鹿児島市西千石町の「フレッセ厚生市場」にある靴修理・鞄修理・合鍵作製のお店です。
 

店 名   リペアショップ鹿児島店
住 所   鹿児島県鹿児島市西千石町13-11
電 話   099-223-1766 
店舗URL http://ebisusama2322.on.omisenomikata.jp/


理想の存在

テーマ:ブログ


リペアショップ鹿児島店の坂元です。

本年も「靴修理店 店長ブログ」よろしくお願い致します。




今回は、かめおか ゆみこさんの 
★今日のフォーカスチェンジ♪より「理想の存在」です。




それがどんな生きかたであれ、

ひとは、自分の生きかたを受け入れて
いれば、苦しまないのだと想うのです。

いえ、その、苦しむことさえも、
受け入れることができるのであれば、

自分と自分の人生を、
肯定できるのだと想います。


私の理想の生きかたは、
良寛和尚と種田山頭火です。

どっちも男で坊さんじゃん!
というツッコミはおいといて。(笑)


良寛さんは、
ご存知のかたも多いでしょうが、

無欲で、子どもと遊ぶのが
大好きだったそうです。

その良寛さんの残したことばが、
いまの私の座右の銘です。

「災難に遭う時節には
 災難に遭うがよく候、

 死ぬ時節には死ぬがよく候」


これは、目の前のわざわいにたいして
あきらめろ、という意味ではなく、

何があってもなくても、
目の前の現実とまっすぐに対峙して、
生きよ

ということではないかと想うのです。


その良寛さんを清貧とすれば、

山頭火は、酒におぼれ、女におぼれ、

良寛さんとは真逆といっていい人生を
送ったひとですが、

彼の代表作に、こんな句があります。

「どうしようもない わたしが 
 歩いている」


「どうしようもない」自分を、
否定して、打ち捨てるのではなく、

一生、背負って生きたという意味では、

見かたを変えれば、自分にたいする
「全肯定」だと想うのです。

その意味では、
山頭火は、良寛さんと通底するものを
もっていたのではないかと想うのです。


しぐるるや死なないでいる

酔うてこほろぎと寝ていたよ

いただいて足りて一人の箸をおく


山頭火の残した、自由律俳句の数々。

20代、
孤独のまっただなかにいたころ、

私は、これらの句を何度となく読み、
書写し、暗記さえしていました。


「どうしようもない」自分さえも、
見捨てずに
生きることができるのであれば、

それはそれで、自分を
生きたことになるのではないか。


私にとって、一番の苦しみは、
自分を生きていないことなのです。

どんな苦しみのなかにあろうと、
自分を生きることができれば、

私は自分にマルをあげられると
想うのです。

(マルとは正解という意味ではなく、
 OKという意味です)


良寛さんは、彼を師と慕う尼僧に
みとられて亡くなり、

山頭火は、廃屋のような庵で、
ひとり、孤独に亡くなりました。

それでも、どちらも、自分を生きた
という意味では、
私のなかではつながっているのです。

だからこそ、生きかたは
まったくちがうように見えても、

私にとっては、理想の存在なのです。


何が理想の生きかたであるかは、
ひとによってちがうと想います。

坂元さんにとって、理想の生きかたは
どんなかたちですか?

それを体現しているひとはいますか?

いま、それに向かって、

坂元さんは、近づいていますか?
遠ざかっていますか?


ひとのいのちは有限です。

まちがいなく、
確実に、終わりはくるのです。

だからこそ、ときに立ち止まって、
考えてみませんか。

自分がどう生きたいのか。
どうありたいのか。

そして、それを潔く引き受けて
生きてみませんか?

坂元さんの「生きる」を応援します!

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