ケニアで世界有数のナッツ会社を育てた佐藤芳之さん

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今回は、国際派日本人養成講座 ■■より、「 ケニアで世界有数のナッツ会社を育てた佐藤芳之さん」です。

 そして、自分の役割は終えたとして、その企業を現地人に引き渡し、新たな挑戦に向かっていった。


■1.日本人が育てたケニアのナッツ会社

 欧州の空港ラウンジや機内サービスでよくマカダミアナッツが出てくる。2センチほどの白っぽいナッツで、淡泊な味で健康食品としても人気がある。このマカダミアナッツの世界5大メーカーの一つが、ケニアをベースとする「ケニア・ナッツ・カンパニー」であり、この会社は日本人が育てたものだという事を、最近、知った。

 その日本人とは佐藤芳之さん。昭和48(1973)年、30台前半でケニアに渡り、鉛筆、リヤカー、ビニールシートなどいろいろなビジネスを手がけた後、マカダミアナッツで成功し、社員数4千、契約農家5万軒、農地は東京ドーム780個分まで拡大した。1軒4人で計算すると、20万人もの生活を支えていたことになる。

 ここまでだと絵に描いたような成功物語だが、「普通」でないのは佐藤さんがこの会社を平成20(2008)年にタダ同然で手放して、現地の人々に任せてしまった事だ。そして、ご自身は72歳でまた新たなビジネスの立ち上げに挑戦していった。本編では、佐藤さんがどのような考えから、こういう道を歩んだのか、氏の2冊の著書[1,2]から辿ってみたい。


■2.「君たちは国の財産なのだ」

 佐藤さんが子供の頃、父親はよくこう言っていたという。

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 君たちは俺たちの子どもというよりは国の財産なのだ。子どもたちは日本という国や世界を見据えて、大きくなっていかなければならない。[1, 391]
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「子は国の宝」という、昔からの考え方である。母親も地方から東京に出てきた学生たちをよく家に泊めて、面倒を見ていた。

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私が今、自分の富とか、自分の利益のための事業よりも、公共に資するソーシャルなことをやりたい、自分の役割をパブリックのものとして見たいと考えるのは、両親の影響によるものだと思います。[1, 400]
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■3.アフリカへ

 アフリカに興味を持ったきっかけの一つが、郷里の英雄・野口英世[a]だった。野口が黄熱病の研究途上で亡くなったのが、西アフリカのガーナだった。ガーナ共和国の初代大統領となった「アフリカ独立運動の父」クワメ・エンクルマの伝記も読んで、ますます血が騒いだ。アフリカに行くにはまずは語学だと、東京外国語大学に進学した。

 卒業後、ガーナ大学に留学して、働きながら農村でのフィールド・ワークなどをこなした。留学後、日系企業のケニアの現地子会社に入り、繊維関係の仕事をした。5年の契約期間を終えて日本に帰ると、数ヶ月後には自分のビジネスを始めようとケニアに舞い戻った。

 鉛筆製造など、いくつかのビジネスに挑戦した後、マカダミアナッツと出会い、そのおいしさから「これだ」と思った。企画書を作り、農業省に開業申請をした。

 世界各国の5社との競合となったが、佐藤さんの提案が採用された。大農場でケニア人を労働者として使う欧米型の開発ではなく、農民が自前の小農園でナッツを供給することで、農村の経済基盤を確立しようとしたアプローチが評価されたようだ。

 資金は、明治製菓に相談し、開業資金として5年分のナッツ代を前払いしてくれた。その上に食品加工のプロまで派遣してくれた。こうして1974(昭和49)年、佐藤さんはわずか数人のスタッフとともに、ケニア・ナッツ・カンパニーを設立した。35歳だった。


■4.「オーナーシップがあると、人の顔はこんなに明るくなるんだ」

 最初の仕事は、品種改良したマカダミアの木の苗を持って、農家を回り、木を植えてくれるよう交渉することだった。苗木を無料で配っても良かったのだが、あえて安い値段をつけて買ってもらうようにした。タダでもらうのと、自分でお金を払って買うのとでは、意識が全然違うはずだと佐藤さんは考えた。苗を買った人はマカダミアの木のオーナーになる。

 これはガーナ留学時代に経験した印象的な出来事から学んだ教訓だった。農業経済の授業で見学に行った農場でのこと。コーヒーや紅茶は植民地時代と同じように欧米人が所有する巨大プランテーションで作るのが普通だったが、ココアの木は農民一人ひとりが所有し、栽培して実を収穫して、収入を得ていた。

 この農場で働く人の表情は生き生きとしていて、村から無理やり連れてこられて殴られたりしながら奴隷のように働いている紅茶農場やコーヒー農場の農民とは、全然違っていた。「オーナーシップがあると、人の顔はこんなに明るくなるんだ」と佐藤さんは学んだ。ここからマカダミアでも、農民たちがオーナーになる仕組みを採用したのである。[2, 373]

 多くの農家でとうもろこしやコーヒーの間にマカダミアの木を植えてもらった。そして収量や品質が向上するよう、肥料の与え方や剪定の仕方などを教えた。

 収穫したナッツはいくつかの集荷ポイントに持ってきてもらって現金と引き換えるようにした。現金を確実に払うことで、農民は「貰ったお金で、帰りに市場で洗剤を買おう」というような計画的な生活ができ、それが新たな意欲につながる。

 ただ「ケニア・ナッツ・カンパニーの車は現金を積んでいるぞ」と言う情報が広まり、集荷スタッフが拳銃を持った強盗に襲われるという事件が起きた。これを防ぐ有効な手立てはなく、強盗対策をしながら、少しずつ信用を高めていくしか道はなかった。しかし、次第に銀行決済にしてくれる農家も増えて、「命がけの集荷」は減っていった。


■5.「この会社は我々みんなの会社だから、儲けたら分けよう」

 集めたマカダミアの実の外皮を取り除き、中の薄皮を剥がし、実の変色部分を削る作業は、ほとんど手作業で行われる。機械化することもできるが、1人でもたくさんの人が仕事を持てるようにしたい、という思いで手作業中心としたのである。

 生産開始した初期の頃、農業大臣が「日本人のやっている工場だから、最先端のすごい設備を持っているに違いない」と見学に来た。当時は300平米くらいの必要最小限の場所でやっていて、機械も数台しかなかったし、従業員もたったの8人。結局、大臣は「頑張ってください」とだけ言い残して、さっさと帰ってしまった。

 しかし敷地だけは広い土地を確保した。野球グラウンド2面分ほどの土地を年に20万円ほどで借りた。最初の年の暮れに社員を集めてクリスマスパーティーを開き、「5年以内にはここの土地を全部工場で埋めるぞ」と言った。「お前はここで給料のために働け」と言われるよりも、夢を持つことで人は前向きになる。

 事業が当初の想定よりも早く進んだときには、ボーナスという形で成功の分配をした。植民地とされていたケニアには、もともとボーナスという概念はなかった。佐藤さんが「この会社は我々みんなの会社だから、儲けたら分けよう」と言うと、意外な事のように喜んでくれた。その喜びが彼らの自信につながった。

 利益は工場拡張にどんどんつぎ込んでいった。従業員はビジネスが拡張することを大変喜び、みな意欲的になってくれた。最終的には4千人の社員を抱える規模になったが、斎藤さんを含めた日本人株主にも、パートナーとして参加したケニア人株主たちにも、配当を実施した事はなかった。


■6.まずは生活の保障を

 アフリカで一番大変だったのは、倫理観・道徳観の違いだった、と佐藤さんは言う。日本人にとってごく当たり前のモラル、例えば嘘をつかない、約束した時間を守る、公共の場にやたらとモノを捨てない、などがほとんど守れない。倫理や道徳よりも、とにかく今日生き延びることで一生懸命なのである。

 こういう人々に仕事をしてもらうには、まず生活の保障をしてあげなければならない。決まった期日にちゃんと給料を払う。一般の会社でも給料の未払いやピンハネは日常茶飯事である。いつ給料が入るのか分からないとなったら、やむなく物を盗む人も出てくる。

 しかし、毎月、月末に必ずお金が入るとなると、物を盗む必要はないし、ツケで物を買うこともできるようになる。ツケが効くということは、その人が社会的に信用されたということだ。そうなると生活態度が変わってくる。ちゃんと食事をとるようになり、清潔な衣服を着るようになり、掃除もするようになる。

 また病気や怪我をしたら生活が立ち行かなくなる。そこで会社が従業員の医療費の実費の85%を負担するようにした。無料で社員が利用できる医務室も工場内につくった。年金も、保険会社と契約して従業員と折半して積み立てるようにした。教育ローン、住宅ローンなども借りられるようにした。社員を大切にする日本的経営を取り入れたのである。

 社内でも、当初は誰かが盗みをした、しない、で殴り合いの喧嘩がよくあったが、月々の給料がちゃんと入って生活が安定すると、盗みも減り、喧嘩や残酷な制裁も減っていった。


■7.「アフリカのものを買ってください」

 ナッツ・ビジネスが一段と発展したのは、今まで原料販売だけだったのを、最終商品の販売にも本腰を入れ始めたときだった。ケニアを舞台にしてアカデミー賞作品賞をとった映画を踏まえて、「アウト・オブ・アフリカ」を独自ブランドとした。

 1995年9月、手始めにケニア国内のスーパーマーケットで売り出したら、よく売れた。翌年、ルフトハンザ航空に売り込みに行ったら、「一つ一つ味も形も違うじゃないですか」と言われた。 佐藤さんは「このナッツはケニアの高地の、いろいろなところで獲れたものが混ざっている。一粒一粒の個性をお楽しみください」と言って納得しもらった。

 それでも納得してくれない会社には、「今、アフリカでできているものを買って、食べることによって、あなた方がアフリカの開発に参画するというふうに考えてもらえませんか?」と説得する。

 多くのヨーロッパの国々は、アフリカからの移民に悩まされている。「アフリカを豊かにすれば、移民は母国に戻ります。そのためにアフリカのものを買ってください」といえば、Win-Winの話となる。

 航空会社がケニア産のマカダミアナッツをスナックとして提供していれば、乗客からもアフリカ発展への貢献に熱心な会社として好感を持つ。拙著『世界が賞賛する日本の経営』[b]で説いたように「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方良し」は日本的経営の特質であったが、最近の欧米の企業も消費者もこうした点を意識するようになってきているのである。


■8.佐藤さんが会社を辞めた理由

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 優秀な人材は会社からどんどん出ていって、自分自身が新しい仕事を始めるべきだと思います。そうして新しい価値を生み出すのです。その方が、社会に貢献できます。[1, 1964]
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 こういう考えで、力をつけた人には、どんどん独立してもらった。現在、ケニア人でナッツのビジネスをやってるのは、全員、佐藤さんの会社から出て行った人間だという。「どんどん素晴らしい人材が出て行って、ケニアのナッツ・ビジネスが大きく実ったのですから、これほどうれしいことありません」と佐藤さんは言う。

 2008年12月、佐藤さん自身が会社を辞めた。株を一株だけ残して、残りはタダ同前で幹部従業員に分け与えた。会社を立ち上げたときから、ゆくゆくはケニア人の会社にしなければならないと佐藤さんは考えていた。役割を終えたら、日本人は去り、後はケニア人が自分たちのスタイルで運営していくべきだ、と。

 34年にわたり経営を続けてきた佐藤さんが会社を去る日、社員の中には泣く人もいた。「佐藤さん、ずっといてくださいよ」とも言われた。「佐藤の事は忘れてくれ。もう佐藤は役割を終えたんだ。あと新しい人たちでやるのだ」 事実、新しい優秀な人たちがどんどん入社してきていた。

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 ケニア人のやりかたで経営して、潰れたら潰れたで仕方ありません。でも、私には見えるのです。一面ナッツの木で埋め尽くされた美しい山のふもとで、みんなが楽しそうに仕事をしている。そんな素晴らしい会社の姿が。[2, 972]
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 佐藤さんがケニア・ナッツ・カンパニーを離れることを決断したのには、もう一つ理由があった。まだ肉体的にも精神的にも健康そのもので、「自分を使い切っていない」「自分自身にもう一度チャンスをあげよう」という気持ちからだった。

 専門の技術者とともに、すでに立ち上げていたオーガニック・ソリューションズ・ケニアという会社で、微生物によってトイレの汚水処理をする事業に打ち込んだ。

 佐藤さんは平成23(2011)年10月、山形県酒田市の東北公益文化大学で「コンフォートゾーンを突きぬけろ」というテーマの講義をした。コンフォートゾーンとは「居心地の良い場所」である。

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 今、君たちがいるコンフォートゾーンは、親の世代やそのまた上のおじいさん、おばあさんの世代が一生懸命頑張って作ったもので、そこにどっぷりと浸かっていたら、どんどん社会は衰退して、君たちの次の世代にはゼロになってしまう。だから、コンフォートゾーンを突き抜けて、新しいチャレンジをせよ、ということを話したのです。[1, 2158]
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 コンフォートゾーンを残してくれた先人の恩に応えて、子孫のためにそれを維持発展させていく。これこそ1076号[c]で述べた「縦の責務」である。そして、コンフォートゾーンを持たないケニアの人々のために手助けをする。これは「横の責務」である。こういう責務を果たす人々が「国の宝」、皇室にとっての「大御宝」なのである。
(文責 伊勢雅臣)

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