習近平が突然、「反日戦略」を方向転換してきました。その狙いは何か、我が国はどう対応すべきか、北野さんが再度、鋭い議論を展開されています。

  

 国際社会における我が国の進路について考えられている方々へのご参考として、ここの転載させていただきます。
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 中国は、なぜ日本にすりよりはじめた? どうする、日本

2010年9月の尖閣中国漁船衝突事件。

2012年9月の尖閣国有化。

これで、「戦後最悪」になってしまった日中関係。ところが、中国側が、日本に「すりよって」きました。

 夕刊フジ5月25日。
 __________
 「朋(とも)あり遠方より来る、また楽しからずや。3000人余りの日本各界の方々が遠路はるばるいらっしゃり、友好交流大会を開催する運びになった。われわれが大変喜びとするところだ」

 習氏は23日夜、北京の人民大会堂で開かれた交流式典に突然姿を見せ、孔子の言葉を引用しながら笑顔であいさつした。

 会場では二階氏とも面会し、安倍首相の親書を受け取り、「戦略的互恵関係を進めていけば、日中関係はいい結果になると期待している。安倍首相によろしく伝えてほしい」と語った。
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これ、「中国はようやくわかってくれた!これで日中友好は進む!」と考えるのはナイーブすぎます。

 個人で考えてみてください。

 昨日まで、社内でも社外でもあなたの悪口をいいまくっていた男。彼が、突如豹変し、にっこり微笑んですりよってきたら? 普通は、「なんか裏があるんじゃないか?」と疑うでしょう?

そして、疑ってみるべきなのです。


 大国の言動は「戦略」にそっている

皆さん、人生に「戦略」ありますか? 「戦略」はなくても、少なくとも「目標」はありますか? その「目標」を達成する「目的」ははっきりしていますか?

ひょっとしたら、あなたには、「目標」も「目的」も「計画」もないかもしれません。しかし、あなたの「会社」には「目標」があるでしょう? その目標を達成するための「計画」もあるでしょう? なかったら、そうとうヤバいですね。

 国家だって同じです。

 自分の国を「こうしたい」という目標があって、計画をたて、それにむかって前進していく(日本は、しばしば「行き当たりばったり」なので、他国の行動が理解できない)。

では、中国の目標ってなに?

まずは、日本に勝って「アジアの覇権国」になることでしょう。

こちらをごらんください。


 __________
 習近平主席:太平洋には米中両大国を受け入れる十分な空間 Bloomberg 5月18日(月)10時54分配信

ブルームバーグ):中国の習近平国家主席は17日、ケリー米国務長官に対し、米中双方は両国の関係に影響しない形で意見の相違を管理する必要があると述べた。

 米国は中国による南シナ海への進出について自制を促している。

 国営新華社通信などによれば、習国家主席は人民大会堂でケリー国務長官と会談し、両国の関係は「全体的に安定している」と評価。

 「両国の新たな関係は初期の成果を得ている」と述べた。

さらに、「広い太平洋は中国と米国の両国を受け入れる十分な空間がある」とも語った。
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これって、「中国は太平洋の東半分を支配する。アメリカは西半分を支配するってことでどう?」といっているように感じますね?

 歴史をみれば、

スペインとポルトガルの覇権争い
 スペインとオランダの覇権争い
 オランダとイギリスの覇権争い
 イギリスとフランスの覇権争い
 イギリスとドイツの覇権争い
 アメリカとソ連の覇権争い

 など、ナンバー1とナンバー2は常に覇権争いをしてきました。だから、中国だけが例外になって、「覇権争いをしない」と考えるのは、「平和ボケ」なのです。

まず、「アジアの覇権」を奪い、そしてアメリカを蹴落として「世界の覇権を狙う」ということでしょう。

アメリカのリベラル派は、「いや、中国はアメリカがつくった世界秩序の中で台頭したいだけ。アメリカの脅威にはならない」といっていた。しかし、「AIIB」を見て、中国は明らかに、「アメリカとは別の世界秩序をつくろうとしている」ことに気がついた。

それで、アメリカのリベラルも、慌ててるのです。


 中国、最重要戦略は、「日米分断」

では、どうやって、アジアの覇権、ついで世界の覇権を得るのか?

これ、簡単で、まず日本を叩き潰す。

 日米を分断し、日本が米国債を買わなくなれば、アメリカをつぶすことも容易になるでしょう。それで、2012年11月、中国はモスクワで、ロシアと韓国に「反日統一戦線構築」を提案した。

 毎回書いていますが、その骨子は、

1. 中国、ロシア、韓国で、【反日統一戦線】をつくろう!

2. 日本には、北方4島、竹島、そして【沖縄】の領有権もない(つまり、沖縄は【中国領】である)

3. 【アメリカ】を反日統一戦線に引き込もう

 どれもすごいですが、特に3番目は重要です。

この戦略に沿って、中国は、全世界、特にアメリカで大々的に「反日プロパガンダ」を展開してきた。安倍総理訪米前に、アメリカ政府から、「議会演説では中韓にきっちり謝罪しろ!」と圧力がかかるほど、プロパガンダは浸透していた。

ところが、3月に(日本以外の親米国が全部アメリカを裏切った)「AIIB事件」が起こった。これで、アメリカは、「わが国最大の脅威は、ロシアではなく中国である」と理解した。そこに安倍総理がやってきて、「希望の同盟」演説をし、日米関係は非常に良好になった。

これで、「反日プロパガンダ」による「日米分断工作」はいったん挫折したのです。

しかし、「戦略」は不変

いままで、アメリカに日本の悪口をいいつづけることで、日米分断をはかってきた。

それがうまくいかなかったらどうするか? 別の方法を考えればいい。

たとえば、日中関係を改善する。

するとどうなります? 実を言うと、結果は同じ「日米分断」になるのです。

たとえば、鳩山ー小沢政権のとき、日中関係はとてもよかった。それで、日米関係はどうなりました? そう、「戦後最悪」になった。

 「日本の悪口を、アメリカにいいつづける」

 「日本との関係をよくする」

この2つは全然違うように見えますが、「戦略」からみると、「まったく同じこと」なのです。何が違うかというと、戦略を達成するための【作戦】が違う。


では、日本はどうするべきか?

 日中関係については最近、アメリカに利用されないよう、「中国を挑発するな」という記事を書きました。 そしたら、今度は中国がすりよってきた。日本はどうすればいいのでしょうか?

これは簡単で、アメリカに、「中国がこんなこといってきましたが、どうしたらいいでしょうか?」ときけばいいのです。

 「やはり、北野は『従米主義者だ!!!』」

こんな意見も出ることでしょう。

しかし、私たちの目標は、あくまで「アメリカを中心とする中国包囲網の形成」でしょう? 日本としては、アメリカに利用されて、「日本 対 中国」の対立構造になりたくない。

そのためには、「いつもアメリカが主人公」でいてもらったほうがいいのです。これは日本が主体的に、「アメリカを主人公にする」のですから、まったく「従米」ではありません。

 日米関係をさらに「盤石」にするために

 それに、日米関係は、AIIB事件と安倍総理の米議会演説でよくなったとはいえ、「強固」「盤石」というには、ほど遠い状況です。

 日本は、わずか2年半前まで「反米親中」民主党が政権にあった。

そして、安倍総理も、4月末まで、「右翼」「軍国主義者」「歴史修正主義者」と思われていた。

もし日本が、アメリカを味方につけて中国に圧勝しようとすれば、「日米関係をさらに強化する」言動をとっていく必要があります。

そのために必要なのは、「一貫性」です。

 台湾は、1年365日、しかも何十年も「日本が好きです!」といいつづけている。つまり「一貫性」がある。だから、日本人は台湾が好きです。

しかし、中国は、「反日統一戦線をつくろう!」といったり、「仲良くしよう」といったり、全然一貫性がない。だから、信用できない。

 日本も、少なくとも中国が沖縄侵略をあきらめるまでは、一貫して「アメリカが好きです」といいつづけなければなりません。安倍総理も、毎日オバマさんに電話して、「報連相」するぐらいでちょうどいいのです。

 

安倍総理の米議会演説は、成功か?失敗か?

テーマ:ブログ

リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、”安倍総理の米議会演説は、成功か?失敗か?” です。

 

安倍総理が4月29日、アメリカ上下両院合同会議で演説をしました。

この演説に関して、メルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」の北野幸伯さんが、素晴らしい解説をされているので、ここに転載させていただきます。

下記の解説を読んで頂ければ、”なぜ日本はいま 日米同盟の強化なのか?”

”なぜ安保法制の充実に取り組んでいるのか?”が理解できると思います。

 

 世界情勢に興味のある人は、北野幸伯さんの著書、「クレムリン・メゾット」 お勧めの本です。

 

 


安倍総理の米議会演説は、成功か?失敗か?

 

全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!

 

皆さんご存知のように、安倍総理は4月29日、

アメリカ上下両院合同会議で演説しました。


これについて「賛否両論」でているようですが、どうなので
しょうか?

 

▼まず「背景」を把握しよう

 

どんな話をするにも、まず背景を知っておくことが大事です。


日本はどんな状況なのか?


アメリカはどんな状況なのか?


世界はどんな状況なのか?

 

08年、リーマンショックから「100年に1度の経済危機」が起こ
りました。


これ、本当に「1929年からの世界恐慌」に匹敵する危機だった
のです。


しかし、人類は1929年当時より賢くなっていたので、前回ほど
の悲劇は起こりませんでした。


世界の大国は、軒並み大幅なマイナス成長になった。


その中で、中国だけは、09年9.2%、10年10.4%、11年9.3%
の成長を果たし、まさに「ひとり勝ち状態」になりました。


(正確にいうと、インドも勝ち組)


これが、中国を「増長」させます。

 

「アメリカは没落した。

わが国は、これから自由に国益を追求できる!」

 

と確信したのです。


2010年9月、尖閣中国漁船衝突事件が起こりました。


これをきっかけに、中国は「尖閣はわが国『固有の領土』であり、

『核心的利益』である!!!」と全世界に宣言します。


(中国の領土要求は、1970年代はじめからあったが、大声で騒い
ではいなかった。)

 

日本も対抗措置をとらざるをえず、2012年9月、政府は尖閣を「国
有化」しました。


これに激怒し、中国では超大規模な「反日デモ」が起こったのです。


問題はこの後です。


中国は、どうやって日本に逆襲するのか?


尖閣国有化から2ヵ月後、中国の代表団が、(事実上の)同盟国
ロシアの首都モスクワにやってきました。


そして、「中国、ロシア、韓国、【アメリカ】で、


【反日統一共同戦線】


をつくろう!」と提案したのです。


ポイントは、「【アメリカ】も反日統一共同戦線に引き入れる」と
宣言したことです。


「トンデモ、トンデモ、トンデモ~~~」


そんなあなたの声が聞こえます。


しかし、これは絶対証拠つきの事実です。

 

そして、ずる賢い中国は、この戦略を成就させるために、全世界で
大々的な「反日プロパガンダ」をはじめました。


韓国は、中国の先陣を喜んでつとめています。


ここ2~3年、「慰安婦問題」が大騒ぎになっていますね。


これも要するに、中国の「反日統一共同戦線構築戦略」の一環な
のです。


中国が罠をしかけたことを知らない安倍総理。


2013年12月26日、靖国を参拝しました。


すると、中韓だけでなく、アメリカ、イギリス、EU、ロシア、オー
ストラリア、シンガポール、台湾などなど、

それこそ全世界から非難されたのです。

 

日本政府は、中国の対日戦略を知らないので、「なんでそうなるの??」
とわけがわからなかった。


だって、「小泉総理は在任中6回靖国を参拝したのに、騒いだのは中韓
だけだったじゃないか????」と。

 

特にアメリカの怒りはすさまじく、ブルームバーグは、「尊大な安倍を
懲罰せよ!」などと主張していた。


中国の戦略は、まさに成功しつつあった。


そんなとき、安倍総理に「神風」が吹きます。


そう、プーチン・ロシアが2014年3月、クリミアを併合してしまった。


これで、アメリカは、日欧を巻き込んで「対ロシア制裁」を課す必要が
でてきた。


安倍叩きは、ひとまずおさまりました。


しかし、中国の「反日統一共同戦線」戦略はいまも継続中です。


中国は今年、「安倍談話」と「憲法改正」問題を大騒ぎすることで、
日米を分断させようとしている。


そして、今回の米議会演説については、保守派を支持基盤とする安倍
総理ができないのを知りながら、


「慰安婦問題で謝れ!」「アジア侵略について謝れ!」と圧力をかけて
いた。


中国のプロパガンダに侵食されたアメリカサイドから、そういう要求が
でていた。


安倍総理は、演説を前に再び苦境に陥っていたのです。


しかし、また「神風」が吹きました。


それが、「AIIB」事件。


中国主導で設立される「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)。


アメリカが「入るなよ!」と命令していたのもかかわらず、イギリス、
フランス、ドイツ、オーストラリア、韓国などが入ってしまった。


なんと57カ国が参加し、大国で不参加はアメリカと日本だけにな
ってしまった。


これで日本は、アメリカにとって、「唯一裏切らなかった忠実な友」
になった。

 

中国は、「覇権を狙うアメリカの主敵」。

韓国は、「裏切り者」。


こういう「追い風」の中で、安倍総理の演説は行われたのです。

 

▼演説の目的は

 

2012年11月に明らかにされた中国の「反日統一共同戦線」戦略。


プーチンロシアは、日本との関係を良好に保ちたいので、のらなかった。


韓国は、喜んでプロパガンダの急先鋒をつとめている。


アメリカは、AIIB事件前、かなり中国よりになっていた。


結局、中国世界戦略の最重要課題は、「日本とアメリカを分裂させ
ること」なのです。


GDP世界1のアメリカと3位の日本を分裂させる。


そうすれば、尖閣・沖縄を容易に強奪できる。


大きなところでは、中国がアメリカを蹴落として覇権国家になるこ
とができる。


中国の戦略の要= 【日米分断】 にある。


そうであるなら、日本の戦略の要は、【日米関係強化】 にある。

(プラスアルファで、米中分断 をするべきだが。)


というわけで、安倍演説の目的は、


「日本とアメリカの関係を強化すること」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

だった。


「成功」か「失敗」かは、「演説によって日米関係が強化されたか?」

で判断されるべきなのです。

 

▼失敗する演説、成功する演説

 

演説に先立ち、RPEでは、「こんな演説はダメ!」「こんな演説なら
よい!」

と解説。

草案も出し、総理にも送らせていただきました。

 

失敗する演説については、こう書きました。


<【間違い1】日本の実績、安倍内閣の実績を延々と話してしまう


セールスマンの商品説明でもそうですが、「自分が優れていること」
を伝えることは大事です。

しかし 、あんまり延々とやると、アメリカの議員さんたちは「うんざ
り」することでしょう。

自慢話は、ほどほどにしましょう。

では、何をするの?


皆さん、台湾のことが好きですね?

なぜですか?

台湾が、自慢話をしたことを聞いたことがありますか?

私はありません。

しかし、台湾はいつも、「私たちは日本が大好きです」といいます。

それだけで、日本は台湾のことが 好きなのです。

だから、安倍総理は、自分の実績自慢はそこそこにして、


「私は、アメリカを尊敬している!」


「私は 、アメリカが大好きだ!」


「私は、アメリカの味方だ!」


「アメリカはすごい国だ、人類の希望だ!」

 

などと繰り返すべきです。

そうすれば、「右翼」「歴史修正主義者」などと呼ばれなくなるでしょう。

 


【間違い2】中国、韓国の悪口をいってしまう

自分の自慢話をするのと同様、中国と韓国の悪口をいうのも感心で
きません。

演説の中で、中国や韓国 を名指しして批判することは絶対避ける
べきです。

なぜかというと、アメリカの議員さんの中には、中国、韓国からたっ
ぷり金をもらい、中韓の利益のた めに動いている人がいる。

中韓を名指しで批判した途端、反発が強まり、安倍バッシングがは
じまります。

 

【間違い3】歴史問題で弁明してしまう

これもありがちな間違いなのですが、中韓の反日プロパガンダに議
会演説で対抗してしまう。

議会演説で説得力のある証拠を提示することは不可能。

それで、総理が何をいおうと、すべて「醜い言い訳」ととられます。

歴史問題には触れることなく、できれば記者会見なども開かない方
がよいでしょう。


何か聞かれたら、「日本は第2次大戦について非常に強く反省して
いる。日本はその反省の上に、70年間平和を維持してきた。今後も、
日本が他国を侵略することなどありえない」


などと、日本にもアメリカにも、中韓にもいいようにうまくいうべきです。>

簡単にいえば、


・自慢話はそこそこに


・中韓の悪口をいうな


・歴史問題で弁明するな


・とにかく、アメリカを褒めまくり、「アメリカが大好きである!」
ことを示せ

 

とまあ、こういう話だったのです。


で、実際の演説はどうだったのでしょうか?

 

▼安倍総理は、「アメリカ大好き民主主義者」であることを宣言した

 

安倍演説について、中韓メディアは、もちろん批判しています。

日本のメディアも「謝罪がなかった」などと批判しています。

しかし、皆さんは、是非安倍総理の演説全文を読んでいただきたいと
思います。


できればアメリカ人の気持ちになって。


まず、これを読むとわかりますが、総理は上記三つの間違いをしませ
んでした。

終始一貫して、「アメリカを褒めること」に徹しています。

見てみましょう。


<議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべて
の皆様、1957年6月、日本の首相としてこの演台に立った私の祖父、
岸信介は、次のように述べて演説を始めました。

 

「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則
と理想を確信しているからであります」。


以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国首相として初めて
お話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。>


これは、「私は民族主義者じゃなくて、あなたたちと同じ価値観の
持ち主なのだ」といっているわけです。

 


<私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生
時代にさかのぼります。

家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人。

寡婦でした。

亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパ
ーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。


 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。

彼女が日ごろ、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないこ
とにします。

デル・フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。

彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。

その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。

驚いたものです。


 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を
与えられました。

 上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく
意見を戦わせ、正しい見方ならちゅうちょなく採用する。

 この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議
員たちに、アベは生意気だと随分言われました。>



この部分。

安倍さんは、「私は実際にアメリカに住んでみて、アメリカを尊敬
しているし、大好きなんだ。

あまりにアメリカが好きなので、アメリカナイズされた」という意
味。

これを聞いたアメリカ人は、「全然軍国主義者じゃないし、俺たち
の仲間じゃないか」と思ったことでしょう。

 


<私の名字ですが、「エイブ」ではありません。

アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。

民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティズ
バーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。


農民大工の息子が大統領になれる──、そういう国があることは、
19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。

日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭
遇でした。

出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。>

 


ここで総理は、「リンカーン」を尊敬し、「民主主義」を非常に
大切にしていることを明らかにしています。


「アメリカとの出会いは民主主義との遭遇」だった。


「浦賀に来航したペリーは、『開国しなければ、攻撃するぞ』と恫喝し
たのです」

とはいわず、「民主主義との遭遇」とした。

「目的」から考えればまったく正しいことです。

 


▼安倍総理は、戦争で亡くなったアメリカの兵士に謝罪した

 

つづいて総理は、第2次大戦の話をされます。


< 先刻私は、第2次大戦メモリアルを訪れました。

神殿を思わせる、静謐(せいひつ)な場所でした。

耳朶(じだ)を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。

一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、
4000個を超す星が埋め込まれている。

その星一つ、ひとつが、斃(たお)れた兵士100人分の命を表すと聞
いたとき、私を戦慄が襲いました。


 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシン
ボルに違いありません。

しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの
若者の、痛み、悲しみが宿っている。

家族への愛も。


 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海……、メモリアルに刻ま
れた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未
来を思いました。

歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。

私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙とうをささげました。


 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争
に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼をささげます。

とこしえの、哀悼をささげます。>

 

ここで明確に、第2次大戦で亡くなったアメリカ兵士にお詫びして
います。


「中韓に謝罪しなかったこと」を理由に演説を批判する人がいます。


しかし、アメリカにいってなぜ「中韓」に謝罪しなければならない
のでしょうか?


これは、アメリカ大統領に、「中国にいったとき、『広島に原爆を
落して申し訳ない』と謝罪しろ!」というほど、おかしなことです。

 


▼総理は、日米の和解を劇的に演出した

 


この後、演説の見所がやってきます。

 

<みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中
将がお座りです。

70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸
した方です。

近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加して
こられました。

こう、おっしゃっています。

 

 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているの
でもない。

その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉をたたえること
だ」

 

 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。

かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のおじいさんこそ、
勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。

これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。


 熾烈(しれつ)に戦い合った敵は、心の紐帯(ちゅうたい)が結
ぶ友になりました。

スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。

ほんとうに、ありがとうございました。>

 


硫黄島で実際に戦ったスノーデンさん。


栗林大将のお孫さんである新藤さん。


この二人ががっちり握手する姿を見て、大きな拍手が起こりました。


その場にいたアメリカ議員さんたちも、感動したことでしょう。

 


▼戦後、日本はアメリカ側につくことで繁栄した

 

つづいて総理は、「大戦の反省」を述べます。

 

<戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻み
ました。

自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけ
てはならない。

これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではあり
ません。>

 


アメリカを除けば、先の大戦に関する言及はこれだけです。

それで、中韓も、日本のメディアの一部も批判しています。


しかし、アメリカの反応を見れば、この部分は「十分だ」といえる
でしょう。

 

< アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため
、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。

この歩みを、私は、誇りに思います。

焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーター
が、毎月毎月、米国の市民から届きました。

山羊も、2036頭、やってきました。


 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦
後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、
日本です。

下って1980年代以降、韓国が、台湾が、東南アジア諸国連合(AS
EAN)諸国が、やがて中国が勃興します。

今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えま
した。

一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り
出しました。>

 


ここで総理は、「日本が戦後発展したのはアメリカのおかげです」
といっている。

確かに、ソ連に占領されていれば、戦後の発展はなかったことでし
ょう。

 


▼日本の改革は、「アメリカの利益」でもある

 

この後、安倍総理は、TPPの意義について語りました。


この部分は、省略させていただきます。


そして、総理は、「日本の改革の意義」について語ります。

 

< 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の
「リバランス」(再均衡)を支持します。徹頭徹尾支持すると
いうことを、ここに明言します。>

 


アメリカの「リバランス」とは、「アジア重視」のことです。


「アジア重視」とは、要するに「中国に対抗する」こと。


ですから、日本がこれを支持するのは当然ですね。

 


< アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させて
ください。

第1に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこ
と。

第2に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。

そして

第3に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。


 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が
貫徹する平和の海にしなければなりません。

そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。

私たちには、その責任があります。>

 

これは、名指しはさけているものの、明確に、「日米で中国の野望を
粉砕しましょう」といっている。


中国が「アメリカから覇権を奪おう」と行動している。


ですから、アメリカにとって、安倍総理の言葉はありがたかったこと
でしょう。


そして、日本としても、「アメリカが中国を封じ込めてくれなければ
勝てない」という切実な問題がある。


つまりこの件で、日米は「利害を共有している関係」にあるのです。

 

< 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。

実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が
、はるかによくできるようになります。

この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同
盟は、より一層堅固になります。

それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。


 戦後、初めての大改革です。

この夏までに、成就させます。

ここで皆様にご報告したいことがあります。

一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、
中谷防衛相と会って、協議をしました。

いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合
わせられるようにする仕組みができました。

一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。


 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりませ
ん。

昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いま
した。

皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。>

 

まさに「歴史的」です。

これで、日本はもっと米軍をサポートできるようになる。

このことはアメリカの利益であると同時に日本の利益でもある。


なぜか?

日本はアメリカのお墨つきをえて、軍事力を強化していくことができる。

つまり、アメリカから抵抗を受けずに【軍事的自立】に近づくことがで
きるのです。

 


▼安倍総理は、日本の「世界観」と「政策」を示す

 


< 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず
続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自
己像を与えてくれました。

いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極
的平和主義」という旗です。

繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」
こそは、日本の将来を導く旗印となります。


 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動──。日米同盟は、
これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。

日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢
(けんろう)さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。

自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、
新たな理由付けは全く無用です。

それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共に
する結びつきです。>

 

この部分、非常に重要です。

日本の世界観は、「法の支配」「人権」「自由」である。

つまり、「アメリカと同じですよ」といっている。


それを実現するために、


「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」


でいくと。

これは、別の言葉でいえば、「どんどん自衛隊を海外に出します」と
いうことでしょう。

批判も多いでしょうが、私はよいことだと思います。

 

「平和憲法さえあれば日本は安全だ」なんて、「夢物語」です。


中国はそんなにあまくないですよ。

 


▼総理は、「アメリカは世界の希望である!」と宣言し、アメリカ
を味方につけた

 

そして、いよいよ演説のクライマックスがやってきます。

 

< まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キン
グの曲に、私は心を揺さぶられました。


 「落ち込んだ時、困った時、……目を閉じて、私を思って。

私は行く。

あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗
い、そんな夜でも、明るくするために」

 

 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。

日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。

そして、そのときでした。

米軍は、未曽有の規模で救難作戦を展開してくれました。

本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手
を差し伸べてくれました。

 私たちには、トモダチがいました。

被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。>

 


RPEの草案にも書きましたが、総理はラストで、東日本大震災後のサポート
に感謝しました。


しかし、ここから、さらに感動的なラストにむかっていきます。

 


<そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。


希望、です。


米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希
望であった、希望である、希望でなくてはなりません。

 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼
びましょう。

アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にし
ていこうではありませんか。


希望の同盟──。

一緒でなら、きっとできます。

ありがとうございました。>

 

なんと、「アメリカは、世界の【希望】だ!」というのです。


AIIBでは、イギリス、ドイツ、フランス等欧州の大国、オーストラリア、
イスラエル、韓国までがアメリカを裏切った。


世界的に孤立し、不安を感じているアメリカのエリートに、安倍総理は、


「アメリカは世界の希望だ!!!」


という。


こんなにありがたく、うれしいこと言葉はなかったことでしょう。

 


▼安倍演説は、「歴史的」であった

 

詳しくみてきました。


覇権を狙う中国の最重要戦略は、「日米分断」である。


だから日本は、「アメリカを味方につけなければならない」。


これが演説の「目的」でした。


そして、安倍総理は、そのミッションを見事にはたされました。


一日本国民として、総理のすばらしい演説に、心から感謝申し上げ
ます。


北野幸伯

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