1  |  2    次>    

好事も無きにしかず

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…「好事も無きにしかず」です。


禅の書に、「好事(こうじ)も無きにしかず」とか「無事是貴人(ぶじこれきにん)」などと書かれているのをよく見ることがあります。

一体、なぜよいこともない方がよいのでしょうか。

これは、「楽中苦あり、苦中楽あり」という因縁の法則にも関係しています。


若い時には不運に遭っても、それは借金を払ったのだ、これからうまくいくのだと思い、努力することも尊いと思えます。

また、成功が不運に通ずるということを身をもって体験することもよいでしょう。

しかし、晩年何かよいことが起こるということは、不幸が待ち構えているということです。

ない方がよいのです。

その方が心豊かに生きられるのです。


修養書を多く書かれ、今でも書店にその著作が多く並んでいて、その影響を受けた人が社会の上層部にたくさんいるという方がおられました。

この方も晩年は精神が錯乱し、最終的には座敷牢のようなところで亡くなられたのです。

これを知った方々は「どのような人が偉いというのかわからなくなった」と嘆いていました。


別の禅の大家は、激しい修行を指導することで有名でした。

ご自身も剣の道を究めようとされ、その指導もされました。

ところが、そのような方でも晩年の十年くらいは脳卒中のために四肢麻痺で、口もきけない日々を過ごすことになったのです。

剣で鍛えた体はなかなか衰えず、かえって長く苦しむ結果になったのです。


たしかに、このような方々の本を読むことでやる気が湧き、修行に進むことを決意した方も多くいると思います。

そのような点では徳を積んでいるのでしょう。

しかし、この事例はそのような仕事上、あるいは本人の修業上のことで徳を積むだけでは充分でないことを示しています。

このような方々も、身を慎み、大言せず、他人の批判をしないなどという日々の努力が必要なのです。


『困ったことは起こらない』きこ書房




「好事も無きにしかず」とは、良き事や目出たいことを否定するわけでなない。

良き事や目出たいことに執着するな、ということ。

たとえば、宝くじで大金を当てた人のほとんどが不幸になっているという事実がある。

周りからの嫉妬を受けたり、浪費癖がついてしまったり、身を持ち崩してしまったり…。

だから、安易な好事は無いほうがいい。


本を書いたり、講師になったり、人を指導する立場になったりすると、どうしてもそこに慢心が生まれやすい。

偉そうになってしまう。

順調なときほど、落とし穴があり、ひっかけ問題もある。

すなわち、「好事魔多し」。


好事の時にあっては、 幸田露伴 の言う、「惜福、分福、植福」の三福が有効だ。

惜福とは、福を使い尽くさないこと、惜しむこと。大事に使うこと。

分福とは、まわりのみんなに福を分けること。

植福とは、福の種をまき、その木を植え、子孫(後世)にその果実を残すこと。


いくつになっても身を慎み、徳積みをする人でありたい。



返報性の法則

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、西田文郎氏の心に響く言葉より…「返報性の法則」です。



ちょっと調子がよくなるとほとんどの人が、自分は優秀だと誤解しはじめます。

これは他人事ではありません。

しかし、「自分はデキる」と思っている人間に、本当にデキる人はいないし、「自分は優秀だ」と考えている人間に、本当に優秀な人がいたためしはありません。

自己満足は、未来へ進む力を奪います。

スポーツメンタルの指導経験から、はっきり断言できますが、本当にデキる人間、本当に優秀な人間は、間違いなく「自分はまだまだである」と思っています。

謙虚だからではではありません。

いつも未来の目標に向いていて、それと現在の自分を比べているので、「まだまだ」としか思えないのです。


志の低い人間ほど、すぐ図に乗ります。

志が低いから、すぐ舞いあがる。

大成功者から見れば、成功どころか失敗でしかないレベルなのに、なぜかいい気になり、思いあがり、「自分はデキる人間だ」「優秀だ」などとカン違いしはじめるのです。


残念ながら、今の日本はそんな人間ばかりです。

調子に乗り、勢いづいている人のところへは、人が寄ってきます。

勢いよく流れる川が、まわりの水を集め、しだいに大河になるのと同じです。

人は勢いのあるものが大好きで、未来に向かって勢いよく流れているものに魅力を感じ、本能的にそこに集まります。

人は未来のイメージが欲しいのです。


人が集まるということは、チャンスや才能が集まるということであり、イヤでもツキや運が寄ってくるということです。

1人では、絶対に勢いには乗れません。

調子にのって勢いづくには、未来のイメージを分かち合い、支えてくれる仲間が必要です。


一方、図に乗るには1人でも十分です。

というより、1人でなければ、図には乗れません。

そのうえ図に乗っていると、まわりの反感を買い、嫌われ、だんだんひとりぼっちになっていきます。

孤独ほど人の運勢を悪くするものはありません。

このことをぜひ覚えておいてほしいのですが、「孤独なのにツイている」「ひとりぼっちなのに運がある」、そういう人を私は1人も知りません。


『10人の法則』現代書林




西田氏は本書の中でこう語ります。


『世の中をナメていいる人間は、いつか必ず大失敗します。

ナメてかかると、いずれ相手に復讐されるというのが、この世の法則だからです。

これを「返報性の法則」といいます。

他人を疎んじていると、必ず他人に疎んじられ、お金を軽んじていると、必ずお金に軽んじられ、健康を無視していると、必ず健康にも無視される。

逆に他人を大切にする人は、人間関係に恵まれ、お金を大切にする人は、お金に恵まれ、健康を大切にする人は、健康に恵まれるようになる。

雑巾だって大切に使えば、長持ちしてくれます。

この返報性の法則をしっかり理解し、大切なものを大切にしてさえいれば、どんなに不幸になりたいと思っても、そうそう簡単に不幸にしてくれません』


人は、未来感を持つ会社や人に魅(ひ)かれる。

未来感という未来のイメージだ。

反対に過去のことばかり言っている会社や人には、人は寄りつかない。


未来へのイメージを持つからこそ、そこに希望があり、夢がある。

未来を大切にする人は、未来から大切にされる。

過去を大切にする人は、過去に生きることになる。

過去に生きる人は、愚痴や、泣き言や、不平不満やグチが多い。


いくつになっても、未来に好奇心を持ち、未来を大切にする人でありたい。

人を笑わせること

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、斎藤一人さんの心に響く言葉より…「人を笑わせること」です。



最近、セクハラの問題が外国なんかでずいぶんあります。

あのね、セクハラって、あんたが嫌いってことなの。

だって好きな人だったら、誘われたら嬉しくてしょうがないでしょ?

だから、好かれる人間になることだよね。


神様ってね、ユーモアが大好きなんです。

で、おもしろいことに、人は笑うと、一瞬にして心が開きます。

だから私はいつも、いろんな話を「これをどう表現したら、笑える話になるだろうか」って考えてるんです。


でね、まずは自分が笑える話にするわけです。

自分が笑おうと思うとね、ものすごくおもしろくしないと笑えないんだよね。

ところが、人を笑わせようと思うと、自分を笑わせたときの半分とか3分の1くらいのおもしろさでも笑ってくれるの。

もっと言うとね、相手の人数が多くなればなるほど、わずかなおもしろさでウケるんだよ。

1000人集まれば、ちょっとした冗談でもワッと笑うよ。


いちばん笑わせるのが大変なのは自分なんです。

だから、いつも自分を笑わせてるとね、人に会ったとき、相手を笑わせるくらいの冗談を言うのはワケないんです。

で、私は何かおもしろい話があると、この話をどうやって表現したらもっと笑えるだろうかって考えるんです。

だから、私はいつも、とても人には言えないようなおもしろいことを考えては、1人でクスクス笑ってるの。

そうすると、周りから、「今、何考えてるんですか?」って聞かれるんだけど、言えないって(笑)。


幸せって、楽しいのと同じです。

例えば、俺は野球の選手になるんだって決めて、野球選手になって大喝采されているところや豪邸に住んでいるところを想像すると、それだけで楽しくなるものなんです。

練習してようが、トレーニングしてようが、野球に関することなら何をしてても楽しいはずなの。

だから、本物の野球選手になるまでのトレーニングなんかは楽しくないっていうのは、本物じゃないんだよね。

本物っていうのは、想像しただけで楽しくなるものを言うんです。

ところが、世の中には楽しんじゃいけないと思っている人が一定数いる。

そんなこと思う必要はないんだよ。

あのね、一人さんって、とにかくおもしろくなきゃいけないと思ってるんです。

で、そう思ってるから、私の人生はおもしろいわけです。

四六時中、おもしろいこと考えてるんだから、毎日おもしろくてたまらいんだよね。

もし、1日に3人を笑わせることができたら、あなたの人生は大正解だと思います。

同じ人ばっかり、毎日笑わせてもいい。

やってごらん。


『斎藤一人 俺の人生』マキノ出版




斎藤一人さんは、本書の中で「おもしろい話」についてこう語っている。

『おもしろいことってね、おもしろくないことから生み出されるものなんです。

私の場合だったら、納税日本一になったとき、周りの知り合いから判で押したように、「斎藤さん、儲かって笑いが止まらなでしょう」とかって言われたんです。

そういうときには、すかさずこう返しました。

「笑いが止まらない段階はもう過ぎちゃった。今は、あんまり儲かるものだから、夜になると笑いすぎて涙が止まらないんですよ」

そうすると、だんだん何も言われなくなってくる(笑)。

そんなことないよって否定したり怒ったりするから、あれこれ言われるんだよね。

こんなのもあったよ。

ちょっと太るとね、「斎藤さん、金太りですか」って。

幸せになることで太ることを幸せ太りって言うよね。

それと同じように、私にお金が入ったから太ったと言いたいんでしょう。

それにたいする答えは、こうです。

「いや、金太りじゃないんだよ。金むくみで、今はもうむくんじゃって」

私のは、金むくみだって返すんです(笑)。

こんなふうにね、笑えるような答えがいちばんだよ。

相手も笑えて、こっちも笑える。

それができると、変なことを言ってくる人はいなくなります。

だから私がいつも考えるのは、こっちも笑えて相手も笑える答えは何だろうっていうこと。

要するに、相手よりちょっと楽しい知恵が勝っていればいいんだよね。』



いつも、人の心を冷やす名人がいる。

愛のない言葉を発して、一瞬にして、相手の心を傷つけたり、嫌な気持ちにさせる。

しかし、大事なのは、その挑発に乗らないこと。

自分はいつも愛ある言葉を発し、相手を明るくして元気にさせると心を決めるのはもちろんのこと、相手の言葉に乗せられて、不機嫌になってしまっては元も子もない。


この世に生を受けた我々にとっての一世一代の大事な修業は、どんなことがあっても、愚痴や、悪口や、不平不満、文句、泣き言を言わないこと。

そして、言わないだけでなく、いつも愛ある言葉を発し、相手を笑わせることができたら、周りも自分も幸せになれる。


いつもおもしろいことを考えて…

どんなときも、人を笑わせることができたら最高だ。



パラドックス

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、かめおかゆみこ さんの★今日のフォーカスチェンジ♪ より、
「パラドックス」です。




私はこのメルマガで、しばしば、

「ふっとおりてきた」

というような表現を使います。

(「おりてきた系」とも呼ばれて、
 ひそかに好評だったりします)(笑)


それは、たしかに、突然ひらめいたり、

どかん!と上からやってきた
としか想えないこともあるのですが、

言いかたを変えれば、

宇宙のそのへん(どのへん?)(笑)
に浮遊していたものを、

私が勝手につかまえた、
という見かたもできるわけです。


そんなことばのなかには、

「人生は、思いこみとかんちがいと
 誤解と錯覚でできている」

とか、

「どんなに愛していても、そのひと
 のうんこをすることはできない」

とか、

「満たされているひとは、
 けっしてひとを攻撃しない」

とか、いろいろあるわけですが。


それらは、結局、山ほどの
生きづらさをかかえていた私が、

この地球での人生を生きるために
見いだした、「フォーカス」(視点)
だったとも言えるわけです。


世界は、ひとの数だけ存在します。

言い換えれば、

世界を見るひとの数だけ、世界の
見えかたはちがう、ということです。


そして、多くのひとが、自分の
見えていることだけが正しいと想い、

そうではないひとを、
糾弾したり、否定したりします。

その見かたこそが、あらそいを
つくりだしているとも気づかずに。


同じように、自分を否定するひとも、

自分が獲得した方法で、
自分を否定します。


どのような方法で獲得したかは、
そのひとによります。

自主的に獲得した場合もあるし、

気づかずに、うっかり受け入れて
しまったものも、多々ありますが、

結果的に、いま、自分が使っている
ということに変わりはありません。

そのことをみとめなければ、
スタートラインには立てません。


あ。こう書いている私の見かたも、

あくまでも私の見かたにすぎません
からね。あしからず。(笑)


というわけで、ちまたで言われる、

「すべて自分で選んできたのだから、
 自分の責任」

というのも、そうした
ひとつの見かたにすぎません。


そのことで、楽になれるひとは、
それを選択すればいいし、

それが苦しいひとは、そうではない
考えを選択していいのです。


ただし、どんな考えも、

自分が受け入れないかぎりは、
自分のものにすることはできません。

うっかり…とか、
気づかないうちに…というのも、
ふくめてです。(ここ、ポイント♪)


まあ、雑踏を歩いて、風邪をひろう
みたいな感じですね。(爆)

運が悪かったとも言えますし、

マスクをするなど予防をしなかった
自分の責任とも言えますし、

うがいと手洗いをおこたった結果
ということもできます。

また、「風邪はからだのおそうじ」
という考えかたを採用するならば、

風邪引いてラッキー!という
見かたさえ、存在するのです。


その意味で、目の前の状況や環境は
選択できないかもしれませんが、

いま、何を想うかは、
すべて、自分の責任なのです。


そして、その想いが、次なる状況や
環境を引き寄せていくとすれば、

やっぱり自分の責任なのです。


自分の責任であるということは、

すべて、自分が選択できるのです。

選択できなかったと想うことさえも、
自分が選択したから想えるのです。

(ここ、伝わりますか?)


ちなみに、「責任」ということばを、

「おしつけられた」
と選択することもできますし、

「自分が選べる権利」
と選択することもできます。

それによって、生きかたは、
180度、変わるかもしれませんね♪


今日のメッセージは、パラドックス
みたいなところがあるので、

ちょっとわかりにくいかもしれません。

でも、よかったら、
何度か読み返してみてください。

もちろん、採用する・しないは、
あなたの選択でOKですから。


私は、いつものように祈ります。

坂元さんがしあわせでありますように。

坂元さんが、坂元さんにとって、
しあわせな選択ができますように。

和食が救う高齢化社会

テーマ:ブログ
リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、国際派日本人養成講座 ■■より、「和食が救う高齢化社会」です。



 和食がもたらす、自然と調和した食べ方、生き方が、高齢化社会を救う。


■1.和食を堪能するフランス人

 先日、所用あってパリに数週間滞在したが、この地での日本食の人気は凄まじい。ある観光サイトで見ると、パリにある約1万5千軒のレストランのうち、「和食」のカテゴリーに入っているのが760軒ほど。パリのレストランの20軒に1軒は和食だと考えると、その人気ぶりが窺える。

 世界のどこでも日本食は大人気だが、パリでの特徴は、一定レベル以上の店では、中国人や韓国人のやっている「エセ日本食レストラン」などはなく、日本人のシェフたちが腕を振るって、本物の日本料理を出しているという点である。そしてどうもフランス人客には、その味が分かるようなのだ。

 ある店で、小さな高野豆腐が出てきて、これは西洋人には受けないだろうと思っていたら、一緒に食事をしていたフランス人が感に堪えないような表情をして、「うむ、これはおいしい」などと唸る。そんな玄人好みの日本料理を、周囲のフランス人客たちも味わっている。

 食文化は民族毎に違うと言われるが、フランス人が本物の日本料理を味わっている様子を見ると、本当においしい料理は、人種や民族の別なく、味覚の発達した人ならおいしいと感じるのではないか、と思うようになった。味覚の発達した民族と、未発達の民族がいるだけだ、と言ったら、ヘイト・スピーチだろうか。

 ちなみに、食べ物がまずいと「定評」のあるロンドンにも行ったが、二十年ぶりに再訪したという同行の日本人が、「料理が格段においしくなった」と驚いていた。昔はまずくてとても食べられなかったのが、今は普通にまずい程度でなんとか食べられる、というのである。イギリス人の味覚も発達中というところか。


■2.日本料理は「神事」

 拙著『世界が称賛する 日本人の知らない日本』[a]の「なぜ日本食は世界で人気があるのか」の章では、人気の秘密をこう解いた。

 まず日本では、料理とは、穀物、野菜、魚や肉など、「いのち」ある素材を人間がいただくという「神事」である。我々が食事の前に「いただきます」というのは、食材の「いのち」を「いただいて」、自分の「いのち」に同化する事を感謝しているのである。

「料理は神事」、そんな意識がどこかにあるからこそ、料理人たちは材料のいのちを最大限に引き出して、少しでもおいしいものを作りたいと、長年、さらには世代を重ねて、腕を磨く。そんな精進で積み重ねられてきた日本料理が、手っ取り早い金儲けとしてレストランをやるような連中に負けるわけがないのである。

「いただきます」という言葉には、日本人の生命観が籠もっている。自然食・自然療法の大家として、もう70年近くも活動を続けられている東城百合子(とうじょう・ゆりこ、92歳)さんの最新刊『健康になる食べ方 幸せになる生き方』[1]には、そのような日本人の伝統的な生命観が如実に表れていた。今回は、そのごく一部を紹介させていただこう。


■3.「生かしていただいている」

「自然食」というと、欧米から入ってきた、食品添加物の使われていないもの、というふうに捉えられがちだが、東城さんの言う「自然食」とは、もっと深い意味が込められている。

__________
 四季折々、大地からは穀物、野菜、果物を、海からはお魚、海藻を季節ごとに恵んでもらっています。太陽を照らし、雨を降らせ、大地を養う。だからご飯を捨てたらお天道さまに申し訳ないと、感情でなく愛情で子どもを叱れたのです。私たちは勝手に生きているのではありません。生かしていただいているのです。[1, p168]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 自然は、植物や魚や動物など「いのち」に満ち満ちている。我々はその「いのち」をいただいて、「生かしていただいている」。これが日本人の「自然観」であり、それに根ざしているのが東城さんの「自然食」だろう。

 たとえば、ふきのとう。2月の寒さにひるむことなく、土の中から、ぽっこりと小さな芽を出す。

__________
 昔の人はこのふきのとうの底力を大切にしました。二月初旬の春一番早く出るこのふきのとうを、つぼみのうちにつみとって食べると、その年、一年は大病をしないといって大事に食べました。
ふきのとうは肝臓の薬ですがそれだけでなく、冬ごもりで体内に残った毒素をはき出し、太陽の少ない季節に足りなくなった栄養分を補ってくれるのです。寒い季節を強く生きるために細胞に活力をつけて、血液の循環も助けてくれて身体も温めてくれます。[1, p24]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この後には「寒い時には寒さに耐えられるようにこんなよいものを自然は与えてくれます」と続くが、これが「生かしていただいている」ということであろう。


■4.野草の無償の愛

 自然に「生かしていただいている」というのは、東城さんの実体験から来ている。東城さんは若かりし頃、栄養学の勉強中に肺結核で死にかけた。戦前の結核は、打つ手のない「死病」であって、「栄養をとれ、肉や卵を食べろ」というのが、唯一の療法だった。

 ところが、ある医者から「どっさり栄養をとるというのは、血液を酸性にして、結核菌が喜んで繁殖するだけだ。動物性の血をよごす食物はやめて、アルカリ性の玄米と、野菜と小魚、海藻少々それにごまが何よりの薬だ。それが生命力をつくる」と言われた。

__________
 私はハッとしてスグ実行しました。そして玄米と野菜(ことにたんぽぽ、よもぎなどの野草を多く食べた)と海藻、小魚のごく少々の食物で健康になり、さんざん化学療法をしてもどうにもならず、死にかけた私が、まるでウソみたいによくなったのです。その間一年半の月日を要しましたが……。[1, p16]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 特に野草に関しては、次のように思い出す。

__________
 ふきのとう、よもぎ、なずな、のびる、おおばこ、はこべ、ゆきのした、すぎな等は、どれもこれも幼い日から、そして肺結核で苦しんだ時、病気で死にかけた艱難の時を支えてくれた素晴らしい野草たちです。
野草は何も言わず、あるがままに自然のお悟(さと)しのままに生え、「必要ならどうぞ」と無償の愛を私にくれました。私はこの野草のように生きたいと思います。[1, p155]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 野草が自然の中で生かされ、無償の愛を提供しているように、人間も自然の中で生かされ、無償の愛を提供すべきなのだろう。


■5.「自分の体に聞いてください」

 春一番に芽を出すふきのとうが、冬の間に体内にたまった毒素を排出し、足りなくなった栄養分を補ってくれるのは、大自然の不思議としか言いようがないが、もう一つ不思議なのは、我々の先祖はどうして、こういう事が分かったのだろう、という疑問である。

 冬の間、食べ物が少なくなって、ようやく春一番に芽を出したふきのとうを見つけたら、食べてみようと思うのは、当然だろう。しかし、それが自分の身体にどのような影響を及ぼすか、我が先人たちは鋭敏な感覚で、体験的にそれを知ったに違いない。

 そうした体験が何世代も積み重ねられ、「冬ごもりで体内に残った毒素をはき出し、太陽の少ない季節に足りなくなった栄養分を補ってくれる」という知恵が生まれてきたのだろう。

 こうした自分の身体に関する鋭敏な感覚、観察眼を、現代の我々は忘れてしまっている。東城さんは「腹八分目に医者いらず」という古人の諺を説いているが、ある癌患者から「腹八分目ってどの辺でしょう」と聞かれた。医者から余命3カ月と診断された患者である。

「自分の体でしょう? 他人の体のことはわかりませんよ。自分の体に聞いてください」と、東城さんは答えた。その後、しばらくしたら、その患者は「がんは消えました。おかげさまです」と感謝したという。

 東城さんが発行している雑誌『あなたと健康』で、「げんのしょうこ、どくだみ、決明子(けつめいし)を煎(せん)じて飲んだら体調がよくなった」という記事を読み、それを鵜呑(うのみ)にして、濃く煎じて飲んだら胃が痛くなった、吐き気、食欲不振など体調不振が続いた、という人がいた。それに対して、東城さんはこう説く。

__________
 それぞれ体質は違うし、病気の状態もさまざまです。自分の体に合わせた飲み方をしなければなりません。・・・慌てずじっくり体と相談し、体と話し合って生きることを考えましょう。[1, p119]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.「今の日本人は、食を選ぶ力がなくなってしまった」

 現代の栄養学では、成人男性の必要な合計カロリー数は2,600kcalくらいとされている。しかし、成人男性と言っても体格はそれぞれ異なり、また20代の青年と80代の老年、オフィス・ワーカーと肉体労働者とでも違うだろう。さらに同じ人物でも元気で仕事に励んでいる時と、風邪気味で寝込んでいる時とでは、必要なカロリー数も異なるはずだ。

 体調だけではない。悩みがあったり、腹を立ててイライラしているときは、胃液も唾液も出ないので食欲を失う。そんな時に、無理に食べても栄養は吸収されない。「カロリー計算というのは、この個人差や心の姿を度外視してしまいます」と、東城さんは指摘する。

 現代の栄養学を否定しているのではない。この本のあちこちに栄養学の知識は生かされている。しかし、必要カロリーが個人差や心の姿を度外視しているように、まだまだ未熟な発展段階であって、そこを補うために、われわれは自分の身体と「話し合いながら」、生きていくことが必要なのである。

「今の日本人は、何が正しいのか、食を選ぶ力がなくなってしまったようです」と、東城さんは指摘する。ポテトチップばかり食べて太ったり、痩せようとバナナ・ダイエットに飛びついたり。自分の体の声を聞かない、という点で、この両者の姿勢は同じである。

__________
 よく噛んで食べると、分量はこれで大丈夫、と体が教えてくれます。自分の好みであれこれ食べていては、体は「これで充分」というサインを教えてくれません。カンが働かないし感覚も鈍くなります。
 努力、工夫、判断、決断、感性も、この食べ方、噛み方、手足を使って働く日々の生活の積み上げで育ちます。何もしないで頭で考えてばかりでは、この感性は育ちません。[1, p63]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■7.梅干しが伝える自然のエネルギー

「食を選ぶ力」を見失った現代の日本人から見れば、先人たちの知恵は深い。例えば梅干し。

__________
 梅干しには強力な殺菌力があり、昔から疫病の治療や熱や痛みに、内用・外用ともに使いました。夏におひつの中に一つだけ入れても、その日一日はご飯がいたみません。また食べれば酸味で耳下腺(じかせん)からパロチンというホルモンが分泌され、このことが老化予防となり、生活習慣病の予防、治療等に役立ちます。

 朝に熱い無農薬番茶に梅干し一個を入れて、種だけ残して飲むと、血行を盛んにし、老廃物を出し、造血を助け、疲労素を梅のクエン酸が中和してくれるので体調がととのい、さわやかになります。

 また難病とされる動脈硬化・脳溢血(のういっけつ)・神経痛・リウマチなどを予防・治療してくれます。[1, p106]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 本物の梅干しは「土用干し」で作られる。真夏の晴天に三日三晩干す。

__________
 真夏は、太陽エネルギーの最も強い時ですから、その力を梅がもらいます。そして夜干しすると夜露の中のオゾンを吸って、梅の中に新しい生命力が貯えられます。それが真っ赤な血にしてくれる力となり、目に見えない生理現象を回転させてくれる力ともなります。

 この土用干しは梅干しを強力にするのです。そして太陽に干し、長く保存しておくと、空気中のバクテリアが働いて酵素活動を助け、また強力な力を増し加えてくれます。[1, p109]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 太陽や夜霧という自然のエネルギーを得た梅干しが、人間の体という、もう一つの自然の中に入って、そのエネルギーを発揮するのである。


■8.自然と調和した生き方の威力

 平成28(2016)年の日本人の平均寿命は女性が87.14歳、男性が80.98歳で、男女とも香港に次いで世界2位であった。香港は人口700万余の一都市に過ぎないから、国レベルの比較では日本は実質、世界トップであると言える。

 ところが日常的・継続的な医療・介護に依存しないで自立した生活ができる「健康寿命」で見ると、日本女性は74.79歳と、12年以上もの差がある。つまり老後には平均12年以上も医療や介護に依存する生活が待っているのである。

 医学の発達により、ガンの克服は最終段階にあり、これに成功すると、平均寿命は100歳の時代を迎えるという。それはそれでめでたいことであるが、同時に健康寿命をいかに伸ばしていくか、が大きな問題である。

 そこでのお手本は、92歳になった今も原稿を書き、料理教室を開き、講演は立ったままで行うという東条さんの生き様だろう。それは我が先人たちの残した自然と調和した食べ方、生き方の威力を示している。
(文責 伊勢雅臣)
1  |  2    次>    

記事テーマ一覧

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2018/08      >>
29 30 31 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 1

ブログランキング

フリースペース

ブログバナー

プロフィール

招き猫

靴修理店 店長ブログ!

鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

ホームページ

このブログの読者

読者になる
読者数:0人

お気に入りブログ

最近のトラックバック

参加コミュニティ一覧