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やってみなけりゃわからんことだけが楽しい

テーマ:ブログ


リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…【やってみなけりゃわからんことだけが楽しい】です。


「いつか本を書いてみたい」

僕が漠然とそんな夢を見始めたのが2002年。

でも、僕の周りには本を書いたことのある人が誰ひとりいなかったので、作家になる方法がわからなかったんです。

だから、行動を起こすこともなく、なんとなく2年が過ぎました。


そんなある日、心理学の講座を受講したときのこと。

8人のグループワークで、僕は本を書いてみたいという夢を語りました。

すると偶然にも、その輪の中に作家さんがいた!


「おまえ、本、書きたいの?」

彼は僕よりだいぶ年下だったにもかかわらず、「おまえ」と完全な上から目線!

「…はい。本を書いてみたいんです」と僕が答えると、いきなりこう言いました。

「原稿は?」(作家さん)

「え? 原稿ですか? まだ書いてないです」

「おまえ、意味わかんねえよ」(作家さん)

「え?」

「だって、おまえ、本書きたいのに原稿はないんだろう?意味わかんねえよ」(作家さん)


いきなり、「意味わかんねえよ」扱いです。


「よく考えてみろ。

『僕はミュージシャンを目指しています。1曲も作曲していませんが』というヤツはミュージシャンになれると思うか?

おまえはそれと一緒だよ。

俺は本を書きたいと思った時点で書いてた。

で、いつなんどき編集者に会ってもすぐに渡せるようにカバンに入れてた。

なんでおまえのカバンから、原稿が出てこない?

いまおまえのカバンから原稿が出てきたら、俺はすぐに編集者に渡してあげたよ。

おまえはチャンスを台無しにしてる。

意味わかんねえよ」


これに対して、僕は「そうは言うけど、俺の周りで本を書いた人なんか誰ひとりいないんだ。だからやり方がわからないんだ!」と言い返したかったのですが、気が弱くて言えませんでした。

もう、悔しくて、悔しくて、とにかくわからないまま進むしかないと思い、ブログを立ち上げて、なんでもいいから1話書いた。

それ以来、毎日ブログを書き続けた。

結局それが僕のデビュー作『3秒でハッピーになる名言セラピー』につながりました。

方法なんかわからなくたって、今日できる1歩を踏み出せば、次の1歩が見えてくるのです。


最後に、きつかわゆきおさんの言葉を贈りましょう。

「やってみなけりゃわからんことだけが楽しい」


《わからないまま進め。やり方がわかるようなら、それは夢ではなく、「ただの予定」。》


『あなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。』ディスカヴァー





将来、「サッカーの選手になりたい」と思っている子どもが、現在サッカーをやっていないし、なんの運動もしていない、などということはあり得ない。

起業もそうだ。

いくら、「素晴らしいレストランのアイデアがあるんです」と言っても、レストランの経験もなく、頭の中だけでチラっと考えているだけなら、それは成功する確率は限りなくゼロに近い。

本気で思っている人は、すでに駆け出している。

レストランで働いて料理や接客を覚えたり、レストランの人脈を築いたり、自分の理想の店を何軒も見て食べまくったり、食器やインテリアに興味を持ったり、設計士と友達になったり、経理や計数を勉強したり…と。


多くの人が、なんとなく、「そうなったらいいなぁ」と、ただ、夢を夢見ている。

まだ、一歩も踏み出していない人が、いくら夢を語ったとしても、それを本気にする人はいない。


「やってみなけりゃわからんことだけが楽しい 」

人生を楽しくするため…

とにかく、一歩を踏み出したい。

行動範囲を広げること

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。




今回は、小林正観さんの心に響く言葉より…「行動範囲を広げること」です。


運というものは、動くことにより、初めて何かに当たっていきます。

家に引きこもって「楽しいことが何もない」と何もしないより、たとえば散歩に出かけてみる。

そうして、行動範囲が広がると、出会う人・物・事がでてきます。

出会ったものを一つひとつ大切にしていくと、いつの間にか自分の生活が忙しくなっていきます。


人生が面白くないという人は、まず、動いてみることから始めてみましょう。

「行動範囲の広さ=人格の広さ」という宇宙法則があります。


わがままを言い、人格が荒れているあいだは、周りの人から声がかかりません。

知り合った人に誘われること自体、人格的に好意をもたれる穏やかな人になったということ。


友人と旅行をすると、24時間一緒に行動を共にします。

友人に合わせるということが入り込むと、どんどん人格が向上していくようです。

交流関係が、人間関係の内部に入り込んでいきます。


周りの人から声をかけられて、あちこちに行けるようになると、また人格が広がっていきます。

誘われたとき、3、4回断ってしまうと、もう二度と誘われないようになります。

1、2回のうちに行ってみるのも、人格の許容度・寛容度が広まったということです。


『笑顔で光って輝いて』実業之日本社





小林正観さんは、『「運」は「動」より生ず』と言う。

これを「運動」と呼んだ。

実践すること、行動することが、「結果」を生むからだ。

実践すれば必ず、「運」がやってきて、楽しく、おもしろい現象が起こるという。


あの伊藤博文が「一たび動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし。周りの者は、ただただ驚き、呆然とするばかりで、敢えて正視する者すらいない。それこそ我らが高杉さんのことだ」と評した、高杉晋作はこんな唄を残している。

「真(しん)があるなら今月今宵(こんげつこよい) あけて正月だれも来る」

このままでは幕府によって長州はつぶされる、もし、国を思う気持ちがあるなら、今集まれ、という思いを込めて即興で作った唄だと言われる。

それを、幻冬舎の見城徹氏は翻訳してこう言った。

「情けあるなら今宵来い。明日の朝なら誰も来る」


人は、2回、3回と誘っても来ない人は、二度と誘おうとは思わない。

情けが感じられないからだ。

人と人との関係は、すべからく「情」によって動く。

理論や理屈ではない。

情の人は、動の人だ。


「行動範囲を広げること」

まわりから誘われ、声をかけられる人でありたい。

すみませんが」という言葉

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、鴨下一郎氏の心に響く言葉より…【「すみませんが」という言葉】です。


いわゆる、「逆ギレ」というのは、筋の通らない話です。

迷惑をかけたほうが迷惑を被った人へ、悪いことをしたほうが正しいことを主張している人へ、ムカッ腹を立てるのですから、こんな大人げないことはありません。

寝坊して、「どうして早く起きれないの」と叱られたお子さんが、「どうして、ぼくが目を覚ますまで、起こしてくれなかったんだ」と、お母さんに腹を立てるようなものです。

まったく大人げがない。


たぶん人は、一方的に悪者にされることに耐えられないのでしょう。

非は自分にあると十分にわかっていながら、それでも耐えられない。

だから、すなおに謝れない。

反省できない。

「悪いのは、自分だけではないじゃないか」と反発して、腹を立てるのです。

とはいえ、腹を立てれば相手から、いや相手のみならず周りの人たち全員から「大人げない人だ」と見なされて、いっそう軽蔑されるでしょう。


私は、あっさりと「すいません」と、白旗を上げるほうがいいと思います。

そうすれば、「潔いい人だ。人間ができている」と、かえって尊敬されあす。

軽蔑されるよりも、尊敬されるほうがいいでしょ?


今、駅員さんは命がけ、と聞きました。

夜9時をまわった時間帯。

とくに、忘年会シーズンの12月。


酔っ払ったお客さんに、不用意に「ここは禁煙ですよ。タバコを吸ったらいけない場所ですよ」と注意しようものなら、「なにを、このヤロウ」と逆ギレされて、カバンを振り回す。

あるいは、ホームの下へ突き落そうとする。

また、傘で刺すこともある。

逆ギレされt、命を落としかねません。

冗談ではなく、本当に乱暴な人が少なからずいるというのですから、物騒な世の中です。


一方的に悪者扱いされると、逆ギレする…、と述べました。

ですから駅員さんたちは、語りかけ方に工夫しているそうです。

「すみませんが」と謝ってから、「ここは禁煙です」と注意する。

駅員さんが謝る必要はないのですが、このひとことをつけ加えることによって、「一方的に、あなたを悪者扱いするんじゃありませんよ」と、暗に伝えるのです。

これ、逆ギレを防ぐ効果あり、だとか。

相手に「腹を立てさせない」ためのコツとして、私たちの日常生活の中でも応用できそうです。



日本人は「すみません」という言葉をよく使います。

また、よく頭を下げます。

謝らなくてもいいのに謝って、頭を下げる必要はないのに頭を下げます。

よく揶揄(やゆ)されたり、非難されたりする日本人の習慣ですが、必ずしも悪いものだとは思いません。

昔から無意識のうちに実践している、お互いに「腹を立てない生き方」をするための、大事ナコツなのではないか?と思います。

先に「すみません」と頭を下げるのは、「一方的にあなたが悪いといっているのではありませんから、誤解しないでください」と、暗に相手に伝える行為なのかもしれません。


「すいませんが、今日は『燃えるゴミの日』なんですから、『燃えないゴミ』を出されてはこまります」といったように、「謝ってから、相手を非難する」という、論理的には矛盾した言葉の使い方をします。

論理的には間違っているのでしょうが、心理的には「すみません」のひとことで、相手もすなおに「すみません」といえます。

相手が腹を立てずに、注意に従ってくれれば、こちらもまた腹を立てずに済みます。

この言葉によって、人間関係のストレスが軽減されているとすれば、それはそれで役に立っているのでしょう。


『「機嫌のいい人」に人は集まる』新講社ワイド新書




西田文郎氏は「素直さ」についてこう語る。

『監督やコーチに反感を持ち、腹をたてたり、また注意されると「チェッ」「うるせえなあ」とすぐ反発して、不服そうな顔をする選手がいます。

そういう素直さのない選手は、適切なアドバイスにも耳を傾けられなくなります。

さらにスポーツ選手にとって最大の敵といえるストレスを四六時中かかえることになります。

素直でないとは、別の言葉でいうと「ひねくれている」ということです。

人間関係がスムーズにいかず、いろいろな場所で衝突やトラブルが多くなります。

素直か、素直でないひねくれ者か、確かめる方法があります。

「面白くないなあ」「つまらない」「やってられない」「バカらしい」「クソッ」「このやろう」「あいつのせいだ」「誰も自分のことをわかってくれない」…。

こういう言葉をすぐに口にしたり、心の中で思ったりしやすいのは素直でない選手です。

一方、「ありがとう」「ありがたい」という気持ちが強いというのが、素直な人の特徴です。』(NO.1メンタルトレーニング/現代書林)より



反感を持ったり、反発する姿勢が普段から多い人や、負の感情をため込みやすい人は、逆ギレしやすい。

また、「自分の方が上だ」、「下に見られたくない」と強いプライドを持っていたり、コンプレックスを持っている人も逆ギレしやすい。

そして、頭にカーっと血が上ると、自分の感情を抑えられず、普段の地が出てしまう。


そういう人に対しては、自分が一旦引いて、オブラートに包んだ言葉をかけることが有効だ。

真正面から、注意でもしたら、ケンカになるだけだからだ。

それが、「すみませんが」という言葉。


普段から負の感情をためこまず…

感謝多き、素直な人でありたい。

不幸そう」にしていたら、脳は「不幸」を連れてくる

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。





今回は、斎藤一人さんの心に響く言葉より…【「不幸そう」にしていたら、脳は「不幸」を連れてくる】です。


オレの味方も脳なんだよ。

みんなの味方も脳なんだよ。

でも、敵も脳なんだよ。

敵も味方も外にはいないんだよ。

頭の中でさぼろうとしているヤツがいるんだよ。


脳を働かせるコツは

「おかしい」

この言葉ですよ。

「私が成功しないのは、おかしい」って、自分の脳に言うんですよ。

これだけいい話を聞いたのに、「いい話聞いた」って納得しちゃダメなんだよ。

「いい話聞いて、幸せにならないのは、豊かにならなかったら、おかしいんだ」って思うんですよ。

わかるかい?

すぐ脳がサボろうとしてるんですよ。

みんなね、脳というこのジャジャ馬にやられちゃダメだよ。


それから、病気を利用しちゃダメだよ。

病気を一回利用すると、あいつ何回でもそれを味しめるとやるからね。

だって、具合が悪いって言えば済むもん。


町会で呼び出されようが、なにしようが、「病気です」って言えば行かなくて便利なんだよ。

便利だけど、あいつを利用すると、あいつにズルズルズルズル引きずられていっちゃう。


一生は一回しかないんだよ。

バカバカしくて、病気なんかしていられないよね。

貧乏も嫌だよね。

「天国言葉を話しなよ」って言ってるけど、「誰に言うんですか?」って、自分の脳に言うんだよ。


「幸せだ、幸せだ」ってずっと言っていたら、脳はしょうがないから、幸せな現象を連れてくるんだよ。


不幸そうにしていたら、不幸を連れてくるんだよ。

これが、一人さん流の精神論なんだよ。

わかってくれなくても、いいんです。

ただそうなんです。


『成功脳』KKロングセラーズ






病気を都合よく利用すると、いつか病気に利用されるようになるという。

つまり、仮病で休んだりするのを繰り返すと、いつか本当の病気になってしまう、ということだ。

また、スーパーやコンビニにある身障者用の駐車場に、平気で車を止める健常者がいる。

これも仮病と同じで、都合よく使わない方がいい、ということだ。


そして、「私バカだから」という人もいる。

謙遜して言っているつもりだろうが、この人も確実に本当のバカになっていく。


天国言葉とは、「ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、幸せだな、ありがとう、ゆるします」。

「幸せだ、幸せだ」と言っていたら、脳は「幸せ」を探し出して連れてくる。

「不幸そう」にしていたら、脳は「不幸」を連れてくる。


どんなときも、天国言葉を使う人でありたい。

誰にも、何か理由がある

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リペアショップ鹿児島店の坂元です。



今回は、大久保寛司氏の心に響く言葉より…「誰にも、何か理由がある」です。


ときどき思いもよらないことを言う人がいます。

たとえば、こんな風です。

私が拙著の感想を尋ねると、「何ページの何行目の字が違っていましたね」。

あるときなどは、「値段が高いですね」と値段を指摘してくださる方もいました。


それを感想というのだろうか…と思いつつ、そうした思いがけない意見にも、最近、動じずに明るく返すことができるようになりました。

「すみません。おいくらならよろしいですか?」

と間髪を入れずに質問します。

あるとき「150円」という値がついたことがあります。

一冊1600円の本が、150円に下値更新です。

一所懸命つくった本を「150円」と言われて、寂しい気持ちになりましたが、

「彼はなぜそのように考えるのだろう」

と疑問をもつと、新しい研究課題の発見です。


人の見方や考え方を制限したり、強制したりすることはできません。

ですから、「え?」と驚くような意見に出会ったら、「なぜ?」と考えるのです。


「どうしてあんなばかげた質問に、ニコニコ笑って答えていたのですか。よく否定も非難もしませんでしたね」

と言われることがあります。

簡単なことです。

ばかげた意見と言うけれど、本当にばかげているかどうかは、その時点ではわからないからです。

もしかすると、私が勘違いをしているかもしれません。

突飛な意見や発想は、新しい可能性を秘めているかもしれないのです。

「新たな可能性」の確率はあるいは少ないかもしれません。

それでもゼロではありません。


「おいくらでしょうか」と自分の疑問をぶつけてみる。

また、この「ひょっとすると」は、相手の話を一度は真剣に聞くことにもなります。


不思議なものでそうなると、突飛な意見を言う人の発想のもとを知りたい、とも思うようになりました。

優劣や善悪、常識・非常識で判断するのではなく、相手の「心の構造」に関心を寄せるのです。

心の構造は、癖のようなものです。

それを知ることは、相手を理解する手がかりになります。


一番悪いのは、話の途中で「この人はダメだ」とさじを投げてしまうことです。

さじを投げたとたん、心の構造の向こうにあるその人の「メッセージ」を見落とします。

相手との距離も広がります。

突飛な意見や変な意見でも、真剣に聞いてみてください。

新しい発見があれば、幸せになります。


『月曜日の朝からやる気になる働き方』かんき出版





人は、その人の表面的な言葉や態度に反応してしまう。

その意見や態度の背後には、その人自身の何等かの理由や事情があるかもしれないのに…。


アメリカのある有名なコンサルタントの話がある。

『ある日、電車に乗ったところ、子どもが電車の中を走り回って大騒ぎをしていたが、その父親はそれを何も注意しなかった。

見かねてそのコンサルは、父親に「子どもをなんとかしてください」と言いに行ったという。

するとその父親は、

「そうですよね、注意しなければいけないですよね…。

実は、今朝妻が亡くなったんです。

それを子どもたちに、どう伝えようかと今考えていて…

本当にごめんなさい」、と。

コンサルはその父親の話を聞いて深く反省し、「誰にもその行動の背景には、何か理由がある」と思うようになったそうだ。』


突拍子もない意見が出たり、面と向かって批判されたりしたとき…

カチンとこないで、冷静に、

「なぜそう思うのですか?」と尋ねることができる人でありたい。

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鹿児島市西千石町のフレッセ厚生市場内にある靴修理・鞄修理・合鍵作製の店「リペアショップ鹿児島店」です。

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