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うまくいかない理由!

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

本日は、かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪より、うまくいかない理由!です。




多くのひとは、自分と他人が、

同じものを見、同じように聴き、
同じことばを使って考えていると
思っています。


でも、本当はちがうのですね。

気質がちがえば、ものごとの受け止
めかたや対応のしかたが変わります。

居住環境、生活環境がちがっても、
変わります。

そのひとの性格によっても、
変わります。

それらすべてひっくるめて、ひとの
思考、見かたは成り立っています。


そう考えてみれば、
同じになるわけがないのに、

同じだと想うところから、
すべての誤解がはじまります。

普通はこうするものなのに…。
○○なら当然なのに…。
××すべきことなのに…。

その「普通」も「当然」も
「すべき」も、すべては、
そのひとの価値観にすぎません。

ほかのひとは、
ほかの価値観で生きているのです。


その視点からふりかえってみれば、
すべての謎がとけます。(笑)

私は、自分の考えに固執し、
相手にもそれを押しつけていました。

自分で勝手に垣根をつくって、
勝手に孤立していました。

うまくいかない理由は、明白ですね。


私は、憂鬱質ベースの胆汁質という、
やっかいな気質をもっているので、

胆汁質ばりばりのときは、
議論をふっかけて、
相手をやりこめようとし、

憂鬱質マックスのときは、
ガラガラと、シャッターをおろすが
ごとく、相手を拒絶しました。

選択肢は、0か100しかなく、
あいまいさはゆるせませんでした。


いまは、胆汁質を、そういうかたちで
使うことはなくなりましたが、

憂鬱質の「シャッター、ガラガラ」は、
多少残っています。(笑)

ただ、拒絶ではなく、
保留ができるようになりました。


自分自身の体験に照らして言えば、

胆汁質が強く出るときは、
深呼吸して、相手の話をよく聴く
ようにするほうがいいのです。

逆に、憂鬱質が強く出るときは、

エネルギーを少しよぶんに使って、
自分の気持ちを、きちんと
伝えるようにしたほうがいいのです。


気質を学ぶことは、
私の選択肢をひろげてくれました。

相手が、自分とことなる存在である
ことを思い出させてくれるのも、

気質を知ったおかげです。

すべての気質は、誰のなかにもあって、
そのときどきで変わるけれども、

その状態を肯定的に見ることで、
相手とのかかわりかたも
見えやすくなります。


そして、気質にかぎらず、

相手と自分のちがいを見ながら、
それをおもしろがることができると、

さらに楽になるように感じます。


え?

とてもおもしろがる気には
なれないですって?(笑)

まあ、だまされたと思って、

相手とぶつかったときや、
困った場面に遭遇したとき、

とりあえず、
こうつぶやいてみてくださいな。

「おもしれえ! すげー!」


脳は、高度なコンピューターと、
よく言われますが、

ことばにした瞬間から、
「おもしろい」と想うための理由を
考えはじめてくれますから。


先日、いくつかご紹介した、
人生のなかで、私をささえてくれた
ことばたちも、

そんなところから、
生まれてきたりしたんですよ♪

凡人成功哲学

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、田中真澄氏の心に響く言葉より…「凡人成功哲学」です。


人間の99%は凡人です。

凡人は秀才には頭が上がらないと考えられてきました。

しかしそれは人生60年プラスαの昔のサラリーマン社会、若年者の多い社会でのことです。


ところがこれからは、平均寿命が80歳を超え人生100年が到来する社会、サラリーマン時代と定年後の時代がほぼ同じ年数になる社会、そして少子高齢化によって高齢者も働くことが求められる社会になります。

そうなればサラリーマンは、定年後のフリーな生き方ができる時代をどう生きるかで、人生の勝負が決まるのです。

「人生の勝負は後半にあり」と言われる所以(ゆえん)はそこにあります。


フリーになれば、サラリーマンが武器にしてきた勤め先の地位や肩書で示される所属価値では生きられません。

何ができるかの存在価値を武器にして生きていかなければなりません。

その存在価値を身につけるのは、秀才が求めてきた高学歴や官公庁・大企業の役職に就く道を参考にするのではなく、学歴よりも専門の力を磨いて独立している個業主に学び、人生の後半では自分も個業主として生きていける道を選ぶことです。


その個業主を支えるのが、「凡人成功哲学」であると、この機会に知る必要があります。

学校は良い大学に進学し、良いところに就職するための「秀才成功哲学」をベースにした生き方しか教えてこなかったのです。

以前はそれでも良かったのです。

なぜならは平均寿命が短い時代、若者が圧倒的に多く高齢者が少ない時代は、「秀才成功哲学」一本で人生を全うできたからです。


しかし時代がこれまでと全く逆の状況になりつつある今日では、「秀才成功哲学」がら「凡人成功哲学」に切り替えて生きることが、すべての人に求められる時代になってきたのです。

その時代認識に欠けると、これからの老後の人生は生きるのが厳しくなります。


秀才も凡人も誰もが平等に持つ財産が3つあります。

それは目には見えない「心」「時間」「ことば」です。

この3つの自己資源を有効活用して、オンリーワンの財産である己の存在価値を築くために、「行動」と「考え方」の両面から普段の生活習慣を磨くことを体系化したのが「凡人成功哲学」です。


アメリカの自己啓発作家・講演家のオグ・マンディーノは、

「人間の成功は、知識の多さや努力の積み重ねによるものではない。人間を成功に導くのは習慣である」

と語っていますが、この言葉は、3つの自己資源を良き生活習慣を通して、日々磨き続けることが成功の基本中の基本である、すなわち「凡人成功哲学」が大切であることを明示しています。

この「凡人成功哲学」は、多くのサラリーマンの頭を支配している「寄らば大樹の陰」の大組織依存とは真逆の関係にあります。


『小に徹して勝つ』ぱるす出版







田中真澄氏は、同書の中で現行の年金制度のことをこう語っている。


「かつての年金制度は、60歳から全額支給が始まって平均13年前後の年月が経過した78歳~80歳で、その支給が終了するであろうことを前提に設計されていました。

ところが今では国民の半分以上が80代の後半まで生き、中には100歳前後まで長生きする人も稀ではなくなりつつあります。

そのうちに80代で死んだら若死にと言われる時代になるでしょう。


これまでの年金制度が前提としている死亡年齢をはるかに超えて、日本人が長生きしている現況は、現行の年金制度が今のままでは機能不全に陥ることを示唆しています。

なぜなら年金の支給期間が、当初計画の2倍から3倍へと延びるのに対して、逆に、少子化で年金制度を支える世代の誕生は年々減っているのですから、年金を支えてきたこれまでの仕組みも財源も、今の制度のままでは維持できなくなることははっきりしてきたからです。


ところが、団塊世代の前の世代(昭和20年以前に生まれた世代)は、戦後の高度成長経済の恩恵を受けて、年金は掛け金の2倍以上という高額支給を受けています。

また、その世代はそれを当然とする既得権意識を持ち、年金改革を先送りする勢力に力を貸してきました。

しかし、年金支給の甘さが大問題となり、政府は年金支給開始年齢をやっと60歳から65歳に改訂しました。

ところが、それでは問題解決には程遠いことから、さらに70歳、そして75歳、さらには80歳と段階的に支給開始年齢を改正していかざるを得なくなりつつあります。

年金関係者の間では、支給開始年齢を最終的には80歳まで引き上げる案が検討されているようです。

そうなれば65歳で定年になった後も、私たちはさらに最低15年は働かなくてはならない時代を迎えることになります」


だから、悲観的になるしかない、という話ではない。

我々は今後、超高齢化社会になることを前提に、若者も年配者も覚悟を決め、生き方や方向性を定めなければならないということ。


そのためには、「心」と、「時間」と、「ことば」に関する良き習慣を身につけること(同書より)。

1.「心」とは、『利他の心』、『積極の心』、『目に見えないものへ畏敬の念(神仏を敬う)を持つ』、『心を常に明るく保ち、情熱持つ』、等々。

2.「時間」とは、『一点集中の時間の使い方』、『継続は力なり、コツコツと』、『優先順位をつけて行動する』、『周辺の環境整備(掃除・整理整頓)に時間を使う』、等々。

3.「ことば」とは、『ご縁を大切にするために言葉(人に好かれる言葉)を磨く』、『肯定語を多用する』、『明るく楽しい言葉を多用する(感謝、ありがとう、楽しい、ツイてる、しあわせ、ゆるします)』、等々。


凡人成功哲学を身につけたい。

楽しい人生を生きる宇宙法則

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。


小林正観さんの心に響く言葉より…楽しい人生を生きる宇宙法則です。


いろんな問題をかかえていて、こんな職場の人に囲まれていて、上司が厳しい人で怒って怒鳴って…どうしたらいいんでしょうっていう質問をよくされるのですが、私の答えは「だから何?」。

「辞めたいんですか?」と聞くと、

「いいえ辞めたいわけじゃないんです」

「辞めたくないっていうことは勤めていたいんですね」

「勤めていたいんですけど上司がこんな人で…」

「じゃ辞めたいんですね?」

「いや、辞めたくはないんですけどひどい人ばかりで…」

「だから何?」


結局、辞めたくないんだったら文句を言わないでやればいい。

辞めるんだったら文句を言わないで辞めればいい。

どちらかです。

どちらにしても、文句を言っていること自体がいちばん問題なのです。


愚痴を言って泣き言を言って宇宙に不平不満を投げかけていることが、結局は自分にとってものすごく損。

投げかけたものは返ってくるので、辞める辞めないよりもそっちのほうが重要な意味を持ちます。


好ましいものに囲まれていない、という人は、自分が投げかけたものが好ましいものじゃなかったということです。

いい思いをしたい、お金を儲けたい、ということばかり考えている人は、何も投げかけていません。

むしろエゴという名のエネルギーを投げかけている。

だからエゴのかたまりに囲まれることになるのです。


喜ばれるように生きていくと、喜びに囲まれることになる。

かんたんな構造です。


自分の人生が楽しいほうへ展開していかない、という人は、楽しいものを投げかけていないからかもしれません。

だからイヤイヤやっている仕事はダメ。

イヤイヤしか返ってきません。

楽しくてやっている仕事は、はじめは収入が少なくても、そのうち必ず楽しくてしょうがないような状況に囲まれるようになります。

好きでやっているのだったら、寝食を忘れてやっていられるのだから、膨大に投げかけることができる。

そして将来、膨大に返ってきます。


同様に、夫が気に入らない、と夫の悪口を言っていることのほうが問題。

夫の悪口を言っているヒマがあったら、どっちかに決めた方がいい。

別れたいなら別れる、別れないなら別れない、まず愚痴や泣き言、悪口をやめること。


迷っていることがあって相談に来ているのか、愚痴、泣き言、悪口を言いに来ているのか、をちゃんと分けたほうがいいのです。

で、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句・恨(うら)み言葉・呪(のろ)い言葉を言いたいのだったらそういう仲間を見つけて言い合えば良い。

しかし、言えば言うだけまたその言葉を言いたくなるような現象が降って来ます。


『楽しい人生を生きる宇宙法則』講談社




愚痴や不平不満を、楽しんで言っているとしか思えないような人がいる。

真に自律した人、行動の人は、何か問題があってもそれに対して、嫌なら辞(止)めるし、辞めたくなかったらその解決方法を探しそれを試す。

一つやってダメなら、また別の方法を試せばいい。

だから、文句を言っているヒマなどないのだ。


結局、ヒマで行動しない人だけが、文句や不平不満を言う。

文句を言うということは、自分は動かずに相手に変わって欲しいと願う行為。

自律した人は行動で示す。


宇宙に投げかけたものが自分に返ってくるという。

今が、楽しくて仕方ない人は、過去に、楽しいという言葉をたくさん言ってきた人。

今が、感謝に囲まれている人は、過去に、たくさん感謝の言葉を言ってきた人。

今が、愚痴や不平不満ばかり言っている人は、過去に、たくさん愚痴や不平不満を言ってきた人。


「楽しい人生を生きる宇宙法則」を身につけたい。

「東京都の闇」に挑む小池百合子都知事

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、国際派日本人養成講座より ■■ 「東京都の闇」に挑む小池百合子都知事です。


「大義と国民の共感」を武器に、小池都知事は都政大改革に挑んでいる。

■1.「東京都の闇」

 桝添前都知事の迷走振りを見て、どうして自民党はこんな人物を推薦したのか、と思っていたが、最近、出版された『都政大改革 小池百合子知事&「チーム小池」の戦い』[1]を読んで、自民党東京都連を牛耳る「東京都の闇」の実態が良く分かった。

 著者の野田数(かずさ)氏は、平成23年、東京都議会議員として当時タブーであった「朝鮮学校への補助金」を廃止させた硬骨漢である。しかし、野田氏がこの問題を都議会文教委員会で取り上げようとした所、生活文化局私学部長から再三、質問取り下げを要求された、という。

 驚いたことに、同志であるはずの都議会自民党の役員からも待ったがかかった。そもそも、この補助金創設の中心人物は自民党議員であり、日朝友好促進都議会議員連盟を設立したのも自民党議員であった。

 舛添要一・前知事は朴槿恵大統領の要請を受けて、新宿の都有地を韓国人学校の増設のために貸し出す方針を打ち出した。新宿区が保育園設置のために、この土地の貸し出しを要請したのだが、桝添氏はこれを無視し、都民から都庁に抗議が殺到した。これを契機に桝添氏の公私混同ぶりが知れ渡って、都知事を辞任せざるを得なくなった。

 こんな桝添氏を推薦し、支援したのも自民党東京都連だった。どうも「東京都の闇」は半島とつながっているようだ。


■2.「崖から飛び降りる覚悟」

 この「東京都の闇」を危惧していたのが小池百合子だった。桝添前知事が悪あがきの末、辞職に同意し、都知事選日程が決まると、小池は電撃的に記者会見を開き、立候補を表明した。「都政の信頼回復、停滞の解消、山積する問題解決のため崖から飛び降りる覚悟で挑戦したい」と語った。

 あと1年、衆議院議員を続ければ、25年の永年在職表彰で肖像画が国会に掛かる、という栄誉を蹴り、なおかつ議員を辞職して、当選するかどうか、自民党都連が推薦してくれるかどうかも分からない中での出馬声明であった。

 案の上、自民党都連の石原伸晃会長はテレビカメラの前で、事前に相談がなかったと激怒し、他候補を擁立してきた。

 小池はわざわざ推薦願いを取り下げた。本来そこまでする必要はないのだが、自民党に頼らず一人で戦う、という姿勢を鮮明にしたのである。政策論もせずに手続きだけの問題で小池を推薦せず、なおかつ「応援した党員は除名等の処分の対象となる」という警告文書までばらまいたやり方に、「東京都の闇」が垣間見えた。

 小池はこうして自民党都連のしがらみを断ちきって、都知事に当選した。「都政の闇を正したい」との訴えを実施できるフリーハンドを得たのである。小池の政治家としての政局の読みと決断力には凄まじいものがあった。


■3.「人と同じことをしてはいけない」

 小池は今まで「崖から飛び降りる覚悟」を何度もしているが、その最初が大学在学中に「エジプトに留学して、アラビア語をマスターしたい」と決心した時だった。父親から「日本は石油をアラブ諸国から輸入して生きている。それにもかかわらず、日本人はアラブ諸国のことを知らない」と聞いて、これだ、と思ったそうだ。

 両親に相談すると、大いに賛成してくれた。欧米への留学ですら珍しかった頃である。それをエジプトに、しかも若い女性一人で、とは普通の親なら絶対許さない所だ。しかし両親とも常々「人と同じことをしてはいけない」と教えてきた。それは口先だけではなかった。

 小池は決心通りエジプトに行き、アラビア語を勉強し、カイロ大学を卒業した。日本人留学生で卒業まで漕ぎつけたのは、二人目だった。休みの期間は日本人観光客の案内をして、生活費や学費を稼いだ。それができるようになったからは、生活費も学費も、そして帰りの飛行機代もすべて自分で稼いだ。

 日本に戻ってアラビア語の通訳としてスタートし、それから竹村健一の『世相講談』のアシスタントをしながら、多くの財界人、文化人と知り合い、沢山の事を学んだ。

 時あたかも、バブル時代。皆が浮かれている時に、小池は「こんな状態が長く続くはずはない。日本にお金がなくなった時に、お金以外に世界を惹き付ける魅力があるのだろうか」と危機感を抱いた。そして、その予感通り、バブル崩壊となった。

 そこに元熊本県知事・細川護煕から、新党を創るので一緒にやらないか、と声がかかった。「既存政党の組み合わせでは、この危機的状況を打開できない。新しい政治の受け皿をつくり、既成の政治に風穴をあけたい」という細川の主張に、小池は共感した。

__________
 テレビで叫んでいても変わらないから、自分でやるしかないな。政策を決め、実行するのは国会だもの。[2,1888]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 小池は、またしても「崖から飛び降りる覚悟」で、安定したニュースキャスターの職を投げ打ち、政界に飛び込んでいった。


■4.ベンチャー政党の立ち上げ

 政治家を目指すにしても、小池は自民党のような大企業に入る気はなかった。むしろ、ベンチャー企業のように、組織作り、営業、広報など、ゼロから立ち上げ、国を動かす事に最大の興味、関心があった[2,2236]。 ただ、細川の方は、新党結成といっても明確な計画性がなさそうで、「この人、大丈夫かしら」と思った。

 日本新党というベンチャー政党で、細川という頼りないトップをいただいたのが、小池の苦労の始まりだった。その後、小沢一郎の新進党などとの連立で細川内閣が誕生したが、そこから政党の集合離散が続き、小池も日本新党から、新進党、自由党と立ち上げを経験してきた。

 そのため「政界の渡り鳥」などと揶揄もされたが、これらはベンチャー企業の合併や分割にしたがって所属政党が変わったのであって、小池が単独で渡り歩いたのではない。

 平成14年、保守党が民主党の一部と合同で「新保守党」を創る構想が出た際に、小池は「また、新党ですか」と思った。新党参加を見送り、自民党に入党した。小泉純一郎首相が「自民党をぶっ壊す」と宣言しており、自民党が変わるなら、その中に入って日本を変えれば良いのだ、と考えたからだ。

 そして、入党早々の平成15(2003)年、小泉内閣で環境大臣に指名された。「地球環境問題はグローバルで、やりがいがある」と小池は考えた。


■5.「クール・ビズ」への大義と国民の共感

 夏の「クール・ビズ」はもう日本中で当たり前の光景となったが、これを仕掛けたのが環境大臣時代の小池だった。沖縄でカラフルで涼しげな「かりゆし」を見て、これこそ夏の軽装の理想の姿だと思った。小池は事務次官に語った。

__________
 わたし、ビジネスマンが背広から逃れられないという呪縛から解放してあげようと思っているんだけど、どうかしら? でも、単にノーネクタイっていっても効果なんて期待できないから、大義を設定しましょう。地球温暖化対策という、非常に大きな普遍的なテーマをかかげたらどうかしら?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 大義と国民の共感が得られれば、世の中を変えることができる、というのが、小池の信念だった。小池はネーミングの段階から多くの人を巻き込もうと、「夏の新しいビジネス・スタイル」をテーマに地球温暖化防止キャンペーンの名称を公募した。

 約3200件もの応募があったが、選考のさいに小池は「クール」という言葉だけは入れたい、と注文をつけた。クールは「涼しい」のほかに「クール・ジャパン」と言うように「格好いい」という意味もある。選考の結果、「クール」と、ビジネスの短縮形「ビズ」を併せた「クールビズ」に決まった。

 小泉首相も面白いと賛同して、全国紙の全面広告に登場して「ノーネクタイ、ノー上着」をアピールした。クールビズの初日である6月1日には、小池自身が新聞広告に登場して「夏、男性がネクタイをはずせば、女性の膝掛けがいらないオフィスになります」と自分で考えたメッセージを発して、反響を呼んだ。

 6月5日、「世界環境の日」には、「愛・地球博」会場で「クールビスコレクション」を開催した。3千人の会場に超満員の観客が詰めかけた。目玉はファッション・デザイナーのコシノヒロコなどがデザインしたクールビズ・ファッションを、オリックス、三越、松下電器産業など11社のトップが着こなして、会場を沸かせた。

 最後に日本経団連会長・トヨタ自動車会長の奥田碩がクールビズ・スーツで登場し、小池と握手を交わした。経済界はCO2の排出削減について「産業界ばかりに削減、削減という前に、国民運動を展開すべきだ」と主張していたのが、その国民運動が小池のリードで実現したのである。


■6.大義を掲げ、国民の共感を得ながら、社会を変えていく

 クールビズは実体経済にも影響を与えた。もともと日本には最先端の機能繊維を開発できる世界的な企業が多々ある。クールビズの技術とデザインで、中国に移転してしまった繊維産業の再興が図れるかもしれない、と小池は考えていた。

「景気をホットに、地球と男性をクールに」の巧みなキャッチフレーズでクールビズ対応シャツなどが個人消費を刺激し、百貨店の売上げは9年振ぶりに増加した。また本来の目的である温暖化対策も、オフィスでの冷房温度の高め設定が広がり、平成17年夏の三ヶ月間で約46万トンのCO2排出削減につながった。

 クールビズは国際的にも広がっていった。小池は親しいアラブ諸国の駐日大使団に「みなさんのお国のクールビズで官邸に来て下さいよ」と頼んだ。アラブの民族衣装は中東の暑さを和らげるクールビズそのものだ。駐日アラブ大使団は、それぞれの国の民族衣装を着て主要官邸を訪れ、日本のクールビズに対する最大級の賛辞を送った。

 同様にフィリッピンやインドネシア、タイなどの民族衣装もクールビズとして見直されていった。

 もともと背広とネクタイは夏でも涼しいヨーロッパで発達したものだ。それを暑いアジアや中東でも着て、オフィスを寒いぐらいに冷やすという事自体が、おかしかったのだ。クールビズは、ヨーロッパ中心の意識を改めさせ、それぞれの国の気候に合わせて発達した民族衣装をフォーマルな服装として認めさせる意識革命であった。

 このように、大義を掲げ、国民の共感を得ながら、社会を変えていくのが、小池の流儀である。


■7.悪党退治

 小池の「崖から飛び降りる覚悟」は、政界の闇との戦いにも発揮されている。

 平成19(2007)年、第一次安倍内閣の時、失言問題で辞任した久間章生の後を継いで、女性初の防衛大臣に任命された。事務次官は5年目に入る守屋武昌であった。事務次官の任期は通常は1年から2年だ。しかも、よからぬ噂も聞こえていた。安倍総理に相談すると「5年目でしょ。いくらなんでも長すぎますよね。進めてください」と言われた。

 そこで守屋を退任させる人事案を練っていた所、マスコミに漏れているという情報が入ってきた。小池はすぐに守屋に伝えようと携帯に電話したがつながらない。大臣が電話しているのに、次官が出ない、という所に守屋の姿勢が現れていた。

 翌日、その情報が新聞記事となり、小池は守屋を呼んで退任を伝えた。しかし守屋は「断じて困る」と反発した。その後、小池が訪米して米政府の高官たちと交流を図っている間に、守屋は官房長官を動かして、待ったを掛けてきた。マスコミもこの騒動をニュースのネタにした。

 小池は自身の進退伺いを持って、安倍総理に決断を迫った。総理は悲しそうな顔で「辞めるなんて言わないでください。お願いだから」と言った。その後、しばらくかかったが、安倍総理は守屋の退任を決断した。「たった一人の人事を巡って、役所というコップの中の戦いに大切なエネルギーを浪費するのはどうだろう」と小池は言う。[3, 1543]

 折しも、インド洋での多国籍軍への給油・給水活動の法的根拠となっているテロ対策特別措置法の期限切れが迫っていた。小池はこの守屋騒動につけ込んで野党が審議引き延ばしをしてくると読んで、内閣改造時に留任を希望しないと安倍総理に申し出た。わずか55日の防衛大臣だった。

 この後、守屋は長年の接待疑惑が浮上して逮捕された。「守屋は、そんな悪党だったのか。小池はよくやった」と世評が高まった。


■8.「家族のきずな、地域の連帯感、日本の伝統・文化断固として守り」

 東京都は築地市場移転問題やオリンピックなど、大きな課題を抱えている。また防災や託児所拡充など、都民の生活に直結した問題も山積している。桝添のような人物を都知事にした「東京都の闇」が都政を停滞させているのである。これらは小池都知事にとっては持ち前の企画力でお得意の分野だろう。

__________
「家族のきずな、地域の連帯感、日本の伝統・文化は断固として守り、国際競争にさらされている経済の分野は大胆に変える」 平成4年の初当選以来、ずっと訴え続けている小池の公約は、今後も変わらない。[2, 5854]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この考えに沿って大車輪の活躍を期待したい。そのためにも、手始めに「東京都の闇」を成敗する必要がある。
(文責:伊勢雅臣)

正負の法則と幸福三説

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、美輪明宏氏の心に響く言葉より…正負の法則と幸福三説です。


世界の歴史の中で、超弩級(ちょうどきゅう)の美人だった人は、その美形度の度数が上がれば上がる程、《正負の法則》でそれに見合っただけの悲惨な人生を送っています。

クレオパトラも楊貴妃(ようきひ)も、小野小町(おののこまち)にしろ、ローラ・モンテスもエンマ・ハミルトンもグレタ・ガルボもヴィヴィアン・リーもエリザベス・テーラーもグレース・ケリーも、たび重なる心労、病気、大手術、孤独、波乱万丈、哀れな死。

なまじ美人に生まれたばっかりにそれに釣り合う代償を払わされる破目(はめ)になるのです。


高い所へ登った人ほど、落ちた時には大怪我か即死です。

低い所にしか登れなかった人は落ちてもせいぜい軽いカスリ傷か怪我くらいですむのです。

それが《正負の法則》ですから仕方がありません。


ですから、「まあどうにか見られなくもないかな」と言われるくらいの、容姿容貌の人々はそれにふさわしく、まあまあ可もなく不可もなくという無事平穏な人生を送ることが出来るのです。

美人をうらやましがる必要は少しもありません。


ハリウッドの女優だった、グレース・ケリーは、裕福な家庭に育ち、美貌で才媛、アカデミー賞を受賞して、それからモナコの王妃になりました。

〈正〉だらけです。

でもそういいことばかりがあるものではありません。

子供たちはスキャンダルだらけ、心配事はひっきりなし、あげくの果ては事故で悲惨な死に方をしました。

しかも、暗殺だとか他殺だとかいろんなことを言われて。


グレタ・ガルボの場合は自分から〈負〉を作り、その〈負〉を受け入れて生きていった、稀有(けう)な存在です。

大根役者ではありましたが、大女優の名をほしいままにしました。

今の若い人たちはご存知ないかも知れませんが、「ガルボの前にガルボなし、ガルボの後にガルボなし」と言われたほどの美貌だったのです。

彼女はある盛りを頂点として、自分からさっさと引退していったのです。

そういう〈負〉の作りかたもあるのです。


原節子さんの場合と似ています。

同じように絶世の美女ですが、自分でさっと引退という幕を降ろし、〈負〉を選んで、それで〈プラス・マイナス・ゼロ〉にしてしまったのでしょう。

その後は隠者のように遁世して暮らしていらっしゃいます。


エリザベス・テーラーはアカデミー賞も受賞し、世界一と言われた美貌の持ち主でしたが、富と名声に恵まれ、子供たちもいて、何が〈負〉かと言うと、ここぞというときに必ず大病をするのです。

それも大手術を伴うような命がけの大病ばかり。

しかも8回も結婚と離婚を繰り返し、一生、男性の愛情による平穏が得られなかったのです。


フレッド・アステアはタップダンサー、モダンダンサーとしては世界一でしょう。

あれだけの踊り手はもう出て来ません。

ただ彼は美しい男ではなかった。

二枚目の役もやってはいたけれど、シリアスなものはいっさいダメでした。

そして、彼の何よりの〈負〉はものすごいばかりの練習量だったのです。

かの〈日本の誉(ほま)れ〉イチローさんも同じと聞いています。

才能だけでなく、その努力たるやハンパなものではないそうです。


『ああ正負の法則』PARCO出版






幸田露伴は、「幸福三説(こうふくさんせつ)」ということを言っている。

三説とは、「惜福(せきふく)」「分福(ぶんぷく)」「植福(しょくふく)」の三つの福のこと。


惜福とは、福を全部使ってしまわずに惜しむこと。人気絶頂の俳優が、まだあと何十年と活躍できるにもかかわらず、惜しまれながら引退する、というようなこと。

分福とは、人に福を分けること。

植福とは、子孫や未来の子供たちのために、福を植えておくこと。


福が連続して続くことはない。

だからこそ、この「幸福三説」が必要となる。


表があれば裏があるように、正があれば必ず負もある。

したがって、どんな結果にも、その原因がある。

だから、もし努力を伴わない成功というものがあるのなら、その代償はいつかどこかで払うことになる。


幸福三説の実践を重ねたい。



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鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

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