寄り道のススメ

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。





今回は、元マイクロソフト社長、成毛眞氏の心に響く言葉より…「寄り道のススメ』です。


キャリアというと、こうなりたいという目標を設定し、それに向かって突き進むものだという誤解が世の中に蔓延(まんえん)している。

それは、子供の頃にその目標を設定できたごく限られた人の話である。

そうはない多くの大人にとって、キャリアとは歩んでから振り返り「ああ、こんな風だったのか」とその全体像が把握できるものである。


やってみたいことをその時の気の赴くままにやってみて、ある時は没頭し、かと思うとすぐに飽きて、また別のことをはじめ、時にはいくつものことを同時にやりながら、なんとなく自分の好きなもの、得意なものを集めていって、その集大成が自分である。

成長とはそれが目的ではなく、何かしらをした結果が、成長なのである。

なので、いい大人が、なりたい自分を先に決めてそれに向かってレールを敷くべく努力するとか、成長のために成長しようとするという自家撞着(どうちゃく)のような行いは、これこそが無駄である。

目的と手段をはき違えていて、こんな人生を送ってしまっては、死んでから後悔してもしきれないだろう。


やりたいことは何でもやってみればいいと言われても、何をやったらいいかわらない。

そもそも、自分は何が好きかわからないというならば、やりたくないことには徹底的に手を出さずにいると、そこで残るのが好きなもの、やってみたいものということになるので、それをやってみればいい。

やってみて違うなと思ったら、辞めればいい。

寄り道はそれくらいの軽さでやればいいのである。

難しく考える必要など一切ない。


軽く寄り道をする癖がつくと、歩んでいるど真ん中の本道も普段と違って見えてくる。

そこの歩き方も変わってくる。

そんなにしかめ面しなくても、肩に力を入れなくても、本道を踏み外さない限り、多少蛇行しようがスキップしような、誰にも迷惑をかけないものだし自分にも不利益がないと気が付くのだ。


こうなると、人生が楽しくなる。

もしもなんらかの理由で本道を行くのがつらくなる時期があったら、その時には寄り道し続ければいいということもわかってくる。

つまり、人生がラクにもなる。


遊び、という言葉がある。

ハンドルの遊びなどと使われて、つまりハンドルを切ってから車体が実際に動くまでのラグ、余裕を意味する。

これがないと、少しハンドルがふらついたら、車体もまたすぐにふらついてしまう。

そうした煩わしさを遠ざけるのが遊びだ。

そうした狙いがわからない人にとっては、遊びはただの無駄に見えるだろう。


寄り道も同じである。

どんなに言葉を尽くして説明しても、理解しない人は一生理解しない。

しかし、わかる人はその重要性をすぐに理解する。

これがなくては大変なことになると見抜く。

だから悪いことは言わない。

すぐに寄り道すべきだ。

さあ、2駅前で電車を降りよ。


『一流になりたければ2駅前で降りなさい』徳間書店





本書の中に、《明治維新が寄り道を悪者にした》という一文がある。

『明治の手前の江戸時代は、寄り道だらけの時代であった。

交通の便は今よりもずっと悪かったにもかかわらず、やれ伊勢参りだ、大山詣でだとあちこちに出かけ、近場でも隅田川の向こう側やこちら側、時にはそこに船を出して遊んでいた。

侍も町人も一日中仕事に没頭する、などということはなく、実にふらふらと暮らしていたのだ。

そういったゆるい日本列島にくそ真面目な空気を持ち込んだのは、明治維新の志士たちであろう。

あれは薩摩の伝統的な空気ではないか。

当時の薩摩には武士が偏在していたという。

鹿児島には特に多かったのだとか。

その真面目さがいつしか中央へと押し寄せて、それが近代国家日本の性格を作りあげた。

その国家がガラガラポンとなるのは第二次世界大戦だ。

そこから真っ先に立ち上がったのは、薩摩のそれとは少し異なる価値観の持ち主たちだった。

要するに、生きるためには何でもやったもの勝ちという人たちが、息を吹き返した。

これはある意味で明治維新と同じである。

終戦後、なぜ、日本経済はあれほど急速に復活し、以前よりも高い水準に達したかと言えば、それしかしてこなかったからだ。

社会の秩序や倫理より、とにかく経済。

この道のりのどこかで、「金だけじゃないよね」となっていれば、経済成長の勢いはゆるくなったとしても、ここまで極端なことにはならなかったのではないか。

リーマンショック後、やっぱり金だけじゃなかった、そう気付いた日本はどこへ向かったかというと、デフレである。

無理して金を稼いで高いものを買うよりも、安くて良いものに囲まれていればいいじゃないの幸せならばと、またしても極端に振れてしまったのである。』


日本の一時期の経済成長は、「武士的な真面目な努力」という価値観が役に立つ時代だった。

しかしながら、デジタルエコノミーの時代となった今、その価値観は通用しなくなってしまった。

創造性や、独自性、デザイン思考などが重要視され、その準備ができていなかった日本は、世界から置いていかれた。


だから今こそ、寄り道が必要なのだ

文化の花開いた江戸時代はエネルギーにあふれていた。

それは、一般の庶民でも楽しめる、「芝居」「相撲」「浮世絵」「小説(東海道中膝栗毛、南総里見八犬伝等)」「花見」「習い事や教室(踊り、三味線、生け花、茶道、義太夫、小唄、長唄、川柳、狂歌)」「おしゃれ(服装、小物)」「外食文化(屋台、茶屋)」等々。


寄り道メソッドを手に入れたい。

脳、タイマン

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、かめおか ゆみこさんの★今日のフォーカスチェンジ♪より「脳、タイマン」です。




たとえば、缶のふたが
開かないとき、どうしますか?

いっそうちからをこめる。
タオルをまいて再度!
缶をたたいてみる。
缶をあたためてみる…。

いろいろな方法をためしますよね?


ところが、こころのモンダイとなる
と、案外そうはいかないものです。

いつもと同じパターンで、
ついつい、自分を責めてしまうひと。

ついつい、
ひとにたいして批判的になるひと。


そのパターンをやめたいと思っても、
なかなかやめられません。

同じパターンを繰り返しては、

また自己嫌悪(または他者批判)
の繰り返し。


あるいは、こんなケースは
どうでしょう?

朝、起きてこない家族にたいして、

「早く起きなさい!」

と同じことばを、何年も何年も、
繰り返しているひと。


これらは、すべて、時間のロスです。

ひいては、人生そのもののロスです。

(もちろん、すべては必然であり、
 意味がある、という考えかたも
 できますが)


で、ね。なぜそうなってしまうのか、
という私の考えです。

実はこれ、脳のタイマンなのです!


はい。タイマンです。

何しろ、脳は、ビビリでヘタレです。

知らないことがこわいのです。

だから、知ってるところに
安住したがるのです。


缶のふたは、目に見えますから、
対応のしようもありますが、

こころのなかのモンダイは、
目に見えないために、

あっさりしりごみしてしまうのです。


ねっ?

これをタイマンと言わずして、
なんというでしょう?


だから、もしも坂元さんが、

自己嫌悪(他者批判)に
おちいるような同じパターンを

繰り返してしまうのであれば、

まずは、ひとこと断言してください。

「コラ! 脳、タイマンだぞ!」


ビビリな脳は、あせります。

あせって、いいわけをするでしょう。

「うわぁぁぁ、すみません!
 でも、でも、こわいんですぅ~!」


けれども、そこで
追及の手をゆるめてはいけません。

のどもとすぎれば熱さを忘れる。

脳はすぐに、
手抜きをしたがりますからね。


「だめだ! 私の人生の時間を、
 無為なことに使わせるな!」

「おまえ、私の人生にたいして、
 責任とれんのか!」

「まじめに考えろ、コラー!」


ええ、ここまでやれば、
脳も、さすがに気づくでしょう。

「ごめんなさい、ごめんなさい~」

こわさのあまり、泣いちゃうかも。


そしたら、今度は、やさしく
言ってあげるんですよ。

「これからも、あなたは私と
 一緒に生きていくんだから、

 もっと私のことを大切にして。

 あなたがタイマンしてると、
 つい、私もつられちゃうの。

 だから、これからは、

 お互いに声をかけあって、
 二人三脚で、改善していこ♪ 

 私も一緒に考えて、
 いい方法を提案するから、

 あなたも前向きに協力してね」

そうして、実際に行動するんです。


最初のうちは、思うように
いかないかもしれません。

でも、あきらめずに、
繰り返してみてください。

何しろ、習慣化するには、
ある程度の練習が必要ですからね。

(はい、量稽古です♪)


ポイントは、
うまくいってもいかなくても、

脳が、がんばって練習しているとき
には、けっしていぢめないこと♪

「いいね、いいね、その調子♪」

「前回より早く気づけたよ」

「ちゃんと回避できたときもあるよ」

そんなふうに、
声かけしてあげるんです。


脳は、けっこうお調子ですから、

ほめられると、ごきげんになって、
さらにがんばってくれちゃいます。

そしたら、あたらしい習慣が、
身につく時間も早まりますよ。

おためしあれ♪

プロデュース欲とは

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…「プロデュース欲とは」です。


眼力(がんりき)を持つことのすごさ、大切さをはっきりと示す状況の一つに、結婚がある。

結婚を間違えてしまうと人生の修復が難しい。

反対に、結婚さえ間違わなければ、ある意味一生安泰だ。

言葉は悪いが、眼力一つで一生楽しく暮らしていける。


相手からもパートナーとして認められる必要があるという意味では、もちろん自分自身も磨かなければいけないとは思う。

だが、男の立場から言わせてもらえば、概して能力のある男は、自分の才能や実力を早くから見定めてくれる“眼力のある女性”に非常に弱い。

女性は、その有望株を若いうちに刈り取って、自分のものにしてしまうことが肝心だ。

有名になってしまった後では、競争も激しくなるし、育てる楽しみもない。


自分が見抜いた男を世に出したい。

これは女性にとって、趣味と実益を兼ねたゲームになる。

これはプロデュース欲とも言える。

子どもを産み育てたいという気持ちも、プロデュース欲とは無関係ではない。


人を育てることは大きな楽しみの一つである。

一般には欲望として認知されていないが、相手をどういう人間に育てたいかというのは、自分がどうなるかより気持ちが浮き立つ。

自分がよほど才能にあふれていれば自分自身を育てるのもおもしろい。

しかし、そうでない場合、子どもや恋人や生徒を育てることの方が総じて人生の大きな楽しみになる。


眼力とは、このプロデュース欲を的確に満たしてくれるものだ。

逆に言えば、眼力のない人は、プロデュース欲という大きな欲望を満足させることが難しい。

私自身は、このプロデュース欲を「教育欲」と呼んでいる。

多くの人は、自分が幸せになること、欲望を満たすことに対して「欲」という言葉を使う。

しかし、人を教育したいという欲求というのは、実はそれ以上に強力なもの、恐るべきものなのである。

その教育欲の基盤になるのも「眼力」だ。

眼力があれば、自分の子どもであろうと、「大人物にはならないな」などとすぐ見抜くことができる。

眼力がないと教育欲がねじ曲がってしまい、親子ともども悲惨な目にあう。


『眼力(がんりき)』三笠書房




本書の中にこんな一節があった。
『男女間の眼力においては、男性が女性の才能を見抜いて育てたという関係性に比べ、女性の眼力によって育てられた男の逸話が圧倒的に多いように思う。

たとえば、ジョルジュ・サンドとフレディリック・ショパンがそうだ。

ショパン自身、自分の音楽的才能に初めから絶対的な自信があるというわけではなかったようだ。

だが、サンドという才能豊かで当時のフランス文壇の寵児だった女性に認められ、「あなたならできる」と母性的な愛情を持って言われ続けることで才能が花開いた。

ガラ・リーナとサルバドール・ダリの例もある。

ガラはダリの才能を信じて疑わなかった。

典型的なのは、エディット・ピアフとイヴ・モンタンのカップルだ。

何かの折に面接試験をしたとき、ピアフは、まだ垢抜けないイヴ・モンタンを一目見て非常なパワーの持ち主だと気づく。

では、ピアフはイヴ・モンタンの中に何を見抜いたのだろうか。

ピアフが目をつけたのは、セクシーさという歌手にとっての根幹だった。

彼女はイヴ・モンタンに対して、「技術はなくても、誰も抗(あらが)えないほどのセクシーさがある」と語っている。

歌にとってそれが最重要であり、練習によってつけられるものではないとわかっていたのだ。

結果として、イヴ・モンタンは世界的シャンソン歌手になる。

ピアフの眼力は正しかったと証明されたわけだ。

その後、ピアフは「もう私の力なんて必要ない」と、イヴ・モンタンのもとから去っていく。』


エジソン、ファーブル、手塚治虫、野口英世等々の天才たちは、幼い頃、普通の子どもとは、どこか変わっていたという。

しかし、その母親たちは一様に、「あなたは今のままでいいのよ」と、まるごと全部を受けれ、肯定し認めていた。

人は、認められ期待されると、はかり知れない力を発揮する。



母親が、その才能の芽を摘んでしまったら、天才たちは世に出なかった。

天才たちの後ろには、常に偉大な母親がいた。


眼力と育てる力を磨きたい。



自分以外のまわりが、「私」をつくっている

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、小林正観さんの心に響く言葉より…「自分以外のまわりが、「私」をつくっている」です。


「縁起(えんぎ)の法則」をご存じでしょうか。

「縁(よ)りて起こる」


これはお釈迦様が最初に得た「悟り」といわれています。

自分の人生は、自分以外のすべてのおかげ、神仏やまわりのおかげで成り立っている。

それが「縁起」の意味です。


お釈迦様は次のように悟りました。

「私」の思いで成り立っているものは何ひとつない。

人は、自分の思いで未来を切り拓(ひら)き、人生が変わっていくと考えているために苦悩する。

苦悩の本質は「縁起」を認めないために起こる…。


この「悟り」を簡単にかみ砕くと、

「あなたの努力や才能によって人生が組み立てられていることはない」

「あなた以外のすべてがあなたの人生を決めている」

と思い定めるということです。


自分の生き方を、神仏やまわりが喜んでくれて、認めてくれる。

その結果、「私」を「私」たらしめてくれている。

どうやら、それが宇宙の構造らしいのです。


『努力ゼロの幸福論』大和書房




鎮西一(ちんぜいいち/九州で一番)の風格と賛嘆された、真木和泉(まきいずみ)は、人物たるにふさわしい条件をいくつかあげている。

その中でも大事なものが、「斡旋(あっせん)の才」だという。

斡旋とは、仲をうまく取りもったり、双方のなかだちをすることであるが、その人にふさわしい人物や職業を斡旋する。

斡旋は、利己的な人はできない。

その人の役に立ちたい、という相手を思う気持ちや、相手を喜ばせようとする気持ちが一番必要だ。


そして、大事なことは、「自分が他人に紹介できるような人とつきあっているかどうか」だ。

自分が成長すれば、つき合う人のレベルも上がる。

逆に、昔と比べて、つき合う人のレベルが下がっているとするなら、成長していないし、退歩しているということ。


「自分の人生は、自分以外のすべてのおかげ、神仏やまわりのおかげで成り立っている 」

謙虚な人は、今、自分があるのは、すべて「おかげさま」と、まわりの人たちや神や仏に感謝する。

今の自分は、自分の力や実力だけで勝ち得たものだ、と思っている人は傲慢な人。



すべては「おかげさま」、と感謝の気持ちで生きていきたい。

知的生産性を高めるためには

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。


今回は、立命館アジア太平洋大学(APU)学長、出口治明氏の心に響く言葉より…知的生産性を高めるためには」です。


遊ぶ時間をつくるために…

ご飯を食べに行くために…

デートをするために…

面倒なことをラクに終わらせるために…

いかに効率よく仕事をして成果を出すか。

その方法を自分の頭で考えだすことが、「知的生産性を高める」ことだと僕は思っています。


「生産性を上げる」とは、「時間当たりの産出量を増やす」ことです。

言い換えると、「人が成長すること」と同義だと思います。

新入社員のときは5時間かかっていた仕事が、3時間でやれるようになったら、上司や先輩から「成長したな」と褒められるのではないでしょうか。


生産性を上げるとは、

●「同じ仕事をより短い時間でこなすこと」

●「同じ時間でたくさんの量をこなすこと」

●「同じ時間で仕事の質を高めること」

であり、それはすなわち、人が「成長すること」を意味しています。


そして、知的とは、自分が成長するために社会常識や他人の意見を鵜呑みにせず、原点にさかのぼって「自分の頭で考えること」です。

●「知的」=「自分の頭で考える」

したがって、知的生産とは、

●「自分の頭で考えて、成長すること」

だと僕は定義しています。


日本は、「世界一進んでいる高齢化で、何もしなくてもお金が出ていく」という状況に置かれています。

1950年には、総人口の5%にも満たなかった高齢化率(65歳以上人口が総人口に占める割合)は、18.1%(2018年9月時点)に達しています。

国立社会保障・人口問題研究所が行った全国人口推計によると、2065年の高齢化率は、38.4%まで上昇すると予想されています。


1年経てば日本は1歳年を取るので、介護、医療、年金などにかかる費用は、予算ベースで考えても、新たに年間5000億円以上増えていきます。

社会保険料を加味したら、ゆうに1億円を超えるでしょう。

高齢化率が上昇すれば、支出額はさらに増大します。

新たに出ていく分を取り戻さなければ、日本は貧しくなるだけです。


●「何も改革を行わず、みんなが貧しくなるか」(黙って出費を受け入れるか)

●「知的生産性を高めて、経済成長するか」(出費分を補う工夫をするか)

の2択を迫られているのが、今の日本です。


貧しくなりたくなければ、GDP(国内総生産/一定期間内に国内で生産された財貨・サービスの価値額の合計)を上げて新たに増加する支出分を取り戻すしか方法はありません。

GDPとは、「人口×生産性」のことです。

GDPを上げるには、人口を増やすか、あるいは生産性を上げる必要があります。

人口はそう簡単には増やせませんから、一人ひとりが自分の頭で考えて知的生産性を高めるしか選択の余地は残されていません。


『知的生産術』日本実業出版社




出口氏は、本書の中で「頭がよくなる3つの学び方」を紹介している。

『それは、《同じような人に会わず、いろいろな本を読み、似通った場所には行かない》ということ。

そもそも自分の頭の中にさまざまな情報や知識がなければ、アイデアは浮かびません。

イノベーションやアイデアは、自分の仕事を深堀するだけでは生まれないのです。

新しい情報や知識を自分の頭の中に取り込むためには、幅広く学ぶことが必要です。

学ぶためにの方法は、3つあります。

たくさんの「人」と出会い、たくさんの「本」を読み、たくさん「旅」をして(現場に出て)経験を重ねることです。

「アメリカの大学生は、4年間で平均400冊の本を読む。日本の大学生は100冊に満たない。同じ職場に就いたらどちらの学生に面白い仕事が与えられるか、それはもう、決まっているよね」
そして、「人」に関しては、

「会いたいと思った人には、すぐに会いに行く」

「食事やお酒に誘われたら、原則、断らない」

「10人以上集めてもらったら、可能なかぎり、どこへでも話しに行く」

のが僕の信条です。

多様な脳が集まれば集まるほど、アイデアが生まれやすくなる。

ですから、自分とは異質な脳を持つ人に出会うことが大切です。

一言で言えば、世間でよく言われる「ダイバーシティ」がとても大切だということです。』


これから、人口が急速に減っていく日本。

この大変化の時代を生き残るためには、生産性を上げるしかない。

諸外国に比べて著しく生産性の低い日本…

一人ひとりが、自分の頭を使って、各々の仕事場や、生活の場で、「知的生産術」を考え、それを行動に移すしかない。


たくさんの「人と本と旅」に学び、知的生産術を身につけたい。

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鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

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