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ピンチの時!

テーマ:ブログ

 リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪より、「ピンチの時!」です。


 メルマガを発行するよう
 になってから、変わった
 のが、生活スタイルです。

 朝書いて、朝配信するの
 で、自然に、朝は自宅に
 いるようになります。

メルマガ配信当初は、
 旅に出ると
 ネットが使えないので、

 連泊で出かけるときなど
 は、すべて先に書いて、
 予約配信にしてました。

 最近は、ネット環境が
整備されて、場所を選ば
 なくなりましたけど。


その昔は、かなーり好き
 に行動していました。

 大学時代、毎日、稽古場
で寝泊まりしながら、
 授業に参加してたり。

 夜中に、誰もいない
 おおきな駐車場で、
ラジカセがんがんかけ
 て、みんなで踊ったり。

 深夜、先輩の下宿に
集団で押しかけたり…。

 演劇仲間って、そういう
 ところがあるんです。
(例外もいますけどね)

ほんとに、ハタメイワク
 でしたね。(*^_^*)


そんな体験をしている
 と、イレギュラーなこと
 が、あまり気にならなく
 なるんです。

 何しろ、「常識だろ」
 「フツーだろ」ってこと
 が、通用しないわけです。

 代わりにどうするかとい
 うと、そのときそのとき
 の状況にあわせて、

 「なんとかする」という
 ことを、考えるように
 なるんです。

だって、考えて、なんと
 かするしか、しょうが
 ないわけですから。


でも、こんなこと、
ある意味、当たり前の
 ことだと思うんです。

ひとは、体験をとおして
 しか、育たないんです。

 頭でいくら教えても、
 自分のこころとからだで
体験したことでないと、
 身につかないんです。


 器用じゃなかった。
 要領が悪かった。

だからこそ、一つひとつ
 のことを、がつがつぶつ
 かりながら、積み上げて
 きたと思うんです。

その結果、タフになった
…と思います。

 器用にも、要領よくにも
 ならなかったけど、

 確実に、タフになった…
と思います。(笑)


ピンチのときには、
 「どうしよう~」ではなく、

 反射的に、「どうするか」
と考えて、行動している
自分がいます。

 考えたことが、うまくい
 くとはかぎらないけど、
そしたら、また考える。

 考えて、また行動する。

そんな生活スタイルが、
すっかり身につきました。


で。
 冒頭の話にもどると、

メルマガを発行するよう
 になって、習慣になったのが、

とにかく、朝は家にいる
 ということです。(笑)

でないと、落ち着いて
書けませんから。

すっかり、規則正しい?
 生活になりました♪


でも、同時に、
イレギュラーなことがあ
 っても、平気なんです。

そのときはそのとき。
 臨機応変に対応します。

 「だめだ」とか「無理」
という選択肢が、
なくなっていくんです。

 「なんとかなる」
 「なんとかする」
 「何か方法はないか」
 「それがだめなら、
  次は何をやるか」

つねに、そういう発想に
 なっていくんです。

そして、うれしい?こと
 に、そういうイレギュラ
 ーなことは、しばしば
起きてくれますから。(爆)

 (前と、ちっとも
 変わってないじゃん!)


だから、結局は、
いつもの結論です。

 何があってもなくても、
とにかく、楽しもう!

 一回きりの人生だもん。

 私にしか体験できない
人生だもん。

 起きてきたことすべてに
 マルをあげて、

 私は私を生きていく!

 感謝!

 

誰かのために、居るわたし

テーマ:ブログ

リペアショップ鹿児島店の坂元です。

さとう みつとう氏のブログから「誰かのために、居るわたし」です。

(さとう みつろう氏の著書)

 

 

 

とある小学校の社会見学の授業で、大手カレーチェーンの工場を訪れた子どもたち。

 

次々とカレーを作るロボットラインに、子どもたちは大興奮。

 

 

すると、ある少年が怒鳴り声をあげた。

 

 

少年

「やめろよ!この双眼鏡は、僕が自分のために持ってきたものだぞ!

 

悔しかったら、お前も自分で持って来れば良かったんじゃん。」

 

 

 

ガラス越しのロボットを、より近くで見ようと双眼鏡の奪い合いを始めた生徒たちに、

 

案内役の工場長は、戸惑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

険悪な雰囲気の中、工場見学を終えてバスに乗ろうとしていた子どもたちに、

 

社員が駆け寄ってきて、こう言った。

 

 

 

広報担当者
「今、偶然うちの社長が帰ってきたので、良かったら社長室でお話しでも聴いていきませんか?

 

社長も、子どもたちに伝えたいことがあるようですので。」

 

 

 

一代で日本最大のカレーチェンを築き上げたこの社長は、

 

新聞やテレビでも取り上げられるほどの著名人だったので、先生は喜んでお願いした。

 

 

 

 

 

 

 

社長
「今日はようこそ、我が社のカレー工場へ。

 

チャーリーのチョコレート工場じゃなくて、残念だったかい?わっはっは。」

 

 

 

小学生には、ピントがいまいち合わない社長のギャグによる沈黙を切り裂いて、

 

さっきの少年が質問した。

 

 

 

少年
「おじさんは、どうしてカレーを作ることにしたの?」

 

 

 

社長
「お、良い質問だね、チャーリー。

 

おじさんはね、誰かのために何かをやりたくなったんだよ。

 

ずーっと、サラリーマンだったんだけどね、

 

そこには、『誰かのために、何かをしている』という感覚が無かったんだ。

 

で、考えた・・・。

 

「誰か」のために、何かがしたい。

 

でも、私に、何が出来るんだろうか?

 

 

答えは、意外とすぐに出たよ。

 

ほら、カレーって、誰もが喜ぶだろ?

 

だから、カレー屋を始めたんだ。

 

だって、作れば作るほど、「誰かのため」になるんだから。」

 

 

 

 

少年
「かっこつけてるでしょ、おじさん。

 

誰かのために、何かをしようと、思っただなんて。」

 

 

 

 

社長
「いや、本当にそう思ったんだよ。

 

そしてそれは、別にたいしたことじゃ無いんだよチャーリー。

 

単純にさぁ、飽きちゃったんだ。」

 

 

 

少年
「サラリーマン生活に、飽きたってこと?」

 

 

 

社長

「いや、違うんだ。

 

 

「自分」のために何かをすることに、飽きたんだよ。

 

ほんと、ただそれだけ。

 

 

ほら、例えば、

 

ずーっと、【森高千里】だけが好きな人なんて居ないでしょ?

 

予告通りオバサンになっちゃったし。

 

【森高千里】に飽きたら、【上戸彩】を好きになる。

 

 

それと、まーったくいっしょ。

 

 

おじさんはさぁ、ずっとー、【自分】に夢中だったんだぁ。

 

【自分】のために、頑張って、

 

【自分】のためにお金をたくさん使って、

 

【自分】のために、出世競争に勝ち抜いて、

 

とことん、【自分】のために尽くしたんだよ。

 

 

で、飽きちゃったの、【自分】に。

 

 

だから、次なるマイ・ブームとして、【誰か】のために活動を始めたんだ。

 

ほんと、ただ、それだけ。

 

おじさんの、今のマイ・ブームは、【誰か】なんだよ。」

 

 

 

 

少年

「うそだ。【自分】に飽きたから、【誰か】に尽くし始めるなんて、ある?

 

うちのパパは、今でも、ずーっと、【自分】のためだけに生き続けているよ?」

 

 

 

 

 

社長

「君のパパは、飽きるほど、まだ【自分】に夢中になれていないんじゃないかな。

 

おじさんはね、本当に、ありとあらゆるミツギモノを【自分】に捧げ続けたんだ。

 

徹底的にね!

 

もう【自分】しか、目に入らなかったよ。

 

他人を蹴落とし、【自分】だけを愛し、【自分】のために、全力を尽くした。

 

ところが、あいつ、全然、俺に気をゆるさねーの!!

 

ずーっとクールで、微笑みもしない!

 

ここまで、徹底的に、【自分】に尽くしたのに!!

 

 

 

 

分かる?この、虚しい気持ち。

 

 

さっきの、オバサンの例えに戻すと、

 

【森高千里】だけのために、ずーっと生きてきたのに、

 

まるで、その努力を認めてくれない【森高千里】。

 

 

もう、しょうがないから、【上戸彩】に鞍替え(くらがえ)するしかないでしょ?

 

 

 

おじさんはね、こうして、【誰か】のために、何かをすることにしたんだよ。

 

もう、【自分】には、飽きちゃったから。」

 

 

 

 

少年

「なんか、おじさんの話し・・・、少し、信じられる気がする。

 

でも、辛くない?

 

【他人】のために生きるのって。」

 

 

 

 

社長

「そう、思うだろ?

 

でもね、やってみたら分かるよ。

 

【自分】のやろーは、どれだけ尽くしても、微笑みもしなかったのに、

 

新しく愛し初めた、この【他人】はさ、

 

少しでも何かしてあげると、全力で喜んでくれるんだ。

 

 

クールな【千里】に、愛嬌たっぷりの【上戸】って覚えるといいよ。

 

 

 

 

初めて、【自分】のため以外に起こした行動・・・。

 

おじさん、「誰かのため」にと作った最初の一皿のカレーは、今でも忘れられないよ。

 

お客さん(=【誰か】)に、「美味しかったよ!」と言われたトキ、

 

言い得ようのない幸福感に包まれたんだ。

 

 

その日から、今日まで、ずーっとおじさんは、「誰かのために」カレーを作っている。

 

こんなに、幸せな事はないよ。

 

 

 

いいかい、実はおじさん、さっき工場で君を見ていたんだ。

 

君は、【自分】のために双眼鏡を持ってきたんだろ?

 

その双眼鏡を、プレゼントしてあげた【自分】は、君に一言でも、お礼を言ったかい?」

 

 

 

 

なぜだか無性に胸が痛くなった少年は、正直に答えた。

 

 

 

少年

「自分のために、持ってきた双眼鏡のお礼を、

 

【自分】のやろーは、僕に言わなかった・・・。」

 

 

 

社長
「だろ?

 

その努力は、一生むくわれないよ。

 

これから先、どれほどのミツギモノをしても、【自分】は君にお礼を言わないだろう。

 

【自分】のために、生きれば生きるほど・・・、

 

【自分】のために、尽くせば尽くすほど、君は疲弊していく一方だ。

 

 

ところが、その双眼鏡を、【誰か】のために、プレゼントしたら、どうなると思う?」

 

 

 

 

少年は、さっき怒鳴った友達の顔を思い出した。

 

彼に、双眼鏡を貸したら、きっと、「ありがとう」と笑顔で言ってくれていたであろうことも。

 

 

想像の中でにっこり笑う友達の笑顔に、涙がとめどなく溢れてきた。

 

 

 

少年

「おじさん、ありがとう。

 

僕、なんだか、分かったよ。

 

【自分】のために何かをするより、

 

【誰か】のために、何かをする方が、とっても気持ち良い!」

 

 

 

 

社長

「そうだ、チャーリー!!よく分かったな!!

 

君はきっと、立派な大人になる。

 

だって、おじさんは、この理論に気づくまでに、35年もかかったんだよ?

 

35年間、【自分】のためだけに生きてきた。

 

バカの真骨頂だよ。

 

 

ところがね、こんなおじさんだけど、【他人】のために生き始めてからは、ミラクルの連続だったよ。

 

 

君は、さっき、言っただろ。

 

 

【自分】のために、何かをするより、

 

【誰か】のために、何かをする方が、とっても気持ち良い、

 

って。

 

 

 

要するに【誰か】のために何かをすると、【自分】がとっても喜ぶんだよ。

 

一石二鳥じゃねーか!!

 

 

言っとくけど、【自分】のやろーが喜んだの、これが初めてだからな!!

 

どれほど、尽くしても、尽くしても、まーったく喜ばなかった、あの【自分】が、

 

【他人】のために、何かをすると、ついに、喜びやがった!!

 

 

いいかい、【自分】は、ずーっと待っていたんだよ。

 

君が、【誰か】のために、何かをするのを。

 

 

 

あの日。

 

初めて、カレーを作った、あの日。

 

初めて見た【自分(森高千里)】の真の笑顔に、おじさんメロメロになっちゃってさ、

 

それ以来、ずーっと、【他人】のために生きてるんだ。

 

 

【他人】のために生きるって、実は究極の【自分】へのプロポーズだったんだよ。」

 

 

 

 

社長室からの帰り道、横切った工場ラインのガラス窓の前で、

 

少年はさっきの友達に無言で双眼鏡を手渡した。

 

 

友達は、すぐに言ってくれた。

 

「ありがとう」と。

 

その言葉に、誰よりも喜んだのは、【自分】だった。

未来の実績が過去に対する評価を変える

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、ひすい こたろう氏の名言セラピーより、「未来の実績が過去に対する評価を変える」です。

 

僕は小学校1年生のときに
チック症になり、5年生の時からは
本格的にいじめられるようになり、
以降ずっとどん底人生でした。

いつも、

「どうすれば一番楽に死ねるか?」
「どうすれば一番悲しんでもらえるか?」

なんてことばかり考えていて、

「雷に打たれるのが1番楽だよなぁ」とか、
「富士の樹海で孤独に死ぬのもアリだなぁ」とか、
そんな空想に耽ってばかりいました。

そんな中でも、就職活動の時期がきて、
ある日、ワイキューブという会社の説明会に
なんとなく行ってみたことで人生が変わりました。


社長の安田佳生さんが
ご自身の話をしていたんです。

安田さんは幼ない頃から根暗で、
勉強もスポーツもできず、
いじめられっ子だったそうです。

それで
18歳のときに日本から逃げるようにして
アメリカの大学で生物学を学んだ。

でも研究者としては
やっていけないと思って
また逃げるように日本に帰ってきて
リクルートの営業部に就職。

でも決められた仕事を
決められた時間内にするというのも苦手。
知らない人と話すのも苦手だし、
電話を取ることすらできなかったそうです。

だからサラリーマンには向いてないと思って
やりたい仕事を自分で決められる社長になるしかないと
起業した。

そうしてしばらくたつと、
昔のダメだった自分の話をしても

「やっぱり起業される方は違いますね」とか、
「アメリカにポンと渡ってしまう行動力が素晴らしい!」
なんて言葉ばかりが返ってくるようになったそうです。

 


「いやいや、違うんです。単に逃げただけなんです……」

 

と正直に告げたら、

 


「そういう謙虚なところが凄い」
と、また絶賛されてしまう……。


そこで1つの事実に気付いたそうです。

 

 

 


「過去の実績が未来を決めるのではない」

 

 

 

 


ではなにか?

 

 

 

 

過去の実績が未来を決めるのではない。
未来の実績が過去に対する評価を変える


この言葉を聞いて衝撃が走りました。

その日までは、

「自分はもう何をやってもダメなんだ……」
「自分の人生にもう希望はない……」
「自分の人生は呪われている……」

という想いで、
自分に対して希望を持つどころか
あきらめていました。

しかし、この言葉を聞いて、
まるで目の前に道が
パーッと開けた感じがしたのです。


ものっ凄い楽になりました。


そして、


過去ばかりにとらわれてうじうじ悩むのはやめて、
過去をひっくり返すような未来を創ることに集中しよう!

と思って、
前を見ることができるようになりました。


とはいっても、
すぐに何かが変わるわけではなく、
それからも大変な時期は続きましたが、

それでも色々な問題を乗り越えて、
今の自分があります。

 


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……というわけで3秒セラピー

大丈夫。
過去は変えられる。
未来が過去を変えてくれるんだ。

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すべての過去をひっくりかえすような未来をつくろう!

 

ちなみに、
これにはちょっとした後日談があって、

安田さんの言葉を聞いた7年後にたまたま、
生まれて初めて熊本に行くことがあって、
その帰りの同じ便に
なんと安田さんも同乗されていたんです。

で、空港に着いてから、僕はお礼とともに伝えることができました。


「あの時のあの言葉のお陰で今の僕があります」と^^

「持てど使えぬ」集団的自衛権の怪

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、国際派日本人養成講座より、「持てど使えぬ」集団的自衛権の怪」です。


 ■1.「これは武士道ではない。日本は臆病ものだ」

  2004(平成16)年4月、ペルシャ湾で日本のタンカー「高鈴(たかすず)が武装勢力に襲われたが、アメリカの海軍と沿岸警備隊が護ってくれた。「高鈴」の乗組員は全員無事だったが、米海軍2名、沿岸警備隊1名の合計3名の若者が命を落とした。

  しかし、アメリカ側は「同じ活動をやっている仲間を助けるのは当たり前だ」と語った。当時、陸上自衛隊がイラクで人道支援活動で展開[a]、航空自衛隊はクウェートからイラクに支援物資などを空輸し、海上自衛隊がインド洋で同盟国の艦隊に給油活動をしていたからだ。

  しかし、その後、小沢民主党が「インド洋での給油は憲法違反」としてテロ対策特措法の延長に賛成しなかったため、給油活動を行っていた海自は帰国を余儀なくされた。

  その途端、日本に対する評価はガタ落ちとなった。「日本の油を守るためにアメリカの若者が死んでいるのに、日本人は国内の事情で帰るのか」とアメリカは反発した。イギリスのファイナンシャルタイムスは一面で「これは武士道ではない。日本は臆病ものだ」とまで書いた。[1]

「高鈴」の逆のケースを考えてみよう。日本近海で米海軍の艦船が中国の軍艦に襲われた、とする。救援依頼の電波を受信して、海上自衛隊の護衛艦が駆けつけたが、国内法の事情から、海自は米国艦船を守るために中国の軍艦と戦うことがきない。

  米海軍の艦船は日米同盟によって、日本近海で日本を守るために活動をしていた。それを日本が助けないとは何事か、と米国民は激高するだろう。その瞬間に、日米同盟は深刻な危機に陥る。いくら条約があっても、米国民は身勝手な日本を守るために、米青年の血を流すことに猛反対するだろう。

  日本を含む太平洋の西半分を自らの覇権下におこうとする中国にとって、唯一の障碍は日米同盟だが、その同盟にクサビを打ち込む最も簡単な方法がこれである。


■2.「集団的自衛権は保有しているが行使できない」という詭弁

  上述のケースで、海自護衛艦が米艦船を守るために戦えないのは、我が国が「集団的自衛権」を行使できないという憲法解釈を政府がとってきたからである。

  集団的自衛権とは「ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利」と定義されている。

  これに関して、昭和47(1972)年9月14日、社会党(当時)の質問主意書に対する答弁書(以下、「47年答弁」と呼ぶ)として、「国際法上は集団的自衛権を保有」としながらも、「その行使は違憲」とする次のような見解が出された。

 __________
  ・・・わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。[2,p132]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  現在、国会で議論されている平和安全法制は、限定的な集団的自衛権行使を含んでおり、これを多くの憲法学者が違憲と指摘する根拠の一つが、この47年答弁である。

  しかし、たとえば「あなたは投票権を持っているが、行使はできない」などと言われたら、一般国民の常識では理解できない。「持てど使えぬ」権利が世の中にあるだろうか? こんな詭弁が、どうして出てきたのか?


■3.平和条約と国際連合憲章で保証された集団的自衛権

  この詭弁的答弁が表明された昭和47(1972)年以前には、我が国が集団的自衛権を持っていることは、自明の理だった。我が国の戦後の独立は、昭和26(1951)年に締結されたサンフランシスコ平和条約によるが、その第5条(C)では次のように謳われている。

 __________
  連合国としては日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること・・・を承認する。[2,p145]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  その国際連合憲章51条は、こう定めている。

 __________
 第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。[2,p22]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  主権国ならば当然、自分の国を守る権利を持っており、それは個別的、集団的の区別を問わない、というのが国際常識である。大国に対して、小国が単独で自らを守れない場合は、他国との同盟関係を構築して相互に防衛する権利を有するという集団的自衛権は、国家の固有の権利である、と考えられていた。

  我が国の「国際法上は集団的自衛権を保有」とは、このサンフランシスコ条約、および、日本が昭和31(1956)年に加盟した国連憲章によって保証されているのである。


■4.実は行使されていた集団的自衛権

  47年答弁は「憲法上、行使不可」というが、現実には、集団的自衛権の行使を前提とした条約が結ばれてきた。サンフランシスコ平和条約と同時に、昭和26(1951)年にアメリカとの間で結ばれた安全保障条約(旧安保条約)では、前文に次のような一節がある。

 __________
  平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。

  これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 「これらの権利の行使として」とは、その前節の「個別的及び集団的自衛の固有の権利」を指す。すなわち、旧安保条約を結ぶこと自体が集団的自衛権の「行使」だったのである。

  なお、その10年後の昭和35(1960)年に改訂され、現在も有効な安保条約でも、「行使」の文字こそないものの、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」た上で、第5条で以下のように謳う。

 __________
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  これは、集団的自衛権を行使するという宣言に他ならない。もし、集団的自衛権の行使が違憲であるならば、現在の日米安保条約そのものが違憲であると主張しなければ、筋が通らない。


■5.政府も最高裁も「集団的自衛権は合憲」

  47年答弁の以前は、政府見解は「憲法上も保有、行使も合憲」をきわめて明確に打ち出していた。昭和29(1954)年に鳩山一郎内閣のもとで出された政府見解は次のようなものであった。

 __________
  戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。

  他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。従って、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。[1,p203]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ここでは自衛権を「個別的」か「集団的」かの区別をしておらず、両方とも自己防衛である限り、憲法は武力の行使を認めている、としている。国連憲章にも、サンフランシスコ条約にも、日米安保条約にも整合する単純明快な見解である。

  最高裁判所も同様の判断を下している。自衛権について、最高裁判所が下した唯一の砂川判決(昭和34(1959)年)では、国際連合憲章に基づいて「すべての国が個別的および集団的自衛権の固有の権利を有することを承認している」事を確認した上で、補足意見ではこう述べる。

 __________
  今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。

・・・換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。 [3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 「自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛」とは、集団的自衛権そのものである。憲法解釈の最終の権威は最高裁にあり、その最高裁が、自衛権について下した唯一の判決がこう述べているのである。すなわち、政府も最高裁も「集団的自衛権を国際法上も憲法上も保有しており、当然、行使も合憲」という判断であった。


■6.自衛権行使違憲論に中国の陰

  この常識的判断が、47年答弁によって突然、「国際法上保有、憲法上行使不可」と変更されたのだ。「解釈改憲」というべきは、こちらの方だろう。どうしてこんな解釈が突然出てきたのか。

  この答弁の出された昭和47(1972)10月の前月、田中角栄首相が訪中して、毛沢東や周恩来と会談している。この時、田中首相が何を話し合ったのかは、いまだ正式な外交文書が公開されていないので不明である。

  しかし、その前年の1971年7月と10月に訪中したアメリカのキッシンジャー大統領補佐官と周恩来首相との会議録は公開されている。そこでは周恩来が「台湾と朝鮮半島に対する(日本の)野望を放棄すること」を日本に望むと述べている。対するキッシンジャーは「我々は日本の軍備を日本の主要4島防衛の範囲に押しとどめることに最善を尽くすつもりです」と応えた。

  ここから中西輝政・京都大学名誉教授は次のように断言する。

 __________
  この二人の会談の翌年10月----しかもそれは田中訪中の翌月でもある----に出されたのが、前述の集団的自衛権に関する政府・内閣法制局の新解釈なのである。その背景要因として、朝鮮半島、台湾有事に自衛隊を関わらせたくないという米中両国、特に中国側の意向が強く影響していたことは間違いない。[4]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■7.「社会党が言うから」

  47年答弁は、社会党の参院議員・水口宏之の要求に応じる形で、政府が参議院決算委員会に提出したものだった。当時、官房長官であった宮澤喜一氏は、後に「集団的自衛権は違憲だという答弁は、社会党が言うから防衛線を固く敷いてきた」と述べている。[5]

 社会党の要求通りの「集団的自衛権行使不可」の政府答弁は、いたく社会党の気に入ったので、珍しいことにこれに反対を唱えたことはついぞなかった。[5]

 社会党は、かつてはソ連から資金援助を受けていたことが、ソ連崩壊後に公開された秘密文書により公開されたが、47年答弁の時期に同様に中国の代弁者として活動していたと推定しても不思議ではない。中国側の指示を受けて社会党が参院で質問し、自民党はキッシンジャーの意向を受けて新解釈を打ち出した、というのが真相のようだ。


■8.「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」

  日本の集団的自衛権行使を一番恐れているのが中国、という構図は今も変わらない。

  中国は集団的自衛権行使に反対しており、社民党や朝日新聞なども、中国の意向を受けてであろう、「戦争への道」などとヒステリックに非難している。しかし、南シナ海で軍事基地を作り、わが国の領海領空に侵犯を繰り返す中国の脅威には言及しない。

  他方、アメリカを始め、中国の脅威を受けているフィリピン、ベトナムなどの東南アジア諸国、オーストラリア、インドは、集団的自衛権を含む安全平和法制を両手を挙げて歓迎している。

  集団的自衛権の議論は、わが国とこれらの国々が中国の覇権に下り、ウイグルやチベットのような隷従の道を歩むのか、それとも共産中国を封じ込めて、自由と独立を守るかの分かれ道なのである。

  日米欧はかつての冷戦において結束してソ連を打倒し、欧州側の多くの国家、民族を解放した。しかし、アジアにおいては共産中国との冷戦はまだ続いている。[b]

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という日本国憲法に従うならば、我々は米国・アジア・太平洋諸国と連帯して、共産中国の「専制と隷従、圧迫と偏狭」から人類を救わねばならない。
 (文責:伊勢雅臣)

津川雅彦(俳優・映画監督) 学びこそ、我が俳優業の原点

テーマ:ブログ
4月29日、春の叙勲で
芸術文化の分野等で功績を上げた人に贈られる
「旭日小綬章」を受章された俳優・津川雅彦氏。


他の追随を許さぬ演技力に定評がある一方で、
あらゆる物事に飽くなき探求心を燃やし続けています。


74歳の大ベテラン俳優が語った
「プロフェッショナルの流儀」「俳優としての原点」とは――。


┌───────今日の注目の人─────────┐



   「学びこそ、我が俳優業の原点」


    津川雅彦(俳優・映画監督)


    ※『致知』2014年6月号
      連載「生命のメッセージ」より


└───────────────────────┘

※対談のお相手は、津川氏と親交があり、
 遺伝子工学の世界的第一人者の村上和雄氏です。


村上 今日はせっかく津川さんにお越しいただいたので、
   長い役者人生の中で特に印象深い監督さんのお話も
   ぜひ聞かせてください。


津川 一番苦労した監督は、伊丹十三さんです。


あの人は自殺するまでに全部で10本映画を撮って、
僕は一本を除いたすべての作品に出ています。


気に入ってくれたのは、たぶん僕が非常に素直に
彼の言うことを聞いて努力したからでしょう。


僕も監督をやったから分かりますが、
監督からみれば「うい」役者だったんだと思いますね。


何が勉強になったかというと、
めちゃ注文が細かくて多かったことです。


台詞を言う時に息継ぎをするんですが、
「そこでブレスしないでください」と、注文をつけてくる。


元役者だったから攻め方をよく知ってるんですね。


村上 息継ぎをするなと。


津川 台詞を覚える時には、
   息を継ぐ場所も含めて覚えます。


突然息継ぎの場所を変えると、
次の台詞が出てこない副作用が起こるんです。


彼は役者に息継ぎをさせないで、
一気に台詞を言わせてテンポアップしたかったんでしょう。


『スーパーの女』という作品で、
主役の宮本信子と僕がしゃべりながら歩く長いシーンなんですが、
「そこにある空き缶を歩きながら蹴ってください」と言うので蹴ると、
「右足でなく左足で蹴ってください」と言う。


必ず左足で缶を蹴るためには、
歩く歩数にまで神経を使わざるを得ないから、
台詞への神経がどうしても疎かになる。


するとすかさず、「台詞が、微妙に淀みました」とか
「ちょっと歩き方が不自然でしたね」と。


村上 それは大変だ。


津川 それだけではない。


「この空き缶をここへ蹴ってください」と場所まで指定するんです。


僕も切れちゃって


「サッカーの選手じゃあるまいし、
 空き缶を決められた方向に蹴るなんてことはできません」


と文句を言ったら、


「でもその空き缶を左手で拾い上げて、
 机の上のこのキャメラの左手前に置いてもらわないと
 画面がしまらないんですよね」と(笑)。


空き缶が思いどおりの方向に飛ばなければNG。
いいところに飛んだと喜んだ途端、
今度は僕が台詞を詰まらせてしまう。


村上 よく我慢されましたね。


津川 これはもう、どんな注文にもめげず
   台詞を滑らかに言えるように完璧に覚え込むしかありません。


というより、もう臓腑に叩き込むという感覚ですね。


村上 どんな訓練をしましたか。


津川 台詞を繰り返し何百回も言って覚えるには違いないんですが、
   回数をやればいいというものではなくて、
   日数をかけなきゃダメなんです。


寝ては忘れ、起きてはまた覚えなおす。


徐々に忘れる量が少なくなり、
一晩や二晩寝てもワンフレーズも忘れなくなったら、
今度は早口言葉で一気にロレらずしゃべれるようにする。


次に車を運転しながらしゃべってみる。


気は運転のほうに集中しないと危ないですから、
そんな状態でも台詞がちゃんと出てくるかを確かめました。


どんな障害にも気を散らすことなく
言えるようになるまでに14日間かかりましたね。


いまだに2週間前というのが自分の中で定着していて、
そこから始めれば台詞を忘れるという心配は一切なしに、


現場では相手役のセリフのニュアンス、間合い、
テンポ、語気といったことにも神経を集中でき、
それに自由に合わせられるようになった。


これ、伊丹さんのおかげです。


村上 津川さんの演技力の原点はそこにあったのですね。


津川 台詞は芝居の基本ですし、
   覚える作業が一番の苦行です。


やっぱり職業というのは我慢とか忍耐とか苦労とか、
そういうものを乗り越えない限り、
プロの業とはいえないというのは、本当だなと思います。


これからの課題は、いかに芝居をしないですむか。


存在感だけで勝負できるようになれるかなんですが、
まだまだですね。
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