1  |  2    次>    

私たちは見るものすべてに影響を与える

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、パム・グラウト氏の心に響く言葉より…「私たちは見るものすべてに影響を与える」です。


2015年8月、科学雑誌の「ネイチャー」で世界を驚かすような研究が紹介された。

ここにあるもの(たとえば私たちの思考)が、向こうにあるものに影響を与えるということが、ついに証明されたのだ。

遠く離れた物体が互いに影響を与え合うというのは、量子論の核となる考え方の一つだ。

二つのダイヤモンドを約1キロ離れた場所に置くと、それぞれの中にある電子が、同時に回転する方向を変える…これはたしかに、伝統的な物理学にとっては衝撃的な発見だ。


実際のところ、この種の実験はすでに1970年代には始まっていたが、オランダのデルフト工科大学で行われたこの実験は世界に衝撃を与え、「ニューヨーク・タイムズ」紙をはじめとする世界中のメディアで大きく取り上げられた。

この実験によって、地球上の存在がすべてつながっていることが証明されたからだ。

言い換えると、私たちの意識には、とてつもなく大きな力があることが証明されたのだ。


ドイツ人物理学者のハイゼンベルクによると、人は自分が見ているものすべてに影響を与え、変化させる。

何かをただ見るだけで、その何かの分子を変え、原子を変え、エネルギーを変えるほどの力を発しているということだ。

私が何かを見ても、私が何かをしても、この世に存在するすべてのものに影響を与えている。


プリンストン大学物理学教授のジョン・ホイラーは、「諸君、申し訳ないが、自分はただの観察者だという考えはもはや通用しない」という有名な言葉を残した。

どんなときでも、見るものすべてに影響を与えている。

ホイラー教授は、この現象を「深くて幸福なミステリー」と呼んでいた。


私たちは見るものすべてに影響を与える。

自分の中にある偏見、思い込み、意見を世界に反映させ、世界の姿を変えている。


感謝の気持ちで世界を観察すると、美しいものや、すばらしいものばかりが目に入る。

その状態になると私たちは、今度は愛や魔法、奇跡のエネルギーを放出するようになる。


つまり、「すべてはつながっている」と信じるだけで、宇宙のエネルギー・フィールドに感謝と喜びのエネルギーを送り出すだけで、本当に世界を変えられるということだ。

これはすごいことだ。

自分が幸せになると、地球全体も幸せになる。


カリフォルニア大学サンディエゴ校のジェームズ・ファウラーと、ハーバード大学のニコラス・クリスタキスが行った研究によると、ただ誰かの慈善的な行動を観察するだけで、自分もいいことをするきっかけになるという。

以前、あるカナダ人の男性からこんな話を聞いた。

ドーナツショップへ行ってコーヒーを注文したところ、もう支払いは済んでいるのでお金はいらないと言われたそうだ。

彼の前に注文した人が、次の人の分も払っていたからだ。

彼はその行動に触発され、自分も次の人のために支払うことにした。

そのドーナツショップで働く近所の人と後で話したところ、「次の人の分を払う」という連鎖は4時間半も続いたという。

純粋な慈善の精神が、こんなに長い時間、途切れることなく続いたのだ。

これはささいな出来事ではない。

たった一つのいい行いは、何倍にも大きくなり、巨大な愛の力になる。


『「感謝」で思考は現実になる』サンマーク出版




船井幸雄氏は『百匹目の猿現象』というのを提唱していた。

『百匹目の猿現象』とは、宮崎県の幸島で、たった一匹の猿が始めた、イモを川で洗って食べるという習慣が、幸島全体に広がっただけでなく、ほとんど同時期に、遠く離れたまったく交流のない島にまで広がった現象のことを言う。

つまり、よいと思うことを一定数の者が共有すると、まったく交流のない遠く離れた場所まで一気に広がり伝わっていくということ。

そして、船井氏は集合意識の大切さを説いた。


「自分は関係ない」とか「みんなが勝手にやればいい」という、さめた目で、虚無的に、投げやりに生きようとしても、それはもう通用しないということ。

なぜなら、いくら傍観者(ぼうかんしゃ)や評論家をきどっても、それが何人か集まれば、必ずどこかで何らかの影響を与えているからだ。

いいにしろ悪いにしろ、我々はこの世に何らかの影響を与えている。

だからこそ、同じ生きるなら、いい影響を与えてこの世を去りたい。


「私たちは見るものすべてに影響を与える」

見るもの聞くもの、すべて感謝の気持ちで受け止めたい。




アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ

テーマ:ブログ


リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、ジャック・フォスター氏の心に響く言葉より…【アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ】です。





わたしが一番気に入っているのは、ジェームス・ウェブ・ヤングの説明だ。

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」

わたしがこの説明を特に気に入っているのには、二つの理由がある。


第一に、ここにはアイデアを得る方法が明示されている。

アイデアを手に入れるのは、新しい料理のレシピを作るようなものだと教えてくれているのだ。

すでに知っている材料を、これまでとは違った方法で組み合わせるだけ。

アイデアを得るというのは、こんなに単純なことなのだ。


単純というだけでなく、これは天才でなくてもできる作業だ。

ロケットを開発する科学者である必要もなければノーベル賞受賞者である必要もない。

国際的な画家や詩人、腕ききの広告マンでなくてもいい。

ピュリッツァー賞受賞者や世界的に有名な発明家でなくても大丈夫なのだ。


普通の人だって、毎日いいアイデアを思いついている。

毎日新しいものを創造したり、発明したり、発見したりしている。

車の修理方法、キッチンの流しや玄関の補修方法、夕食の調理法、売上げを伸ばす秘訣、節約の仕方、子供のしつけ方、コスト削減の方法、生産量を増やす方法、メモのとり方、企画書の書き方、物事をよりよくしたり、簡単にしたり、安くするための方法…人間が毎日思いついているアイデアをあげていけば、きりがない。


わたしがヤングの説明を気に入っている第二の理由は、アイデアを得るためのカギだとわたし自身が確信していること、つまり「材料を組み合わせる」と言う点をずばり突いているからだ。

実のところ、わたしがこれまでに読んだアイデアについての本はすべて、組み合わせる、関係づける、並べる、統合する、結合する、といったことに触れていた。


フラシス・H・カルティエはこう述べている。

「新しいアイデアを手に入れる方法はただ一つ。それまでにもっていた二つ以上のアイデアを組み合わせたり結びつけたりし、以前は気づかなかった関係が見出せるような新しい並べ方にすることだ」

イギリスの作家アーサー・ケストラーはこう考えた。

「クリエイティブな独創性とは、何もないところからアイデアを創造することではない。しっかりと確立された考え方を組み合わせ、相互に深め合うというプロセスからアイデアを生むことだ」。

彼はこのプロセスを「異縁連想」と呼び、次のように述べている。

「創造的な行為とは、すでに存在する事実、考え、技能、技術を新たに発見し、選び、並べ直し、組み合わせ、統合することである」


『新装版 アイデアのヒント』CCCメディアハウス




脳力開発の創立者、城野宏氏は、こう語る。

「発想とか、アィディアとかいう言葉が流行しているが、単にすわったままで「考える」のでは、記憶を再現しているだけなのであり、新しい現実の組み合わせを創造してゆく活動にはならない。

他人の記憶との組み合わせをつくるためには、他人との接触をもたねばならぬ。

つまり足を使い、口を使って言葉で通信するのである。

書物という文字による他人の記憶体験の吸収も役にはたつ。

結局、脳を十分に使うというのは、自分の記憶体験の組み合わせを、手を使ってできるだけ多く現実化することであり、同時に足と口とで、他人の記憶体験との接触をつくり、それとの組み合わせを手を使ってできるだけ沢山現実化してみるということである」


既存の要素の新しい組み合わせを、具体的なアイデアにしていくには、手と、足と、口を使う以外にない。

頭の中で考えているだけではアイデアは具現化はしない。

つまり、アイデアは、行動によってしか生まれないということ。


「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ」

すでに知っている材料を、これまでとは違った方法で組み合わせ、新たなアイデアを生み出したい。




あなたの多様性

テーマ:ブログ

リペアショップ鹿児島店の坂元です。


かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪から、「あなたの多様性」です。


谷川俊太郎さん文×長新太さん絵の
「わたし」
という絵本をご存じでしょうか?

一部を抜粋して、ご紹介しますね。

-----------
わたし
おとこのこからみると おんなのこ
あかちゃんからみると おねえちゃん
おにいちゃんからみると いもうと
(中略)
がいじんからみると にほんじん
うちゅうじんからみると ちきゅうじん
-----------


これね。

「視点を変える」という意味で、

とっても、わかりやすい切り口だと
思うのです。


ときどき、会社で、きびしい上司
などのことを、部下のひとが、

「あれじゃ、家族は大変だろうな」
「奥さん、かわいそうに」

なんて、うわさしたりすることが
ありますよね。

でも、部下にたいする態度と、
家族にたいする態度は、

全然、ちがうかもしれませんよね。

また、部下にはきびしいひとが、
妻さんにはアタマがあがらない…

なんてケースもあるかもしれません。


ひとのありようって、相手によって
変化するものだと思うのです。

それって、意識して使い分けている
場合もあるかもしれませんが、

多くは、相手のモードやエネルギーを
無意識に感じて、反応しているのでは
ないかと思うのです。

だから、極端に言うと、

人間関係の数だけ、そのひとの
ありようは、変わるのだと思うのです。


つまり、私たちは、つねに
ちがう視点をもって生きているのです。

それは、いくらでも変えられるんです。


何か、ひとつの気持ちにとらわれて
いるなあ、視点が固定しているなあ
と感じたときは、

ちょっと立ち止まってみましょう。

「自分対相手」という構図を、
ちょっとだけ変えてみるんです。

この状況、ほかのひとから見ても、
同じように感じるのかな?

もっと言えば、相手から見たら、
この状況は、どう見えているのかな?

視点を変えて、俯瞰してみるんです。


気づいたら、いったん立ち止まる。
立ち位置を変えて、見直してみる。

これ、習慣にしてみましょうね。

あとは、トライあるのみ!

坂元さんの多様性が拡大します!

…「愛国心」という言葉

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、ケント・ギルバート氏の心に響く言葉より…「愛国心」という言葉です。





100%の確信をもって断言しますが、現代の日本人は「愛国心」という言葉に対して、何かしらの抵抗感を持っています。

読者の中に、子供時代から現在に至るまで、「私は愛国心を持っています」と言い続けた日本人が何人いるでしょう。

戦後生まれであれば、よほど愛国心の強い両親に育てられ、学校の教師や友人など、環境にも恵まれた人でないかぎり難しいと思います。

ほとんど全滅に近いのではないでしょうか。


ちなみに一般的な家庭で健全に育った米国人であれば、「あなたは米国に愛国心を持っていますか?」という質問に対して、ほぼ全員が、「はい。私は子供時代からずっと、米国に愛国心を持っています」と即答するはずです。

幸い私も、そのような極めて一般的な考えを持つ米国人の一人です。

だから日本人の愛国心への抵抗感を見ると、とても奇異に映るのです。


「愛国心」という言葉を使うのは後ろめたく、カッコ悪いことだと思っている日本人は、世界に出かけた場合には、逆にバカにされたり、大恥をかいたりしてしまうかもしれません。

世界のほとんどの国では、自然に愛国心を表明することが、ごく当たり前だからです。

むしろ、「愛国心はありません」などと平気で答える人のほうが、多くの場合、世界中で奇異な目で見られて、信頼を失ってしまうことを、日本の皆さんは知っておくべきです。


そういわれても、日本の皆さんはピンとこないかもしれません。

なにしろ、「愛国心」という言葉に日本人が知らず知らずのうちに抱かされてしまった拒否感について、あまりにも無自覚なうえに、その原因が根深いものですから…。


では、次のような例に置き換えてみたらどうでしょうか。

返ってきた答えが「いやー、うちは先祖代々、酷(ひど)い歴史を歩んできた一族でしてね。とても誇れるようなものではないですし、そんな暗い過去を持つ家族を愛しているだなんて、口が裂けてもいえませんよ」というものだったら、皆さんはどう思うでしょうか。

「自分の家族やご先祖様について悪しざまにいうなんて、本当にこの人は大丈夫なのかな?信用していいのかな?」と、心のどこかで思いませんか?


正直にいえば、日本人が「自分たちには愛国心がありません」と発言するのを聞いた外国人の多くは、今、述べた家族の例と同じような「この人たちは本当に信用できるのかな?」という違和感を抱くと思います。

そのくらい非常識な発言なのです。

日本以外の多くの国の人々にとって、「愛国心」は「家族を愛する心」と同じくらい、ごく自然なものです。

だから、「私には愛国心がない」「国のことなんかどうでもいい」などといわれると、むしろ眉をひそめたくなるのです。


そういう風にいうと、「いや、もちろん私だって日本のことは好きなのですが…」とおっしゃる日本人は多いと思います。

そうおっしゃる方には、重ねて聞きたい。

では、「日本を好き」なのと「祖国を愛している」の違いは何ですか?


それに対する一つの答えは「マインドコントロール」です。

いきなり結論めいた話になりますが、戦後の日本では、日本人が愛国心を持つことに抵抗感や罪悪感を抱かせるような学校教育と、マスコミによる報道や放送が、意図的に行われてきました。

そして、それは現在進行形で、今、この瞬間にも行われています。

はっきりいえば、皆さんは一種の洗脳を受け続けているのです。


戦後、この洗脳を教育機関やマスコミを操(あや)って行わせた陰の主犯は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)でした。

米国政府が仕組んだといっても構いません。

要するに私の祖国であるアメリカ合衆国の占領政策によるものであり、謀略です。


この謀略は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と名づけられています。

簡単にいえば、先の戦争についての罪悪感や嫌悪感を日本人の心に植えつけて、日本を二度と軍事的に立ち上がれない国にしようというものでした。

米国政府がそこまでのことを行った原因は、日本や日本人のことを米国が極端に恐れたせいなのです。


日本を「好き」であっても「愛国心」という言葉をなかなかいえない原因のもう一つは、「日本人が日本のことを知らない」ことにあります。

誰も「知らないもの」を愛することはできません。

その点でいうと、明らかに日本人は日本のことを「十分には」知らないように思えてなりません。


これも世界での話で恐縮ですが、何か国の人々が集まるパーティのような席では、まずはたいてい、各々(おのおの)の国の「お国自慢」になるものです。

皆が、それぞれ自国の文化や伝統、歴史について語ったり、相手の国のことについて質問したりするのですが、その場で自国の歴史や文化を語れない人は「無教養な人」と思われてしまいます。

その点、日本人はどうでしょう。

海外で盛んに活躍している有能な人ほど、「もっと日本のことを知らなければ」おっしゃることが多いようですから、きっと普通に大学を卒業した程度では、知識が足りていないのでしょう。

そして、その知識不足の大きな原因も、やはりGHQの「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」にあります。


日本の歴史や文化、さらに日本の本質について語る際に絶対に外せないのは、「天皇」の存在です。

逆にいえば、天皇とはいかなるものかに関する知識なしに日本のことを語るのは、たとえるなら「ユダヤ教にいっさい触れずにイスラエルを語りなさい」とか「キリスト教への言及なしに西洋文化について論考しなさい」とかいっているようなものです。

まともな知性を持っていれば、そんなことができるわけもないことがわかるはずです。

しかし戦後日本では、天皇についての歴史や文化伝統を学ぶことは、一種のタブーでした。

日本の人々がつくりあげた公式の歴史書である『古事記』や『日本書紀』に書かれた「神話」を学校で教えることさえできませんでした。

八世紀に編纂(へんさん)されたこれらの書物にすら「神代(かみよ)」、つまり神話の時代の話として書かれているのですから、「神話」として教えればいいはずですが、それさえ行われなくなったと聞いて、私はとても驚きました。


その民族が、どんな「神話」を持っているかということ自体が、比較文化研究の視点から見ても、とても興味深いことであるはずです。

日本人も、自分たちの国の神話を知ったうえで、他の国々の神話を知ると、似ている点や、違う点などが色々分析できて、とても面白いだろうにと思えてなりません。

神話の時代から現代に至るまで、ずっと天皇と共に続いてきた国だからこそ、世界の人々は日本という国に憧れ、敬意を抱くというのに、どうも天皇について多くの日本の方々は、その存在に対してあえて無関心でいるか、少し斜に構えつつ、敬しながらも遠ざけるべきものであるかのように考えているように思えます。


しかも、「天皇」と「愛国心」の両者を合体させて論じることは、戦後の日本では、ある意味では非常に危険なことだったようです。

戦争が終わって七〇年以上もたった今日でさえ、天皇を想起しながら愛国心を語ることは、すなわち軍国主義的であると考えられているのです。

それこそが、「WGIP」がめざした世界観でした。

しかし、世界に誇るべき「天皇」を忌避(きひ)し、封印するなんて、「もったいない」にもほどがあります。

冷静になれば、これがいかにバカらしいことであるかがわかるでしょう。


『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』PHP新書





斎藤一人さんは、こう語る。

『「国誉め(くにほめ)」という神事がある。

これは古代、ある国に任命された役人が 一番最初にやった仕事。

その国がどんなに素晴らしいかを褒めたたえるその行為が神事になる。

不幸な人はこの国誉めができない。

例えば、北海道に住んでいて 北海道の悪口を言っている人』


「愛国心」とは、たとえば「愛国心」の反対を考えてみるとわかる。

国に対して「嫌悪(けんお)感を抱いている人」、「憎しみを持っている人」、あるいは、マザー・テレサ的に言うなら「無関心の(無視する)人」ということになる。

これを国ではなく、「人」に置き換えてみると、それがいかにひどい仕打ちか分かる。


人は、誉められたら気持ちがいい。

これは国も同じだ。

日本をけなされたり、憎しみの対象となったら、どんなに悲しいか。


「愛国心」という言葉の呪縛(じゅばく)から解き放たれたい。

韓国併合の影と光

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。

今回は、国際派日本人養成講座より、「韓国併合の影と光」です。



 韓国併合への反対派とマイナス面だけでなく、賛成派とプラス面も公正に両論併記すべき。



■1.「植民地」かどうか

 東京書籍(東書)版中学歴史教科書の韓国併合に関する項では、一頁足らずのスペースに、「植民地」という言葉が4回も出てくる。まず項のタイトルからして「韓国の植民地化」である。その後も、

・日露戦争の最中から、韓国は、日本による植民地化の圧力にされされていました。
・また強い権限を持つ朝鮮総督府を設置して,武力で民衆の抵抗をおさえ,植民地支配を推し進めました。
・植民地支配は1945(昭和20)年の日本の敗戦まで続きました。

 まるで鬼の首をとったかのような「植民地」のオンパレードだが、一方で、育鵬社版[2]では「植民地」という言葉が一回も出てこない。このあたりに、両教科書の歴然たる違いが見える。日本による韓国統治を「植民地化」と言えるのかどうか、考えて見よう。


■2.連合国家か植民地か

「植民地」とは、ウィキペディアによれば[3]、「国外に移住者が移り住み、本国政府の支配下にある領土のこと」とある。これが本来の語義だろう。北アメリカにイギリス人が移り住んだのは、この意味の植民地である。

 これが「植民地主義」となると、「国家主権を国境外の領域や人々に対して拡大する政策活動と、それを正当化して推し進める思考を指す。政策活動に際しては、資源、労働力、そして市場を経済的に支配することが原動力となる」と説明されている[4]。欧米列強のアジア・アフリカの植民地化はまさしく、この典型である。

 しかし、日本の韓国併合が「植民地主義」に当たるかどうかを考えると、いくつか疑義が出てくる。

 第一は日本と韓国は国家として合併したのであって、韓国は日本の国境内の土地となった。したがって「国外に移住者が移り住み」とか、「国家主権を国境外の領域や人々に対して拡大する」という定義には該当しなくなる。これは定義だけの問題ではない。

 たとえば、イギリスはイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国が連合してできた国だ。だから、連合王国(United Kingdam)という。ウェールズ語やスコットランド語、アイルランド語などは、それぞれの国で公用語となっている。

 ウェールズ、スコットランド、北アイルランドは、長い抗争の末にイングランドに臣従し、条約によって「連合国家」となったのだが、これらの地域はイングランドの植民地とは通常は言わない。国境の中で、共通の国家主権のもと、国民もほぼ同様の義務と権利を享受しているからである。

 これに対して、インドはイギリスの国境外にあって、インドの民は選挙権その他のイギリス国民としての義務も権利も持たなかったが、イギリスの主権の下で統治された。だから植民地なのである。

 ウェールズのような連合国家の一部か、インドのような植民地かの分かれ目は、抗争などの経緯はどうあれ、同じ国の国民として同様の権利や義務を持っているかどうか、という所にある。


■3.一視同仁

 この点で、韓国統治はどうだったのか? まず参政権に関しては、内地に住む朝鮮人も台湾人も、日本国民男子として選挙権と被選挙権を与えられていた。ハングルによる投票もできた。現実に、昭和7(1932)年の衆議院議員選挙では、東京府から朴春琴が民族名のまま当選している。

 朝鮮や台湾ではまだ選挙は行われていなかったが、そこに住む内地人も選挙権は行使できなかった。これは地域としての準備状況の違いであって、国民の差別ではない。実際に北海道で衆議院選挙が行われたのが明治36(1903)年、沖縄県は明治45(1912)年で、内地の第1回衆議院選挙、明治22(1889)年から遅れること、それぞれ14年、23年であった。

 逆に兵役義務は内地人だけに附され、朝鮮に住もうと台湾に住もうと、その義務から逃れられなかった。大東亜戦争の激化に伴って、朝鮮では昭和19(1944)年から、台湾では昭和20(1945)年から徴兵が行われたが、それに伴って昭和20年4月には朝鮮人7人、台湾人3人の貴族院議員が天皇から任命されている。

 同時に、衆議院の定数として朝鮮で合計23人、台湾5人、さらに樺太3人の枠が設けられた。敗戦により、この選挙は実施されなかったが、参政権、徴兵義務の両面で、徐々に内地並みに近づいていっていたのである。

 文化や歴史、経済発展の状況が異なるので、同じ国になったとは言え、すぐに同じ待遇ができる訳でもないが、国家の理念としては、朝鮮、台湾、樺太は「新附の領土」であり、そこに住むのは同じ日本国民である、と見なされていた。

 こういう状況を見れば、政治的には朝鮮、台湾は、イギリスにとってのインドのような植民地ではなく、スコットランドやアイルランドのような連合王国内の地域であった、と言えるだろう。

 大正8(1919)年の「朝鮮総督府官制改革の詔書」では「民衆ヲ愛撫スルコト一視同仁、朕ガ臣民トシテ秋毫(しゅうごう、いささか)ノ差異アルコトナク」と謳われた。現実にはいろいろな差別もあったろうが、政治理念としては、すべての国民を平等に遇し、その安寧を図っていく、という皇室の伝統的理想が国家方針となっていたのである。


■4.韓国の高度成長

「植民地主義」の定義で、もう一つは「資源、労働力、そして市場を経済的に支配する」という面はどうだろうか。

 たとえばオランダはインドネシアを植民地支配し、耕地面積の5分の1でコーヒーなどのオランダ向け作物を生産させ、その利益はオランダの国家予算の3分の1を占めていたという。そして、この強制により、インドネシアの食料自給体制は崩壊して、餓死者が続出し、平均寿命は35歳まで低下した。このように経済的利益を吸い上げることが植民地主義の目的である。

 韓国の場合はどうか? 育鵬社版では「韓国併合後の朝鮮の変化」という表があり、たとえば以下のようなデータが示されている(一部のみ抜粋)。

__________
調査年度 1911年 1936年
人口   1283万人 2137万人
米生産量 978万石 1941万石
普通学校数 306校 2417校
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


画像


 わずか25年で人口は1.7倍、米生産量はほぼ2倍、普通学校数に至っては8倍近い伸びである。まさに高度成長と言って良い。この結果は、朝鮮の生活水準を内地並に引き上げるための政府投資によるもので、日本政府の対韓投資は持ち出しであった。

 東書版には、こうした記述は一切ない。しかし、不思議なことに育鵬社版の本文でも、この高度成長についての記述がない。あるのは、以下の一文である。

__________
 わが国の朝鮮統治では,併合の一環として近代化が進められまししたが,米の作づけが強いられたり,日本語教育など同化政策が行われたので,朝鮮の人々の日本への反感は強まりました。[2, p193]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 わずかに「近代化が進められました」という部分が、この高度成長に触れているのみである。韓国側が日本統治を悪し様に批判するのは勝手だが、我が国の歴史教育としては、高度成長の史実を客観的なデータで粛々と語れば良い。

 以上のように、政治的にみても、経済的に見ても、韓国併合は「植民地化」ではなく、「国家連合」であった。したがって、育鵬社版が注意深く「植民地化」という言葉を避けているのは、正確な表現なのである。


■5.「武力を背景に韓国内の反対をおさえて,併合を行った」

 こうした高度成長でどんなに良い結果が得られたとしても、朝鮮人の自由を踏みにじって、その主権を奪ったのは不当である、という批判もあるだろう。

 実際に育鵬社版は「1910(明治43)年,政府は韓国併合に踏み切り」の本文で、「韓国併合」に関して、次のような則注を加えている。

__________
 日本は武力を背景に韓国内の反対をおさえて,併合を行った。韓国の国内には.民族の独立を失うことへの抵抗がおこりその後も独立回復の運動が根強く行われた。[2, p193]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 東書版では、さらに詳しく、こう述べている。

__________
 1907年には韓国の皇帝が退位させられて,軍隊も解散させられました。韓国の国内ではこうした動きに対する抵抗運動が広がり,日本によって解散させられた兵士たちは農民とともに立ち上がりました(義兵運動)。これは日本軍に鎮圧されましたが,日本の支配に対する抵抗はその後も続けられました。[1, p180]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これはこれで事実の記述ではあるが、きわめて一面的である。というのは、韓国内での巨大な合邦推進勢力があったこと、そして、併合が日韓両政府の合意によってなされたことが書かれていないからである。以下のその事実を見ておこう。


■6.対日協力をした100万人の一進会

 日露戦争初期に朝鮮北部を旅して『朝鮮の悲劇』を書いたカナダ人記者F・A・マッケンジーは「どこでも韓国の国民からは日本軍に対する友好的話題ばかりを聞かされた。労務者や農民達も友好的であった」と書き記している。

__________
 下層階級の人々は、日本が自国の地方官僚の圧政を正してくれるやうにと希望してゐたし、上流階級の人々の多くは、朝鮮の遠大な改革は外国の援助なしには遂行し難いと確信してをり、そのため日本に心を寄せてゐたと云はれる。[7, p123]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その「日本に心を寄せていた」人々の集まりが「一進会」で、当時会員数、百万、韓国最大の政党と言われた。日露戦争当初、朝鮮鉄道は釜山から京城(ソウル)までしかなく、日本陸軍は満州に武器弾薬を輸送するのに困窮していた。これを助けるべく、15万人もの一進会員が手弁当で鉄道敷設工事に参加した。また物資運搬を助けた会員も11万5千人もいたと伝えられている。[7, p124]

 1907年から日韓併合翌年の1911年までに日本軍と戦った「義兵」は14万人を超えると言われているが、その2倍ほどの人数が1904年から05年にかけての日露戦争時には、日本に協力しているのである。「義兵」を書くなら、こうした対日協力も書くべきではないか。


■7.「韓国併合二関する条約」は違法か?

 明治42(1909)年、一進会は「我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」との声明を発した。

 これを受ける形で、明治43(1910)年8月22日、「韓国併合二関する条約」に寺内正毅・韓国統監と李完用総理が調印し、29日には大韓帝国皇帝が勅諭を公布して成立させている。

 近年、この条約の違法性を国際社会に認めさせようと、韓国側の強いイニシャティブで「韓国併合再検討国際会議」が3回も開かれた。韓国側の主張は「武力で強制された」「条約に国王の署名がない」などを根拠にしたものだったが、いずれも英国の学者らから反論された。

「武力で強制されたから無効」などと言ったら、戦争後に勝者と敗者の結ぶ講和条約はすべて無効となる。「国王の署名がないから無効」と言ったら、国家元首が署名しない条約はすべて無効となってしまう。併合条約は当時の首相が全権大使として皇帝のかわりに署名しているのだから、戦後、日本が結んだサンフランシスコ講和条約と同じである。

「世界的に『韓国併合ニ関スル条約』は当時の国際法上合法であるとするのが多数派であり、違法論は現在では、大韓民国(韓国)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)以外の国では少数派である」とされている。[8]


■8.賛成論も反対論も、両面を記述すべき

 また、国際法の権威ジェームズ・クロフォード・ケンブリッジ大学教授[4]は、当時の国際慣行法からすると英米を始めとする列強に認められている以上、仮に手続きにどのように大きな瑕疵があろうとも「無効」ということはできない、と指摘している。[9]

 英米は「認める」どころか、韓国併合を日本に勧めたのである。日露戦争のポーツマス講和会議のあとで、ルーズベルト大統領は小村全権代表に、「将来の禍根を絶滅させるには保護化あるのみ。それが韓国の安寧と東洋平和のため最良の策なるべし」と言った。

 イギリスのランズダウン外務大臣も「英国は日本の対韓措置に異議なきのみならず、却って欣然その成就を希望する」とまで言い切った。

 英米の後押しは、韓国の変転極まりない事大主義が、日清戦争、日露戦争を誘発したからである。その意見が正しかったことは、日本統治が始まってから大東亜戦争敗戦まで、朝鮮半島は35年間の平和と繁栄の時代を迎えた事で証明されている。韓国経済の高度成長もその間の出来事であった。

 韓国併合という大きな政治的事件には、当然、賛成派も反対派もいた。マイナス面もプラス面もあった。歴史教科書としてはその両面を公正に記述すべきである。
(文責 伊勢雅臣)

1  |  2    次>    

記事テーマ一覧

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2018/01      >>
31 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 1 2 3

ブログランキング

フリースペース

ブログバナー

プロフィール

招き猫

靴修理店 店長ブログ!

鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

ホームページ

このブログの読者

読者になる
読者数:0人

お気に入りブログ

最近のトラックバック

参加コミュニティ一覧