この世は不条理、だから人生は面白い

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は、「この世は不条理、だから人生は面白い」です。


合氣道の佐々木将人氏の「人生観」という詩があるので紹介します。


「位(くらい)、人臣極めた王侯も、名もなき一介の凡人も、目は二つで鼻一つ、

足で歩いて手で掴み、尻でもの言うひとはない。

立って半帖、寝て一帖、天下を盗っても四帖半。

着物は一着、ご飯は二杯。

寝だめ食いだめ着だめも出来ず、厠(かわや)の姿は皆同じ。

風呂に入る時は皆裸。

何かあるのが人生で、幸も不幸も生きている証拠。

嵐の中でも時がたつ、過ぎて仕舞えば屁の如し。

泣いて暮らすも笑ふて住むも、同じこの世の浮世なり。

貧も病いも人生の糧(かて)。

然も心は現在を要し、昨日は返すに由(よし)なく、

明日は未だ我が手に非ずの今、今の中今に立つ。

されば心と体にはより多くの喜びと楽しみを与えつつ、

悠々と人生道を味ふ」


何かあるのが人生で、何もかも思った通りにいく人など、この世に一人も存在しない。

「この世は不条理、だから人生は面白い」

悠々と人生道を味わいたい。

100年前の誓いの金貨

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、「100年前の誓いの金貨 」です。


1904年(明治37年)2月8日。日露戦争ははじまりました。この戦争では、
日本がロシアの捕虜に人道的かつ寛大な対応をしたことで知られています。
ロシア兵の捕虜収容施設が日本各地に作られましたが、中でも、愛媛県松山市の
俘虜収容所は有名。

瀬戸内の気候は温暖。人の心も優しい。
そして、捕虜の外出は自由。温泉に入ることも可能で、既婚者の将校は
ロシアから妻を呼び寄せ、一般家屋に住むことまで許され、市民との交流も盛んでした。

『捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して破れた心情をくみとって、
一時の敵愾心にかられて侮辱を与えるような行為はつつしめ』
これは当時の愛媛県が県民にあてた勅諭。
松山は捕虜にとって、楽園のような場所だったのです。

この話は、母国から前線の兵士にも伝わり、降伏・投降する際には
「マツヤマ、マツヤマ」と日本軍に叫ぶロシア軍兵士が続出したといいます。

日本赤十字社もロシア人負傷兵の救済に尽力。
病院に収容されていたロシアの負傷兵の多くは、献身的な日本人看護婦に
恋心を抱いたとか。

そして、2010年の松山市。

松山城の二の丸にある防火用水を兼ねた古井戸より、表面にロシア語とカタカナが
刻まれたコインが見つかりました。1899年製造のロシアの10ルーブル金貨です。

ロシア語は人名で「M・コスチェンコ」。カタカナは「コステンコ・ミハイル」
それに「タチバナカ」と読めます。

調査が進められました。
「コスチェンコ氏」は、当時24歳の歩兵少尉だったそうです。
では、「タチバナカ」も名前でしょうか?「橘力」ならば日本人の男性です。
そのため、当初、このコインは、「日本人男性と将校との友情の証ではないか」との
推測がなされていました。

私が計算してみたのですが、当時の10ルーブル金貨の価値は、現在の
日本円で25万から30万円程度になるようです。
よほどの覚悟がないと、井戸に投げ込める額ではありませんよね。

さらに資料が調べられましたが、当時の捕虜収容所の関係者に該当しそうな
人物は見つかりません。その後、「チ」と思われていた文字が、「ケ」ではないかとの
指摘がありました。
そうなると刻まれていたカタカナは「タケバ ナカ」です。

その名前で探した所、該当者が見つかりました。

当時の日本赤十字社の看護婦で、捕虜収容所に勤務していた「竹場ナカ」さんです。
さらに、1904年の海南新聞に二人が恋愛関係であったことや、その後、
別れざるを得なくなったことをうかがわせる記述が見つかったのだそうです。

それにしても、この金貨は、どのような状況で投げ入れられたのでしょうか。

若きロシア将校が、帰国の直前、異国の恋人との再開を自分に誓って投げ入れたか?
それとも、引き裂かれる運命の二人が、手を取り合って投げ入れたのか?

色々と想像のかきたてられるところですが、故人のプライバシーに配慮して、
それ以後の調査は控えられたとのこと。

ちなみにこの話をテーマにしたモニュメントが作られ、地元の劇団が、
演劇を定期的に開いている模様。
松山に行く機会がある方は、足をのばしてみてはいかがでしょうか?


ウズベキスタンの桜

テーマ:ブログ

リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、国際派日本人養成講座より、「ウズベキスタンの桜」です。


 ソ連に抑留されてウズベキスタンで強制労働に従事して亡くなった日本将兵の墓を、地元の人々は大切に護ってきた。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■1.ウズベキスタンの桜

 中央アジアの内陸部にあるウズベキスタンの首都・タシケントに、1500人の観客を収容する壮麗なレンガ作りのナヴォイ・オペラ・バレエ劇場がある。1966(昭和41)年4月、震度8の大地震が市を襲い、市内の建物の2/3が倒壊した中でも、この劇場はびくともせず、市民の避難所となった。

 劇場の外壁にはプレートがはめ込まれ、ロシア語、日本語、英語、ウズベク語でこう記されている。

__________
 1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ―名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 劇場周辺の庭には染井吉野や枝垂れ桜、八重桜など30本の桜が植えられ、春には美しい花を咲かせる。

 ナヴォイ劇場だけでなく、タシケント市の中央公園にも600本の桜が植えられ、「さくら公園」と呼ばれている。さらに、そこに通じる大通りに250本、大統領官邸にも100本の桜が植えられている。

 すべて日本から苗木を空輸し、日本人の造園の専門家がついて、ウズベキスタンの人々が植樹したものだ。今回は、ウズベキスタンに、なぜこれほどの桜が植えられたかを辿ってみよう。


■2.「なんとか、日本人のお墓を整備してもらえないだろうか」
 事の発端は、2000(平成12)年10月19日夕刻、ナヴォイ劇場とその前庭広場で「日本の祭り」が開かれた時だった。当時の在ウズベキスタン大使・中山恭子氏が同国の伝統音楽や、宮崎からやってきた親善訪問団による「木剣踊り」などを見ていると、訪問団の二人が大使に相談したいことがあると言ってきた。

 その一人、池田明義さんは戦後、シベリアに抑留され、ウズベキスタンのベカバードという場所で強制労働に就いていた。そこには一緒に働いていた仲間のお墓があるはずなので、ぜひ墓参りがしたい、という。

 中山大使は急遽、タクシーや通訳の手配をして案内させた。翌日の夕方、池田さんは戻ってきて、大使に報告した。「自分達が作った水力発電所は今も立派に動いている。でも、お墓に行ったらとても悲しかった。ベカバードの日本人墓地は、荒れ果てたままになっている」と唇を噛み締めていた。

 そして「なんとか、日本人のお墓を整備してもらえないだろうか」と言い残して、日本に帰っていった。

 その後、すぐに中山大使はベカバード市を訪れた。市長のジャロリジン・ナスレジノフさんが、まず水力発電所に案内してくれた。シルダリアという大河から水を引いて大きな貯水湖を作り、そこから6~7本の太いパイプで水を落として発電する、という巨大な発電所である。水力発電所は赤レンガ作りの立派なものであり、貯水池も向こう岸が霞むほどの大きなものだった。

 ベカバード市長は、案内しながら、こう話してくれた。

__________
 ベカバードはこの発電所が建てられた当時砂漠でしたが、この発電所や運河のおかげで今は緑豊かな大勢の人が住む町になりました。

ここで風速五十メートルを超える突風が吹いた時にも、周辺の建物は全て壊れてしまいましたが、この水力発電所だけはビクともせずに動いていました。五十五年間、毎日、一日も休まずウズベキスタンに電力を供給してくれています。[1,p207]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■3.「何という風景でしょう」

 それからベカバード市の共同墓地にある日本人墓地に向かった。ウズベク人、トルコ人、ロシア人などのそれぞれのお国ぶりの墓地の中心部辺りに、大きな野原があった。案内してくれた人が「ここが日本人のお墓です」という。

 何もない枯れ野原で、目についたのは小さな垣根だけだった。その中に入り、足元を見ると、ちょうど人が横たわっているような盛り土が、幾筋もはるか遠くまで並んでいた。

 墓標もない。ただ頭のあたりに、はがき大の小さな鉄板が刺してあり、記号と6桁の数字が彫ってあった。捕虜の番号だろう。
大使は立ちすくんだ。
__________
何という風景でしょう。一体どうしたらいいのだろう。
しばらくの間、その場に立ち尽くしてしまいました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■4.「あそこに眠っているのは、自分の大切な友達なんだ」

 墓地を訪れた後、市長は中山大使を、日本人のことをよく覚えているという90歳の老人の家に連れていってくれた。子や孫、曾孫に囲まれた賑やかな一家だった。

 老人は「お墓をお参りしてくれたのか。あそこに眠っているのは、自分の大切な友達なんだ。どうも有難う。お参りしてくれて有難う」とお礼を言った。

 大使が「日本人のことを覚えていらっしゃいますか」と聞くと、こう答えた。

__________
 それはもう、よく覚えているよ。自分は若い頃タシケントに住んでいたが、ベカバードに水力発電所を造ることになり、ここで働くようにと言われてやってきた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 日本人抑留者が3千人ほどやってきて、すぐに仕事を始めた。

__________
 日本人っていうのはとってもいい人達だった。几帳面で、自分の仕事をとても大切にするんだ。時間がきても仕事が終わらなければまだ続けている。

うまくいかない時にもいろいろ工夫してやり遂げる。また、誰かが病気になるとみんなで助け合っていた。日本人が作るものは全ていいものだった。本当にすごい人達だった。とても大切な友達だったんだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こういう話を老人からいつも聞かされて、家族も町の人々も皆、日本人のお墓は大切にしなければいけないと思ってきたという。整備するだけの余裕はなかったけれど、草を刈ったり掃除をしたりして日本人墓地を大切に保存してくれていた。

 同様に、ウズベキスタン全体では、大戦後、2万5千人の日本人抑留者が強制労働に従事して、道路や運河、発電所、市庁舎、学校などを作った。ナヴォイ劇場はその一つである。どの地方でも、日本人が勤勉に働いていた様が語り継がれていた。


■5.「父はここで眠るのが一番幸せだと思いました」

 中山大使は「誰もがお参りにいけるようにお墓を整備したい」と思ったが、作業に取りかかる前に、まず埋葬者の遺族の意思を確認することとした。日本に遺骨を持って帰りたい、という人もいるのではないか、と思ったからだ。

 遺族を探し出すのは難儀したが、「父の遺骨をどうしても日本に持って戻りたい」という人が見つかった。とりあえず現状を見てみたい、とのことで、元抑留者たちと一緒にウズベキスタンにやってきた。

 その人の父親のお墓は、コカンド市にあった。地元の人々が赤い鳥居を立ててくれている。その人は墓地を訪問した後、中山大使にこう語った。

__________
 ウズベキスタンまで来て本当に良かった。父はここで眠るのが一番幸せだと思いました。お墓を訪ねたら大層綺麗になっていた。お花を飾ってくれていたし、箒(ほうき)の目まで立っていた。そして、周りにいたウズベキスタンの人々に話を聞いたら、みんなが「ここで働いていた人達は本当に優れた人達だった。尊敬している。だからお墓を守っている」と話してくれた。

 父が、みんなに、こんなにまで温かく見守られているとは思ってもいませんでした。父の遺骨を日本に持って帰るために、兄弟で少しずつ貯金をしてきました。でも、日本に帰ったら、兄弟達にきちんと話をして納得してもらいます。

父はきっと、ここで仲間達と一緒に眠るのが一番幸せなのだろう……そういうふうに感じたからです。そして、貯めてきたお金は代わる代わるお墓参りに来るのに使いたいと思います。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こうして、元抑留者や遺族の間では、、「遺骨を日本に持ち帰るより、戦友達と一緒に、ウズベキスタンの人々に温かく見守られながら、ここで眠るのが一番いいだろう。それに反対する人は関係者の中にはいないだろう」という結論となり、墓地整備に踏み切ることになった。


■6.「日本人墓地の整備はウズベキスタン政府が責任を持って行う」

 こうして大使館側では資料収集を始め、また日本側でも呼応して募金活動が始まった。約2千万円の浄財が集まり、整備の目処がついた所で、ウズベキスタン政府に日本人墓地の整備をしたい、とお願いした所、スルタノフ首相からすぐに返事が返って来た。

__________
 ウズベキスタンで亡くなった方のお墓なのだから、日本人墓地の整備は、日本との友好関係の証としてウズベキスタン政府が責任を持って行う。これまで出来ていなかったことは大変恥ずかしい。さっそく整備作業に取り掛かります。[1,p224]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 対外経済関係省が中心となって、墓地整備の作業が始まった。同省のエリヤル・ガニエフ大臣が自ら各地の墓地を訪れて、「ここに車が通れる道を作れ」などと具体的な指示をした。

 それぞれの地域では、住民達が集まって石を切り出し、磨き、垣根を作り、墓石の周囲になるべく雑草が生えないように砂利を敷き、丁寧に作業を進めてくれた。政府の声がかりがあるとはいえ、多くの人がボランテイアで参加してくれた。

 各地域で大勢の人々が作業に参加したため、1年ほどで全ての墓地整備が完了した。白い墓石が並び、それぞれの墓地に「鎮魂の碑」、四つの市に「抑留者記念碑」も建立さた。


■7.「ここに桜を植えたい」

 墓地整備が進んでいる最中にも、中山大使は最初に訪れたベカバード市の墓地の殺風景な光景が忘れられなかった。

__________
 亡くなった当時、ほとんどが二十代、三十代の若者でした。何とかして日本に帰ろうと耐えていたことでしょう。日本を思って毎日を過ごしていたに違いありません。帰郷がかなわず五十数年間訪ねる人もないまま、日本から遠く離れたウズベキスタンの地で眠っているのです。

 周囲の墓地には、木が大きく育ち墓を守っています。野原のような殺風景な日本人墓地に立った時、ここに桜を植えたいと強く思いました。春になれば綺麗な花を咲かせてくれるだろう。何年か経てば太い枝が墓を覆ってくれるだろう。きっと異国の地に眠る霊達も喜んでくれるに違いない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 そこで中山大使は、集まっていた募金の一部を桜の苗木に使えないか、と協力者たちに相談した。元抑留者からも「抑留されていた頃、もう一度日本に戻って桜の花を見たいと思って頑張った」という話も出て、皆、大賛成だった。

 ウズベキスタン側からも、「建設中のタシケント市の中央公園を日本の桜で埋められないだろうか」という提案があった。こうして冒頭に記したように、各日本人墓地とともに、中央公園とそれに続く大通り、大統領官邸、ナヴォイ劇場などで、合計1300本もの桜の苗木を植えるという国家的大事業が始まったのである。


■8.「ふるさと」の歌

 2002(平成14)年春には全ての墓地整備が完了し、白い墓石が並び、いつでもお線香をあげてお参り出来るようになった。それぞれの墓地に「鎮魂の碑」、四つの市に「抑留者記念碑」も建立された。

 同年5月、鎮魂の碑と抑留者記念碑の除幕式に日本から麻生太郎日本・ウズベキスタン自民党友好議連会長、中山成彬同事務局長はじめ、遺族、元抑留者、ボランティアなど多くの人々がタシケントに集まった。

 式の後で三つのグループに分かれて、各地にある全ての墓地を訪ね、花を供え、お線香を焚いて、時には日本酒を注いでお参りをした。誰からともなく「ふるさと」の歌が流れ、全員が声を合わた。人々の頼に涙が伝った。

 鎮魂の碑や抑留者記念碑の費用は日本で集まった募金で賄ったが、実際に石を切り出し、墓石を磨き、道を造り、桜を植えてお墓の世話をしてくれてたのは地元の人々だった。ウズベキスタン側はそうした作業にかかる費用について、本来、自分達がやるべきことだからと一切受け取らなかった。

 それではと墓地整備のためとして全国から寄せられた募金で、13カ所の日本人墓地の地域の学校に日本製のコンピュータを寄付した。教育熱心なウズベキスタンの人々は大変喜んだという。

 この春も、ウズベキスタンの桜は見事な花を咲かせたろう。墓を護ってくれているウズベキスタンの人々とともに、墓地に横たわる日本の抑留者たちも、美しい桜の花を愛でながら、遠い祖国の山河に思いを寄せたことだろう。
(文責:伊勢雅臣)

人生は冒険するためにある

テーマ:ブログ

リペアショップ鹿児島店の坂元です。

アリババ創業者、ジャック・マー氏の心に響く言葉より…「人生は冒険するためにある」です。

 


「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで分からない」


これは私が大好きな映画「フォレスト・ガンプ」の一節です。

まさに私の人生はその言葉のとおりでした。


 私は、大学受験に、3回失敗した人間です。

 大学受験の前にも、一流校の入学試験を何度も受けたことがありましたが、いつも不合格でした。

 私の両親からは、「お前は永遠に大学に入学できないんじゃないだろうか」と言われました。

 友人たちからは、「こいつは絶対に成功しない」と思われていました。


 最初にお伝えしたいと思ったのが、なぜアリババが今日まで生き残ってこられたか、という点についてです。

その大きな原動力となったのが、若者の力です。

アリババは、成功したいと願う若者にどんどん活躍してもらい、彼らの成長を支援してきました。

 何か新しいことを始めようとするとき、「すでに成功している人」よりも、「成功したいと思っている人」に声をかけたほうがずっとうまくいくのです。


これから社会で活躍される皆さんへ、私からのアドバイスをいくつかまとめてお伝えしようと思います。

 

まず一つめは、「根気強く、努力をつづけてください」ということです。

 常に自分自身に、自分の夢に忠実であってください。

 「もうあきらめよう」とは言わないでください。

 「できない」とも言わないでください。

14年前、アパートの一室でアリババを起業したとき、私の手元には米ドルで5000ドルしかありませんでした。

そんな状況だったのに、私は妻にこう尋ねたのです。

 「私はこれから、中国一の富豪をめざすべきだろうか?それとも、人々から尊敬されるビジネスリーダーをめざすべきだろうか?」

 「尊敬されるリーダーになってほしいわ」

と妻は答えました。

 妻の一言で、私は、「尊敬されるリーダー」になればいいのだ、と確信しました。

それ以来、ずっと、その目標に向かって、今日まで走り続けてきました。

 「尊敬されるリーダー」になるのは簡単なことではありませんでした。

 人から尊敬されるためには、まず自分を犠牲にしなくてはならないからです。

 人よりもつらいことを乗り切って、初めて人から尊敬されるのです。

 

 二つめのアドバイスは、「常に楽観的であれ」ということです。

 必ずうまくいくぞと考えてください。

 明日は今日よりも素晴らしいということを忘れないでください。

 若者が「私たちにはもうチャンスがない」と嘆く気持ちは私にもよく分かります。

でも私たちの世代だって、同じようなことを、ビル・ゲイツに対して思っていたのです。

 「あなたが先にマイクロソフトをつくってしまったから、私にはもうチャンスがないじゃないか」と。

ところが、こんな風に他の人があきらめてしまったときが、逆にチャンスなのです。

そこに成功の機会があります。

それを逃さないでください。


 私がこの14年間で得た哲学はただ一つ。

 「今日はつらい。明日はもっとつらい。でも明後日には、素晴らしい一日が待っている」

ほとんどの人は、「明日」の夜ぐらいで、あきらめてしまいます。

 死にものぐるいで努力した人しか、「明後日」の朝日を見ることができません。

 

 三つめのアドバイスは、「変化を歓迎してください!」ということです。

これは、私が今も大切にしている教訓です。

 世界は驚くほどの早さで変化しています。

 皆さん自身が変わらなければ、世界は変わりません。

 独自のビジネスを立ち上げて大成功している企業には、共通して、変化を歓迎する文化があります。

 私たちは、毎分、毎秒、変化しつづけています。

 変化には苦痛が伴います。

しかし今、変わらなければ、将来もっとつらくなります。

 追いつけなくなる前に変わったほうがいいのです。


 人生は冒険するためにあります。

 皆さん、若いのですから、何でもやってみてください。

 世界へ飛び出してください。

 冒険には失敗がつきものです。

 失敗を避けるのに一番良い方法は、「最も成功しているときに、それまでのやり方を変えること」です。

アリババは、「ビジネスがうまくいっているときに、あえてビジネスモデルを破壊する」ということを何度もやってきました。

もちろん破壊するタイミングは重要ですが、成功モデルを捨てることによって、生き残ってきたのです。


 「屋根を直すとしたら、日が照っているうちに限る」です。

 雨が降り始めてから、屋根を直しては遅いのです。


 皆さんのこれからの健闘を祈ります。


 『巨大な夢をかなえる方法 世界を変えた12人の卒業式スピーチ』文芸春秋

 

 

これは、ジャック・マー氏が2013年11月、香港科技大学の卒業式で講演した時のものだ。

2014年9月、アリババはニューヨーク証券取引所に上場した。

 上場による調達額は250億ドル(約2兆7000億円)と、史上最大の資金調達となった。

 流通規模は、日本の楽天の約18倍と言われる。


ジャック・マー氏は、大学受験に3度失敗し、三輪自動車の運転手となったという。

 大学卒業後は、英語教師などを務め、のちに渡米して現地でネットに出会った。


ジャック・マー氏の3つのメッセージ。

 「根気強く、努力をつづけてください」

 「常に楽観的であれ」

 「変化を歓迎してください!」


 『他の人があきらめてしまった時こそが、チャンス』

 一度しかない人生を冒険してみたい。

 

ご飯一膳が角砂糖14個分になる?

テーマ:ブログ

糖質制限総合サイト ローカーボ・プラスワン より

糖質ってナニ?
 1.炭水化物との違い
2.糖質は、さまざまな食品に隠れている
3.5大栄養素と糖質


1. 炭水化物との違い

 炭水化物と聞けば、すぐに思い出すのがデンプン。米・麦・イモなどの穀物をはじめ、ダイコンやレンコンなどの根菜類にも多く含まれる物質で、ヒトが摂取すると胃腸で消化されブドウ糖へと分解・吸収されます。炭水化物が分解された最小単位が「ブドウ糖」だと覚えてください。

 逆にいえば、ブドウ糖がさまざまな形で結合したのが炭水化物であり、多くの種類があります。といっても、少しややこしいので、図式化してみましょう。

  単糖類 =  ◆   ※ブドウ糖、果糖など
  二糖類 =  ◆◆   ※砂糖、乳糖など
  多糖類 = ◆◆◆  ※オリゴ糖、デンプンなど
             (◆の数は3個以上さまざま)

 こんな風に、最小単位である◆が1つで存在しているのが単糖類。2個つながっていれば二糖類です。もっと多くが複雑に結合して、◆◆◆◆◆◆◆◆◆のような炭水化物もありますが、それらも胃腸で消化・分解され、すべて◆1つの形になってから吸収されます。

 つまり、炭水化物は結局のところ「糖」の結合体。米やパンや麺類も、その正体は「糖質=甘いもの」というわけです。

 ただし、炭水化物の中には人体に消化されないものがあります。食物繊維です。

 ですから、正しくは、

 炭水化物 = 糖質 + 食物繊維 

であり、

 糖質 = 炭水化物 - 食物繊維 

 です。

 とすると、「炭水化物を制限する」という表現だと、もともと吸収できない食物繊維まで禁止するという矛盾を生じることになります。そこで使われるようになったのが、「糖質制限」という言葉でした。

 ちなみに、「糖類」というのは、単糖類と二糖類のこと。このあたりの情報は、食品や飲料メーカーのサイトに詳しく書かれていますので、もっと知りたい方はアサヒ飲料さんのサイトがわかりやすく書かれていてオススメです。

 糖質を多く含む食品にもいろいろあります。中でも含有量が多いのが、私たちが主食にしているコメや小麦。どれぐらい含まれているか、ちょっと見てみましょう。

 中盛りにしたお茶碗1杯のご飯(150g)に含まれる炭水化物は59.1gで、そのうち食物繊維は0.6gですから、糖質は58.5g。1個4gの角砂糖に換算して、15個弱です。

 小麦製品では、パスタの1食分100g(乾麺)では糖質69.5gですから、こちらは角砂糖にして17個強という計算です。

 コーヒーに砂糖をたっぷり入れて飲む甘党の人でも、せいぜい角砂糖2個ですから糖質は8g。なのに、ご飯や麺類だと15~17個分にもなります。驚くかもしれませんが、こうして私たちは毎日、主食からこれほど多くの糖質を摂取しているのです。

 おかずの野菜は大丈夫と思っても、意外や意外。たとえば、ベジタリアンが好んで食べる根菜も、それなりに糖質を含んでいるもの。ゴボウやレンコンは重量の10~15%が糖質ですから、積み重なればかなりの糖質摂取につながります。

 ダイエットのときには、「甘いものを控えなさい」といわれます。それで誰もが必死になってスイーツを我慢するのですが、ご飯を1杯食べただけで角砂糖15個。甘いものをいくら我慢しても、実は焼け石に水なのです。

 ご飯・パン・麺類などの主食を食べることは、砂糖をなめているのと同じ。そうして現代人は知らず知らずのうちに、糖質過剰による体調不良に悩まされています。

炭水化物との違い
『ブラックジャックによろしく』 佐藤秀峰作 (漫画 on webより)


ページのトップへ戻る


2. 糖質は、さまざまな食品に隠れている

 主食のほかに、炭水化物を大量に含む食品といえば、まずはスイーツ。ケーキは主に小麦と砂糖でできているので、当然ながらすごい糖質量です。一般的なモンブランやショートケーキには、1個50g程度の糖質が含まれています。

 チョコレートやキャラメルなども、砂糖の固まりのような食べ物です。甘くないスナックなら大丈夫かと思っても、煎餅の原料は米ですし、ポテトチップスはジャガイモなので糖質だらけ。煎餅は重量の7割程度、ポテトチップスは5割程度が糖質です。トウモロコシの加工品が多いスナック菓子やシリアルなども、同じようなものです。

 そして、それらと一緒に飲む清涼飲料水もまた糖質。500mlのコーラには、56.5gの糖質が含まれています。野菜ジュースなら大丈夫だと思っても、多いものでは1パック200ml中に30gもの糖質が入っています。スポーツドリンクも、ほとんどコーラと同じレベルの甘さです。

 そうしたことに警鐘を鳴らすのが、アメリカのこのサイト。登場する食品が日本のものとは多少異なりますが、見れば見るほど驚かされます。

 LCHPは、「ローカーボ・ハイプロテイン」=「低糖質・高タンパク(&高脂質)」を意図する食事法です。糖質摂取を減らすための基本は、「主食と砂糖を避ける」と覚えればいいのですが、糖質は意外なところにも隠れています。野菜なら大丈夫だろうと思っていても、タマネギ(重量の約7%が糖質)やレンコン(重量の約14%が糖質)など、根菜類にも注意が必要です。


ページのトップへ戻る


3. 5大栄養素と糖質

 食物に含まれる栄養素は、その働きから5つのグループに分けることができます。これを「5大栄養素」といい、①炭水化物 ②タンパク質 ③脂質 ④ビタミン ⑤ミネラル の5種類。それらの役割は、次のようなものです。

【炭水化物】
  人体のエネルギー源になる物質。胃腸で消化・分解され、ブドウ糖として吸収されて血液に乗って全身に運ばれます。使い切れずに余った分は、グリコーゲンとして肝臓や筋肉に、さらには脂肪として脂肪細胞に蓄えられます。

【タンパク質】
  筋肉や内臓など、人体をつくる材料になる大切な物質。骨や血液の原料でもある、とても大切な栄養素です。

【脂質】
  ホルモンや細胞膜をつくる材料となる物質で、脳の60%も脂質です。体内で使われる脂質の80%は肝臓に貯蔵されたもので、食事から摂取したものは20%だけ。一部はエネルギーとしても使われます。

【ビタミン】
  A・B・C・D・E・Kがあり、体内で起こるさまざまな化学反応を効率化するために必要な物質。ほとんどは食事から摂取されます。

【ミネラル】
  カルシウム、ナトリウム、鉄などの電解質や元素。細胞や筋肉など体の各部位のはたらきを助ける役割を果たします。ビタミン同様、食事から摂取されます。

 以上の5大栄養素のうち、炭水化物・タンパク質・脂質の3つは1日の必要量が数十グラムとされています(※実際には、炭水化物はゼロでも構いません)。対して、ビタミンとミネラルの必要量はミリグラム単位以下と少量です。そこで、炭水化物・タンパク質・脂質の3つを「3大栄養素」と呼びます。

 このうち、タンパク質と脂質は体内でつくることができない「必須栄養素」で、人間が生きるために不可欠なもの。ところが、炭水化物だけは必須ではありません。ここに、現在の「常識」とされている風潮の勘違いがあります。

 巷でよくいわれる「ヘルシーな食事」は、「肉や脂を控えて、穀物や野菜を中心に食べる」というもの。つまり、必須栄養素であるタンパク質と脂質を多く含む「肉や脂」を控えて、必須栄養素ではない炭水化物を多く含む「穀物や野菜」をたくさん食べろというのですから、どう考えても筋が通りません。

 肥満や糖尿病、あるいはメタボリックシンドロームを指摘された方が医療機関で栄養指導を受けると、必ず「カロリー制限食」をレクチャーされます。これは「ヘルシーな食事」と同じで、タンパク質や脂質を控えて炭水化物をたくさん食べなさいという内容です。

 そう聞いて、おかしいと思いませんか? 糖尿病などで体調がすぐれない人に必須栄養素を禁止するなんて、もっと具合が悪くなってしまいそう……いえいえ、本当に糖尿病を増やしてしまうのです。

 厚生労働省が5年おきに実施している「国民健康・栄養調査」によれば、「糖尿病が強く疑われる人」と「糖尿病の可能性を否定できない人」の合計が、1997年から2007年の10年間に1370万人から2210万人と急増しています。

 たった10年間で840万人、およそ1.6倍もの急増です。

 この方たちに実施された指導も、「カロリー制限食」です。ということは、この指導はどう見ても効果がないか、あったとしても効果が弱いと考えるのが道理でしょう。

 糖尿病は、血液中にブドウ糖があふれてしまう病気。原因は、糖質の過剰摂取です。それなのに、なぜかカロリーだけを制限して糖質過剰の食事を指導したため、こんなにも糖尿病が増えてしまったのです。

○資料:厚生労働省「2007年国民健康・栄養調査」

記事テーマ一覧

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2016/06      >>
29 30 31 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 1 2

ブログランキング

フリースペース

ブログバナー

プロフィール

招き猫

靴修理店 店長ブログ!

鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

ホームページ

このブログの読者

読者になる
読者数:0人

お気に入りブログ

最近のトラックバック

参加コミュニティ一覧