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イライラさせる人はいない

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、小林正観さんの心に響く言葉より…「イライラさせる人はいない」です。


ストレスで毎日イライラするという人がいます。

電車の中でも「押した」「押された」ということで朝からけんかをする人たちもいます。

私もよく「ストレスを減らしたい」という質問を受けます。

そういうときは、次のような話をします。


今、私の横をある人が通り過ぎて行くとします。

この人が通り過ぎて行くときに何か私に言ったとします。

そのとき私がこの人の言ったことに何も感じなかったら、この人は単に通り過ぎるだけの人です。


さらに次の人が来て、この人が私に何か言ったとします。

そのとき私がイライラしたとすると、私がイライラした瞬間に、私をイライラさせる人が地球上に生まれたのです。

「ちょっと待ってください、それではイライラさせる人というのはいないのですか。自分が勝手にイライラしたからイライラさせる人が生まれるのですか?」

…答えはそのとおりです。


自分がイライラしなければ、自分をイライラさせる人はどこにもいない。

これが宇宙の原理です。


さらにもう1回説明します。

目の前にすごく嫌な人が(嫌な人というのは本当はいないのですが)来たと私が思ったとする。

私が嫌な人と思った瞬間に、この人は嫌な人になります。

私が嫌な人だと思わなかったら、この人は何も関係ない人として通り過ぎて行きます。


ある人が私の目の前を通り過ぎて行くときに、面白い人と私が思ったとする。

私が面白い人と思わなかったら、この人は私にとって関係のない人で、単に通り過ぎるだけの人です。


「それではイライラさせる人も、嫌な人も、面白い人も、結局、宇宙には存在しないのですか。全部自分が決めた瞬間に生まれたのですか?」

…まったくそのとおりです。全部自分が産み落としているのです。


出来事についても同じです。

ある現象が私の前を通り過ぎて行くとき、私が何の感情も抱かなかったらこれは単に通り過ぎるだけのことです。

ある現象が私の目の前に来たとき、この現象が私にとって不幸だと思ったとします。

私が不幸だと思った瞬間にこの現象は不幸になりました。


私が不幸だと思わなかったら、これは何の関係もなくただ通り過ぎるだけのことです。

次に来たときに、このことについて私が幸せだと思ったとする。

思った瞬間にこれは幸せなこととなったのです。

そして私が思わなかったら、これは単に通り過ぎるだけの関係ない現実です。


「正観さん、では幸せも不幸も全然宇宙にはないのですか。自分が勝手に決めるのですか」

…その通りです。


通り過ぎる現象は自分に関係がないと思ったら関係がなく、それを心地いい、幸せだと思ったら幸せなことになります。

しかし、それを不幸だ、不幸せだ、つらい、悲しい、悲劇だと思ったら、この人がそう決めた途端に悲劇になるのです。

ですから自分が思わなかったら、自分の前に幸福な現象も不幸な現象も実は存在しません。

あまりにも簡単すぎて、みなさんがっかりしていませんか?


『みんなが味方になるすごい秘密』KADOKAWA 





自分の意に沿わないできごとには、それが飲食店であろうが、コンビニであろうが、怒鳴りつけたり大声で文句を言ったりする人はいる。

反対に、すこしぐらいのミスや間違いは何の問題にもせず、「ありがとう」と、ニコニコと明るく機嫌よく帰って行く人もいる。

同じできごとでも、ある人は「自分をイライラさせた」と思い、別の人はそれが「何にも気にならない」。


転んで骨折しても、この程度ですんでよかった「ありがたい」と思う人もいれば、なんてツイてないんだ「不幸」だと思う人もいる。

事実は一つだが、とらえ方は人によって180度違う。


嫌なことが気にならない人は、満ち足りて余裕があって、機嫌のいいポジティブな人。

そして、他人は他人、と思っている。

嫌なことにすぐに反応したりイライラする人は、日頃、人から認められていなくて、いつもいっぱいいっぱいで、すぐに不機嫌になったり、ネガティブな考え方をする人。

だから、他人やまわりのことが気になって仕方がない。


「イライラさせる人はいない」

どんなことにも、誰に対しても、イライラしない方法を身につけたい。




才能よりも運が大事

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今回は、野呂エイシロウ氏の心に響く言葉より…「才能よりも運が大事」です。


「成功をもたらすものは、才能よりも運である」

成功している人たちは、このことを熟知しています。

たとえば「経営の神様」といわれた松下幸之助さんは、「成功するかどうかは90%が運」と言い切り、社員を採用する際の面接で「運がいいかどうか」を聞くエピソードはあまりにも有名です。

またビームス社長の設楽洋さんも、やはり面接で「運がいいかどうか」を聞くそうです。

その理由として「運のいい人はプラス思考だから」「会社にその運を分けてほしいから」と述べています。


さらに、成功と運のかかわりの深さを裏付ける興味深い関係について、イタリアのカターニア大学の研究結果によって明らかにされました。

研究によると、最も富を獲得したのは最も運がよいとされた人たちであり、特に最富裕層は才能面ではトップからかけ離れた存在だったそうです。


僕自身の話をしましょう。

僕は大学に入るまでは本当に運が悪かった。

というか、運が悪いということであらゆることを片付けてきました。

でも、大学生のとき、小学館の雑誌『DIME』に出会い、その中に「学生起業家募集」的な広告を発見。

当時の僕は三流大学の学生でしたが、恥を忍んで応募してみました。

すると、どうでしょう。なんと運よく学生起業家のメンバーに選ばれたのです!


その後も運よく雑誌の編集とライターの仕事につき、運よく『天才・たけしの元気が出るテレビ!』で放送作家デビューし、そして書籍を次々と出し、運よく戦略的PRコンサルタントとして世の中を面白くすることが少なからずできています。

そう、僕は運の塊です。

今では、運が見えるようになってきました。

「この仕事は運が助けてくれる」「この店は運がいいかも」などと見きわめられるようにもなりました。


運は、落ちているお金みたいなもの。

拾うか拾わないかであって、みんな拾っていないだけなのです。


「私、運が悪いんです」と言う人は、いろんなことが見えていません。

星占いや血液占い、「長男だから」「次女だから」「自殺率が高い県の生まれだから」「男運が悪いのは〇〇座だから」…いろんなことを言う人がいます。

でも、これは「自分の人生ダメなんだ」と決めつけて何もしない言い訳です。


成功は才能にはほとんど関係ないということは、多くの人にとって福音だと思います。

才能や運動神経は生まれたときにある程度決まりますが、運は自分次第でいくらでも変えていけるからです。


『成功を決めるのは才能よりも運』大和書房



自己肯定感の低い人は、自分のことを「運が悪い」と思いやすい。

「何をやってもうまくいかない」とか、「自分はダメな人間だ」とか、「どうせ無理だからとチャレンジしない」とか、自分に自信がない人。

おもくるしくて、暗くて、不機嫌で、不安そうだから、人がまわりに集まらない。


反対に、根拠のない自信のある人は、「なぜか最後はうまくいっちゃう」とか「うまくいくような気がする」と、軽くて明るくて機嫌がいい。

未来や希望や笑顔があるから周りに人が集まる。

だから、運もどんどんよくなる。


運の悪い人は、いまある幸せに気づかない。

だから、大切なご縁や運を逃してしまう。


どんなに才能があるサッカー選手であっても、監督に好かれなければピッチに立つことはできない。

それが、運の悪い人。


どんなときも、運を引き寄せる人でありたい。

ランド人になれ!

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今回は、田端信太郎氏の心に響く言葉より…「ランド人になれ!」です。


多くの人は奴隷のように会社に縛られて一日の大半の時間を使っている。

「奴隷の幸福」という言葉がある。

強制的に、有無を言わさず働かされる奴隷は、不幸なようにみえるけれど、自分の頭で何をするべきか考える必要がないので、人はそこに安心を見つけ、幸せを感じる。


今までこの国は、終身雇用、年功序列が約束されていて、奴隷でいるほうが圧倒的に楽だった。

会社の中でいかに評価されるかがすべてだったし、自分の仕事を聞かれたら、会社の名前を答えればよかった。

有名企業、安定企業に就職することこそがゴールだった。


そこからは上司の顔色をうかがってミスがないように仕事をこなす。

会社に一生の忠誠を誓い出世レースを勝ち抜く。

定年まで走り抜けば、退職金というご褒美を手に余生を過ごせる。

そんな生き方が幸せの象徴だった。

しかし、世の中は大きく変わった。


どんな大企業でも変化に対応できなければ簡単に潰れてしまう。

リストラなんて日常茶飯事だ。

終身雇用、年功序列などは幻想だったと誰もが気付いた。


最近しきりに語られる「副業解禁」。

このバズワードは何を示しているか。

それは「会社はあなたの面倒を見きれないから外で稼いでください」ということだ。

政府が主導しているわけで、この流れはやがて本格化していくだろう。


「奴隷の幸福」を享受していたサラリーマンは、今頃になって焦っている。

会社が守ってくれるという幻想は、もはや全くないからだ。


サラリーマンであっても、「自分という会社」を経営しなくてはいけない。

アーティストやアスリートと同じように自分というブランドを磨き上げなくてはいけない。

不安に思うだろうか?

それともワクワクするだろうか?


僕は新卒でNTTデータに入ったのち、リクルート、ライブドア、コンデナスト、LINE、ZOZO(現スタートトゥディ)とその時代における最先端企業を渡り歩いてきた。

自分の名刺代わりになるプロジェクトをいくつも立ち上げ、ブランドを打ち立ててきた。

常に最先端企業に引き抜かれ続け、プロ野球選手以上のサラリーをもらっている。


会社に仕事をやらされるのではなく、自分の手で仕事を選び取る。

無難な仕事ではなく、あえて面倒な仕事に身を投じる。

波風立てずに過ごすのではなく、顰蹙(ひんしゅく)を買いながらでも名乗りをあげる。

既得権にしがみ付くのではなく、無謀なチャレンジに身を乗り出す。

成功パターンに固執するのではなく、新しいことを学び続ける。

社内政治を鼻で笑い、社外でこそ有名になる。


つまり会社の名前ではなく自分の名前で仕事をする「ブランド人」にならなくては、もうダメなのだ。

なにも難しいことではない。

特別なスキルや資格も必要ない。

奴隷として染みついた発想や習慣を捨てるだけだ。

その瞬間からブランド人への道は開ける。


なにより、今の時代ほどブランド人になることが簡単な時代はない。

マルティン・ルーサー・キングとともにアメリカ公民権運動を戦ったジェシー・ジャクソンは叫んだ。

「キャピタルのないキャピタリズムは、ただのイズムだ」

大好きなこの名言を、僕はいつも胸に刻んでいる。


「ここでいうキャピタル(資本)って、要するにカネのことでしょう?」としか思えない君は、20世紀脳のまま思考停止している。

そんな君は、とりあえず今から山に出かけ、滝に打たれるところから出直そう。

今どきのキャピタル(資本)は、金銭や土地だけではない。

人々に与える影響力、個人としてのブランドもまた、21世紀のキャピタルたりうるのだ。


SNSがなかった時代は、どれだけ実績をのこしても、会社にその実績は吸収されてしまった。

しかし、今はSNSで個人の名前を全面に出すことができる。

君がブランド人になる状況は完璧に整っている。


今こそ会社という鎖を噛みちぎって、自分という「ブランド」を打ち立てろ。

憂鬱(ゆううつ)な顔をして出勤するのではない。

今日はどんなチャレンジをしようかと胸躍らせながら会社に乗り込むのだ。

会社はステージに過ぎない。

主役は君だ。


『ブランド人になれ!』幻冬舎




トムピーターズ氏に「 ブランド人になれ!」という同名の本がある。

その中にこんな一節があった。

『おもしろい時代が来ると、私は思う。

考えただけで背筋がぞくぞくする。

思う存分、自分の力を試せる時代が来ると、私は思う。

先が見えないときは、誰だって恐ろしい。

しかし、何をやるかはすべて自分で決められるようになったのだ。

こんなうれしいことはないと、私は思う。

要は気がまえである。

会社勤めを続けるとしても、個人事業主のように考え、行動しよう。

個人事業主は独立独歩、頼りになるのは自分の腕だけだ。

その腕をつねに磨いていかなければ、明日にでも食いっぱぐれる。

個人事業主の売り物は、自分の実績と自分のプロジェクトしかない。

だれにも頼らず自分の力で生きていける人を、私は「ブランド人」と呼びたい』


そして、それには以下のことが大事だという。

■人びとの記憶に長く残る仕事をする。

■日々、切磋琢磨し、達人を目指す。

■すったもんだがあるから人生は楽しい。

■意識して、変人と付き合う(カッコいい人からカッコよさを学ぶ)。


旧来の価値観が音を立てて崩れていく。

今は、すさまじいまでの変化の時代だ。

これからは、売り方も、モノの作り方も、そして働き方も、もっともっと劇的に変わっていくだろう。


神田昌典氏は、「この夏は、平成・最後の夏」と言った。

来年にかけて、日本は元号という象徴的なものが変わるのと、時を同じくして様々なものが大きく変わる。

働く人も、経営する人も、これからは新たな変化に向かって、頭を思いっきり切りかえなければ、会社や組織はこの世から消えてしまう。


すべての人が、ブランド人を目指さなければいけない時代がやってきた。




最新科学が解明する利他心の共同体

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今回は、国際派日本人養成講座 ■■ Common Sense: 「最新科学が解明する利他心の共同体」です。

 人間が進化の過程で獲得した利他心を最大限に発揮しうる仕組みをわが国は備えている。



■1.利他心が創る幸福な共同体

 弊誌1067号「最新科学が解明する利他の心」[a]では、大脳生理学や実験心理学などで、「利他の心は人間に喜びを与え、健康を増進し、能力を高める」事が証明されつつあることを紹介した。

 そこでは、さらに「利他心は人類生存のための『武器』だった」として、ネアンデルタール人が現在の人類よりも屈強で脳も大きかったのに、家族より大きな共同体が作れずに、厳しい氷河期を生き残れなかった事実を述べた。

 それに対して、現在の人類はいくつもの家族が集まって数百人という、より大きな共同体を作ることができた。それにより、大勢の男たちが力をあわせてナウマンゾウのような巨大な獲物をとって分かちあったり、お産直後の母子を周囲の女性たちが助けてやることで、生存率を高めることもできた。

 家族よりも大きな共同体を作る能力が、人間の本能に組み込まれた利他心によってもたらされたのである。今回は、利他心の個人への影響だけでなく、それが幸福な共同体を創る原動力になる事を最新科学の研究をもとに述べてみたい。それは、まさに日本人が国家の理想としてきた所と合致しているのである。


■2.「目は口ほどに物を言う」

 まず共同体の中で助け合うためには、互いの心理状況を察して、相手が何を欲しているのか、どういう心持ちでいるのかを読み取る能力が必要である。

 たとえば、赤子を抱えた母親が水を飲みたいと思ったときに、近くに水源がなかったとする。周囲の女性がそれを察して、水を汲んできて呑ませてやる。こういう事が自然にできる共同体は生存の確率が高まる。そのためには他者の欲求や感情が読み取れなくてはならない。KY、すなわち「空気が読めない」では、共同体は成り立たない。

 こうしたコミュニケーションのためだろう、人間には感情が顔の表情に出て、その表情から他者の感情を読み取れるようになっている。そもそも感情が表情として表れる、ということ自体が人間らしい特性である。魚や蛇やねずみなどは表情を持たない。犬や猫くらいの高等な哺乳類になると、飼い主が喉を撫でてやると、満足そうな表情をしたりする。

 これらに比べると、人間の表情の豊かさは群を抜いている。人間の神経系は顔の200近くある筋肉につながっており、感情はすぐに顔に出てしまう。とくに繊細な表情を表現するのは目の周囲の筋肉だ。本人は表情を隠そうとしても、「目が笑って」いたりする。「目は口ほどに物を言う」という日本のことわざ通りである。

 一方、その表情を見て、他者の感情を理解する能力も人間には備わっている。ふつうの人は相手の顔を見るとき目に視線を集中するが、それはおもに相手の目から感情を読み取るためである。自閉症の人は相対する人の目を見ようとしないので、相手の感情を読めない。顔の見えない電話やメールでは、相手の感情を読み取ることが難しくなる。

 このように、人間は感情が表情に表れ、その表情から相手の感情を読むという生理的能力を進化の過程で身につけている。それはひとえに集団生活で必要な能力だからである。

 弊誌前号では、アメリカからやってきたジェイソン・モーガン氏が「日本人の気配りに驚いた」という話を紹介したが[b]、縄文時代以来、1万年以上も平和な共同体で暮らしてきた日本人に、こうした心理的なコミュニケーション能力が高度に発達しているのも当然だろう。


■3.「人の痛みを感じとる」能力

 他者の表情から感情を読み取る能力のみならず、それをあたかも自分自身の感情であるかのように共感する能力を人間は持っている。

 たとえば注射針を刺された痛みを感じる神経回路が、他者が注射を受けている様を見ても同じく活性化する事実が発見されている。人が注射をされているのを見て、まるで自分が注射をされているかのように「痛そう」と感じる事は誰でも経験するが、それが生理的なメカニズムとして確認されているのである。

 痛みだけではない。スウェーデンの研究者による実験では、楽しそうな表情の写真を見ただけで、被験者の口もとに笑みを作る筋肉がかすかに反応した。同じことが、悲しみや嫌悪、喜びについても起こる。そのような働きをする神経経路を「ミラー・ニューロン」と呼ぶ。鏡のように、他者の感情が自身の神経系統に写ってしまうのである。

 楽しげにしている人と一緒にいれば、なんとなく楽しい気分となり、沈鬱なムードの人々の中に入ると気が沈むという事は、我々の日常生活でも経験する事である。「社会的知性」を唱えた全米ベストセラー『SQ生きかたの知能指数』の中で、著者ダニエル・ゴールマンは次のように指摘している。

__________
・・・人間は相互にかかわりあって生きていくように神経回路ができている。・・・他人とかかわるとき、脳は否応なしに相手の脳とつながってしまう。脳と脳がつながることによって、人間は相手の脳に――したがって身体にも―― 影響を与え、自分自身も相手から影響を受ける。[1, p11]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 人間の脳はこうした共感を通じて、集団生活ができるように進化してきたのである。


■4.共感によって、自他の境界が曖昧になっていく

 共感能力が発達すると、心理プロセスでの自己像と他者像が重なり合って、自他の区別が曖昧になっていく、という仮説を、米国ロックフェラー大学の神経生理学者ドナルド・パフ教授は著書「The Altruistic Brain: How We Are Naturally Good(「利他脳:いかに我々は生まれながらに善であるか」邦訳はまだない模様)で述べている。

 17世紀の哲学者トーマス・ホッブスはロンドンの街路を歩いている時、年老いた病身の物乞いを見かけて気の毒になり、かなりの金を恵んでやった。その理由を聞かれて、「老人の窮状を目にしたとき自分でもある種の痛みを感じた、だから施しをしたのは老人を救うためであると同時に自分の痛みを救うためでもあった」。ホップズは、友人にこう説明している。

 人間が他者の痛みを自分のものであるかのように共感する時、他者の痛みを救うことは、自分の痛みを救うことにもなる。パフ教授の仮説は、共感から他者のための利他的行動が生まれるプロセスを説明している。皮肉なのは、ホッブスは人間の自然状態は、万人が万人と闘争している、という人間観を唱えていたことだ。ホッブスの善行は、彼自身の思想が間違いであることを示している。


■5.「特別な事をした訳ではない」

 共感の発達により自己と他者の壁がなくなっていくと、共同体のために自己犠牲すら厭わない人々が出てくる、とパフ教授は指摘し、その一例として、東日本大震災で福島第一原発の暴走を止めるべく、危険な現地に留まった作業員たちを挙げる。[2, p68]

 アメリカのニュース・チャンネルのCNNは「福島の『自殺部隊』に応募した年配者たち」というタイトルで報道したが、そのうちの一人、タカハシ・マサアキ氏(65歳)は「『自殺部隊』だとか、カミカゼなどと呼ぶのは止めてほしい。特別な事をした訳ではない。ただ、何かしなければと思い、それを若い者にはさせたくなかっただけだ」と発言した。

 またテレビ局ABCのニュースは、こう伝えた。「普通の人々が事に臨んで立ち上がった点は素晴らしい。ある婦人は、家ではすごいことをしでかす人にはとても見えなかったけれども、今ではとても誇りに思っていると語った」と。

 パフ教授の主張点は、共同体のために自分自身の命すら犠牲にするという行為は、偉大な人物に限らない。そのような利他心は普通の人の脳中にも組み込まれている、という点である。

 カミカゼの特攻隊員たちも特別な人間ではなかった。拙著『世界が称賛する 日本人が知らない日本』で登場いただいた日系ブラジル人の女子高生ステッファニ・万里子・斎藤(15歳)さんは日本で特攻隊員の遺書や写真を見た時の印象をこう記している。

__________
 神風特攻隊で行った若者のことが、頭から離れません。彼たちの笑っている顔を写真で見て、どうして笑えるのか分かりませんでした。でも、今は分かるような気がします。
日本のため、家族のため、愛する人のためだったことがわかりました。
 彼たちが書いていた手紙を読んでいると、お父さんやお母さんの名前が何回も書かれている手紙を見つけました。そこには、彼たちの苦しみを少し感じることができました。
涙がポロポロ出ました。日本を守るために頑張りましたね。[d, p211]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 特攻隊員たちの行為は、ブラジルの女子高生にも共感できる自然なものだった。


■6.共感→信用→和解

 信用も共感がもたらす、とパフ教授は指摘する。

__________
「信用」は共感の一形態であって、他者の中に自分自身を見つけて、自分の言葉や行為が理解されると期待できる状態を指す。[2, p13、拙訳]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 さらにパフ教授は、南アフリカの人種や部族などの対立を仲裁する人の言葉を引用している。

__________
 信用のレベルが高い時には、調停の席でも双方ともそれほど警戒心を持たず、貴重な情報を進んで共有した。こういう情報は、双方にとって受け入れ可能な仲裁案を生み出すのに不可欠だった。[2, p175, 拙訳]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち、共感が信用を育て、信用が紛争解決を助け、平和を創りだす、というプロセスである。日本列島では、太古の昔から、このプロセスが高度に機能していたようだ。自由社の中学歴史教科書は、こう述べている。

__________
 1万年以上にわたる縄文時代の大きな特徴は、遺跡から戦争の武器が出土しないことです。三内丸山のような巨大遺跡からでさえ、動物を狩るための弓矢や槍はありましたが、武器は見つかりませんでした。
おたがいが助け合う和の社会が維持され。精神的な豊かさを持ち合わせた社会であったと考えられます。私たちの祖先である蝿文の人々は、「和の文明」とも呼べるこのようなおだやかな社会を築いていたのです。[p.33]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 まさにわが国は「大和」すなわち「大いなる和の国」であった。そして、それは人類の進化の最先端の姿であった。


■7.人間が進化の過程で獲得した利他心を発揮させる仕組み

 心理的な過程で自己像と他者像が重ね合わされて、人々はあたかも自分のためであるかのように他者のために行動する、というパフ教授の学説は、重要な発展系を持つ。それは国家などという抽象的な概念のために尽くすときにも、人はそれらを何らかの人物像に仮託しているのではないか、という事である。

 たとえば、福島原発で利他的な行為をした人々を動かしていたのは、原発の被害を抑えようというような抽象的な思考ではなく、実際に福島の村人を想像して、彼らを救いたいという思いだったのではないか、というのである。[2, p65]

 その気持ちは、終戦を決断した昭和天皇の次の御製にもつながっている。

爆撃にたふれゆく民のうへをおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 昭和天皇にとって、国を守るということは「爆撃に倒れゆく民」をいかに救うかということであった。

 終戦後、昭和天皇が全国の国民を励まそうと、巡幸を始められると、各地で国民は昭和天皇を出迎えた。佐賀県では次のような光景が見られた。

__________
 引揚者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下げた。「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変であっただろう……」とお言葉をかけられた。すると一人の引揚者がにじり寄って言った。

「天皇陛下さまを恨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります」[d, p18]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 国民にとっては、昭和天皇という人格こそが、国を体現する心理的イメージであった。天皇が自分たちを見舞いに来て下さった、ということは、国全体が自分たちを励ましてくれているのだ、という覚醒につながった。そこから、戦後復興のエネルギーが湧き上がっていった。

 天皇は国家を具体的な国民の姿から把握して、その幸せを祈り、国民は天皇という具体的な人格から国家をイメージして、「天皇のため」すなわち「国家のため」に尽くす。

 こうして考えると、国民の幸せを祈る皇室を国民統合の中核として戴くわが国の共同体としての構造は、人間が進化の過程で獲得した利他心を最大限に発揮させるためのきわめて合理的な仕組みであると言えるのではないか。
(文責 伊勢雅臣)

愚直に、素直に、トライして

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。



本日は、かめおかゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪
「愚直に、素直に、トライして」です。




アルベール・カミュの「誤解」は、

20年ぶりに帰郷した男が、

それと気づかない母と妹の前で、
「ぼくだよ」と名乗ることができず、

金品目当てに殺されてしまうという、
悲劇をあつかった作品です。


なぜ、
そのひとことが言えなかったのか。

母親なら、20年ぶりであろうと、
きっとわかってくれるだろうという、
期待があったからです。

もっと言えば、自分から告白すると
いう、「勇気」をふるうのではなく、

相手にわかってもらいたいという、
甘えがあったのです。


そのために、いのちを落としてしまう
というのは、極端な話だけれど、

言うべきことを言わずに(言えずに)
終わったために、

あとあと、ずっと後悔するというケー
スは、日常にもあるような気がします。


もちろん、言ってしまったために、
人間関係で傷つくことがあったり、

自分に不利益になることがあったりし
て、後悔することもあるとは想います。

ただ、それって、たいていの場合、
事前に予測できないと想うのです。


そもそも、予測できる場合は、

そうならないために、
策を練らなきゃいけません。

やみくもに、ぶつかることが
いいわけではありませんから。


それでも、100%うまくいくとは
かぎりませんが、

少なくとも、そこから検証して改善
していくヒントにはなってくれます。


私たちは、どんなことも、未体験の
ことについては、初心者なのです。

初心者は、初心者らしく、

何かをショートカットして、うまく
やろうなんて、姑息なことは考えず、

愚直に、素直に、トライしていく
ほうがいいのです。


一回もころばずに、自転車に乗れるよ
うになったひとは、いないでしょう?

中学・高校時代の部活。

一度も悔し泣きせずに、試合に
勝てたひとは、いないでしょう?

そのほか、社会に出て、
あたらしい仕事をおぼえるときだって、

何もかも、すいすいと、こなせちゃっ
たなんてことは、ないでしょう?


それが、「量稽古」なんです。

私たちは、ちゃんと、そうやって、
今日まで生きてきたんです。


傷つくことにフォーカスをして、
トライすることをやめてしまえば、

あたらしい地平はひらけません。

だまって、相手がわかってくれる
のを、待っていた男のように、

ほしいものは永遠に得られないのです。


今日は、ちょっと、辛口の
メッセージになったかもしれません。

けれども、けっして、
批判や否定の気持ちではありません。


いつも書いていますが、

全宇宙で、ただ一回かぎりの人生を、

燃やせるかぎり、燃やし尽くして
みたいと想いませんか?

世界で、たったひとりしかいない自分
を、使い倒して、楽しみましょうよ!


そう。

ジェットコースターもお化け屋敷も、

スリルやどきどきがあるから、
おもしろいんです。

人生だって同じです。


大丈夫。

終わりよければすべてよし!

おしまいはすべて、ハッピーエンド!
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