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180人の合同参拝を終えたあとに見える景色(白山ひめ神社)

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、羽賀ヒカル氏の「180人の合同参拝を終えたあとに見える景色(白山ひめ神社)」です。



よく鑑定に来られるお客様に
「羽賀さんは師匠に恵まれていいですね」
といっていただくことがあります。

そして「私にも、そういう人がいたらなぁ」と仰るのです。

確かに、理想の人に出会い、信用され、かわいがられる人は幸運です。

しかし、世の中には望んでも、
そういう人となかなかめぐり合えない人がいるのが事実でしょう。



では、「私にはいい出会いがない…」という人は、
どうすればいいのか?

北極老人に尋ねたことがありました。



するとこんな言葉が返ってきたのです。

「運命的な出会いがあったり、
あこがれの人に気に入られたりするのは、
その背後に、神様の働きがあるからなんだ。
神様は目に見えない存在だから、
直に人を助けることはできない。

だから、人と人のご縁を通じて、功徳を授けて下さる。


ご縁はいつもタイミングとセットで訪れる。
人の頭で考えて、作為的に作り出すものではない。

必要な場に、必要な時に、自然とあらわれる人こそ、
神様の紡いだ本当のご縁なのだ。


タイミングがいいとは即ち、
“神様に応援されている”ということ。

もし、なかなかご縁に恵まれないなら、
自分が求める功徳をもつ神様がいらっしゃる神社にお参りすればいい。
ご縁のある人はどこにいるのか、自分では見つけられなくても、
神様は知っているのだから」




「でも、同じように神社参拝しても、ご縁に恵まれる人と、
そうでない人がいる気がします。その違いって、何なのでしょうか?」




「“目的意識”の違いだろう。
人と人でも、同じ“目的”をもつ同志になれば、
お互いに手を取り合うだろう?

それは、人と神様でも同じなんだよ。

ところが、参拝する人がみな、
神様のお気持ちはそっちのけで、
自分の幸せにしか興味がなかったら、
どうだろう?

全人類の幸せを願う神々とは、
目指すところが違いすぎて、
応援しようにも、できなくなってしまうのだよ。


逆に、ふだんから神様の御心を感じようとする人。

神様に“仕え奉る”気持ちで生きている人。
自分のことよりも、みんなの幸せを、朝な夕な、祈っている人。
そういう人は神社のお参りせずとも、
神様に応援されて幸せなご縁に繋がることができる。」




「では、神社参拝は何のためにするのですか?」



「神様の感覚をウツスためさ。
たとえば、君もこんな経験はないかい?
すごい人の話を聞いて、自分の悩みがちっぽけに感じたとか。
大自然の清々しい空気に触れて、他人と比べることが馬鹿らしく思えたとか。
本を読んだり映画を見たりして、心が洗われるような気持になったとか。
それは、高い感覚がウツった証拠。
神社とは、その画に降りている清々しい空気。
誇らしい空気。歓喜の空気を感じて、
高い感覚を自分の魂にインストールするための場所なのだよ。
実は、ある方法で参拝すれば、
何も知らずに参拝するのとは比較にならない早さで劇的に感覚を高めることができる。


それを“ウツシの法”という。

そして、神様の感覚に近付くほど、願いは通じやすくなり、
より深い幸せに導かれていくものだよ」


と。




これまでのメールでもお伝えしてきましたが、
神様の背景を知って神社参拝するのと
知らずにするのとでは
得られる功徳がまるで違います。


また、北極流の神社参拝は、
ただ、参拝当日だけ準備して向かうものではありません。


参拝をすると決めたその日から
神社の神様へ意識を向け続け、
日々の中でテーマをひろい
課題を乗り越えていきます。


それが神社の神様への何よりものお玉串になります。


神社チャンネルでは、
神社参拝で人生が変わる秘訣をお伝えしていますが、


「本当に神社参拝で人生が変わるの?」


と半信半疑な方もおられると思います。


そこで、今回は、
北極流の神社参拝に実際に参加された方の
生の声を紹介したいと思います。
(2017年に開催された白山ひめ神社の
180人での合同参拝の直後の感想です。)


________________________


<お客様の声>


白山へ。ずっと準備もし、楽しみにしてきた参拝。

神社ごとにいろいろなテーマがやってくる。

そんな今日この頃です。

白山ひめ神社前には、継続している事以外に
「老いること、死ぬこと」というテーマが来ていました。

後見している未婚のおじが悪化し
同居の父も痴呆と身体老化が進み、
母が介護うつにもなるという状況で
おじが白山に重なるように亡くなるかもしれなかった。

死に向かう人を共に寄りそって、白山前に見送った。

これは意味ある事でした。

「死」を意識して生きる。
これは私のテーマとしていただいたのかもしれません。
この時、この場にいる事ができたことに感謝します。

北極老人に心から御礼申し上げます。

講師陣、スタッフ、私の守護神様にも感謝します。


藤本 典子



今回のセミナーは参加する前から様々な変化が起きました。

自分や彼女の体調不良というネガティブなものから、
新しく始めたばかりの事業にいろいろな手助けが入って
思いもよらないような自分の役割が見えてきたという
ポジティブなものまで。

それが、参拝当日の直前に起こり、それがひも解けてゆき
自分の天命があきらかになっていったと思います。

最後の合同参拝は180人の祈りが一体になって
気持ちが良かったです。

ありがとうございます。


中村 宇博



今日の参拝セミナーでは

ゆにわの講師陣 サポートスタッフの方々

そして北極老人の愛のカタチを見せて頂き
又、空気学びさせて頂きました。

個人が自立しているだけでなく仲間を信頼するということ

一人だけの悟りからは絶対に到達することができない
とても素敵な愛を気づき学ぶことができました

本当に2日間ありがとうございました。


吉原 裕二



本当に知りたいと思っていたことが知れた!!

そんな感じのセミナーでした。
今まで人の役に立ちたいと思っていながら
過去に引っぱられて全然変れていないと
悩みながら生きてきました。

今回の参拝セミナーでそれらのネガティブな経験
何も成せずに苦しんできた過去のチカラをもらって
白い気持ちで新しい人生が始められると思います。

参拝までに試練がある人が多いということでしたが、
自分はこれといって現象としては表れていなかったのですが
ここ1週間2週間など「人間関係」についてずっと考えていました。

今まで人と深いつながりや関係が築けたことがなく、
人とかかわることを拒絶するように生きていました。

合わない人と関係を絶って自分の望む方向にだけ成長するのは
楽で楽しいかもしれないですが、
いろんな人のいろを取りこんで
本当の意味での「白」を目指したいと思いました。

楽しい楽ではなく、神様に楽しんでもらえる
「樂」しい人生にしていきます。


久木田 健介



このタイミングで白山ひめ神社に参拝させていただけたことを
純粋に嬉しく思うとともに、これも意味があるので、
この参拝を受けてからの役割があると思うと
身がひきしまる思いです。

菊理姫の“くくり”の記憶とつながり、
自分の中の黄泉の部分をエネルギーに変えて、
さらに周りの分も浄化、パワーに変えていきたいと思います。

自分の意志で、
今回のセミナーの内容をすべて自分に落とし込んで聞くと
すべてがつながっていて、
かつ乗り越えるべき課題も見えてきていたので、
今日から実践していきたい。

この大きな変革期にこのメンバーで合同参拝できたこと、
スタッフの方々に感謝を申し上げるのとともに、
今後も白山の意識を持ち、実践していくことで、
お返ししていきます。

ありがとうございました。

PS.白山ひめ神社の中で、木々が風で揺れているのを見て
笑顔で迎え入れてくれていると感じました。

感動しました。


笹田 容子



午前1時までセミナーを受け、わずかな睡眠で早朝参拝という
まったく非日常な中での参拝だったことで
日常に起きている思考のノイズが全くなくなって、
本心そのままで参拝することができました。

自分は一人で生きているわけではないということ
多くの人たちの支えがあるからこそ
今日この場にいられることに心から感謝です。

ひとりひとりが目の前のことを
自分の使命、役割と尊重し合える日本、世界を作るために、
目の前のことに、これまで以上に全力を尽くしていきます。

講師、スタッフのみなさま素敵な時間を
本当にありがとうございました。


横川 裕之



白山セミナーを企画、実施して下さった北極流の皆様、
本当にありがとうございました。

感覚的にですが、人生が変わった気がします。

神社の空気間は、昨日の夜のセミナーと同じまぶしく白い
蛍光灯のような光が天から降りそそいでいるのと、
地上波柔らかく繊細で優しい感じでした。

お祈りをしている時、

「地球の生き物が調和がとれたあり方を
していて、自分はその一部でありたい」

と感じました。

予想では、
「○○の仕事をしている自分」

をイメージが浮かんでくると思っていたため、意外でした。

また、参拝直近の仕事の悩みが、
「契約をとる。説明し、納得してもらう。」

という低い次元にフォーカスしていたこと、
(セミナーであった)過去のトラウマ?で
疑心暗鬼に陥っていたことが原因とわかりました。

お祈りの最後に、ガチガチに自分の体を固めていた
ボディーアーマーがとれ、細々になったイメージが見え、
20年来の肩こり、首こりがかなり楽になったのを感じました。

同時に心が風のように軽くなった感じがして、
よく聞く「軽い」の感覚が少しつかめました。

今日の参拝を実現してくださり、
本当にありがとうございました。


N.M(女性)

_________________________


ここに紹介されているのは感想の一部にすぎません。


参拝後の感想を読んでいるだけでも、
明らかに一般的な
神社参拝ではないということがわかると思います。


どうして、神社参拝でここまでの感覚になれるのか
それは、今後、少しずつお伝えしていきたいと思いますが、

文章だけだと、雰囲気やニュアンスが伝わらない為


明日より、「ゆにわ流メールマガジン」という題名で
”ゆにわ流 案内人タケル君”が、全7話の動画講座を
ご案内させていただきます。




===============
ゆにわ流とは?
===============

私、羽賀ヒカルは、
"北極流神道家×占術家"として
活動していますが

私の活動のきっかけになったのは
「御食事ゆにわ」という飲食店を
大阪の枚方樟葉で、始めたことがきっかけでした。

師の北極老人を中心として
自然食のお店からスタートし

今では、北極流(ゆにわ流)と呼ばれるようになり
数多くの方が、枚方樟葉まで、
セミナーや占い鑑定、御食事ゆにわまで
足を運んでくださるようになりました。

ゆにわ流では、神社参拝に限らず、
「食」や「お茶」「健康」「仕事」など
あらゆる分野に精通したプロの講師達が

様々な角度で、ゆにわ流を伝え、
人生をより良くしていく話を
お伝えしていっております。

ここまで、「神社参拝でいかに人生が変わるのか?」

という話をお届けさせていただきましたが

明日より、「ゆにわ流メールマガジン」という題目で
より詳しい神社参拝の秘密や運命の法則、
カラダを神社のように見立てて、
パワースポット化していく話などを

他のゆにわの講師達にも登場してもらい
動画の方をお送りしていきます。

1話目は、私、羽賀ヒカルの神社参拝セミナーの
プロモーション映像が公開されますので
楽しみにお待ちください。

それでは、次回からは
「ゆにわ流メールマガジン」の方でお会いしましょう!

ありがとうございました。



羽賀ヒカル

可能性にフォーカスする

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪「可能性にフォーカスする」です。


どんな問題も、
最後は、ここに行き着きます。

「どうありたいか」
「どう生きたいか」


あなたは、あなたの人生の主人公です。

たとえいまが、どんな状況であれ、

あなたの人生は、あなたにしか
生きることができません。

あなたが引き受ける以外に、
方法はないのです。


無理難題な「以心伝心」を、
最初に押しつけるのは、

たいていの場合、家族です。

その家族も、やはり、同じようなパタ
ーンで学習してきたケースは多いです。

つまり、
それしか方法を知らないのです。

その場合は、相手を変えるのは、
むずかしいでしょう。


では、そのまま、超能力者や
特殊能力をもった宇宙人になろうと、
努力しつづけるのか?

もしくは、相手から否定・批判される
のを、耐えしのびつづけるのか?

多くのひとが、
ここで立ち止まってしまいます。

どちらかを選択するしかないと…。


でもね。

選択肢は、それだけではないんですよ。

選択肢は、いつでも無限なんです。

ただ、「これしかない」
と想ってしまった瞬間に、

それしか見えなくなるだけなんです。


もちろん、そこには
さまざまな事情はあるでしょう。

超えていかなければならない困難も
あるでしょう。

だからこそ、いつでも、自分と
本気で対話する必要があるのです。

どうありたいのか?
どう生きたいのか?


こんなふうに書くと、

追い詰められる気持ちになるひとも、
いるかもしれません。

そうではなく、
「可能性」を見てほしいのです。

なぜなら、ひとは、フォーカスした
ものしか見えなくなるからです。


目の前のことにとらわれると、
目の前のことしか見えません。

でも、私たちは、生きているのです。
これからも生きていくのです。

そして、この人生は、
宇宙137億年の歴史のなかで、
たった一度しかないのです。

それがどのくらいすごいことか、
計算してみてください。


どう、ありたいですか?
どう、生きたいですか?

137億年のうち、
たった一度きりしかない100年を。

(100年もないかもしれません)


まずは、可能性にフォーカスする
ことから、はじめてください。

その際に、役に立つ質問は、
たとえばこんなものがあるでしょう。

「もしも、まったく何も問題が起き
 ないとしたら、何を選択するか?」

「完全に想いどおりにいくとしたら、
 どんな人生を選びたいか?」


長いこと、ひとに合わせる生きかたを
してきたひとは、この質問に、
オープンにこたえることができません。

なんでもOKと言われているのに、
無意識のうちに、
自分に制限をかけてしまうのです。


ですから、あせらずに、時間をかけて、
自分に、質問をしつづけるのです。

あなたのこころが、
いつものパターンに流れるのではなく、

「可能性」にフォーカスできるように
なるまで。


ポイントは、
可能性にフォーカスしたあとで、

失望やあきらめの気持ちに、
フォーカスしないことです。

「やっぱりだめだ」とか、
「想ってもどうせ無理」とかね。

そしたら、そっちのイメージが、
インプットされちゃいますからね♪


今日のメッセージは、想いがけず、
おおきなテーマになってしまいました。

まわりのひとに気を使って、意を
汲み取ろうとしすぎるひとだけでなく、

すべてのひと、もちろん、
私自身にも投げかけている問いです。


ですから、私も考えます。

一緒に、幸福な人生をめざしましょ。

あなたらしいあなたの人生のために!

為合(しあ)わせること

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。






今回は、福聚寺住職、玄侑宗久氏の心に響く言葉より…「為合(しあ)わせること」です。


私が好きな中国の詩人で、陶淵明(とうえんめい)という人がいます。

その陶淵明に「帰去来辞(ききょらいじ)」という詩があります。

彼は41歳で、いまでいう郡の役所の長くらいにまでなりましたが、公務員に嫌気がさし、自分の故郷に帰っていく途中で「帰去来辞」を詠むのです。

その詩の最後に書きつけた言葉が、私は好きです。


「いささか化(け)に乗じて以て尽くるに帰し

かの天命を楽しんでまたなんぞ疑わん」


どんな変化が来てもそれに乗っかり、その変化が尽きるにまかせよう。

そして、これが天命なんだと信じて疑わない。

陶淵明はそう決意を述べるのです。


災害に続けて遭った時などもそうですが、「なんで私らばっかり」と思うものです。

しかし、「なんで私らばっかり」と漠然と感じているときには、どこかでまだ「天命なのではないか」と思っているでしょう。

まだ誰をも恨んでもいない。

誰を恨んでもいない状態はむしろ幸せなのです。

しかし、「仮設トイレはまだできないのか」「役場は何をしているんだ」というように、「災害は誰のせいでもないけれど、いまのこの状況は誰かのせいだ」という主張になってくると、一気に不幸になります。

「事故」というのは、誰のせいで起こったものでもない。

でもそれは、すぐに「事件」になります。

事件というのは、誰かのせいです。

誰かのせいだと思った途端に、人は不幸になるのです。

これは大いなる法則です。

ですから、「天命」という言葉であらかたの変化を受け容れたときに、今を生きる幸せというものは得られると思うのです。


宿命とか運命という云い方があります。

もともと定まっているものとして考えられたのが、「宿命」です。

「宿」というのは「宿場」と使われるように、「とまる」という意味があります。

「運命」の「運」は「うごく」と訓(よ)みます。

これは天と人との関わりが予定もなく変化し続けるという見方です。


同じ境遇に生まれ育ち、似たような人々の間に暮らしたとしても、人はそれぞれじつにさまざまな人生を生きる。

この認識から、おそらく「運命」という言葉が生まれたのでしょう。

皆さんには、是非とも運命のほうの考え方をしていただきたいのです。

その得体のしれない運命の波に、陶淵明は乗るのだと決意しています。

これとほぼ同じことを、孟子は「立命」という言葉で表現したのです。


それと似た態度なのですが、奈良時代には、運命の流れに「為合(しあ)わせる」意味から、「しあわせ(為合)」という和語が生まれました。

運命の流れにうまく為合(しあ)わせることがしあわせであるということです。

室町時代になると、この「しあわせ」に「仕合」の文字が当てられ、相手も天ではなく人を想定するようになりました。

人が刀をもって向き合うことを「仕合」(今は「試合」ですが)と表記したことからもわかるように、「しあわせ」とは相手の出方に対してどう対応するか、というかなり技術的な問題です。


そもそも、運命の波には善意も悪意もなく、要はその波に乗るなり、立つなりできるかどうか、つまりうまく「仕合わせ」られるかどうか。

本人の心構えや技術によるところが極めて大きいはずです。


結局、どっちにでもできるわけです。

最初についていると思ったか、ついていないと思ったか、ただそれだけです。


『流れにまかせて生きる』PHP




「流れにまかせる」について玄侑氏はこう語る。(本書より)

『なりゆきという言葉は、普通は良い意味では使われないですけれども、仏教的な世界の認識の仕方は諸行無常です。

つねに変わり続けている。

これを和語で言うとすれば、「なりゆき」という言葉になるのではないでしょうか。

なりゆきに任せられたら、一番いいと思います。

どこに行き着くのかということもわからない。

わからないのですが、わからないところに向かって生きていくのが人生だと思います』


小林正観さんは、「流れにまかせる」ことをこう表現している。

『頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。

頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。

「適当に」というのは、「適度に」ということです。

「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。

頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、ある方向性でこき使われていることに気がつきます。

「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。

それを「立命」の瞬間といいます。』


頼まれごとを好き嫌いを言わず、ニコニコしながら引き受ける。

そして、運命の波に為合(しあ)わせる。

それが、流れにまかせて生きること。


為合(しあ)わせることは、幸せに通じる。


仕返しをしないこと

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、斎藤一人さんの心に響く言葉より…「仕返しをしないこと」です。


私たちはさまざまな出来事を通して学びを得ます。

その中でもっとも大きいのは“お金”と“人間関係”からの学びです。

人間関係とは、親子や夫婦、会社の上司や部下、同僚とさまざまですが、さらに言えば「自分自身との関係」も含みます。


神は“自己犠牲”を嫌います。

「私はいいから、あなたが幸せになって」じゃなくて、まずは自分が幸せになって、その幸せをできる範囲で周りに配っていけばいいんだよね。

それが神の望みでもあるの。


それと、「自分さえ良ければ」というのも自分を大切にしていないことだよね。

人によっては「自分さえ良ければ、他人に迷惑をかけても関係ない」と思うかもしれないけれど、他人に迷惑をかければ必ずその報いは自分が受けます。

だから結局、それも自分を大切にしていないのと同じことなんです。


また、相手に悪口を言われたり、イヤなことをされたりしたら、その人に「仕返しをしよう」としますが、これもいけません。

誰かがあなたの悪口を言ったら、その報いを受けるのはその言った人なんです。

“報い”とはいいことをすればいいことで報われて、悪いことをすれば悪いことで報われることを言います。

「復讐するのは神の仕事」といって、その報いは神様がちゃんとやってくれることだから、あなたが勝手にその人に報いを与えちゃダメなの。

だいたい、人の悪口って言ったほうが負けだからね。

言い続けている人は大負けなの。

それをあなたまでその人につられて相手の悪口を言ったら、自分の運勢まで悪くなっちゃうんだよ。


だから、私たちができることっていうのはね、「相手を黙らせる」ことではありません。

「相手が悪口を言っても、自分は言わないようにする」ことがほんとうの真理なんだよね。


私たち人間は完璧じゃないから間違えることだってあります。

そこで成長できる人が、「間違ったときに謝れる人」なんだよ。

「謝るとかっこ悪い」と思うかもしれないけれど、謝らない人、または謝れない人のほうが、よっぽどかっこ悪いよね。


謝れない人って我が強いんです。

我が強いっていうことは、それだけ魂に汚れがついてるってことなの。

それで私たちはみんな、その汚れを落とすために生まれてきているからね。


『お金の真理』サンマーク出版




「復讐するのは神の仕事」というのは、聖書の中の言葉で、「復讐は私の仕事、私が報復する、と主は言われた」からきている。

そして、人間による「目には目を、歯には歯を」という報復を戒めている。

報復は報復の連鎖が続く。

いつまでたっても終わりのない無限ループに陥ってしまう。


他人の悪口を言ったら、その報いは言った人が受ける。

同様に、お金の悪口を言ったら、その報いは自分が受ける。

お金持ちの人をうらやんだり、思わぬお金が入った人の悪口を言うようなことだ。


どんなひどい仕打ちを受けても…

仕返しをしようとしてはいけない。


最短距離で真の幸福に辿りつく方法

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、羽賀 ヒカル氏の「最短距離で真の幸福に辿りつく方法」です。



私は、毎月、何百名もの方と
日本各地の神社に団体参拝をしていますが


そこでは、
みなさん例外なく神秘的な体験をされます。

もちろんその中には、
神様を信じていなかった人もいます。

それにも関わらず、
「たった一度の参拝で、人生観が変わった」
というお声は枚挙にいとまがありません。



うつ状態から脱却して、
社会復帰するどころかエリアマネージャーに昇格した人。

再発した乳ガンで死を覚悟していたのに、
わずか1週間で腫瘍が消えた人。

参拝した次の日に、
ずっと夢見ていた仕事の依頼があった人。

崖っぷちの経営難から、
奇跡的なV字回復を果たした人。

心から信頼できる、
理想の男性に出会い結婚した人。

失業し途方に暮れていたところから
生きがいを見つけた人。

家族バラバラで会話もなかったのに、
2週間後、温かい家庭をとりもどした人。


“本当の”神社参拝をすると、
このような奇跡があたり前のように起こります。




ただし、観光気分の参拝では、
神様に動いていただくことはできません。

奇跡が起こるのは、
「神社のおごそかな雰囲気が好きだから」とか、
「自然のパワーをいただくために」とか、
「癒やされたいから」といった物見遊山の気持ちではなく、
本気で神様に会いにいった場合に限ります。



神様との交流は、
神社に行くと決めて、
そこに意識を向けた瞬間から、
すでに始まっています。

ですから、
神社参拝している時だけお祈りしても、
ふだんの心の在り方が、エゴでいっぱいで、
祈りからかけ離れていたら、
本当の神様には、お会いすることができません。



当たり前の日常の中で、
神様に願いを発し、祈り、語りかけ、
変わりゆく日々の中で、その時々の神様のお心を察してこそ、

「あぁ……、ほんとうに守られているんだ」

「導いてくださり、ありがとうございます」

と、まるで神様がそばにいるかのように、
その存在を肌で感じられるものです。




**********************
最短距離で
真の幸福に辿りつく方法
**********************

余談になりますが、

私は代々続く医者の家系に生まれ、
とても裕福な環境で育ちました。

しかし、
お金や地位、名誉があるだけでは幸せにはなれない
ということを子供ながらに感じていたのです。



周りの大人と同じ道は歩みたくないと思いながらも、
結局、自分が何をしたいのか、
将来どうなりたいのか、
幸せがどこにあるのかわからなかったのです。


そんな私に、
人生の転機は突然訪れました。


ある日、勉強をしない私を見かねた母が、
近所に新しくできた大学受験塾への入塾をすすめてきたのす。

面倒くさいなぁ…と思いながら
手渡されてチラシを見たとき、
端に書かれていた塾長のプロフィールが目に飛び込んできました。

“来るだけで頭が良くなり、
運も良くなる塾を目指す。趣味は神社巡り”


…どうして塾で運が良くなるんだろう?

興味が湧いてきて、
居ても立ってもいられなくなり、
すぐに入塾説明をうけに行きました。


塾に到着してドアを開けると、
そこには、「学習塾」のイメージとは、
まるで違う空間が広がっていました。

玄関はピカピカ。
アロマのいい香りが漂い、
綺麗な花のオブジェが出迎えてくれました。

靴を脱いで上がると、
ピアノのメロディがどこからともなく
聞こえてきます。

驚きのあまり棒立ちになっていると、
後ろから、

「こんにちは」という
とてもあたたかく涼やかな声に包まれました。

こうして出迎えてくれたのが、
後に私の師となる、塾長・北極老人でした。

案内されたリビングには、
木目の美しい八角形のテーブルがあり、
その後ろには、左右対称に「月」と「太陽」の写真が飾られていました。

まるで異世界に迷い込んだような清々しさ。
神秘的でそれでいてどこか懐かしい…。

塾に来る前はすごく緊張していたはずなのに、
いつになく深い息をしている自分がそこにいました。


そんな私の様子を見て、
北極老人は優しくおっしゃいました。

「どうやら、
この場所の秘密に興味があるようだね」

その言葉を聞いて目を輝かせた私に、
北極老人はこう続けました。


「日本各地には、
 幾万の寺社仏閣があるだろう。

 それらの聖域は、
 風水的な結界で邪気邪霊から守られている。

 ここは、その古代の技術を応用して、
 神社のような空間を再現する仕掛けを施してある。

 だから自然とカラダが緩んで呼吸が深くなる。
 すると、ただその場にいるだけで、
 理想の人生に近付くようになっているんだよ」

と。

そして
本当の幸せが何かわからないと嘆く私に
こう教えてくださいました。

「自力には限界がある。

 手っ取り早く、幸せになりたいのなら、
 まず幸せの感覚を高めるべきだ。
 遠回りをやめて、先に幸せの感覚をうつせば、
 最短距離で真の幸福にたどり着く。

 もし身近に、お手本になるような、
 憧れの人物がいるなら、その感覚をうつせばいい。

 けれど、
 日本人にはさらなる究極に行き着く方法が、
 誰にでも用意されている。

 それが、神社参拝だ。
 神社参拝とは、神様と信頼関係を結び、
 神様の感覚をインストールする儀式ともいえる。

 感覚が高まると、願望も進化する。

 子どものころ、ノドから手が出るほど欲しかったオモチャが、
 大人になったら、なんの興味もなくなるのと同じで
 低いときに願っていたことが、高くなると、ちっぽけに思えるようになる。

 人がなかなか幸せになれないのは、
 人間的で、世俗的な低い感覚のまま、
 今、目の前にある願望だけを叶えようとするからだ。


 その願望は、御魂が欲する真の願いではなく、
 かりそめの願望だから、たとえ叶ったとしても、
 手に入るのは一時的な幸せにすぎない。

 手に入れてから、
 やっぱりこれも違う、あれも違う……と、
 また次を探すことになる。

 かりそめの願望を叶えるために、
 時間も、お金も、運も、ムダ遣いしてちゃ、
 真の幸福を見つけられないまま、
 あっという間に人生が終わってしまう。

 自分が、なにを望み、
 なんのために生まれてきたのか。
 それを知る最短ルートが、
 神様の感覚をインストールすること。

 神様と感覚が近づくほど、
 神様はあなたの応援をしてくれるようになる。

 すると、有形無形のあらゆる幸福が、
 向こうから舞い込んでくるようになる。

 あとは、ただ感覚に従っているだけで、
 誠によき人生を全(まっと)うすることができるのだ」



最後の北極老人の言葉は、
なんども読み返しておいてください。


たった一度の参拝で、
あなたの人生は変わります。
幸せへの入口は、いつも目の前にあるのです。


明日は、メール講座最終回です。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

羽賀ヒカル
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鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

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