誕生祝いは感謝祭

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今回は、小林正観さんの心に響く言葉より…「誕生祝いは感謝祭」です。


「誕生日おめでとう」と言われて、「別におめでたくもない」とか「またひとつ年をとっただけでうれしくない」とか、そのように思う方もいるかもしれません。

でも、誕生祝いの本当の意味を知ったら、感じ方が変わってくるのではないでしょうか。


誕生祝いのほんとうの意味とは、「あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」ということです。

「あなたがいてくれたおかげで、どれほど幸せで、楽しく、豊かな時間を過ごすことができたかわからない。この時代に共に生きていてくれて、ありがとう」ということです。

つまり、誕生祝いは“感謝祭”。


それを知ったら、いくら照れがあったとしても「別にうれしくない」とか「誕生日なんて祝ってもらわなくてもいい」などとは思わなくなるでしょう。

「あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」と言われて、うれしくない人などいないでしょうから。


誕生日にはもうひとつの側面があって、それは母親が命をかけて産んでくれたこと、そのことに対して感謝をする日でもあります。

誕生日は年に一度ですが、「生まれてくれて、ありがとう」と365日毎日言われたら、どんなに幸せでしょう。

「誕生祝」の何気ないひと言は、生き方について考えさせてくれる深い言葉なのかもしれません。


《あなたがこの世に生まれてくれてありがとう。》


『宇宙を解説 百言葉』イースト・プレス




人として、最も悲しいことは、自分の存在を無視されたときであり、存在を認めてくれなかったとき。

「おまえなんかいらないよ」「死んじまえ」「出ていけ」「二度と会いたくない」等々の存在を無視する言葉や、「目を合わせない」「挨拶しない」とか、「なぐる」「叩く」等の動作や行為。


反対に、自分の存在を認められた時ほどうれしいことはない。

その究極の言葉が、「 あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」。


「またひとつ年をとっただけでうれしくともなんともない」などと年配の人がシニカルに言うことがある。

皮肉っぽく、あざ笑うような態度をシニカルというが、これは不機嫌と同義語。

不機嫌は伝染(でんせん)する。


だれかに何かをもらったら、どんなものでも「ありがとう」とニコニコして受け取るのが真に成熟した大人。

「不機嫌は最大の罪」という言葉があるが、逆に、機嫌のいい人は、まわりを幸せにする。

誕生祝をしてくれたら、上機嫌で「ありがとう」とその感謝の気持ちを受け取る。


「いくつになっても誕生祝いはうれしい」という人には限りない魅力がある。




欧州と日本の封建制が近代国民国家を作った

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国際派日本人養成講座 ■■より、「 地球史探訪: 欧州と日本の封建制が近代国民国家を作った」です。

 


■1.「パリ日本人村の村長」

 仕事でパリに来ている。数週間単位で滞在するので、オフィスのある凱旋門から地下鉄で4、5駅離れたところに家具付きのアパートを借りてみた。近くには賑やかな商店街があって、カフェやパン屋、八百屋、肉屋などが並んでいる。

 驚いたのは日本食レストランの多いことだ。徒歩5分圏内だけで3軒もある。パソコンで検索してみたら、パリの約1万5千軒のレストランで、「和食」のカテゴリーに入っているのが763軒もあった。

 一度、昼食にルーブル美術館近くの日本食レストランに入ったら、フランス人の客だけで満員だった。そこでの一番人気は「越前のおろし蕎麦とソースカツ丼小どんぶりのセット」だという。蕎麦もソースカツ丼も本格的な味だった。

 戦前からパリに遊んだ日本の芸術家や文人は多いが、パリでこれほど多くの日本食レストランが繁盛し、しかも越前蕎麦まで食べられる時代が来るとは、誰が予想し得たろう。

 そのうちの1人、大正2(1913)年にパリに渡った島崎藤村は、河上肇らが彼を頼ってやってくると、下宿を探してやったりして世話を焼いた。やがて藤村は「パリ日本人村の村長」と呼ばれるようになり、彼らを歌劇や音楽会に連れ出しては、学生街のカルチェ・ラタンで文明論に花を咲かせたという。


■2.欧州諸国の持つ「強い組織的なもの」

 藤村は、上海・香港・シンガポール・コロンボ・スエズ運河を経由して約一ヶ月の船旅でマルセイユに着いたのだが、船中の読書に、幕末に洋行した幕臣、栗本鋤雲(じょうん)の『暁窓追録(ぎょうそうついろく)』を持参していた。栗本鋤雲も同じ航路で横浜からマルセイユに渡ったのだが、この間に興味深いことに気がついた。

 それは船が港に入るたびに、現地人の盗みを防ぐために、船の倉庫に鍵をし、船室を閉じ、出入りを厳重にした事である。ただ、横浜とマルセイユでだけは、船員が船を下りてしまい、戸が開けっぱなしになっていても気にも留めない。

 なぜ日本とヨーロッパでは盗みがなく、その間の各地の港では厳重に戸締まりをしなければならないのか。藤村はここから考えた内容を、帰国後、『エトランゼエ(異邦人)』との対話」と題したエッセイに書いている。

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 東洋の方で肝心な港々は大抵今では英吉利(イギリス)のものだね。(中略)最初の欧羅巴(ヨーロッパ)の航海者なんてものは必ずしも他の国を奪るつもりではなかったんだね。唯、奴らは強いものを一緒に持って行ったんだね。実際欧羅巴の方へ行って見ると、強い組織的なものがあるからねえ。
左様(そう)いう強いものが押込んで行くと、組織的でないような弱いものは否でも応でも敗けてしまう。だからケエプ・タウンでも、ダアバンでも、コロンボでも、新嘉堡(シンガポール)でも、結局強いものが支配するようになっちまう。そいつが僕らの国の方まで延びて来たんだね。[1, p126]
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 欧州諸国は何か「強い組織的なもの」を持っていた。そして、それを持っていなかったアジアの国々は次々と植民地にされた。それが日本に延びて来た時にどうなったのか。


■3.「阿爺(おやじ)の時代の人たちが頑張っていてくれた御陰だ」

 この点を藤村は「故国に帰りて」の中で次のように記している。

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 幸いにしてわが長崎は新嘉堡たることを免れたのだ。それを私は天佑の保全とのみ考えたくない。歴史的の運命の力にのみ帰したくない。その理由を辿って見ると種々なことがあろうけれども、私はその主なるものとしてわが国が封建制度の下にあったことを考えてみたい。実際わが国の今日あるは封建制度の賜物であるとも言いたい。[1, p131]
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 藤村にとって、封建制度とは抽象的な概念ではなかった。藤村の父は木曽馬込の大庄屋の家に生まれ、伊那谷に多い平田派国学の門徒となり、尊皇攘夷運動を経て地方の小神社の神職となった。維新後は、明治天皇に直訴したり、廃仏毀釈の中で郷里の寺院に放火しようとしたりして、ついには座敷牢に幽閉されて、窮死した。

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 遠い外国の旅に出て来て見ると、子供の時に別れた阿爺(おやじ)のことなぞがしきりと恋しくなる。僕らが今日あるのも、彼様(ああ)して阿爺の時代の人たちが頑張っていてくれた御陰だ、印度あたりのように外来の勢力に敗けてしまわなかった御陰だ、左様思うと僕はあの頑固な可長しい阿爺に感謝するような心持を有って来た。
多少なりとも僕らが近代の精神に触れ得るというのは、あの阿爺たちに強いものがあったからだ。[1, p134]
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 幕末には大名や武士ばかりでなく、地方の庄屋の息子ですら国家の行く末に危機感を抱き、奔走した。「強い組織的なもの」とは、藤村にとって父親の思い出につながる体験的なものだった。


■4.欧米に広まった日本観

 ヨーロッパと日本が並行して封建制を経験し、しかも、この二つの地域で近代化が先行した事から、封建制が近代化の基盤となっているのではないか、という考え方は、藤村以前からあった。

 今谷明・都留文科大学学長の『封建制の文明史観』[1]によると、日本社会の封建制を指摘した最初の西洋人は、文政6(1823)年、明治維新の45年前に来日して、ドイツ人ながらオランダ人と偽って長崎・出島のオランダ商館医となったシーボルトだという。

 多くの大名が半独立的に各藩を治めている徳川の幕藩体制が、同時代のドイツの諸侯が分立していた状況と良く似ている点を、シーボルトは見てとったのだろう。

 医師・植物学者であったシーボルトは、学問的にこの観察を深めはしなかったが、帰国後に出版した大著『日本』により欧州での日本学の祖と見なされるようになり、日本が封建制の国だという認識は、以後、多くの訪日外国人に受け入れられていった。

 学問的見地から日本が欧州に比較しうる封建制を備えていたという研究は、日本の経済学の草分けと言われる福田徳三によってなされた。福田は明治31(1898)年にドイツに留学し、ドイツ歴史学派の経済学者ルヨ・ブレンターノに師事した。

 ブレンターノは欧州経済史の講義で、後方の席で度の強い眼鏡をかけた福田が微笑しているのを見つけ、授業後、なぜ笑っているのかを問うと、福田は「先生が講義される欧州の経済史が、余りに私の祖国日本の歴史に似ておりますので、ははあ、成程、と納得し、会心の笑みを漏らしたのです」と答えた。

「そんなに日本の経済史が西欧に似ているというなら、君がいっそ、日本経済史を書いてみないか」とブレンターノに勧められ、その助力を得ながら、ドイツ語で日本経済史の本を書き上げた。この本は西欧の学者に広く読まれ、日本が西欧に類似した封建制を持った国であるとの日本観は、欧米人の間でも広まった。


■5.モンゴル軍がなぜ日本と西洋で勝てなかったのか

 なぜ封建制が「強い組織的なもの」を生むのか。封建制は欧州では騎士、日本では武士という「武人」が中心的な役割を果たすから軍事的に強いという説もあるだろうが、シナの各王朝も戦乱の中で軍事力でのし上がり、天下をとった。だから軍事力の存在だけでは説明できない。

 日本の武士と、シナの皇帝に事える武人とを考えて見れば、その違いがはっきりするだろう。たとえば、日本の武士は主君から所領を与えられ、そこを子孫のために命を懸けて守る「一所懸命」の精神を持つ。

 これがシナ皇帝に雇われている武人ならどうだろうか。別にその王朝が滅んでも、次の王朝に仕えれば、自分の身は安泰である。日本の武士とシナの武人の違いは、自分の事業にすべてをかける中小企業のオーナーと、大企業のサラリーマンの違いと考えれば、分かりやすいだろう。

 現実にモンゴルの大帝国はユーラシア大陸の中心部から東は日本、西はヨーロッパにまで攻め込んだ。しかし、日本では鎌倉武士団に敗れ、欧州ではドイツ騎士団に敗れた。

 元寇は神風に敗れたというのが一般の先入観だが、史実は異なる。鎌倉武士たちの抵抗によって、元軍は2ヶ月も上陸を阻止され、海上にさまよっている間に、台風に襲われたのである。台風が来なくとも、補給のない元軍は引き揚げるしかなかった。[a]

 西に向かったモンゴル軍はキエフ公国、ポーランド、ハンガリーを蹂躙し、ドイツの諸城に襲いかかった所で、第2代モンゴル帝国皇帝オゴタイの訃報に接して引き揚げたと言われるが、これも史実ではない。モンゴル軍がドイツ軍との戦いから引き揚げたのは、訃報を聞く数ヶ月も前であった。

 実際は、城壁都市に立てこもって頑強に抵抗するドイツ騎士団を打ち破れず、諦めて撤退したのである。これもドイツ騎士団の「一所懸命」に敗れたと言える。

 一所懸命の精神で、自分の愛する郷土と、ひいては祖国を命をかけて守ろうとする武人と、富のために戦う武人と、どちらが強いかは言うまでもないであろう。


■6.封建制が法治による近代国民国家の基盤を作った

 武人の所領が主君から与えられるということは、こうした強さ以外に、社会の発展を生み出した。それは所領を預かる代わりに、いざという時に生命を掛けて戦う、という相互の信頼に基づいた契約関係を発展させた。

 契約である以上、主君が勝手に家来の所領を取り上げる事は許されない。ここから「権利」という概念が生ずる。同時に、家来の方も戦になって命惜しさに逃げ出すなどという事は許されない。これが「義務」の概念を生み出す。この義務をいかに見事に果たすか、という所から、武士道や騎士道が生まれた。

「契約」、「権利」、「義務」などは近代社会を成立させている基本的な概念である。これらの概念を尊重する風潮が統治者にも国民の側にもなければ、近代社会は成り立たない。

 一方、皇帝による独裁国家では、皇帝は勝手に家来の財産を取り上げる事ができるし、臣下は危なくなったら、敵方に寝返ったりする。シナ大陸や朝鮮半島で現在でも契約や条約、さらには人権や義務を尊重する気風が薄いのは、封建社会を経験していないからであろう。

 さらに封建社会では、隣人との間で境界争いなどが生じた場合は、契約関係をもとに、どちらが正しいかを道理をもって議論することになる。ここから裁判制度が発達する。たとえば鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時が中心となって整理し、成文化した『関東御成敗式目』の末尾には、この法体系の基本理念としての「道理」を明白に掲げている。[b]

__________
 およそ評定の間、理非に於いては親疎あるべからず、好悪あるべからず。ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚(はばか)らず、権門を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり。

(裁判の場にあっては決して依怙贔屓(えこひいき)なく、専ら道理に基づいて、傍の目、上なる権力者の意嚮(いこう)を恐れることなく信ずる所を言え)
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 これは建前だけでなく、実際の裁判でも、一方が自分の主張のおかしい事に気がついて「これは当方の負けなり」と認めた態度を、泰時が涙ぐみながら褒めた事例も記録されている。物事の道理を「法」として書き表し、争い事も法と道理に照らして、どちらが正しいかを判断する。これが「法治国家」の基盤である。

 一方、皇帝による独裁社会では、臣下の争いはどちらが皇帝に好かれるか、という事で決まってしまう。そこに発達するのは皇帝へのおべっか争いと互いの足の引っ張り合いである。

 封建制は法治による自由な社会の基盤を作った。そして国民の自由な活動が、経済的発展を生み出した。こうして近代国民国家という「強い組織的なもの」が生まれた。封建制を経験した西欧と日本が近代国民国家として発展したのは、当然の現象なのである。


■7.内外からの浸食から、いかに国民国家を守るか

 島崎藤村が「強い組織的なもの」と感じとったのは、権利、義務、契約、法を尊重し、それによって国民どうしが互いに助け合う共同体として発展してきた近代国民国家の姿だったのだろう。

 しかし、この「強い組織的なもの」が、あたかも自然現象のように勝手に生まれたと考えるべきではない。それは何代にもわたる先人の努力の積み重ねによって発展してきたものである。たとえば、前節に紹介した北条泰時が「道理による政治」を追求した努力がその一例である。

 とすれば、先人の遺してくれた「強い組織的なもの」に対して、
藤村のように、「僕らが今日あるのも、彼様(ああ)して阿爺の時代の人たちが頑張っていてくれた御陰だ」と感謝の心をもって、思い起こすべきだろう。

 しかし、この「強い組織的なもの」は、現在の我々が努力して守っていかないと風化していってしまう。特に現在は、シナや北朝鮮、韓国など、封建制を経験せず、したがって条約も国際法も人権も理解しない前近代国家が外からの脅威を与えている。

 同時に、内からはこれまた法治や近代的自由の概念を持たない左翼勢力が、教育や報道、政治をねじ曲げて、国民国家を浸食しつつある。こうした内外からの浸食から、わが国の法治主義と自由民主主義を守って、我々も子孫から「阿爺の時代の人たちが頑張っていてくれた御陰だ」と言われるよう、頑張らねばならない。
(文責 伊勢雅臣)

ほめる達人には「驚き」がある

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今回は、精神科医、名越康文氏の心に響く言葉より…「ほめる達人には「驚き」がある」です。



「驚く力」は、仕事はもちろん、読書や映画鑑賞、あるいは子育てや家事、ご近所づきあいまで、僕らが生きる日常のあらゆる場面で応用することができます。

ただ僕は、その中でもとりわけ学校の先生や、会社で部下を率いている人、あるいは子育て中の親御さんといった、人を教育し、導く立場にある人に、この「驚く力」のことを知り、考え、活用してもらいたいと考えています。


例えばよく「ほめて伸ばす教育」ということが言われます。

でも、「ほめてあげる」という姿勢には、「ほめる人」の感動が感じられません。

上から目線でで、心が動かされて感じがありませんよね。


一方、本当に上手に人をほめる人というのは、必ず非情に豊かな「驚く力」を持っています。

というのも、ほめる人が驚いているかどうかは、子供や生徒など、教えられる立場の人に必ず伝わっているからです。

そして、ほめる側の心に「驚き」が伴ったときの「ほめ」には、そうでないときの何倍もの力が宿る。

つまり、「驚き」には、人を導く力があるんです。


子供や生徒が何かをできるようになったときに、「え!こんなことができるのか!」と素直に驚くということ。

子供や生徒の中に、自分たちが想像もしなかった何かの存在を認め、それを自分の中に取り入れて「すごい!こんな可能性もあったのか!」と驚くということ。

そういう「驚く力」にあふれた人の「ほめ」には、人を動かす力があります。


学ぶ人にも、学ぶ人を導く人にも、「驚く力」は欠かせない資質だと思います。

驚きのない学びに力がないのと同じように、驚きのない「ほめ」は、決して人を動かしません。

「驚く力」を大切にして、自分がまだ知らない何かを発見していることを楽しむということ。

その姿勢が学びを深め、情熱を育むのです。


『驚く力』夜間飛行




行徳哲男氏はこう語る。


『「武蔵野」を書いた国木田独歩の短編小説に 「牛肉と馬鈴薯」という作品がある。

その中で主人公が一番の願い事としていること、それは政治家になることでもない。

事業家になることでもなければ、哲学者になることでもない。

もしこの願いさえ叶えられるならば、 他は何もいらないと言っているもの。

それは、どんなことにでも「ハッ!」と 出来る人間になることである』


どんなことにも「ハッ!」と出来る人間は、感性豊かな人だ。

感性が鈍(にぶ)っていたら、驚くことも、 感動することも、 泣くこともできない。


「ほめる」ことが大事なのは言うまでもない。

しかし、心がこもってない「ほめ言葉」ほど空虚なものはない。

心をこめるには、「驚き」や「感動」が必要だ。


「驚き」とは、どんなことにでも「ハッ!」できること。

ほめる達人には「驚き」がある。


好きで始めた仕事は90パーセントうまくいかない!

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今回は、萩本欽一氏の心に響く言葉より…「好きで始めた仕事は90パーセントうまくいかない」です。


最近、「好きなことを仕事にしたい」とか、「好きなことが見つからない」という声をよく聞きます。

僕に言わせれば、好きなことは仕事にしないほうがいい。

先ほど、自分のやりたい仕事に就けなくても、いつかはたどり着けると言いましたが、本当は、たどり着けなくてもいいんじゃないかな。

僕は、好きで始めた仕事は90パーセントうまくいかないと思っています。


テレビ局を見ていると、まあよく人が辞めていきます。

テレビ局は今も人気の高い就職先らしく、みんな理想を追い求めて入ってくるから挫折しやすいのです。

子どものころから秀才で怒られたことのない人が、テレビ局に入社してADになった途端、「バカヤロー、何やってんだ!」と罵倒され、すぐ退社してしまう。

怒られたり非難されたりすることに免疫がないので、自分の全人格を否定されたように感じてしまうのかもしれません。


一方、特別好きでもない仕事に就いた人は、失敗して怒られても「もともと好きじゃないし、初めからできるわけないじゃん」と思える。

開き直りは、生き抜くためにすごく必要。

失敗も叱責も気にせず一つのことを続けていると、だんだんその仕事が好きになり、好きになると一気にうまくできるようになる。

なにごともそういう仕組みになっているみたいです。


物づくりの分野で名人と呼ばれる人に何人かお会いしましたが、僕が知る限り、好きでもない仕事に就いて名人になった人のほうが多い。

たとえばある陶芸家の名人で、商社マンに憧れ、実際に商社に勤めていた時期もある人がいました。

「たまたま故郷に帰ってきたとき、『この仕事は俺で終わりでいい。気にすることはないぞ』と背中越しに親父が言ったもんで、勢いで『継ぐよ!』と言ってしまって」と言っていました。


僕にしても、もともとコメディアンに憧れていたわけでもなく、なりたいとも思っていませんでした。

もとよりあがり症で、向いているとも思えませんでしたから。

だから師匠や先輩からから「才能ないね」と言われたときも「ええ、どうせ才能なんかないですよ」と心の中で呟(つぶや)きながら、ただ毎日練習していた。

でも、あるとき劇場のお掃除してくれていたおばちゃんから、「あんた、熱心だね。うまくなってきたよ」と言われて、「この仕事を続けていてよかった」と心底思いました。


この話を大学でもしていたら、4年生の一人が「そうか!」って、手を叩いてくれました。

好きな仕事は倍率が高く、なかなか就職が決まらずへこんでいたらしい。

「欽ちゃんのおかげで希望の就職先の幅が広がりました。ありがとう!」

そう言ってくれました。

大人の視点と大学生の視点はだいぶ違うから、身近に一人で考え込んでいるような若者がいたら、大人たちはいろいろな言葉で心を動かしてあげるといいと思います。


『ダメなときほど「言葉」を磨こう』集英社新書





「定年退職したら、夢だった喫茶店をやりたい」という人がたまにいる。

しかし、年をとって、趣味で始めたような仕事はたいていうまくいかない。


何かを好きになるとほとんどの人は、そのことに対して客観性を失ってしまう。

その一つだけを見て、他が見えなくなるからだ。

すべての物事には、裏もあれば表もある。

多角度から見ることができなければ、物事の本質は見えない。


頼まれごとも同じだ。

自分の得意でないこと、意に染まないことを頼まれたときでも、ニッコリ笑って「はい、喜んで」と引き受ける。

そういう頼まれごとを引き受け続けていると、自分では思ってもみなかった得意技ができたり、見る世界が変わってきたりする。


凡人は、続けることが一つの差別化要素になる。

鍵山秀三郎氏は、「誰にでもできる平凡なことを、 誰にもできないくらい徹底して続ける」という。

そうすると、自分の使命が見えてくる。


目端(めはし)が利(き)いたリ、頭がいい人は、なかなかバカになることができない。

バカになったり、ぼーっとしたりすることができる人には、鈍感力がある。

そして、高望みしないから、スタートラインを低く取ることができる。

マイナスから出発すれば、ちょっとでもプラスになれば喜びは倍増する。


あれこれ考えず、目の前の仕事に一所懸命になれる人は、そこに喜びを見いだすことができる。

どんな仕事でも、楽しく働ける人でありたい。




空気が読めない韓国人

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今回は、国際派日本人養成講座 ■■より、「 空気が読めない韓国人」です。

 多くの韓国人は空気が読めない(KY)という事が分かると、彼らの異様な行動の謎が解けてくる。



■1.「空気を読めない」大統領

 文在寅大統領はどうしてこんな子供じみた真似をするのだろう、と不思議に思った。ペンス米副大統領が北代表団と鉢合わせしないよう求めていたのに、9日の各国首脳を招いたレセプションで、北朝鮮代表と同じテーブルに座らせようとした。多少でも言葉を交わせば、米朝対話を実現した「手柄」になるとでも思ったのか。

 ペンス副大統領は安倍首相とともに、遅れて会場に入り、冒頭の集合写真で北代表と一緒に映ることを拒否した。それも文在寅大統領のスピーチが終わってから会場に入り、数人の各国首脳と立ち話をした後、5分ほどで立ち去った。北代表とは握手すらしなかった。米側の意向を踏みにじって強引に米朝対話の場を作ろうとした文在寅大統領の意向は完全に無視されたのである。

 こんなだまし討ちのような真似をされて怒らない人物はいない。それほど相手の気持ちを読めていないとは、日本人のみならず欧米人でもシナ人でも、あきれてしまうだろう。こういう人間をKY、「空気を読めない」人と言う。


■2.世界を怒らせた韓国のKYぶり

 KYぶりは文大統領の個人的な性格の問題ではなく、韓国全体としての傾向だろう。その極端な例が、平成14(2002)年の日韓共催のサッカーワールドカップだった。

 韓国に有利な疑惑の判定が相次ぎ、国際サッカー連盟のまとめたワールドカップ百年の歴史における「重大誤審疑惑」10例のうち、実に4件がこの日韓ワールドカップで起こった。それも韓国チームが16強戦(対イタリア)と8強戦(対スペイン)に勝ち抜いた山場の二試合に集中している。

 被害を受けたイタリア、スペインは言うまでもないが、それ以外の国でも次のような報道がなされた。

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・ イギリス デイリーテレグラフ紙: 茶番判定で汚れた韓国の奇跡
・ アルゼンチン ラ・ナシオン紙: W杯を中止に
・ オーストリア クリア紙: W杯に正義はなくなった
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 インターネットの世界も炎上した。たとえばアメリカのYahoo! 掲示板では次のような具合である。

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・ No more dirty tricks, Koreans! (13,106 発言)韓国人よ! 汚いトリックはもう沢山だ!
・ I hope Korea loses (2,047) 韓国、負けろ。
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 こんなあからさまな「誤審疑惑」を行って、国際社会がどれほど怒るか、それが自国の名誉にどれほどダメージを与えるのか、まったく考えてもいないようなのだ。

 観客の方もKYぶりでは負けてはいない。対ドイツ戦では「ヒトラーの息子たちは去れ」というプラカードを掲げ、中心選手の写真を黒枠で囲って遺影のように示したりと、国際社会を唖然とさせるような行動を平気でとった。


■3.東大博士課程留学生のKY

 韓国人のKYぶりは、大統領の晩餐会や、ワールドカップなどの特別な場合だけではなく、日常生活でも発揮されている。韓国から帰化した呉善花さんはこんな経験をした。日本で講演した時の事、質疑応答で韓国人の男性が真っ先に手を上げて、こう発言した。

__________
 皆さん、私は東京大学の博士課程でいま勉強しています。しかし呉さんは東京外大の修士課程でしょう。そんな人の話を信じられますか? なぜそんな人の話を聞いて盛り上がっているんですか、私には理解できません。

 私はソウルの出身で父は学校の校長をしていたし母も教師をしていました。私はそういう教育者の家庭で育ちましたが、呉さんは済州島の田舎の出身で、新宿の歌舞伎町でホステスたちを相手にする仕事〔日本語教師〕をしていました。そんな女の人なんですよ。
そんな女の人が、なぜ日本と韓国の国際関係という大事なことを論じるんですか。なぜみなさんはそれを信じて盛り上がっているんですか。
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 当然ながら、会場のあちこちから「失礼なことを言うな」「出ていけ!」といった言葉が浴びせられたのだが、その韓国人は「えっ? 失礼なのはあなた方じゃないですか」と、なぜ自分が失礼と言われなくてはならないのか、まるで納得いかないという顔をするばかりだった。[1, p99]

 文化摩擦といえばどこにでもあるが、ここで注目すべきは、この韓国人男性は東大の博士課程で学び、これだけ日本語が達者なら、日本社会に住んだ期間も長いはず、という点だ。それなのに、こんな言い方をしたら日本社会では非難を浴びせられる、ということが全く分かっていない。

 人並みに周囲の空気を読める人間なら、外国社会では、こんな言い方、振る舞い方をしたら相手の気分を害する、ということを学んでいくものだ。それが文化摩擦を減らしていく道なのだが、この韓国人男性は、まさに「空気を読む」態度がまったくないがために、日本人から見れば唖然とするような主張を平気でしているのである。


■4.「ウリジナル」もKYから

 多くの韓国人は空気を読まない、という事が分かると、彼らの異様な行動の謎が解けてくる。たとえば、なんでもかんでも韓国が起源だとする韓国起源説、別名「ウリジナル」説。Wikipediaでは次のように紹介している。

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韓国起源説の対象は、侍、日本刀、剣道、空手といった武術・武道関連、歌舞伎や折り紙といった伝統文化、寿司や沢庵といった日本料理、「わっしょい」等の様々な日本語の語源、東洲斎写楽や天皇などの著名人物、熊本城や日本庭園や勾玉といった有形文化財、ソメイヨシノや秋田犬のような動植物、
旭日旗のような日本の国旗に至るまで、分野や有形無形を問わず、日本の象徴とである様々なものに対して主張されている。[2]
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 これは反日思考の一種と捉えることも出来そうだが、相手は日本だけではない。対象はシナにも及び、シナ浙江省の新聞「新快報」は連載記事「文化をめぐる中韓の戦い」で、次のように伝えているそうだ。

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「近年、韓国では『中国文化が実は韓国起源だ』との主張が相次いで発表されている。儒教の始祖である孔子や古代の美女・西施、中国医学の名著『本草綱目』の著者・李自珍はみな朝鮮人で、そればかりか漢方・風水などの中国文化も半島起源だという。
これらの韓国起源説はたんなる主張で終わらず、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)に世界遺産として登録しようとする動きも見せていると中国では警戒されている。実際、韓国の『江陵端午祭」が世界無形文化遺産に登録されたことは中国に大きな衝撃を与えた。[1, p55]
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 あるものを自国が起源だと主張する「お国自慢」はどの国にもあるが、韓国のように、相手国を怒らせてまで根拠不明の自国起源説をなんでもかんでも、しかも堂々と主張する国は他にない。これも、韓国人の周囲の空気を読もうとしないKYの現れだと考えれば、納得がいく。


■5.グローバルに摩擦を起こしている韓国人のKY

 グローバル化の時代となり、外国人が韓国にやってきたり、韓国人が国外に出るようになって、必然的にそのKYぶりが国際的な摩擦を引き起こすようになった。呉善花さんの著書[1]では多くの事例が挙げられているが、そのごく一部を紹介しよう。

 台湾の少年野球チームが2006年8月に韓国から招待されて、韓国の少年野球大会に参加した。そのチームがベスト8まで進出した所、突然、韓国側から「試合禁止」を言い渡された。理由として「優勝旗は国内(韓国)のためにあるから」と台湾チームの監督は告げられたという。

 メキシコシティの韓国人移民のコミュニティについて、メキシコの有力日刊紙「レフォルマ」が2001年に全面特集記事を組んだ。その中には次のような一節があった。

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「韓国人が主に住んでいるメキシコシティのフアレス区域は、五十年ほど前までは様々な国からの移民が仲良く共存する地域だったが、韓国人が移住してから、隣人同士の情が薄れた代わり、不満がいっぱいの状態だ。現地の法を破った韓国人が、メキシコ人と多くのいざこざを起こしている[1, p211」
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 1992年のロサンゼルス暴動も、白人だけでなく、韓国系移民の黒人差別行為が一因となっていた。焼き討ちの被害額の半分は韓国系商店だったと言われる。暴動後のアメリカ黒人学生のアンケートでは「最も距離を置きたい民族」に韓国人が選ばれた。

 さらに、アルゼンチンで追放したい民族第一位に韓国人が選ばれた(2002年)。フィリピン当局が韓国人による人身売買事件の多発から、自国女性に「韓国人警戒令」を出した(2005年)。ネパールのシェルパ組合が、韓国人はささいなことですぐ殴るからと「韓国人登山客の道案内はしない」と公式表明した、等々。

 航空機内や空港で、ちょっとした事から集団で騒動を起こす韓国人たちの問題には、韓国の外交通商部も手を焼き、2006年4月から、「海外で醜態をさらして摘発された『醜い韓国人(Ugly Korean)』に一定期間のパスポートの発給を禁止」する「醜い韓国人総合対策」をとった。

 外国人が、文化の違いから知らずに現地社会に対して失礼な振る舞いをしてしまうのはグローバル時代にはよくある事だが、本人が現地に気を使っている限りは、多くの国々は寛容である。しかし、その外国人が現地の文化もマナーも一切無視して、KYで振る舞ったら、現地の人々も我慢できなくなる。

 多くの韓国人のKYぶりはこういう意味で世界でも突出しており、各国で摩擦を引き起こしているのである。


■6.「韓国伝統の集団利己主義」を生んだ「党争」

 民族性は歴史を通じて形成されていく。したがって、韓国人のKYの原因は、その歴史の中に見つかるはずだ。呉善花さんは著書で、「韓国伝統の集団利己主義」を指摘している。これは「身内=自分の属する血縁一族とその血統」は絶対的な善であり、その繁栄を侵す者は絶対的な悪と見なす考え方である。[1, p21]

 韓国の少年野球で台湾チームを呼んだのは、自国の大会に国際色を添えたいというだけなのに、優勝まで狙おうというのは「身内」の利益を侵す。ワールドカップは「身内」の晴れ舞台なのだから、多少の「重大誤審疑惑」くらいよそ者は目をつぶるべきだ、等々。

 自分たちの「身内」だけの利益しか考えないから、よそ者は敵か、利用すべきその他大勢でしかない。だから「身内」以外の空気なぞ読む必要はないのである。

 この「集団利己主義」を呉善花は「韓国伝統の」と形容する。その理由は、こう説明されている。

__________
 その歴史的な典型を李氏朝鮮王朝の高級官僚たちにみることができる。彼らは、有力な血縁一族(氏族)を中心に徒党を組んで政権争いにしのぎをけずり合った。ある党派が政権を握ると、他の党派はそれに協力して政治を行なうのではなく、次の政権奪取を狙ってさまざまな手を打つことに終始した。[1, p22]
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 党争の典型例が、1659年、第17代の孝宗が死去した時、その継母の慈懿(じい)大妃の服喪期間をどうするか、に関して起きた論争だ。1年を主張する西人党と、3年を正しいとする南人党が十数年も論争した。

 最終的には国王の鶴の一声で西人党の勝利に終わったが、負けた南人党を待っていたのは、「邪説」を述べた敗者として賜死(自殺を命ずる刑罰)、杖死(杖で殴り殺す刑罰)、流刑、蟄居、罷免などであった。

 こうした党争の歴史を分析した韓国の学者の論文では、223件もの党争のうち、政策に関するものはわずか3件であり、他の大部分は、職務上の過失・腐敗・怠慢、人品上の欠陥、儀礼上の過ちにより、政敵を攻撃してその職を奪おう、というものだったという。[3,p136]


■7.空気を読み過ぎる日本人の苦難

 韓国がまさに「党争」の如くにわが国を攻撃している「従軍慰安婦」問題では、その原作者はシナであると言われている[4]。米国内に慰安婦像を建ててアメリカや韓国の反日意識を盛り上げれば、最も利益を得るのはシナだからだ。

 しかし、そのシナリオを演ずる韓国は、現地での摩擦や日本での反感などを全く気にしない、実にぴったりの役者なのである。

 空気を読めない韓国人と違って、シナ人は空気を読むだけでなく、自分の有利なように空気を変えてしまう天才である。これまた数千年も大陸での異民族間で権謀術数の戦いを繰り広げてきた歴史が作りだしたシナ人の特性である。

 これに比べれば、『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』[a]で説いたように、皇室という利他心の源泉を国家の中枢に抱いて、2千年の間のほとんどの期間を「集団的利他心」で平和と安寧のうちに過ごしてきた日本人は、逆に空気を読みすぎるきらいがある。

 空気を読み過ぎる我々日本人にとっては、空気をまったく読めない韓国人と、空気を自在に変えてしまうシナ人を隣人に持つとは、なんとも難しい宿命ではある。
(文責 伊勢雅臣)

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